陳祥山と呂剛虎は、脱走兵を呑み込んだ高速艇で帰国の途についた。ブラッドリー・チャンらを乗せていた偽装漁船もすでに捕らえてある。彼らの任務は、ほぼ満点で終了した。
「上尉、祝杯に付き合え」
「喜んで」
西に向かい、台湾海峡を通って厦門港を目指す船の甲板で、満月を見ながら陳祥山と呂剛虎が酒杯を交わす。
「今回は実りの多い任務だった」
「そうですな」
陳祥山の言葉に、呂剛虎があながちお愛想ではなく応じた。
「やはり、日本軍とはいずれ雌雄を決する必要があるだろう」
「小官もそう思います」
二人は申し合わせたように、満月を仰ぎ見る。
「風間中佐の手の内が見られなかったのは残念だが、やつの部下の力量はだいたい分かった」
「ええ。特に柳少佐は手ごわいかと」
「ほう」
陳祥山が呂剛虎の杯に酒を注ぎ足す。呂剛虎は盃に両手を添えて恭しく受けた。
「だが」
「はい」
「これ以上厄介な相手に成長する前に、潰さなければならん」
「司波達也。司波深雪。忌々しい四葉の後継者」
陳祥山の言葉に、呂剛虎の両眼が燃え盛る闘志を映し出して爛々と輝く。
「奴らは脅威だ。それが改めて確認できただけでも、大きな収穫だ」
「是」
「次は敵だ。今度こそ」
「お任せください」
「うむ」
陳祥山は、そこに映った月の影を飲み干すように酒杯を呷った。
パーティー終了後、達也はクルーザーの通信機で真夜に首尾を報告した。
『今日はご苦労様でした』
「恐縮です」
今回の任務は滞りなく終わった。点数をつけるなら、九十点は行くだろう。満点で無いのは、プラスアルファが無かったからだ。
『今回の結果には満足しています』
「ありがとうございます」
『面白い話も聞かせてもらったしね。「ゲートキーパー」……なかなか使い勝手がよさそうな魔法だね』
口調が崩れ始めたが、この場にその事を指摘するような無粋者はいない。恐らく真夜側にもいたとしても葉山がいるくらいだろうから、真夜の口調に腰を抜かすようなことは無いだろう。
「改良すれば、自分以外にも使えるようになると思います」
『魔法師を本当の意味で無力化する魔法がついに出来るって事だね。でも、たっくん以外に使えそうなの?』
「速やかに実用化出来るように努めます」
『そんなに急がなくてもいいのに……大亜連合の魔法も、なかなか興味深いものでした。詳しい報告を直接聞きたいから、東京に戻ったら本家においでなさい』
「はい。すぐに伺います」
『あら、そんなに私に会いたいの? でもね、さっきも言ったけど急ぐ必要無いの。二、三日そちらで英気を養ってから戻ってらっしゃい。報告は四月に入ってからで構わないから』
「恐縮です」
『来月、会えるのを楽しみにしているわ』
その言葉を最後に、通信は切れた。カメラの前で頭を下げていた達也が、通話ランプの消灯を確認して顔を上げる。
達也は小さく伸びをした。今回は成功の報告とはいえ、真夜と話すのはやはり気疲れする。気分をリフレッシュする為に、彼はキャビンから甲板へ上がった。そこでは深雪が、水波を従えて月を見ていた。
「お兄様。叔母様とのお話は終わられましたか?」
「ああ。東京に戻ったら直接報告に来いと言われた。ただし、四月に入ってからにしろという指示だ」
「まぁ……叔母様は今はお忙しいのでしょうか」
深雪はすぐに報告に来るように命じられたのだと思っていたのだろう。口に片手を当て、軽く目を見開いている。
「たぶん、お前の言う通りだろう」
達也はこの任務を命じられた時、真夜が師族会議以外で珍しく本拠地から出ていたのを思い出した。もしかしたらスポンサーとの間にでも、急を要する案件が発生したのかもしれない。
「でも、少し余裕が出来ましたね」
「そうだな」
達也が深雪の隣に立つと、水波が気を利かせようとキャビンに引っ込もうとした。だがその必要は無いと達也と深雪の両方から視線で告げられ、水波は数歩離れた位置で二人を見守ることにした。
「今回は任務でしたが……楽しい旅行でした」
「俺も楽しかった」
「でも、今度は任務抜きで旅行したいです。お兄様……達也様」
「お兄様で良いんだぞ」
寄り添った深雪の顔に触れないように気を付けながら、達也は深雪の横顔を窺い見た。
「お兄様と達也様。どちらが良いのでしょうか。私にはまだ……」
「急ぐ必要は無いさ。まだ、時間はある」
「そうですね。まだ、時間は残されています……」
うっとりと目を閉じた深雪の心の裡は、達也にも読み取れなかった。
「明日はどうしましょう? 叔母様からは、二、三日こちらで英気を養えと命じられたのですよね?」
「そうだな。あらかた観光は済ませたから、深雪と水波が行きたい場所にでも行くか。予定が会えば、雫とほのかも誘って」
「そうですね」
少し不機嫌さを見せる深雪に、達也は苦笑いを浮かべた。恐らく深雪としては、二人きり、もしくは水波を従えた三人で出かけたかったのだろうが、あまりそのように抜け駆けばかりしていると、何時か痛い目に遭うかもしれないと懸念しているのだろう。
「達也さま、私は良いので深雪様とお二人で――」
「今回の任務、水波にも働いてもらったからな。その分の報酬だと思ってくれて構わない」
「恐縮です。ですが、私は何かを貰う程働いた訳では――」
「深雪の護衛をしっかりと勤め上げただろ? それとも、深雪の護衛は『その程度』だというのか?」
「め、滅相もありません!」
本気で言っているわけではないと分かってはいても、水波は達也の言葉を即時否定した。そんな彼女の反応を見て、達也と深雪は楽しそうに微笑んだのだった。
深雪の護衛をその程度だと言えるはずもないだろうに……