劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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怖い、という表現で済まないような気がする……


ジェームスの恐怖心

 石垣島から本島へと戻り、ホテルまで護衛を務めてくれたジョセフに、達也は頭を下げてお礼を告げた。

 

「ジョー、今日はありがとうございました」

 

「良いってことよ。お陰で俺ものんびり出来たしな」

 

 

 ホテルのエントランスまでついてきたジョセフが、そのまま無人タクシーで去っていく。それを見送った達也は、タクシーが見えなくなるのと同時に、通りの向かい側のビルを見上げた。

 

「お兄様、如何なさいましたか?」

 

 

 その視線に気付いた深雪が達也に問いかける。その声で水波が動いた。達也が目を向けているビルから、深雪を背中に庇う位置に立つ。

 

「慌てる必要は無い」

 

「敵……ですか?」

 

 

 深雪が達也の視線を辿っても、カーテンが閉まった窓しか見えない。自分だけかと思って窺い見れば、水波の目も定まっていない。達也が何を見ているのか、水波にも把握出来ていない証拠だ。

 

「金で雇われた情報屋の類だろう。捕まえても大したことは聞き出せない」

 

 

 聞き出せないだろう、でもなければ、聞き出せないに違いない、でもない。「聞き出せない」と断言する達也に、深雪はそれ以上質問も反論も出来なかった。

 

「中に入ろう。水波、深雪の事を頼むぞ」

 

「かしこまりました」

 

 

 達也に促され、深雪はホテルの回転扉をくぐり、その後に水波が続く。達也も、もう一度ビルの方に視線を向け、そのままホテルの中へと入っていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也たちがホテルの中に入っていくのを、道路を挟んで向かい側にあるビルの一室で見送って、ジェームズ・J・ジョンソン大尉は詰めていた息を吐き出した。額を手で拭おうとして、掌が冷たい汗に濡れているのを今更のように自覚する。

 

「(緊張……いや、恐怖していたのか? この俺が?)」

 

 

 現在のオーストラリアは外交に消極的なだけではなく、それ以上に海外派兵に消極的だ。鎖国という表現の妥当性はともかく、表向き孤立政策をとっていることに間違いはない。他国との同盟関係も無く、合同演習の類にも一切参加していない。

 だがそれは、ジェームズのような種類の軍人に実戦の機会が訪れないという意味ではない。オーストラリアは資源が豊富な国だ。鉱山資源だけではなく、砂漠化の停止と砂漠の緑化に燃える他国の、工作機関相手の謀略戦は日常的と言える程に頻発している。

 また、表向き孤立政策をとっていても、完全な中立を堅持しているわけではなく、今回のように秘密の非合法作戦で他国の武装組織と手を組むことは決して珍しくない。軍にあって工作任務を専門とするジェームズは、この暗闘の最前線で活躍してきた百戦錬磨の戦闘魔法師だ。死線を潜り抜けたことも一度や二度ではない。大抵のことには動じない度胸を身につけている、と彼は自負していた。

 

「(この俺が……あんな餓鬼に? 俺の監視に気が付いただけじゃない。こっちの精神を貫き心臓まで届くような、死神の如きあの視線……『アンタッチャブル』の名は伊達じゃないって事か)」

 

 

 およそ三十年前、大漢崩壊とともに囁かれ始めた戒めの言葉。

 

『日本の四葉に手を出すな。手を出せば、破滅する』

 

 

 現に、ジェームズが属する裏の世界では、大亜連合が日本相手に不利な立場で講和を余儀なくされたのは四葉が手を出したからだという噂が真顔で語られており、朝鮮半島南端を灼いた戦略級魔法は四葉が開発したものではないか、という声も少なくない。

 そして、世界最強の魔法師部隊の呼び声高いUSNAのスターズが、日本に手を出して四葉家に撃退された――そんな未確認情報も彼のところに回ってきている。

 あまりにも華々しい話ばかりで、ジェームズは全てを額面通りに受け取る気にはなれなかった。今回も、ジェームズたちの敵として日本軍の指揮を執っているのは、インドシナ半島で勇名を馳せた『大天狗』風間玄信。彼をはじめとして日本軍所属魔法師の実力は高い水準にある。日本の魔法戦力は四葉だけではない。大亜連合の奇襲部隊を撃退したのも、飛行ユニットを世界で初めて実戦投入した軍の魔法師部隊の力によるところが大きい。

 状況を決定づけた戦略級魔法も、日本が開発した秘密兵器だろうというのが、ジェームスを含めたオーストラリア軍の見解だ。常識的に考えて、あれは一民間組織が持つには大きすぎる力だ。そんなことを許せば、国のバランスを保てるはずがないからだ。

 

「(それでも四葉は、決して侮ってはならない相手だ。たとえそれが、十代の学生であっても)」

 

 

 ジェームズはその事を改めて心に刻んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪の誕生日の為に達也が手配していたのは、プレゼントだけではなかった。ホテルの最高級でフルコースのディナーを楽しみ、その後展望ラウンジに席を移してグラスを傾けていた。

 もちろん二人ともノンアルコールカクテルだ。京都で真由美相手に苦労した経験を達也は忘れていないので、深雪の「少しくらいなら……」という提案をやんわりと却下し、彼女のグラスの中身を、達也は『精霊の眼』を使ってチェックしていた。だから断言出来る。深雪はアルコールを摂取していないと。

 

「お兄様……私、なんだか……」

 

「そろそろ部屋に戻ろうか」

 

 

 体調が悪いのではなく、雰囲気に酔ったのだろう。いずれにせよもう戻った方が良いと判断して、達也は深雪を促し立ち上がった。深雪は大人しく達也に続いた。彼女はここでごねるような少女ではない。達也の言葉なら尚更だ。

 その代わり、深雪は達也の左腕にするりと自分の右腕を絡ませた。ピタリと身を寄せ、甘えた目で達也を見上げる。ただの兄妹だった時なら軽くしかりつけてそっと腕を解いているところだが、達也は深雪のするがままに任せた。

 彼女がかすかに安堵の表情を浮かべたのは、拒絶される可能性を、殆どありえないと知りつつ恐れていたからだろう。

 達也は深雪に左腕を預けたまま展望ラウンジを後にしたのだった。




雰囲気酔い……

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