達也より一足早く東京に戻っていた紗耶香は、空港で達也の帰りを待っていた。メールなり電話なりで飛行機の時間を聞けばよかったのだが、今の紗耶香にそのような余裕は無かった。
「少し落ち着いたらどうなの?」
「落ち着いてるわよ。それよりも、どうして三十野さんまでここにいるのよ」
「私は面白そうだなって思ったからかな」
空港に向かう紗耶香の姿を見つけ、巴は面白半分で紗耶香に同行し、こうして一緒に達也の到着を待っていた。
「桐原君とデートじゃなかったの?」
「彼なら今日は服部君たちとお出かけだってさ」
「服部君と沢木君?」
「そ。だから私は暇を持て余してたわけ」
「だからって私に付きまとわないでよ」
面白そうに笑う巴に、紗耶香は本気で嫌そうな表情を見せるが、巴は気にした様子もなくゲートに視線を向けている。
「おっ? あれは司波君たちじゃない?」
巴の声に反応して紗耶香もそちらに視線を向けると、達也を先頭に深雪と水波の姿も確認できた。
「お帰りなさい」
「壬生先輩? 何故このような場所で」
「達也くんを待ってたの。沖縄ではちゃんと遊べなかったから、これからどうかなって思って」
「一度家に帰ってからなら問題ないですが、紗耶香さんはそれでも構いませんか?」
「えぇ。君と一緒にいられるなら」
周りの人間が敵意を向けそうなくらい甘い空気を醸し出す紗耶香だったが、生憎彼女には周りを見る暇は無く、達也だけを見ていた。
「壬生先輩。あまりそういう雰囲気を醸し出すと、余計な敵を作りかねませんよ」
「深雪さん? 貴女がそれを言うのかしら?」
「水波、紗耶香さんと深雪を止めてくれ」
「達也さまがお止めになられた方がよろしいのではないでしょうか」
「私も司波君が止めた方が早いと思うけどね」
「三十野先輩は何故ここに?」
「暇つぶし」
すがすがしいくらいあっさりと告げる巴に、達也は小さくため息を吐いて二人を止める事にしたのだった。
空港で巴と別れ、四人で無人タクシーで司波家に向かう。車内でも位置は、達也の隣に水波、後部座席に深雪と紗耶香という並びだ。何故このような並びになったかというと、深雪と紗耶香が互いに譲らなかったので、間を取って水波を隣に座らせたのだ。
「(達也さま、平和的な解決法だったとはいえ、この視線の筵は居心地が悪いのですが)」
後部座席から向けられる視線に居心地の悪さを感じながらも、水波はその事を言葉にすることは無かった。だが、心の中で文句を言う分には許されるだろうという事で、水波は恨みがましい視線を達也に向けていた。
「壬生先輩は沖縄で達也様に抱きついていたではありませんか。それでは満足出来なかったのですか?」
「私は深雪さんみたいに、殆ど一緒にいられたわけじゃないもの。パーティーの時だって、気がついたら達也くんはいなくなってるし、子供だと思ってたジャズに襲われそうになるしで、ろくに楽しめなかったんだから」
「私だって達也様の邪魔にならないように控えていたんですから、壬生先輩が一緒にいられなくても当然だと思いますけど」
「(何故この二人を隣り合わせで座らせたのですか、達也さま!)」
自分の背後から聞こえてくる言い争いに胃を痛めながら、水波はさらに恨みがましい視線を達也に向ける。だがその程度で達也が竦むわけもなく、全く気に掛けない様子で端末を操作していた。
「深雪さんはただでさえ同居というアドバンテージがあるんだから、もう少し他の婚約者に寛容でもいいんじゃないかしら?」
「そのアドバンテージはあと少しで無くなりますし、私はその時間の殆どを『妹』として過ごしてきたのです。むしろ少しくらい寛容になるべきなのは、他の婚約者の方々なのではないでしょうか?」
「妹だろうと従妹だろうとか関係なく、貴女は達也くんに懸想していたはずよ。その事を考えれば、やはり寛容になるべきなのは深雪さんの方だと思うけど?」
「懸想とはまた古い言い回しですね」
「深雪さんはずっと『敬愛している』と言っていたそうだけど、それは達也くんに気持ち悪いと思われたくなかったからで、本当はずっと『愛していた』んでしょ? 言い回しがどうとか関係ないわよ」
ますますヒートアップする後部座席を他所に、無人タクシーは司波家前に到着した。まず達也が降り、深雪と紗耶香の為に扉を開け、二人が降りたのを確認して水波が荷物を下ろし扉を閉めた。
「荷物を片付けますので、紗耶香さんはリビングで待っていてください。水波、お茶をお出ししろ」
「畏まりました、達也さま」
「それから、荷解きの手伝いは必要ないから、紗耶香さんにお茶を出したら自分の荷物の片付けを優先するように」
達也に命じられ、水波は少し不満そうな顔を見せたが、素直に頭を下げた。
「桜井さんって、本当に使用人なのね」
「何ですか、いきなり」
「だって、達也くんの言葉に逆らおうって感じがしないんだもの」
「達也さまの命に逆らうなど、私には出来ませんので」
「水波ちゃんは出来ないんじゃなくて、しないんでしょ? まぁ、私も達也様の命令に逆らうなどという愚行を犯す事などしませんけどね」
自宅前でも火花を散らす二人に、達也は軽く視線を向けただけで先に中に入っていった。
「み、深雪様。壬生様もどうぞ中へお入りください」
残された水波が何とか二人を宥め、深雪を部屋へ、紗耶香をリビングに連れて行くことに成功したのだった。
また水波の胃の痛い一日が……