部屋に入る直前、深雪は達也の腕に絡めていた右腕を解いた。何事もなかったかのような顔で留守番をしていた水波を労う。達也も水波を労った後、先に入浴するよう深雪に声を掛けてベッドルームに引っ込んだ。ドアを閉め、スーツを寝間着代わりのルームウェアに着替えて、ライティングデスクの前に座る。そうして、今日の戦果に「眼」を凝らした。
意識の主な部分を情報次元へ向ける。その俯瞰的な視線の中で、彼は自分自身から放たれた情報の欠片をすぐに見つけ出した。マーカーは外れていない。彼は検索対象の情報を読み取りに掛かる。
「(……ジェームズ・ジェフリー・ジョンソン。オーストラリア軍所属の魔法師。階級は大尉)」
達也が「視て」いる情報は、ホテルに帰ってきた時、自分を監視していた敵工作員のものだ。距離があり顔がはっきり見えたわけではなかったが、あの場所で視線の主が白人男性だということはなんとなく分かっていた。それで前日風間に写真を見せられた「親子」の片割れではないかと見当をつけ、追跡用の想子マーカーをイデア経由で撃ち込んでおいたのだ。
「(現在位置は久米島沖北東海上。漁船を買収でもしたのか?)」
残念ながらマークした本人以外の情報までは読み取れなかった。マーカーを手掛かりに「視野」を広げていく技術はまだ修得中の不完全なものだ。
それでも「ジェームズ・ジャクソン」の正体が「ジェームズ・J・ジョンソン大尉」であるという情報は価値が高い。達也は自分が手にした成果を過小評価せず、風間宛に今判明した事を暗号化して送信したのだった。
入浴その他諸々を済ませて、後は寝るだけとベッドルームに戻った達也は、自分が使っているベッドにパジャマ姿の深雪が腰を掛けているという状況に遭遇した。絹のような薄い生地越しに、下着を着けていない胸の輪郭が分かってしまい、達也はさりげなく視線を外した。
「……何か相談したい事があるのか?」
「いいえ? 何も困っていることはありませんよ?」
達也の質問に小首を傾げる深雪の口調は、何処かふわふわしたものだった。さっきから何度も確認している事であるにも拘らず、達也は思わず深雪の血中アルコール濃度へ「眼」を向けた。
「……そんなに視ないでくださいますか。恥ずかしいです……」
「あ、あぁ。すまない」
深雪が目元を赤く染め、潤んだ瞳で達也を見上げる。これには達也と言えども、多少の動揺は免れなかった。
「お兄様、もうお休みになられるでしょう?」
口調だけではなく、言葉遣いも少々怪しかった。やはり、アルコール無しで酔っぱらっているに違いない、達也は深雪の様子を見てそう結論付けた。
「そのつもりだ」
「それではどうぞ、ベッドへ。灯りは私が消しますので」
「いや、深雪が先に寝なさい。今日は遠出をして疲れただろうしな」
「いえ、お兄様のお世話をするのが、私の生き甲斐ですので……」
そうは言った深雪ではあったが、達也のベッドが目の前にある状況と、アルコール無しで酔っぱらっている所為で我慢が利かなかったのか、達也のベッドに潜り込み、すぐに寝息をたて始めたのだった。
「やれやれ……雰囲気で酔っぱらうとはな」
深雪が完全に寝たのを確認して、達也は隣の部屋の水波に声を掛け、深雪を運ぶよう命じる。水波は達也の命令に首を傾げたが、女主の胸元を見て達也の命令に納得がいき、ゆっくりと深雪を部屋まで運んだのだった。
翌日の朝。バツが悪そうな顔で目を逸らす深雪に、達也は今日の予定を告げる。
「今日は予定通り久米島に行く」
これは昨日のようなサプライズではなく、最初から計画されていた。と言っても、任務に直接の関係は無い。時間があれば防衛対象の人工島を直接見ておくつもりだが、それはあくまでも「時間があればついでに」程度の位置づけだ。今日の主目的は観光だ。昨日は深雪へのプレゼントがメインだったが、今日の趣旨は気楽に時間を潰すことにある。
今回の任務の成否基準は二十八日の人工島竣工記念パーティーを無事に終わらせられるかどうか。しかし、破壊工作を事前に阻止するためには敵の作戦能力を奪う事が必要で、それには敵の主力兵が何処に隠れているのかを突き止める必要がある。そして、その捜索は国防軍の仕事で、敵の主力部隊が見つかるまでは達也の出番は無い。
沖縄まで来てホテルでジッとしているのは、達也でも時間がもったいないと感じる。だからといって、自分の仕事でもないのに外国の魔法師を探しに出かける気にもなれなかった。
そんなわけで、達也は今日の空き時間をバカンスに当てる事にしたのである。
「飛行機の出発時間は八時半。CADはそのまま機内に持ち込める」
この辺りの事も、改めて言う必要がない確認事項だ。CADの持ち込みは公務員の場合、警察に申請すれば大抵認められる。魔法大学生、魔法科高校生もこれに準じるが、その代わりいざという時には救助義務が発生するのだ。
「準備は整っております。後は達也さまと深雪様に着替えていただくだけです」
「ご苦労様」
「まずは朝食を済ませよう」
「ところで達也様……私、昨日どうやって自分の部屋に戻ったのでしょうか? それとも、あれは夢だったのでしょうか?」
何処か期待したような、だが恥ずかしそうな視線で達也に問いかけて来る深雪に、達也は端的に事実だけを告げた。
「アルコール無しで酔っぱらい、俺のベッドで寝てしまった深雪を、水波に運んでもらったんだ」
「そ、そうだったのですか。申し訳ございません、達也様。水波ちゃんも、迷惑を掛けたわね」
申し訳なさそうに頭を下げる深雪に、達也は苦笑いを浮かべながらその頭を撫で、これ以上気にするなと告げるのだった。
それを軽くあしらう達也……さすがだなぁ