達也がいつも通り九重寺に出かけたので、深雪はその間にシャワーを済ませてしまおうと考えていた。しかし、いざシャワーを浴びに行こうとしたタイミングで、水波が深雪の部屋にやってきた。
『失礼します。深雪様、本家より連絡が来ております』
「分かったわ。すぐに行きます」
本家からの連絡を無視する事は出来ない。相手が葉山であろうが青木であろうと、四葉本家からの連絡を不在以外の理由で無視すれば、自分の立場が危うくなる可能性があるのだ。
『では、ご当主様にそう伝えておきます』
「えっ、叔母様からなの?」
『はい。何やら急ぎの用があるとの事です』
「分かったわ。今すぐ行きます」
シャワーを浴びる前に着替え、深雪はヴィジホンのあるリビングへと急いだ。
『ごめんなさいね、深雪さん。こんな朝早くに』
「いえ、急ぎの用があると伺いましたが、どのようなご用件でしょうか」
画面越しとはいえ、真夜相手に普通の格好では失礼に当たると考えて、深雪は普段以上にしっかりとした服装でリビングに立っている。一方の真夜は、何時も通りのドレス姿だ。
『それほど大した用事ではないのだけど、たっくんに抱きしめられた感想を聞きたいと思ってね』
「……何故叔母様がその事をご存じなのでしょうか」
達也が深雪を抱きしめ、テロの黒幕である顧傑を捉えたのは、本当についさっきだ。達也が報告したにしても、細部までは言わないはずだ。
『簡単な事よ。たっくんが顧傑を捉える為には、エレメンタル・サイトに集中する必要があるもの。でもたっくんの異能の半分は深雪さんに向けられている。だからその家から顧傑を捉えたのなら、たっくんが深雪さんを肌で感じたんだろうと思っただけです』
「……さすがですね」
実の息子相手だが、真夜は達也のすべてを知りたいと思っている。だからではないが、達也に抱きしめられた感想を聞きたいのだろうと、深雪はそう解釈する事にした。
「物凄くドキドキしましたが、お兄様は任務でこうしているんだ、と自分に言い聞かせていました。ですが、やはり心臓だけは言う事を聞かせることが出来ず、そのまま顔も赤くなってしまいました」
『それで? たっくんの肌の感触とかはどうでした?』
「日ごろから鍛えておりますので、柔らかさとかはありませんでした。ですが、手とは違った感触がまた、私を興奮させてくれました」
『羨ましいわね。他の候補者さんたちが嫉妬するのも分かるわね、そんな体験があるなら』
「叔母様。お兄様はあくまでも捜査の為に私を抱きしめたのであって、そのような事を他の候補者の人に伝える必要は無いと思いますが」
『もちろん、教えるつもりはありません。ですが、一部で「深雪さんだけ同居してズルい」という声が上がっているのも確かなのです。今までは兄妹だったから大目に見られていた部分もあったでしょうが、貴女たちは従兄妹だと知られ、しかも貴女は婚約者候補ですからね。嫉妬の感情を向けられても仕方ないでしょう』
真夜の言葉に、深雪は無言でうつむく。もし自分が他の候補者の立場だと考えれば、確かに羨ましいと思うだろうと考えていたのだ。
『そうそう、明日から四高も休校になるので、たっくんの代わりの護衛は亜夜子さんと文弥さんにお願いしようと思っているのだけど、この事はたっくんには秘密にしておいてね』
「それは構いませんが、何故お兄様には秘密なのでしょうか?」
『二人の希望なのよ。突然現れてたっくんを驚かそうと考えているのかもしれないわね』
真夜は「まだまだ子供なのでしょうね」と言いたげに微笑んでいる。自分たちと一学年しか違わない――もっと言えば深雪とは半年も違わないのだが、黒羽の双子は年相応の幼さを持ち合わせているのだ。
「そう言う事でしたら黙っておきますが、お兄様は存在を探ることが出来ますので、黙っていても気づかれると思いますよ」
『そうでしょうね。でも、あの二人は少しでもたっくんを驚かせたいと考えているのかもしれないもの。だから、手伝ってあげてちょうだいね』
「かしこまりました」
優雅に一礼して見せて、深雪はこれで話は終わりだと解釈した。だが、真夜の話はこれで終わりではなかった。
『それから、鎌倉で保護した刑事さんたちだけど、無事に呪は解除出来たわ。生命力も何とか回復しそうだし、これで千葉家に更なる恩を売ることが出来そうよ』
「エリカのお兄様の同僚でしたよね。そうですか、ご無事だったんですね」
『たっくんが機転を利かせて、戦力を削ぐためだと説得して吉見さんを動かした結果よ』
「よく黒羽の叔父様が許可しましたよね」
『ついこの前まで道具としてしか見てなかった相手が、私の息子で後継者だと知らされて、貢さんも大分混乱してるようでしたけどね。たっくんの命は私の命だと思いなさいと言っておいたから、それでだと思うわよ』
悪戯が成功した子供のような顔で告げる真夜を見て、深雪は苦笑いを浮かべそうになった。だがそのような真似は出来ないので、画面に映らない箇所を力いっぱい抓る事で、深雪は表情を変えずに真夜の相手をしきったのだった。
『それでは深雪さん。たっくんが帰ってきたらよろしく伝えておいてね』
「かしこまりました。それでは叔母様、ごきげんよう」
ひざを折り、スカートの裾を広げて一礼した深雪に対し、真夜は笑顔を浮かべただけで通信を切った。
「ふぅ……」
「お疲れ様でした。お風呂の用意が出来ていますので、ごゆっくりお入り下さい」
「ありがとう。悪いんだけど、お兄様が帰ってくる時間になったら呼んでちょうだい」
水波の好意に甘え、深雪はゆっくりと湯船に浸かることにした。それでも、達也の出迎えを怠りたくないという気持ちは強いようで、水波は主の命に応えるべく、時間をしっかりと確認して深雪を呼びに行ったのだった。
嫉妬に駆られて闇討ちされそうですよね……