いかに早咲きの桜が膨らんだとは言え、夜はやはり冷え込み、吐く息が薄く色づき空気に広がる。
静かに消えてゆくそれを見ながら、カカシは家路についていた。
テマリ達との話の後、何故だが頭がスッキリと片付き、溜まりきった仕事が捗った。それ故久しぶりに自宅へと帰る時間が取れたのだ。
ただ、スッキリしたと言ってもまだ自分がどうするかを決めたわけではない。それでも何をすればいいのかは分かったような気がした。
「しかし久しぶりだな」
苦笑いでドアに手をかける。
火影に就任してからはほとんどが泊まり込み。数えるほどしか帰っていない自宅に、カカシはどちらかというと不安を覚えた。
「まずは軽く掃除かな」
さぞかし埃っぼいだろうと覚悟して開ける。
「ん?」
しかし予想に反し鼻をかすめたのは清潔な空気と、花の香り。
パチリと電気のスイッチを入れれば、明かりに照らされた部屋は少しも埃を感じない。
「あぁ…」
カカシは思い当たって小さく笑った。
「サクラか」
時折着替えを頼むために、サクラには合鍵を渡していた。その度に部屋の空気を入れ替え、埃を払い、掃除をしてくれていたのだ。
殺風景な部屋の中で甲斐甲斐しく動くサクラを想像すれば、とたんに華やかさを感じる。
なにげにカーテンをあけると、ふわりと花の香りがした。
「洗ってくれたのか」
部屋に香りがするように。サクラのそんな心遣いを感じると、ただの布切れさえもどうにも愛しく思い、カカシは手にしたカーテンを口元に引き寄せた。
「本当にまいったなこれは。」
一体いつの間に。いつからこんなにもサクラを愛しんでしまっていたのか。
なぜもっと早く気づかなかったのか。
いや、もしかしたら気づかないふりをしていたのかもしれないと、カカシは自分の情けなさに頭をかいた。
「とりあえず風呂だな」
とはいえ、湯を張るのは面倒に感じシャワーで済ませ、カカシは早々とベッドに倒れ込んだ。
布団もサクラが定期的に干していたのか心地良く、先ほどとは違う香りが揺れた。
優しく、柔らかい。どこかで触れた事のある香り。
「…っ!」
覚えのあるその香りに、カカシは慌てて身を起こす。
その動きにさえも揺れ立つ香りに、脳裏を桜色の髪がかすめた。
布団を干す時に移ったのか、それは間違いなくサクラの纏う香りであった。
風呂上がり、口布をしていないカカシのすぐれた嗅覚に、あまりにも強い刺激。思わず鼻を押さえる。が、それでもなお追いかけてくる香りの中に、自分を呼ぶサクラの声まで揺れた。
これはまずいと、カカシは慌ててベッドから離れた。
何とも言えない気持ちでベッドを眺める。
体は疲れ切ってはいたが、とてもこのベッドで眠れる気がしない。
振り払っても消えないサクラの気配に、カカシは大きな息を吐き出しながら頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「何やってんだ。オレは…」
湯で温めた以上に熱くなった体。
カカシはもう一度息を吐き出して立ち上がった。
「戻るか」
今はこれ以上この部屋にはいられない。
カカシは仕方なく帰り来た道を戻ることにした。
手早く服を着替え、部屋を出ようとして時計に目をやると、その近くにマフラーがかけられていた。
これもサクラの気遣いだろう。何もかもが自分に寄り添っている。
カカシの胸が切なく締まった。
こういう物か。誰かを愛するというのは。
初めて実感したそれは、カカシの心に染み込んだ。
そっとマフラーを手にとって外に出る。
火照った顔に夜風が気持ちよく触れた。
その冷たさにしばらく身を浸そうと、カカシは火影棟へと戻る道を、少し遠回りをして歩くことにした。
徐々に落ち着き出した眼差しで辺りをゆっくりと眺める。
「色々あったな。この里も」
久しぶりにこうしてゆっくりと巡り歩けば、里のあちらこちらに数え切れない程の思い出がしみついている。
サクラだけではない。サスケやナルト。共に里を守る仲間たち。さらに思い返せば、師であった波風ミナト。今は亡きかつての戦友。これからを生きる木の葉の若葉と呼ばれる幼い子どもたちとの日々が、踏みしめる一歩一歩に思い返されてゆく。
そして、幾度も襲った争い。そこからの復興。あまりにも目まぐるしい日々が思い起こされた。
その中で、中心に身を置き戦ってきた教え子たち。本当に強く成長したものだと、改めて感心する。
数々の痛みと悲しみを乗り越え、それぞれに幸せを見つけ出した彼ら。火影として支えて行かなければと身に染みた。
白く息を吐き出し見上げた空には、細い三日月。
自然とサクラを思う。
「何とかしないとな」
つぶやきが切なく夜に溶けた。