劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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一番近づけるのは深雪ですかね……


達也との距離

 タクシーを使って達也が深雪と水波のドレスを、雫が泊まっているホテルへ運び込んだのは午後二時。そして、準備が終わったと深雪から連絡を受けたのはパーティーが始まる二時間前、午後四時半のことだった。

 予想外に時間がかかった、というわけではない。少なく見積もっても一流の美容師が、正式なものに近いパーティーに出席するためのメイクを、深雪に行ったのだ。いや、深雪の美貌に恥ずかしくないよう腕を振るった、というべきか。二時間半はむしろ短いと言わなければならないだろう。

 しかし時間的な余裕が無いのもまた事実。達也は深雪と水波を連れてすぐに出港した。なお、雫とほのかはヘリでパーティー会場の人工島へ向かう予定にしていると言っていた。

 深雪と水波がパーティーの準備をしている間、達也もボウっとしていたわけではない。彼は島の北側にある国防軍の基地で風間と面会して打ち合わせを行い、その際エレメンタル・サイトで確認したジェームズ・J・ジョンソンの所在を伝えた。打ち合わせの後、空軍の偵察機で人工島の周辺海域に飛び、自分の「目」と「眼」で周囲の状況を確認した。

 彼が真泊港に戻ったのは午後四時。そのあと急いでパーティー用のスーツに着替えて、深雪と水波を迎えに行ったのだ。この強行軍は達也にとってもハードなものだった。ほのかたちとのランチタイムが無ければ多少は楽だったが、その事で愚痴を溢すつもりは彼には無い。だが、快速艇が出港したところで一息つきたくなった気分は、偽れなかった。達也は上着を脱いでハンガーに掛け、キャビンの椅子に腰を掛けた。背もたれが高く、広く、全体にクッションが効いていて座り心地は文句が無い。スーツに皺が寄るのではという懸念がチラリと脳裏を過ったが、また着替え直すのは億劫なので、達也はそのまま身体を椅子に預けた。

 それからしばらくしてから、達也がいる部屋の扉がノックされ、恐る恐るという感じで扉が開かれた。

 

「お兄様?」

 

 

 ノックに応えがない事を訝しみながらそっと扉を開けたのは深雪だった。

 

「まぁ!」

 

 

 思わず声が漏れた自分の口を、深雪は両手で塞ぐ。達也に目を覚ます様子がないのを確認して胸をなでおろし、深雪は物音を立てないように気を付けながらキャビンに入る。無防備な寝顔が、深雪に幸福感をもたらす。例え熟睡していても人の気配に気づかぬはずがない達也が、これだけ近づいても目を覚まさないのは、達也があらゆる意味で深雪を敵だと考えていないこと。達也が全面的に、深雪に気を許している証拠だった。

 

「お疲れなのですね、お兄様。深雪が癒して差し上げます」

 

 

 自分の欲求に理由をつけて、深雪はゆっくりと達也の寝顔に自分の顔を近づける。そして達也の唇に薄紙一枚まで接近したところで、深雪は我に返り、耳まで真っ赤にしてキャビンから逃げ出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西果新島は井桁に組んだ海底資源採掘施設を最深部に持ち、その上にフロートを兼ねる十二本と鉱石の搬出蕗を兼ね備える四本、合わせて十六本の円柱を建て、円柱の上に正八角形の人工地盤を載せたメガフロートだ。

 今日のパーティーは人工地盤地下一層のホテル宴会場で開催されることになっている。開会三十分前になって、宴会場の前のロビーには続々と招待客が集まっていた。

 

「……あたし、なんか場違いじゃない?」

 

「大丈夫ですよ。壬生さん、とっても似合ってますよ」

 

「そうかしら」

 

 

 紳士淑女の群れを前にして、紗耶香が気後れを口から漏らした。あずさがフォローを入れても自信が持てないようで、紗耶香は無意味にストールの端を指で弄っている。

 

「気にしすぎよ、紗耶香。高校生とか大学生とかくらいの子も、見たところあたしたちだけじゃないんだし。それにこのパーティーが旅行のメインイベントじゃない。余計な事は考えずに、目一杯楽しまなきゃ」

 

「そ、そうよね」

 

 

 花音に励まされ、紗耶香はようやく落ち着きを取り戻した。

 

「千代田先輩、壬生先輩、お早いですね」

 

 

 他の客の邪魔にならないように気を遣った早足で近づいてきたほのかが、花音と紗耶香に声を掛ける。その隣で雫が小さくお辞儀した。

 

「光井さん、北山さん、二人で来たの?」

 

「いいえ、あちらに」

 

 

 花音たちのグループは五十里が家を代表して招かれており、花音はその婚約者として出席、残る五人は友人としての参加だが、雫たちの場合は、雫の両親が本来の招待客であり、ほのかと雫はその同行者でしかないと花音は知っている。その質問に雫は言葉少なに視線で答えた。

 

「さすがですねぇ」

 

「あの人、結構偉い政治家だったよね? 挨拶するんじゃなくて、向こうから挨拶に来るんだ……」

 

「結構偉いというか、大臣経験者だよ。あの方は国防族の有力者だから、余計に気を使うんだろう」

 

 

 北山家の傘下に直接兵器を取り扱っている企業は無いが、銃弾から戦闘機まで、兵器の生産に必要な中間財で北山家の企業グループは高いシェアを抑えている。なまじ軍需分野が主業態で無い為、北山潮の機嫌を損ねれば売り上げを民生用や輸出に大きくシフトして国防軍の補給が滞る恐れがあった。五十里が使った「気を遣う」という表現は、実態に対して控えめなものと言える。

 

「丁度いいから、僕たちも挨拶に行くよ」

 

「どっちに?」

 

「もちろん、両方だ」

 

 

 そう言って五十里は、花音を連れて潮と紅音、そして二人に挨拶している政治家の方へ歩いていく。

 

「そんなに慌てなくてもいいのに……? ほのか、どうかしたの」

 

「達也さん、まだ来てないのかな」

 

「そうだね。深雪たちが来たらすぐに分かるはずだし」

 

 

 ほのかが零した言葉に、雫は暗に「深雪と水波の事を忘れているよ」と告げたのだが、ほのかには通じなかった。




雫やほのかも近づいてますが、一番自然なのは、やはり深雪ですね

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