桐原と沢木は少女の傍まで来て、そこからどうするかよく考えていなかった事に今更気が付いた。二人と顧、声を掛けるべきだとは思ったのだが、なんと声を掛けて良いのかが分から無かったのだ。
それ以前に、少女から見れば自分たちは見ず知らずの大人で、いきなり声を掛けて不審人物扱いを受けるのは自分たちではないかと尻込みを覚えたのだ。
「こんにちは、私は紗耶香よ。こっちは巴」
「ハイ……こんにちは、私はジャズ」
結局、少女に話しかけたのは紗耶香と巴だった。英語で話しかけるべきかと迷った挙句、まず日本語で話しかけたのだが、幸い少女は日本語を理解した。
「ジャズ、誰か待っているの?」
「ダディ……お父さんを待っている」
「そう。ここで待っているように言われたの? あっちの日陰の方が涼しいわよ?」
「お姉さんたち、警察の人?」
「えっ、ううん、そんなことないけど」
「そう。良かったら警察の人がいる所に連れて行ってくれない? お父さんが迷子になったみたい」
父親が迷子かと思ったせいで、紗耶香が周りの大人の動きに気が付いたのは、沢木と服部が少女を間に挟み込むように動いた後だった。
「四人か……」
桐原が舌打ちしそうな口調で呟く。人数はこちらの方が多いが、実質的には三対四。紗耶香と巴を無意識に戦闘要員から除外しながら、桐原は焦りを覚えた。
「三人とも、走るぞ」
突然、沢木が三人にギリギリ聞こえるレベルまで絞り込んだ声でそう言った。相談ではなく、決定であり押し付けであった。
「行け!」
「マジかよ! 三十野、壬生!」
悪態を吐きながら、桐原が紗耶香と巴を促す。
「ジャズ、一緒に来て!」
「オーケー」
「どけぇっ!」
左右からサングラスの男が立ちはだかったが、桐原はその二人の間に問答無用で突っ込んだ。
「(素手か……なら何とかなるかもしれん)」
なんとしても女子は守ろうと覚悟を決め二人を相手に立ち振る舞おうとした桐原ではあったが、ジャズをあずさに預けた紗耶香と巴がデニムから細いベルトを抜き取り男たちに振るった。
実用性のないファッションアイテムかと思われたベルトが、一振りしただけで細身の剣に変わる。五十里が千葉家の「薄羽蜻蛉」を基に創った護身具である。
紗耶香と巴がこんな物騒なものを持っているのは、暴力沙汰を予感したからではなく、単なる偶然であり、薄羽蜻蛉を真似て隠し武器を作った五十里も、たまたま二人にモニターを頼んだだけなのだ。
何とか男二人を撃退し、一対二になっている沢木の助太刀をしようと振り返った桐原が見たものは、既に一人を倒し、もう一人の男にとどめの一撃を喰らわせている沢木の姿であった。
「おっ、そっちも片付いたのか。さすがだな」
「いや……お前には負けるぜ」
紗耶香と巴の助けを受けて漸く片付けた自分と比べ、桐原は沢木の強さを改めて思い知ったのだった。
五十里たち八人は、ジャズという名の少女を連れてショッピングモールのファストフード店に入った。
「お待たせ」
「悪いな」
「良いよ、これくらい」
飲み物をまとめて買ってきた花音と五十里を服部が労い、テーブルに全員が揃ったところで紗耶香がジャズに話しかけた。
「ジャズ、大丈夫? 怖くなかった?」
「ええ、大丈夫。お姉さんたち、ありがとう」
「さっきの人たちに心当たりはある?」
「ううん、無い」
「そう……こんな人通りの多いところで襲ってなんて来ないと思うけど、お父さんが来るまではあたしたちが一緒にいてあげるから大丈夫よ」
花音がそういった直後、まるで彼女のセリフを合図にしたかのように野太い男の声がジャズの名を呼んだ。
「ジャズ!」
「ハイ、ダディ」
男の声が切羽詰まっていたのに対して、少女の声は平坦だった。
「急にいなくなるから心配したぞ……あの、貴方たちは?」
「ジャズのお父さんですね? 私は服部刑部と申します。私たちは四人組の男がジャズさんを攫おうとしていたところに偶々居合わせました。見て見ぬふりをすることも出来ず、ジャズさんを人目が多い場所にお連れしたという次第です」
「ソーでしたか……モーシ遅れました。ワタシ、ジャズの父のジェームズ・ジャクソン、デス。ムスメを助けてくだサリ、ありがトーございマス」
「ありがとう、バイバイ」
父親に手を引かれたジャズが振り返って手を振る。紗耶香、巴、花音、あずさが手を振り返しを見送った後、二人の姿が見えなくなったところで服部が声を潜めて沢木に話しかける。
「沢木、何故あいつらを警察に突き出さなかったんだ?」
服部はさっきの四人を倒しただけで放置したことが納得できない様子だ。親友、という程ではないが、三年間それなりに親しくして服部は沢木の気性を把握している。服部は、沢木が誘拐犯如きに怖気づくはずはないのだがという疑問も覚えていた。
「俺が相手をした連中だが、中国語を喋っていた」
「何ぃ?」
「しーっ!」
「あっ、ああ、すまん」
何事かと集まってくる視線から目を背け、桐原が同じテーブルの皆に謝る。しかしそれで、彼が口を閉ざす事はなかった。
「まさか……二年前と同じ?」
「中国語を喋っていたというだけで決めつける事は出来ないんじゃないか? 政府とは無関係の犯罪組織かもしれん」
「確かにそうだが、あいつらの技からは軍隊格闘技の臭いがした」
服部の反論はもっとのなものだが、沢木の言葉を否定する材料は無かった。
「いやだ、またあの時みたいなことが起こるの……?」
紗耶香が漏らした不吉な予想を笑い飛ばす声も、残念ながら無かった。
「俺が中国語を理解出来ればよかったんだが……」
「それは言いっこなしだぜ。俺たちだって分からないんだからよ」
「司波君なら何かしら分かったかもしれないが、やはり未熟だな……」
沢木の達也信奉は異常ではないかと思いながらも、桐原はその事に対してツッコミを入れることは無かった。
普通に喋った後に片言の日本語は怪しいだろ……