トリニティの12使徒   作:椎名丸

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時刻・PM20:10
ミレニアム・中央区「セントラル」
ホテルタワー「ポアンカレ」最上階、プライベートラウンジ。



31・今宵、大天使と紅茶を

 

「こうして、余人を交えずお話しできる機会は初めてですね。どうぞこちらへリンさん、お茶を淹れますから」

 

「……失礼します」

 

「ふふ、そう固くならず」

 

 晄輪大祭一日目の夜、二人の生徒が席を共にした。

 

 場所は調月リオが提供した、ミレニアムの迎賓館とさえ言えるホテルの最上階。科学都市の中央区が一望できるこの場は、ミレニアムタワーを除けば最も高い建物。

 

 遥か眼下、その先には輝く夜の街に浮かんだスタジアム、次々と打ち上がる花火の眩さに包まれたその場では、本日ナイターの試合で開催される野球(今日は普通の)で大いに盛り上がる只中だ。

 

 そこでは「中央VS地方」というキヴォトス・ワールドシリーズの大祭特別戦が行われている。会場の仕切りをマコトに任せたナギサは今夜……勝負に赴くことに決め、この場にいる。

 

 大祭初日の夜、桐藤ナギサは連邦生徒会の庁舎に戻ろうとする七神リンを呼び止め、お茶の席へと招いた……二人きりで席を設けたいと。

 

 仕事人間七神リンも、流石に「慈愛の君」から茶席に誘われることの重さを理解しているのでこれは断らない。しかも余人を交えずとなると……連邦生徒会では関係深いとされる不知火カヤでさえ、一度しか与ったことがないのだ。

 

 リンに随行してきた連邦生徒が息を呑んでいたのも無理もない、ナギサに茶席へと誘われる、それは今やキヴォトス全土の生徒が一度は夢見る栄誉。

 

 だがリンからすれば……一体どんな話をされるのかと心臓を掴まれるがごとき緊張の一瞬。彼女の権勢が連邦生徒会を凌いでいるのは……今日の光景からも明らかだ。その気ならいくらでも圧力がかけられる、それだけの力がトリニティには、桐藤ナギサにはある。

 

 羽沼マコトならパワーバランスが自分に傾いたことを認識した瞬間、連邦生徒会に権力の移譲を要求したかもしれなかった……が。これまでの付き合いからリンは、ナギサなら無法な要求をしてくることはないだろう……そのぐらいには彼女を信用している。無体なことをする人物ではないことは周知だし、これまでも連邦生徒会は何度も彼女の慈悲を受けているのだ。

 

 ……それでも、やはり緊張は隠せない。

 

 そんなリンの様子を察しながら、ナギサもまた……そうとは見せず胃を痛めていた。

 

 そら苦楽を共にしてきた心の友に「もう君だけが頼りだ、頼んだよ」意訳(マジでヤバいぜ、なんとか良い感じに収めてきてくれ)なんて言われたら、そうもなるでしょ。

 

 状況は理解した、確かに不味い事態が迫っている。自分自身の危機でもあるし話術で超頑張るのに否はない……ない、けれども。

 

( セ、セイアさん……!! )

 

 七神リンの心が折れてしまったら本当に不味い。セイアの危機感と予想図は、エデン以降妙に不調の未来予知に頼るまでもなく明らかだ。

 

 次期代行になりそうな不知火カヤは今のところナギサがコントロールできているが、連邦の役員であり、トリニティ生徒ではない彼女は元々ナギサの統制下にあるわけではない。彼女には彼女の願望があり、いざその時になればどうなるかわからないのだ。

 

 どうにかリンには代行の地位に留まってもらわねばならない……そのためにも今、彼女に対して言葉を尽くす必要があった。

 

 セイアが話したところで効果は望めない。

 

 1年生の頃に比べればかなり付き合いやすい気質になったものの、リンと同じく元々一言多いタイプだし、どちらかというと言う事を「きかせる」方向性の執政者。果断な分、妙に大雑把なところがある。

 

 身体も強くなく、一見大人しめに見えるが……実際にはかなり気が短いし、最適解と見たら細かいことは無視して派手目に動くアクティブな性格。その行動力はどちらかというと調月リオに近い。よって、腰を据えた話し合いという行為には向かない。

 

 ミカは……本人にその気がなくても威圧になってしまう。

 

 悲しいことにナギサの愛しい幼馴染は今や、あの空崎ヒナと同列に扱われてしまう「人間卒業枠」になってしまった。気質は変わらず日常を求める普通の少女そのものなのに、あまりにも悲しすぎる現実……。

 

 幸いなのは「キヴォトスお休み宣言」で生徒達からの支持があり、空崎ヒナほどには恐怖で遠巻きにされることはない点だが……トリニティ外では初見出会い頭の命乞いが頻発することに変わりはない。言動こそ一見「軽い」が思いやりのある娘であるから、今までトリニティ内部の調整をしてきたように、対話にはむしろ長けているのに……聖鉄骨のイメージが強すぎるのだ。

 

 そうなると、こういった盤面では必然的にナギサの出番ということになる。

 

 去年度から元々、こういう「コミュでなんとかする」役割はナギサが勤めてきたのだから、ナギサがホストに固定されてしまっていることも、3人で自然的に別れた分担による効率化を図ってきたことも全員納得の上。

 

 だから……今この場で七神リンを「なんとかする」には、ナギサ自身の話術で超頑張るしかないのであるが。

 

( 無茶振りが過ぎませんか!? こんなことあります!? )

 

 ナギサは必死に思考を回転させながらも、紅茶を努めて丁寧に淹れる。カップとポットを温め、茶葉を蒸らす工程さえも一見流れるようでいて、完璧かつそれを「魅せる」所作も忘れない。たとえ追い詰められた場面だろうと、これぐらいできなくてはお嬢様学園トリニティの頂点生徒ではないし、潜り抜けた修羅場の数が違う。

 

 それはリンも見ているだけで感嘆する程の、美しい所作。

 

 お茶のスキルはこういった極限状態で考えをまとめる時間稼ぎに有用なので、多用している分……悲しいことに極まってしまった腕前のナギサだった。

 

 紅茶の出来栄えは心の現れ、これが崩れては動揺を見せるようなもの。これまで鍛え抜かれたナギサの総領主生徒会長としてのスキル、どんな状況でも隙を見せないトリニティ仕草レベル100が冴え渡り、リンに気づかせることはない。

 

 だが実際、ナギサはかなり追い詰められている。

 いやだって、難易度高すぎるでしょう? 

 

 何この、上手く行き過ぎたら「やはりキヴォトスは貴女が……」になって禅譲、総選挙で連邦生徒会長就任確定演出。上手くいかなかったらリンがそのうち折れて不知火カヤ代行誕生、からの全土選挙で連邦生徒会長就任確定演出……こんなことある?

 

 ナギサはまさに死力を尽くし、心身ともに全力でリンに向かい合おうとしていた。真面目な気質が生んだ、あまりよくない気負いである。何故なら彼女のその真剣さは、何時も相手に「真心」として伝わってしまうからだ。

 

 ミカの危惧はここにあった、ナギサが真摯に相手に向かい合い、語りかければかけるほど、相手に強めの加熱をしてしまうことが多々あるのだ。強火すぎると色々効きすぎて不味い状況で……これは実際危険が危ない。

 

 だがナギサは負けるわけにはいかないのだ、この勝負に負ければ……。

 

 >>> うおお!! 全土選挙満票!! 来るぜ!! ナギサ様の時代がよ!! <<<

 

 >>> おめでとうございますナギサ様!! いえ連邦生徒会長!! <<<

 

 キヴォトス全土がナギサに頭を垂れる奇跡の時代の幕開けだ。今でさえ身に余る状態をどうにか頑張ってるのに、こんなのくらったら毎秒胃がぶっ壊れてしまう!!

 

 自身がトリニティの生徒として卒業するためにも……ナギサは準備を整えてこの場に臨んだ。リオに借りたこの部屋も、オーダーは大窓で「夜景」が一面に見えること。急いでトリニティから運ばせた茶菓子は、休暇中に作ったナギサの手作り。用意させた軽食は勿論、茶葉も特別なもの。

 

 ティーテーブルの上でなら、たとえ相手がキヴォトスで最も優れた官僚であろうとも、ナギサは容易くイニシアチブが取れる。それがティーパーティーのホストたる者の、繊細な「気配り」というスキルだった。

 

「さあどうぞ、リンさん」

 

「頂きます………こ、れは」

 

 アユムが激務の合間に淹れてくれるものしか知らないリンでも、桁の違う逸品だと理解できる香り、味。これが本当に「紅茶」なのかと、リンの緊張が驚きによって気づかぬうちに僅かに解れる。

 

 それは、身体に染み入るような温かさ、柔らかさ。疲れ切った緊張で強張った心身が解されるかのような……香り。ただ一杯の紅茶だというのに、優しく温められる身体から少しずつ、硬さが抜けていく。

 

「ハーブを合わせました、お疲れのようでしたから」

 

「……お気遣い、ありがたく」

 

 ナギサはあえて茶葉の仔細な解説をしない。茶席に慣れない客人相手に茶葉の種類や来歴など頭から語っても、それは「もてなし」ではないからだ。七神リンに対して、ナギサは話どうこうよりも先ず、この一杯を味わってもらうことを選択した。

 

 香りを、味を。喉を潤し、ただ心安らいでもらうために。

 

 ティーパーティーという名の集団なのだから、作法は厳格である筈……というのは外からの想像に過ぎない。

 

 先代の頃からそうだが、お茶会は楽しむものであって作法の出来をあげつらう場ではない、というのはナギサも継承した茶会の在り方である。作法というのは「知っている者同士」で、わかっていてやるのだ。招いたゲストに堅苦しさなど感じさせては……それこそティーパーティーの名折れ。

 

 だからこそ、この場では自分自身が淹れる。

 

 場を用意させた給仕は全員下がらせた。警護の12使徒……側付きの城島ツバメこそ、リンに存在を悟られないよう「無」になって影の中に潜んでいるが……この茶席は2人だけのもの。

 

 ナギサはツバメに「この場で見聞きした事は忘れるよう」命じた。城島ツバメはそう命じられればその通りにする、姉妹にさえも明かさない……だからこそ、ナギサは彼女を信頼している。

 

「本当に、美味しいです。紅茶はアユム……岩櫃調停室長が淹れてくれることがあるのですが、まるで違うお茶に感じます」

 

「同じ茶葉でも淹れ方ひとつで印象も変わるものですから、今日は少しばかり淹れ方を「香り」へ重きを置きました。お茶の香りがとても良いと、心が安らぎますからね」

 

「安らぎ……そう、ですね……香りが、こんなにも」

 

 ナギサは同じ立場であれば、自分がしてほしいと思う事をリンにする。彼女の警戒心を解くための小道具としてではなく、真摯に彼女のためを思って淹れたそれは、真実真心の一杯……至極に迫った香りは確かに人の心を打つ。

 

 今彼女に出すべきは、強張った心身を解し、疲れを癒やす……一杯の紅茶。

 

 選んだ茶葉はハーブ、自身がよく胃痛を抑えるために使うものではなく、張り詰めた神経を労る「香り」の茶葉。ナギサの鍛えぬかれた人を見る目が直感的にその配合を選ばせた。七神リンは、心底疲れているのだと。

 

 一般生徒・市民だけでなく、生徒会クラスの生徒と会えば、大抵は罵詈雑言に晒されるリンの立場は察するに余りある。

 

 七神リンは無能なのかと問われれば、答えは完全にノーだ、議論の余地さえない。だが自治区サイドからは国政を預かりながら何もかも思う通りにしてくれない、今の連邦生徒会は糾弾の対象でしかない……これを立場の違いと言い切ってしまうのは無情にすぎる、その矢面に立つリンの、なんと惨いことか。

 

 憔悴した様子の彼女を見て、ナギサは連邦生徒会長の「重さ」を理解すると同時に、この事態を招いた「彼女」の思惑を測りかねていた。リンは君主の資質に欠けると言われているが、総領主や生徒会長の地位は「覚悟」がなければ耐えうる職責ではない。ある日突然、急遽代役として降ってきたその重責に……どうして耐えられよう。

 

 このキヴォトスにおける「総領主」とは、自校学園の生徒会長としてだけではなく、分校や傘下校を含めた支配下全学区を纏める自治区圏の頂点生徒を意味する。総領主の双肩には十万人単位の生徒・何百万人という市民の生活と明日がかかっているのだ。ましてキヴォトス全土となればその対象は億人のそれ、責務に耐えられる人間は少ない。

 

 大学園自治区、中央3校・地方3校。百鬼夜行の天地ニヤが未だ生徒会長職に就かずにいる今、このキヴォトスに総領主は……現在5名しかいない。

 

 羽沼マコトは権力欲の権化だ。

 

 自身が頂点であることを求め、望み、そのために動く。自ら望んでいるのだから必要なことに手を抜かない、あのゲヘナに最低限とはいえ法と秩序を整えることがどれほどのことか……混沌のゲヘナを統括するのは容易であろうはずがなく、その苦痛は想像もつかないが弱音一つ吐かず、まるで楽しんでいるかのように振る舞う……混沌の君主に相応しい。

 

 調月リオは覚悟が人の形をしているようだ。

 

 一見冷たいが情の人で、他人を破滅に追いやるぐらいならば自分が罪を引き受けようとまでする。最小の犠牲、最大の幸福のための行動。合理性の権化と不興を買うこともあるが、根底にあるのは常に善意だった。今、迷いを捨て……ミレニアムの頂点として人知を尽くし、破滅の未来など許さぬと「全能」をもってキヴォトスのために力を尽くす……科学の君主に相応しい。

 

 そして自身、桐藤ナギサ……。

 

 自分は……二人ほどの心の強さはない。けれど今の立場に納得しているし、苦しいが覚悟もしている。12人のあの娘達を従えたその日から、止まることはできないのだから。何もかも無茶苦茶だけれど……それでも、受け入れるに足る結果が、成果がある。

 

 先祖達の願い、祈りのその名「トリニティ」が通りに結束できた今。ほんの数年前なら夢でしかなかった人の輪が……母校を未だ嘗てない栄華に至らせている。領地は平和に治められ、以前のキヴォトスでは考えられなかった平穏な日常が此処にある……覚悟の、決意の意味。そうあれと願った望みの成就……証はここに。

 

 納得している、喜びもある……だからこそ耐えられる。

 

 しかし、七神リンはどうか。

 

 納得しているのか? 望みはあるのか? 喜びはあるのか? 褒めてくれる、認めてくれる誰かはいるのか? 誰も彼も忘れていないか? 彼女もまた生徒の一人だということを。

 

 不知火カヤの言う通り、確かにリンの言葉の選択は悪い。けれど、そもそも本来は官僚事務方であり、代行として内外に答弁をする立場にない。それこそ政治閥から出てきたカヤの方が「上手い」のは当然、得手不得手は誰にでもある。そんな彼女を今の立場に追いやった「前任者」を含めた周囲こそ残酷なのだと、ナギサは思っていた。

 

 いかな精神鋼の連邦生徒といえど、心が疲れて当然。だからこそ今……心をこめて歓待する。彼女に必要なのは、耳心地の良い言葉よりも先に、その心を気づかってあげることなのだから。

 

 お茶の席を共にする、ゲストを歓待するホスト本来の在り方で……今夜、ただ一人のためにナギサは紅茶を淹れる。

 

 

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「本来であれば夕食の時間ですし、お茶菓子は軽めに、軽食も用意しました。先の休暇で「食が細い」とミネさんが心配してらしたので……胃が受け付けやすいものにしてあります」

 

「………」

 

「どうぞ、遠慮せず」

 

 紅茶の香りが意識を、味が身体を。そしてナギサの声と心遣いが、リンの心に……静かに染みていく。口にする上品なサンドイッチは生地から具の何までも優しく、紅茶で湿らせた喉、温められた胃を優しく撫でる。

 

 何時も食べている物と名前だけは同じなのに、なんという差だろう。

 

 明らかに既製品ではない茶菓子のうち幾つかは、以前カヤが言っていた「ナギサ自身の手による」物だろうと思われた。

 

「久しぶりに時間が作れたので、張り切ってみたのです、お口に合うと良いのですが」

 

 それはティーパーティー・テラスで行われる外交業務としての「会談」では供されない物。ナギサ手ずからのロールケーキなど、今や全土のどんな銘菓よりも価値がある。名高いあのプリンセス・セムラでも足元にも及ぶまい、それが今……リンの目の前に。

 

 ナギサの意図を読むならば、これは仕事として話をしに来たのではないという意思表示だ。リンとて連邦生徒、政治の場にいるのだからこういった「意図を読む」ことはできた……それだけ、気遣われていることも。

 

 しかも自分への給仕は、なんとナギサ自身がしているのだ。「今日は私がもてなす側ですからね、普段はあまりさせてもらえないので」そう言って微笑む姿に……丁寧な気遣いを感じた。

 

 気遣いだ。親しい同僚以外から、こんな心配りをされたのは何時以来か。少なくとも「彼女」が去ってからは……ない。

 

「頂きます」

 

 飾り気のないロールケーキ、けれど優しい甘さだった。紅茶、そしてサンドイッチという軽食から繋がれた甘味は、絶妙なハーモニーを奏で、リンの身体と心を癒やしていく。糖分はそれだけで疲れに効く、しかし甘すぎない上品さが今は心地良い。

 

 溶けるような舌触りのクリームと生地が、踊るようにして消えていく。

 

「美味しいです……これを、ナギサさんがお作りに?」

 

 口に出してからリンは失敗したと思った、これではまるで疑っているようではないか。

 

「ええ、最近は中々できませんでしたが、お菓子作りは趣味なんです。ロールケーキには自信がありますが、こちらも是非」

 

 けれどナギサはそれを気にした風もなく微笑むと次の品、上品に並んだケーキを勧めてきた。それは一口サイズながらも気品と手間を感じさせる、フルーツで飾られた数々のミニケーキ。

 

 甘さの中にあるフルーツの食感と酸味が、甘さに慣れた舌を整えていく……相手に「順番」を意識させず押し付けにならない、それとなく行われるナギサの用意した味覚に優しい「コース」なのだが、そうだと気づかせないからこそ「ホスト」の歓待。

 

 サンドやケーキ一つ一つのサイズ、種類と配置に至るまでも工夫があった、これらを用意させたナギサの細やかな指示と、特急で応えた茶会・生活指導部の長、生駒の誇る茶席匠の技。

 

 切り分ける必要のない小さなそれが、優しく身体の活力に変わっていくのを体感し、食の細くなっていたリンはありがたく感じた。

 

 激務が過ぎて荒れた食生活の連邦生徒の一部は、ホテル・アラバでの強制休養でも食欲が完全には回復せずという面々が見られた、リンもそのうちの一人だ。(これで退院させられるかと、休暇続行を主張する蒼森ミネの説得は至難だったので……ゲヘナ風紀委員長が出動して鎮圧)

 

 しかし今、弱ったリンの身体を優しく労る品々が、久方ぶりの食欲を与えている。思わず自身にはしたなさを感じる程に、次々と手を伸ばしてしまう。

 

 ただ美味しい。本来日常に日々あるべきそれが、リンを慈しむ。

 

 軽食を平らげ、茶菓子の数々を収めたリンは、またしても絶妙なタイミングで注がれる一杯に口をつけ……味わうと、思わず息を吐く。

 

「楽しんでいただけたなら、何よりです」

 

 リンのカップが空くタイミングを先読みし、適温になるよう湯と茶葉を蒸らし始めるナギサの歓待ぶりは、リンに一切のストレスを感じさせなかった。

 

 手の進むリンに笑顔で何か言うでもなく、自身も紅茶に口をつけながらも、それとなく手に取りやすいように品を勧めるなど……ナギサの茶席における珠玉の女主人ぶりは感嘆の一言。かなり経ってから、ようやくそこに意識が向いたリンは気恥ずかしさが出る。不躾にも無言で、勢いよく食べていた自分の姿にも気づいたのだ。

 

「その……失礼しました。思わず……作法も気にせずに」

 

「ふふ、いいえ。お茶の席は本来お茶と供される食事を楽しむものですから。気に入っていただけたのなら、用意したかいがあります、嬉しいですよ」

 

「何か、不思議なのですが……紅茶を頂いてから、久方ぶりに切迫感を感じませんでした。食事は何時も……とにかく急いで終わらせないといけないので」

 

 そういう「目的」の茶葉と配合があるのだと、リンは知らなかった。そして効果を引き出すには蒸らす時間と温度も大事、温度計など使わずとも目視と感覚で完璧な適温管理……これぞナギサの技量の現れ、口にする時間まで予測し計算されているとは想像もできないだろう。

 

「身体に良くないですから、せめてひと時落ち着いた食事をと思いますが……本当に、お疲れ様ですリンさん」

 

 それは何気ない一言、しかし染み入るような労いの言葉。

 

 相手は大学園の総領主生徒会長だというのに……まるでアユムが何時もかけてくれる言葉のように、本当に何気なくかけられた言葉だった、だから。

 

「……いえ、やるべき仕事がありますから。ですが力の無さを痛感する日々です、もっと上手くやれたらいいのですが……」

 

 普段のリンなら、後半の台詞は出さなかっただろう。

 

 相手は何時もの同僚ではない。自治区の生徒会長、連邦の不手際を見れば責める立場の生徒……そんな相手に自分の「力不足」を嘆くかのような弱音、政治の中心にいる代行の腕章をつけた生徒が、口に出して良い言葉ではなかった。

 

 しかし抜けきらない疲労、そして何より紅茶によって静まった精神が、久方ぶりに得た食への癒やしから緩んで思わず零した一言。失言と称して良いそれにリンが一拍遅れて気付いた時、背筋に冷たいものが走り、訂正の言葉を探した……その時。

 

「いいえ」

 

 ナギサの優しく、しかし断固たる言葉が、リンの乱れた思考を遮る。

 

「リンさん、私は貴女の頑張りをずっと見てきました……今日、私がこの場で貴女に伝えたかったことは……感謝なのです」

 

 感謝。それを聞いたリンは……言葉が出てこなかった。

 

 戸惑いがあった、連邦生徒会は常々トリニティに自治区の取りまとめ役を「求めて」きたのだ。足りない連邦のリソース分、都合よく使って負担をかけてきた自覚があっただけに、予想できた言葉では……。

 

「このキヴォトスを突然背負うという重責、それを思うと感謝の言葉以外にありません。代行の腕章の重みは耐え難いと思います、それでも逃げることなくこの国を、皆を支えてくださること……ありがとう、ございます」

 

「………」

 

「こうして何時か、お伝えできればと思っていました」

 

 中々、こうして会える機会もございませんからね。そう言って微笑んだナギサの姿が……大窓から部屋を彩った、花火で輝く夜の中で煌めく。リンにはそれが、花火のそれとは違う色に……輝いて見えた。

 

「ご迷惑、ばかりと……思っておりました。感謝の言葉を頂くとは……とても」

 

「いくらでも……とは流石に言える身ではありませんが、今までのように、これからも力になりたいと思います。連邦生徒会の国土運営あっての我々自治区、学園です……助け合わねば」

 

 悲しいことに、リン達連邦生徒会は日々生徒・市民から責められてばかりなので、直球の「感謝」に慣れていなかった。リンも平常運転であれば社交辞令を疑う盤面だ、しかし今の七神リンは、紅茶と食事、ナギサのもてなしによって解されることで緩んだ、年相応の「隙」をさらけ出している。

 

 言葉の戦いはいかに相手の心を攻めるかにある、心理戦で優位に立つには得た相手の僅かな情報を針で突くことが定石……けれど、桐藤ナギサはそうしない。

 

 今日此処に至るまで、利用しようと思えば何度も機会があった、悲しいことに弁の立たないリンの「隙」はいくつもあった。だが、それを一切見ず、聞かず、ナギサはリンに対して……ただ感謝だけを紡ぐ。

 

「トリニティは連邦生徒会同様、多くの自治区を取りまとめる立場……連邦の皆さんがどういった苦難にあるのかを、僅かですが理解しているつもりです。我が身で知っている痛みを背負う貴女を、どうしてこれで責められましょう」

 

 リンの見る、ナギサの少し影を帯びた表情には真が感じられた。飾った言葉ではない、偽りなく確かに……ナギサの本心から出た言葉、そうリンには感じられた。

 

 人を騙すための、上辺の言葉ではないのだと。

 

 それは、かつて狂える12の翼を心服させた大天使の「誠実たれ」という己に課した制約。これを守り、人に寄り添い、言葉を尽くして覚悟を見せてきたからこそ……今日まで桐藤ナギサに、人々の信が有り続けてきたのだ。

 

 ナギサの積み上げてきた「誠実な人」「慈愛の人」という信用が、キヴォトスで最も人を疑わねばならない立場の少女の前で、結実する。

 

 人を疑うばかりの日々の中にいるからこそ、誠実に重ねられたその言葉を……リンは信じられると、思えたのだ。

 

「12使徒は時折、過剰な力を発揮しますから。負担を強いているのはこちらもですね……素直な子達なのですが、力加減が難しくて。お互い様、ですよ」

 

 流石に制御「できてない」ことは明かさないが、元々ナギサが統制しても何かと派手にやる連中なので、正直どうしようもない。時折でもなく常時だし、過剰を通り越して大体何時も火の海だが、何事もオブラートに包みすぎるということはない。

 

「そう、ですね……突然12使徒の襲撃にあった時は驚きましたが……」

 

「…………ご迷惑を、おかけしました……………」

 

 桐藤ナギサ、迫真のお詫び……。

 

 あれを救護です、と言えるのは蒼森ミネだけだ。ナギサが倒れた瞬間これなので、やっぱり12使徒はナギサが居ないと上手く機能しないのだなとリンは思った。(実際は最初からほぼ制御不能である)

 

 けれどリンは……時折、想像するのだ。

 

 たしかに12使徒は凄まじい破壊を振りまく。火の七日間はとてつもないことになったし、エデン事件とか常軌を逸しすぎだった……様子がおかしすぎるってレベルじゃない。

 

 だが果たして。ナギサが台頭せず、彼女が説得することで誕生した12使徒という実働部隊が「存在していなかったら」今、キヴォトスはどうなっていたのだろうか。

 

 12翼の中学時代、その凶暴性は厄災のそれに近かった。争いを目にすれば双方潰し「たぶん悪」と認識した瞬間全てを灰燼に帰す。それを邪魔立てする者は誰であれ、ヴァルキューレだろうが連邦生徒会だろうが関係ない、全て踏み潰された……恐竜のごとき、あの破壊者達が支配下にあるだけでも偉業、しかも命令に服している状態で……奇跡という他にない。

 

 あの力が秩序のために振るわれるだけで、これほどに……。

 

 ナギサによるトリニティの粛清は12使徒という圧倒的な力によって行われた。今でこそ慈愛の君と呼ばれているが、権力の掌握は言語を絶する武力によって行われたのだ……もし、これができていなかったとしたら……。

 

 桐藤体制以前のトリニティを考えれば、今のように他学区の支援などできていただろうか……存在感は全く違った筈だ。支援がなければ倒れていただろう自治区学園は無数にある。その時、連邦生徒会が浴びただろう負荷は「この程度」で済んでいただろうか……と。

 

 

 慈愛の君の「居ない世界」。

 それは……あまりにも恐ろしい想像だった。

 

 

「12使徒の力を見ていると、SRTの解散は性急であったと思います。ですが役員会の多くが……そうは思っておらず」

 

 リンは役員会の空気という、普段ならば明かせない内情を漏らす。それは半ば無意識に出た、七神リンの溜め込んでいた悩みの欠片。

 

「……そういうことですか、ままなりませんね」

 

「……ええ」

 

 SRTを解散させても12使徒がいれば、非常事態には派遣を依頼すればいいという。連邦生徒会の存在意義を考えれば唾棄すべき甘えが、役員会の中で言葉にこそ出さないが見え隠れしていた。

 

「判断を、誤ったと……思っております。せめて予算の一時停止、休校措置であったなら復旧も容易だったのです、ですが……連邦直属校の再立ち上げとなると、代行の私では難しく……」

 

「ご自分を責めないでくださいリンさん、代行という不安定な立場ではできること、できないことがありますでしょう、貴女が最善を尽くそうとされていることを知っているのは、私だけではありません」

 

「すみません、まるで愚痴のようなことを」

 

「いいのですよ、同じ連邦生徒には言いづらいでしょう?」

 

 その通りなので、深い息が出てしまうリンだった。

 

 リン自身はSRT解散反対派だったが、一年生チーム離反の件で解散派が多数になった時、リンは生徒会長としての強権を行使できず、役員会の多数決に従った。しかし今思えば明らかな……。

 

 エデン事件で緊急招集したSRTチームは事件解決に多大な貢献をした。以降、SRT解散を明らかな失政と責める声は……大きい。カヤの主張した「運用規定・権限の整理と経費の精査後、予算の整理削減に留めるべき」というのは、至極真っ当な提案だったし、自身も納得するところだったのだ。

 

 しかしあの時、強権を使うことをためらった。代行である自分に、そんなことはできないと。「彼女」の刃たる学校を潰してしまう、そんな決定だったのに。

 

「頼られることはかまわないのです、可能な限り力添えはいたします。ですが……連邦生徒会自身にも常に振るえる力は必要なのです、何よりも連邦生徒会長の威令を体現する存在でした、彼女が帰られた時にお困りになるでしょうに」

 

「困り顔が浮かびます。きっと、驚かれるでしょうね……驚くだけで怒りはしないと思いますが。その分働いてしまうと思うので、直ぐにSRTを復旧させないと……」

 

 それができる超越者だったのが、今の連邦の苦境そのものに繋がっている。

 

 彼女はあまりに強すぎた、あまりに動けすぎた。過去と未来が全て見えているのではないかと世間では噂されていたが、そんなことはない……ただ、責任感があって、有能すぎた……それだけ。

 

 人よりちょっとだけ強く、人より少しだけ上手くやれる。あらゆる人より「一歩だけ先にいる」どんな時でも……だから、頼り切ってしまっていたのだ、皆。

 

「あの方は……まだ手がかりも見つかりませんか?」

 

「ええ……手は尽くしているのですが、何も」

 

「そう、ですか。もう暫く経ちますね」

 

「何処に、行ってしまったのか……」

 

「今何処におられるとしても……ご無事であればいいのです」

 

「え?」

 

 リンは耳を疑った。

 

「? 随行の者も連れていないのですから、お一人でしょうし、トラブルに巻き込まれていなければと、心配していたのです。彼女も調子が悪くなることもあるでしょう、怪我をしていなければ、体調を崩していなければいいのですが」

 

 今……ナギサは、彼女の無事を祈った。

 

 このキヴォトスでは、誰も彼女の「身の心配」などしない。連邦生徒でさえ……何故なら彼女は絶対者で、超越者で、超人だから。人間味を感じないとまで言われてしまう……何でもできる人、何が来ても平気な人。それが彼女を表す、超人という称号を持つ、普通ではない人。

 

 だから、誰も彼女を心配しない……なのに、この方は。まるで普通の生徒の身を案じるように、普通の人に接するように、本当に自然に……。

 

 リンは胸に詰まった、堪えきれないほどに溢れた。

 

 誰も彼もが「どうせ平気な顔してる、早く帰って仕事してほしい」と、自分達のことばかり。キヴォトスを支える存在として、それだけしか人に求められていない。皆……帰ってこいとは言っても、無事でいてほしいなんて、言ってはくれなかった。

 

 

 ゛行方がわからない、心配だよね……無事でいるといいんだけれど。゛

 

 ゛大丈夫、きっと無事でいてくれるよ。だから探していいんだよ、何処かで助けを待っているかもしれないと思うなら、リンちゃんがそうしたいなら、していいんだよ。゛

 

 

 先生、以外には。ほとんど誰も……。

 

 

「リンさん?」

 

 慈愛の君、そう呼ばれていることは知っていた。知ってはいた、けれど、それだけの人ではないとも知っている。荒々しい果断な決定をする二面性を持っている人だと、わかっているのに。

 

 誰もがそう呼ぶ、その理由を知った。

 

 今、リンの中に浮かぶ生徒として当たり前の願い。この共に居て嬉しい人と、この思いやりに溢れた人と。忙しくてもきっと悪くない日々を……そんな学生生活を過ごしたいという、願い。

 

「連邦、生徒会に……ッ」

 

 この誰よりも慈しみに溢れた人と、生徒会で一緒に過ごせたら……そんな思いが溢れそうになったリンは、しかし寸前で堪えた。

 

 トリニティとの関係、その影響を考えれば通る要求ではないし、願って良いことではない、丁寧に辞退もされるだろう。そうするしかない、彼女は大学園の総領主、軽々しく、移籍などできない。

 

 だから、口に出してしまえば……きっと困らせてしまう。

 

 

 それはできない。

 

 

「いえ……彼女が帰ってくるまで、生徒会を、キヴォトスを……支えないと……そう思って」

 

「ええ、きっと帰ってこられます。理由なく姿を隠す人ではない……そうでしょう? リンさん達に何も伝えなかったのも、きっと何か理由があるはずなのですから。私達の働きが、今の彼女の助けになっていればいいのですが……」

 

 そう言って窓の外の夜景、上がる花火を見る横顔をリンは、静かに見つめる。柔らかな笑顔を湛えた天使の姿を、記憶に刻むように。

 

「ええ……共に、支えて頂けたらと、思います」

 

 この紅茶の香りを、忘れないように。

 

 





・奇跡のタイトロープ成功率今のところ100%、最強!!無敵!!ナギサ様!!
「ハア……ハァ……や、やった? いけましたか? なんとかなりました? よかった……何事もやってみるものですね、けれど毎度心臓によくないのでこういうギリギリの綱渡りは……ッ」

・こいつはヤバいぜ!!になるとナギちゃんを酷使してくる畜生FOXセイア様
「やったか!? 素晴らしい……流石ナギサだ……完全に勝ったろこれは!! やはりナギサだな……この手に限る。不知火カヤ、残念だったね。君の野望は砕かせてもらうよ」

・皆ナメてるけど茶会で一番人の心の機敏に鋭いんだが?ミカちゃん様は
「ヤ、ヤバい……ヤバいよこれ、勝つには勝ったけど絶対にマトモな焼き方してない、目の色も空気感もおかしいよ……不知火ともホシノちゃんみたいな感じとも全く違う、どんな調教したのナギちゃん!!」

・共に支えようねってどんな感情で出てきた台詞なんですか代行
(力になってくれるって、言ってくれましたよね。わかりました、これからは強権も必要だと思ったら行使していきます。頑張ります、彼女の帰ってくるその時まで……そして帰ってきたら、今度は、3人で)


桐藤ナギサは実際上手くやった。節々に「トリニティとして」力になる「連邦の外部から」の手助けに留めるなど高度な匂わせを繰り返し、七神リンにあくまで自分は外部の協力者、という立場を表明してみせたのだ。協力の程度も現状維持だという言質も忘れない、見事なトリニティ仕草だった……。

余計な一言がなかったら満点でしたね。

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