風間と陳祥山の部隊が潜水艦と偽装ドックを制圧し終えた時点で、ジョンソン大尉はまだ海中にいた。昼前にランデブーポイントに到着し、海中で小型潜水艇を降りてドライスーツで浮上、海上に予定通り民間クルーザーに偽装した工作船が停泊しているのを見て、ジョンソンは柄にもなくホッと息を吐いた。
「ジャズ!? 何かあったのか?」
船上には彼のパートナーであるジャスミン・ウィリアムズ大尉が待っていた。予定では彼女は久米島の隠れ家で待っているはずであり、ジャスミンは気まぐれで計画を変更するような性格ではない。ジョンソンは軽口を叩く余裕も無く、真顔で予定を変えた理由を尋ねた。
「知らないのか? ……いや、知らないようだな」
ジャスミンの反応に、ジョンソンの中で嫌な予感が膨れ上がっていく。残念ながらそれは、杞憂ではなかった。
「明日の主力部隊が日本軍に捕まった。戻って早々だが、すぐに打合せしたい」
ジョンソンが絶句したのは、一秒未満のごく短い間だった。
「了解した。着替えてくる」
「ダイニングで待っている」
ジャスミンを見送る時間も惜しんで、ジョンソンは更衣室に割り当てられたキャビンに向かった。
着替えを済ませ、ダイニングに向かうと、そこにはジャスミンと、大亜連合脱走部隊幹部、ブラットリー・チャンが椅子に座って待っていた。チャンがジャスミンをチラチラ見ているのは、彼女の身体が本心では信じられないからだろう。
二人が待っていた席は、ダイニングと言っても簡易キッチンに付属している小さなテーブルと椅子だ。チャンの巨体には見るからに窮屈そうだったが、そんな些細な事に不平を唱える余裕は見られなかった。
「捕まったというのは、臨検を受けたのか? 移動ドックは公海上にいたはずだ」
「臨検ではない。詳しい事は分からないが、超法規的な奇襲を受けたらしい」
「正規軍による海賊行為か!」
「その点は我々も日本軍を非難できない」
声を荒げたジョンソンに、ジャスミンは彼を宥めるのではなく、鏡を突き付けて頭を冷やさせた。
「……他に分かってる事は?」
「大亜連合の追跡部隊が襲撃に加わっていたようだ」
「日本軍が大亜連合軍と共闘しているのは分かったが、マズいな。明日の作戦の情報は漏れていると見るべきか?」
「向こうも非合法の作戦に踏み切っているのだ。今更、自白剤の使用を躊躇わないだろう。それに、既に作戦自体が破綻している」
「作戦は実行すべきです。今中止しては、これまでの犠牲が無駄になってしまう」
「しかし、作戦の主力となる潜水艦は失われてしまいました」
ジャスミンが指摘した通り、明日の作戦はチャンが率いる別動隊で警備の目を引きつけた隙に、海中から工作員を送り込んで密かに接近し、フロートに爆弾を仕掛けるという手順を予定していたのだ。
「小型艇は残っています。要は海中から気づかれずに接近できればいいのです。潜水艦は作戦に絶対必要というわけではない」
「それが可能ですか?」
「我々の部隊には水中での活動を得意とする魔法師が残っています。人数は減ってしまいましたが、作戦に支障はありません」
「我々の独断では結論を出せません。本国に照会する時間をください」
「……分かりました。良いお返事を期待しています」
チャンは二人が時間稼ぎをしたいわけではないと分かったのか、焦りを抑えて頷いたのだった。
ジョンソンが本国の上官と連絡を取った手段は、イギリスの軍事用通信衛星をピンポイントで狙った指向性の強い電波による無線通信だった。言うまでもなく盗聴を避けるためなのだが、残念ながら通信は日本軍に傍受されていた。
「藤林中尉、ご苦労」
「恐縮です、隊長」
「真田、解読出来たか」
「はい。それほど複雑な暗号ではありませんでした」
「内容は?」
「明日の作戦を中止すべきかどうかを問い合わせるものですね。オーストラリア軍は回答を保留しています」
「こちらとしては、続行してくれた方がありがたいが……偽の回答を掴ませるのは……いや、無理だな」
風間の悪辣な呟きに、真田は残念そうな苦笑いを返した。
「偽の通信を流すのは、技術的に不可能ではありません。ですが、本物の回答を遮断するのは難しいと思います」
「そうだな」
「オーストラリア軍からの回答、来ました」
風間が尚も悪だくみをしようと首を捻っているところに、響子から傍受の報告がもたらされる。
「何と言ってきた」
「ハッ『明日の作戦決行を許可する。大亜連合反講和派と協力して作戦を成功に導け』とのことです」
「そうか。柳」
「ハッ」
「この事を陳祥山にも伝え、迎撃フォーメーションを詰めてこい。細かい部分は任せる」
「了解しました」
風間に敬礼をして、柳が部屋を出ていく。彼の足取りは、何時もに比べて微妙に軽かった。
「オーストラリア軍は本気で成功するとは思っていないだろうな」
「それはいったい?」
「本当に失えない魔法師ならば、こんな危うい作戦には投入しない。単にリスクが高いというのとは違う。安全ネットなしで綱渡りをさせているみたいなものだ」
「最初から使い捨てを視野に入れていたと……?」
風間の言葉に絶句した真田の代わりに尋ねた響子の声は、わずかに震えていた。
「仮に、我が国に差し迫った脅威となる魔法師がUSNAに出現したとして、達也を単独でUSNAに派遣するだろうか」
「いえ……少なくとも、十分なバックアップをつけると思います」
「能力的に欠陥があるのか、身体的な欠陥があるのか……潜入任務に起用されるくらいだ。有能ではあるのだろうが、失っても惜しくないと考えているのか……例えば、この『少女』の外見が薬物投与によるものではなく、調整の副作用として現れた遺伝子異常によるものだとしたら、どうだ?」
「隊長、それは……」
「あくまでも仮説だ。だが、あり得る話だとは思わないか?」
「そうですね。あり得る話です。また、そのような特殊性を抱えた調整魔法師であれば、いつ燃え尽きても不思議ではありません。隊長が仰ったような運用をオーストラリア軍が行っている可能性は十分にあります」
今度は響子が絶句したため、風間の相手が真田に変わる。そして、真田が出した結論に、それ以上のコメントは無かった。
正解に行きついているのですがね……