ジャスミン・ウィリアムズとジェームズ・J・ジョンソンが日本軍に捕らえられたという報せは、翌日の内にイギリスのウィリアム・マクロードの耳にも入った。今回の久米島沖人工島破壊工作事件は表面上、大亜連合脱走兵部隊をオーストラリア軍が支援したものだが、この二者を結び付けたのはイギリスだ。背景が明らかになれば、真の首謀者はイギリス軍だったとの非難は免れない。
それを自覚しているから、イギリス軍情報部は現在、緊迫した空気に包まれていた。ハチの巣をつついたような大騒ぎにはなっていない。この件はホワイトホールにあるDIS本部ビルの中でさえ、情報漏洩を恐れて大きな声では語られていない。
自分が非難の視線に曝されていることに、マクロードは気づいていた。既に弁明も求められているのだ。自分の立場が悪化している事は、誰かに教えられるまでもない。しかしウィリアム・マクロードには、自分に対する悪感情にまるで頓着している様子はない。
一つには、公認戦略級魔法師『十三使徒』の一人である自分を、イギリス政府が疎かに扱うはずがないという計算もあるのだろうが、オーストラリアまで乗り込んでいって直接作戦に口を出す程深く関与しているにも拘らず、ショックを受けた様子が無いのは、単に自分の地位が安泰であることを確信しているからとは思われなかった。
マクロードは呼び出されたDIS本部を出て、一ブロック隣の古いビルに入った。彼は誰にも会わず自分の部屋に入り鍵を掛ける。ビルの外見とは不釣り合いな最新式通信機のスイッチを入れ、通信機のディスプレイはすぐに一人の男性の姿を映し出した。
『ハロー、サー・ウィリアム・マクロード。お身体の調子は如何ですか?』
「ハロー、ドクター・クラーク。身体の方はすこぶる快調ですよ。年の割にはね」
『そんなつもりではなかったのですが……申し訳ない』
「こちらこそ失礼。単なる冗談ですよ」
画面の中で困惑気味に笑っている男性の名はエドワード・クラーク。USNA国家科学局所属の学者で、大規模情報システムの専門家だ。
『お人が悪いですよ、サー。ところで例の件、予定通り失敗に終わったようですね』
「ドクターには隠し事は出来ませんな」
『恐れ入ります。それで、「木馬」は上手く潜り込めましたか?』
「今のところはまだ。ジャズはハル・カザマの許に捕らえられています」
『そうですか……四葉が興味を持ちそうなサンプルだと思ったのですが』
「私はまだ、五分五分だと思っています。ハル・カザマの部隊と四葉の間には、特別なコネクションがあるようですから」
『同一の遺伝子情報を持つ「ウィリアム・ブラザー」の精神感応で、四葉の秘密を少しでも探り出せればよいのですが』
「ドクターの『システム』と組み合わせれば、我々の目と耳が届く範囲は大きく広がるのではないかと」
『世界を制するために必要なのは情報です。サー・ウィリアム、USNAは貴方のご協力に、作戦の成否に拘らず感謝しております』
「恐縮です。我がブリテンの繁栄のために、今後もドクターのお知恵をお貸し願いたい」
『無論ですとも。我々は同盟軍なのですから。それでは、また近いうちに』
フレンドリーな挨拶を告げた直後、画面はブラックアウトし、マクロードも通信機の電源を落とし、システムを念入りにロックしてこの秘密オフィスを後にした。
久米島沖人工島襲撃未遂事件の翌々日、真夜は都心近くの高級住宅街を訪れていた。見た目は古く大きな一軒家。しかしその実態は最新式の警備装置と幾重にも重ね掛けされた古式魔法の防衛陣地に守られた、一種の要塞だ。
家の主は東道青波。青波入道閣下とも呼ばれる老人で、日本の政財界の奥深くに巣くう黒幕の一人であり、旧第四研の真のオーナーで、四葉のスポンサーでもある。
東道老人が真夜を呼びつけるのは余程の重要案件がある場合のみなので、真夜と東道老人はお決まりの挨拶を交わした後、さっそく本題に入った。
「一昨日の久米島の件、ご苦労だった」
「恐れ入ります」
「その際、オーストラリア軍の魔法師を捕虜に取っているな」
「はい。一人は平凡な魔法師ですが、もう一人はなかなか興味深いサンプルのようです」
真夜の言葉に、東道老人は「そうだろう」と言わんばかりに頷く。
「お前たちが興味を抱くのは当然だ。だが、その者を決して四葉の懐に入れてはならない」
「あら……もしかして、罠でございますか? 人間爆弾のような」
「爆弾よりも質が悪い。その女は『耳』だ」
東道老人の言い方は抽象的なものだったが、真夜は「耳」を諜報系の特殊能力者の事だと正確に理解した。
「かしこまりました。佐伯閣下には、その者を早急に処分するよう忠告致しましょう」
真夜は東道老人の言葉を疑わなかった。どうやってそれを知ったのかとも尋ねなかった。四葉家は旧第四研だけで開発された一族ではなく、第四研設立以前から、その前身となる組織で交配が進められていた。そして東道老人の手許にはまだ、四葉家に「血」を提供した家系の者が残っているのだ。
「そうだな。佐伯にはこちらから指示するよりも、お前から告げる方が効果的だろう」
東道老人の命令に、真夜は心が篭っていない笑顔で頭を下げたのだった。
裏で色々と黒い考えが……