劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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特別なものは与えていませんが……


ご褒美

 達也の身体から迸った強い魔法の気配で、深雪は正気を取り戻した。再び羞恥心の虜になりかけたが、その前に達也が手を放し腕を緩めて、深雪を開放する。深雪は達也が不快に思わないように注意しながら、彼の上から素早く立ち上がった。

 達也が続いて立ち上がる気配を背中で感じて、深雪は反射的に身を固くした。しかし予期した、あるいは期待した抱擁は無く、達也の身体は深雪の横をスッと通り過ぎて行った。ドアの手前で達也が足を止める。その背中を見つめる深雪に、達也は振り返らず話しかけた。

 

「ありがとう、深雪」

 

 

 深雪がブルッと全身を震わせたのは、寒さの所為ではない。

 

「深雪は、お役に立てましたか?」

 

「ああ、無論だ」

 

 

 歓喜に掠れた声で尋ねる深雪に、達也は振り返ることなく答えて、微かに笑った。

 

「詳しい話は、服を着てからにしよう」

 

 

 深雪が顔を真っ赤にして、両手で胸を抱え込むように押さえ、しゃがみ込む。達也は背中を向けたまま、実験室を後にした。

 まだ五時にもなっていないが、今から寝直す気にはなれなかった。少し汗ばんでいたが、シャワーを浴びるのは達也の話を聞いた後と決めて、深雪は制服ではなく部屋着に着替えた。

 彼女がダイニングを訪れると、トレーニングウェア姿の達也がテーブルで待っていた。

 

「おはようございます、深雪様」

 

「おはようございます」

 

「おはよう、水波ちゃん。ミアさん」

 

 

 達也だけでなく、水波とミアがメイド服で完全武装して待っていたのは、彼女たちのプロ意識がなせる業だろうか。一応水波はもうメイドではなくガーディアンという立場なのだが、達也の「眼」が深雪に向けられている今は、そこまで水波に多くを期待していないので、彼女も心置きなくメイド業に精を出せるのだった。

 

「お茶でよろしかったでしょうか」

 

「ええ、ありがとう」

 

 

 達也の向かいに座った深雪の前に、熱く淹れた煎茶が差し出される。さわやかな味わいが、意識をスッキリと覚醒させた。

 

「水波、ミア、ここはもういい。少し休め」

 

「畏まりました、達也様」

 

 

 水波が丁寧に一礼してダイニングから出て行き、ミアも慌てて一礼してダイニングから出て行く。ミアが慌てたのは、達也が自分を呼び捨てにしたから。それだけだ。

 一方、水波が特に抵抗せず達也の言葉に従ったのは、それが自分を気遣う言葉ではなく、自分たちに聞かせられない話をするためだと理解したからだった。

 水波たちがダイニングから出ていくのを完全に見送って、達也は深雪に顔を向けた。

 

「深雪」

 

「はい、お兄様」

 

 

 元々伸びていた深雪の背筋が、更にピンと伸びた。達也に話しかけられた事で、素肌と素肌を合わせた熱が、彼女の意識の中で鮮明に蘇る。恥ずかしさより緊張が深雪の身体を、舌を縛っていた。だが、自分を気遣う達也の眼差しに、深雪の緊張はすぐに融けて消えた。

 

「さっきは悪かったな」

 

「……お兄様のお役に立てて、いえ、達也さんの足手纏いにならずに済んで、深雪は嬉しゅうございます。それより達也さん、首尾は如何です?」

 

 

 深雪は達也の瞳から目を離さぬまま小さく首を横に振り、艶やかに微笑む。そして達也がこれ以上言い訳をしなくて済むように、話題を任務に誘導する。達也は深雪の心遣いを無駄にはしなかった。

 

「確実に捉えた」

 

「では、既に決着を?」

 

 

 深雪は意識していないが、彼女も人を殺す事に余り禁忌を懐かない。いや、達也が人を殺す事に禁忌を覚えてないと言うべきか。

 達也が誰かを殺すなら、その相手は疑いなく死するべき者だ。彼女は知らず知らずの内に、そんな歪んだ思考に取りつかれていた。

 

「いや、消してはいない」

 

「理由を伺ってもよろしいでしょうか」

 

 

 深雪の問いは、達也の判断を批判するものではない。ただ純粋に、疑問に思ったが故のものだった。顧傑に情けを掛ける理由が、深雪には分からなかった。

 

「今回の任務の目的は、敵を片付ける事ではない。テロ事件を解決したと、世間に示す事だ」

 

「人知れず黒幕を消してしまうと、任務の達成が不可能になる、と言う事ですか?」

 

「そうだ。母上は生死は問わないと言っていたが、生きたまま捉えるのが当然ベスト。殺してしまうにしても追い詰めたところを見せなければならないし、死体を残す必要がある」

 

「テロ事件の黒幕と分かる形で仕留めなければならないと言う事ですね」

 

 

 深雪の言葉に、達也が頷く。達也に正解を認められて深雪は嬉しそうだったが、不意にハッと目を見開いた。

 

「でしたら、ここで私の相手をしている暇は無いのでは? せっかく居場所を突き止めたのです。今すぐ捕縛に向かうべきなのではありませんか?」

 

 

 焦る深雪に、達也は余裕の笑みを見せた。その笑みを受けて、深雪は再び顔を赤らめた。

 

「大丈夫。さっき、印をつけておいた」

 

「印……ですか?」

 

「ああ。周公瑾を仕留めた時に学んだ方法でね。座間ではその余裕が無かったが、さっきは確実に撃ち込んだ。もう多くのリソースを投入しなくても、顧傑の居場所は突き止められる」

 

 

 故に達也は宣言したのだ、『捉えた』と。深雪がその言葉を疑う事は無く、達也は立ち上がり深雪の横に移動した。

 

「さっきも言ったが、深雪のお陰で顧傑を捉える事が出来た。ありがとう」

 

 

 深雪が知る限り最高の笑みを浮かべた達也が、深雪を労うべく頭に手を伸ばし、そして撫でた。その後すぐ達也は日課の鍛錬の為に出かけてしまったが、深雪は何の不満もなさそうな笑顔で達也を見送り、そして汗を流す為にシャワーを浴びようと着替えを取りに部屋に戻り、そのままベッドに飛び込んで悶絶したのだった。




彼女にとって、達也からのお礼は何物にも代えがたい褒美ですからね

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