三月二十五日、いつもと変わらぬ朝を迎えた深雪だったが、内心ドキドキしていた。高校に入学する前は、他の女子の事など気にする必要は無かったのだが、今達也の周りには深雪から見ても魅力的な女子が大勢いる。
「(去年は横浜で面倒な事件に巻き込まれたけど、今年こそは!)」
進級するにあたり、本家から水波が送られてきたが、彼女は基本的に深雪の自由を認めてくれる。達也と二人きりで出かけたいと言えば、水波は大人しく留守番をしてくれるだろう。
「おはようございます、深雪様」
「水波ちゃん、深雪『姉さま』でしょ。周りに人がいないからといって、今から慣れておかないとふとした拍子にボロが出ちゃうわよ」
「申し訳ありませんでした、深雪姉さま」
四葉との繋がりを覚られないために、達也が提案したのが、母方の従妹という設定にするとの事で、二人の呼び方も達也様、深雪様ではなく、兄さまと姉さまという事にしたのだ。水波本人は不服そうではあったが、本家との繋がりを覚られるわけにはいかない、という事は彼女も理解しているので、不承不承ながらもその呼び方を受け入れたのだった。
「今日はこの後お兄様とお出かけしますので、水波ちゃんはお留守番をお願い出来るかしら?」
「かしこまりました。ですが、ガーディアン見習いとして、私も同行した方が良いのではないでしょうか?」
「お兄様がいてくださるから、今日は大丈夫よ。次からは水波ちゃんにも一緒に来てもらう事になると思うけどね」
「承知しました。それでは、私は掃除などをしておきます」
今日が何の日か思い当たったのか、水波はそれ以上問答しようとせず大人しく引き下がった。これで達也との時間を邪魔する人間はいなくなったと、深雪は内心ガッツポーズを決めていたのだった。
朝稽古から戻ってきた達也を深雪が外に連れ出した形になっているが、当然のことながら達也も今日が何の日かを失念したりはしていない。丸一日予定を空けてあるので、深雪の我が儘にどこまでも付き合う覚悟は出来ているのだった。
「深雪、何処か行きたい場所はあるか?」
「そうですね……もう少し春物を買っておきたいので、付き合っていただけますか?」
「それは構わないが、毎年この時期にはすでに揃え終わってるじゃないか」
「今年はリーナがいましたから。プライベートを充実させる時間が少なかったんです」
「そう言う事か」
初めはただの交換留学生として、次は同レベルのライバルとして、最後は達也を狙う不届き者として警戒していた所為で、深雪は自分の事を後回しにしていたので、今になって春物を買う事になっていたのだった。
「せっかくですから、お兄様に選んでいただいても宜しいでしょうか?」
「構わないよ」
達也が断るはずもないと分かっていながらも、こうも素直に承諾してくれるとやはり嬉しいものがある。深雪は満面の笑みで達也と手を繋ぎブティックへと向かう。すれ違う男女が、彼女の幸せオーラに振り向き、男の方は深雪の美貌に見惚れ、連れ添いに攻撃されるという光景が多々見られたが、達也も深雪もその事に意識を取られることは無かった。
「いらっしゃいま……せ」
店員も言葉を失うくらいの幸せオーラだったのだろうが、そこはやはりプロ。そのまま言葉を失い続けることは無く、ぎこちないながらも客を逃がすことなく店内へと案内する事に成功した。
「お兄様、どれが似合うと思いますか?」
「深雪なら何を着ても似合うとは思うが、そうだね……」
達也が深雪と服を交互に見ながら数着見繕っていく。その間、達也にじっくりと見られることになっていた深雪は、今までにないくらい顔を赤らめながらも、身動き一つすることなくジッと立っていた。
「このくらいか。一度着てみるといい」
「はい」
店員に試着をお願いして、深雪は達也が見繕った服を持って試着室へと向かう。当然ながら女物しか置いていないので、達也以外は女性客しかいない。だが、その程度で達也が狼狽える事など無く、むしろ堂々としているので周りの客の方が居心地が悪そうだった。
「どう、でしょうか?」
「うん、似合ってるね。でも、実際に着たところを見ると、深雪には少し地味だったかもしれないね」
「では、着替えますね」
着る前と着た後では少し印象が違ったのか、達也はその事をはっきりと深雪に告げる。深雪も達也の意見に賛成なのか、あっさりと次の服に着替える事にした。
そのやり取りが数回繰り広げられる内に、毎回ニュアンスの違う指摘をする達也に羨望の眼差しが集まり始める。
「うん、それが一番似合ってるね。すごく可愛いよ」
「あ、ありがとうございます」
まったく照れもせず、ストレートに褒められた深雪の方が赤面をしてしまったが、それ以上に店員の顔が赤かったのは、達也の褒め言葉を聞いて恥ずかしかったからだろう。
「では、この服と五着目と七着目の服をください。これはこのまま着て帰りますので、妹が着ていた服と、残りの二着はこの住所に送ってください」
「かしこまりました。またのご来店をお待ちしております」
会計を済ませ、来た時と同じように達也と手を繋ぎながら店を出た深雪に、他の客たちは魂を抜かれたような表情で見送った。
「ありがとうございました、お兄様。まさか三着も買っていただけるとは思っていませんでした」
「せっかく似合ってたからね。それに、今日は深雪の誕生日だろ。これくらいは安いものだ。他にも、欲しいものがあるなら言ってごらん」
達也の申し出に、深雪は少し考え、赤面しながら達也に視線を向けた。
「あの……お兄様のお時間をいただいても宜しいでしょうか?」
「それくらいならいいが、何時もと変わらないじゃないか」
「お兄様とご一緒出来るだけで、深雪はこの上なく幸せなのです」
今日一番の笑みを浮かべた妹に、達也も笑みを浮かべて頷いたのだった。その日、多数のカップルが兄妹の幸せオーラに中てられ、自分の連れ添いと比べため息を吐くという光景が見られたのだが、達也も深雪も、そんなことは気にせず一日を楽しんだのだった。
兄妹だろうと従兄妹だろうと、この二人の空間は甘いな……