魔女学園のTS生徒〜被検体の俺は美少女の皮を着せられ、魔女学園(女子校)へ編入する事に〜 作:海神アリア
今回の話は、あの時とは180°違います。
この章の山場、即ちシリアス注意報発令でございます。
今回を含め、少なくとも3話ほどはこの注意報が続く見込みです。それを念頭に置いて頂き……この章の行く末を、是非見届けてください。
◆
(『魔神』に『大神官』、それに『ザフキエル』……ああ、情報量が多くて整理できねえ!)
蒼蘭は立て続けに驚愕の事実を知らされ、既にキャパオーバーしつつある脳細胞に、更なる負荷を余儀なくされた。だが、それでも彼女は一つずつ情報を噛み砕いている。
『ザフキエル』、それは『ラジエル』と同様に、セフィロトの樹における守護天使の名だ。ならば、聖女ショコラがラジエルと同等の役職に就いているという言葉には、ショコラがこれまで見せた実力も併せれば充分な説得力が存在する。
次に、ショコラがその身に宿した『魔神』の力だ。
(魔神って言うからには、今まで出てきた上級悪魔より強力な相手って事だよな……)
クトゥルフめいた触手にグリフォンの翼を生やした、半ば異形の存在と化した少女を見つめ、蒼蘭は推論を重ねる。今の所は触手による攻撃しかしていないが、かと言って油断できる状況下にはない。ソロモン72柱に
不幸中の幸いと言えるのは、正教騎士も組合の魔術師も、女神の魔力に当てられて気を失っている事だろう。数だけで言えば、相手は2人だ。尤も、その相手が果たして並の魔法使い何人分なのか、それは計り知れない訳だが。
「これらの『魔神』は我が師、大賢者ラジエル様からの贈り物。貴女達が敵う道理も可能性も、万に一つとして有りません」
「よく分かんないけど……ひじりんのお母さんから貰った魔力が、あーし達にはたっぷり残ってる! だから、ここは先手必勝! 喰らえ、『
底知れない力を持つ相手に、自分が持てる最大火力をもって短期決戦を挑む。炎華の考えは決して間違っている訳ではない。
だが、『海の魔神』と『嵐の魔神』相手には、些か無謀な試みだった。それを証明するかの様に、聖女ショコラは厳かに詠唱する。
「光届かぬ冥闇の海よ、吹き荒ぶ嵐の力を得て、万象を飲み込む奔流と化せ!」
触手が虚空を撫で、翼が羽ばたくと、突如としてダムが決壊したかの様な勢いで、漆黒の水が怒涛の勢いで少女達へ押し寄せた。
(この水って……さっき炎華を捕まえてた魔法!?)
押し寄せる漆黒の奔流が、炎華の奇襲を防いだ水と同じ物だと、蒼蘭は気づいた。だが、気付くのが、少し遅かった。
「何で……!? さっきより……魔力を込めた筈なのに……!」
三つのハートを模った火炎魔法の塊は、闇の濁流を蒸発させるには至らなかった。炎華の最大火力を持ってしても防ぎきれず、そのまま少女達は飲み込まれていく。
(マズい……何も見えない……! いや、それどころか……)
『魔神が起こす嵐』がどういう物か、文字通り体感した蒼蘭は肝を冷やした。水の感触はあるが、目に染みたり肌が荒れたりといった事はない。痛みが無い代わりに、闇の底へ突き落とされる様な『脱力感』が襲いかかるのだ。このまま浸かっていれば確実に、視覚や触覚を初めとした五感全てを失うだろう。
(ダメ、炎華ちゃん!)
炎華が遠くへ流される寸前、聖は彼女の手を咄嗟に掴む。だが、全員が流されるのは時間の問題だ。何より、この奔流が
(そっちが黒い水なら……皆を守れ、『
水には水、濁流には同じく流水の魔法で対抗するのみだ。その一心で行使した魔法が、蒼蘭を中心とした流れる水のバリアを生み出した。彼女はまだ、沙織の作ったシスター服を身に着けている。魔神が生み出す漆黒の水を、聖女の聖水が打ち消しているのだ。
「ゲホッ、ゲホッ!」
アディラが咳き込みながら、漆黒の水を口から吐き出す。
「しっかりしてください、ナヴァラトナさん!」
菊梨花が令嬢の背中を叩き、全ての水を吐き出させた。
「少し……ほんの少し驚いただけよ! 別に、溺れた訳じゃないわ!」
「アディラ、菊梨花……他の皆は大丈夫!?」
『
(クソッ……勢いが強過ぎる上に、魔法の強さも桁違いだ!)
蒼蘭がギリギリで踏ん張っているのを、A組コンビは瞬時に察した。周囲を見渡すと、
「蒼蘭ちゃん! 炎華ちゃんがまだ外に居る! 水のバリア、もっと大きくして!」
「ごめん……これ以上大きくするのは無理! 外の水流が強すぎて、広げられない! それどころか、維持するのも結構キツい……。多分、
「なら、セイラはそのまま、水を防ぐ事に専念しなさい! ヒジリは私が手助けするわ! キリカは、この身体に悪そうな水をどうにかして頂戴!」
何とアディラは唐突に、この場の指揮を取り始めた。だが、誰にも異論はない。彼女の状況把握と判断能力、そして良く通る彼女の声が、一端の司令官的オーラを出していたのだ。
「分かった! 聖をお願い、アディラ!」
「了解ですよ、瑠璃海さん、ナヴァラトナさん!」
そういうとアディラは聖の元へ駆け出し、菊梨花は逆方向へ走ると防壁に触れた。
(
菊梨花が自身の魔法を使った事で、『
(何だ、これ……? 水が固まったのか……? ゼラチン……いや、寒天か!?)
菊梨花は水を寒天の様な硬さに変え、嵐を物理的に食い止めたのだ。そして、その瞬間をアディラは見逃さない。
「この隙にホノカを助けるわよ、ヒジリ!」
「う、うん! せーのっ!」
アディラは聖の腕に自分の手を掛け、2人が力を合わせて炎華を防壁の中へ引き込んだ。
「キリカ、今よ!」
「ええ、『
蒼蘭が驚くのも束の間、菊梨花が童子切を抜刀し、魔神製の極悪寒天を切り刻む。彼女の刀は新体操のリボンが如く、しなやかに、縦横無尽に、されど味方を傷つけない絶妙な太刀筋で細切れにしていく。
刀剣-童子切は妖魔を断つのに長けている。固形化され、切り易くなった漆黒の水は次々に細切れとなり、粒子と化して消えていった。
「凄い……刀で全部切っちゃった……!」
魔神の嵐を凌いだ菊梨花の刀捌きに、蒼蘭は感嘆する。防御で精一杯だった彼女からすれば、これは掛け値なしの賞賛だ。
(黒い洪水は、文字通り切り抜けた。なら、後は炎華を回復させれば……)
友達が無事に助かる。そう思った蒼蘭はホッとした気持ちで後ろを振り向いた。
「炎華……ちゃん……? 炎華ちゃん!?」
其処には、懸命に治癒魔法をかける聖と、瞼を閉じたまま、ぐったりとして目覚めない炎華があった。
聖の『ヒーリング』が放つ光は、確かに炎華の身体を治していた。
触手によって、腹部に開けられた大きな穴を。
治癒魔法で傷を治せても、命まで戻る訳ではない。これは、暁虹学園の授業で何度も習った事実だった。
いつも元気で、周囲を明るく照らしてくれる友人が、腹部と口元に血の痕を残して、動かなくなっている。その光景に、蒼蘭は言葉を失った。
身体から力を失った炎華を見て、大神官ザフキエルは静かに、そして厳かに告げた。
「まずは、1人」
触手を振るい、付着した血を飛ばしながら、ザフキエルは冷淡に言葉を紡ぐ。彼女は暗い洪水の中で、炎華を触手で拘束し、腹部を刺したのだ。魔神をその身に宿したショコラの言動は、『聖職者-シスター14』としての側面を感じさせない程に、只々冷たいものだった。
◆
ザフキエルの顔面で、飛沫が弾ける。
それは、怒りに満ちた蒼蘭が放った魔法だった。
「よくも……よくも炎華を!!」
激情で息を荒げながら、身体を震わせながら、それでも的確に『
しかし、大神官の身体には確かに着弾したが、彼女の身体を濡らすのみで、傷一つつけられない。海の魔神を宿した彼女に、水魔法など効く訳がないからだ。無論、それは蒼蘭とて百も承知だ。だからこそ、彼女は息を荒げながらも、自分の右手を鎮める様に、もう片方の手で懸命に押さえているのだから。
(落ち着け、落ち着け……! コイツに水魔法は効かないんだ! 私がやるべき事は、魔法の無駄撃ちなんかじゃない!)
心の中で自分に言い聞かせ、左手の爪を食い込ませて、蒼蘭は激情に流されるのをどうにか堪える。そんな自分の感情と戦う少女を目にし、アディラは意を決した表情で前に出た。
「……貴女は下がってなさい、セイラ」
声の端が震えている。その要因は怒りでもあり、恐怖でもあった。魔女の本能が告げている。ザフキエルの力は、本当に女神から授かったものだと。故に震えが止まらない。身体中の細胞が、『自分達では敵わない』と訴えているかのようだ。
パチンッ、とアディラは、突如自分の頬を叩く。
(私が折れてどうするのよ!? 今、私達の中で……一番彼女を倒せる可能性があるのは、この私なのよ!?)
アディラは瞼を閉じ、身体中の魔力を呼び覚ました。令嬢の身体が眩い光に包まれ、その光が収まると、彼女の装いが大きく変わっていた。
煌びやかな服に、絢爛豪華な装飾を身につけた、宛ら東洋の女王然とした出で立ち。かつて蒼蘭との演習試合で見せた、アディラ・ナヴァラトナの
とは言え、
「援護します、ナヴァラトナさん」
菊梨花も、アディラをサポートすべく一歩踏み出る。彼女の表情からは、己の切り札をつい先日使ってしまった事を悔やむ気持ちが滲み出ていた。
「なら、互いに出し惜しみは無し、速攻且つ全力でねじ伏せるわ!」
学友からの助力で、アディラの瞳に闘志が宿る。そんな少女を見て、大神官は悲しむ様に溜息を吐く。
「先程、魔神の力をお見せした筈ですが? それでも尚、私を倒す算段があると? いけませんね、いけませんよ。それは現実を直視出来ない愚か者が行う、無謀な試みや妄想に過ぎません。
貴女達は少なくとも、この世界に蔓延る有象無象とは違う存在です。だというのに……最後の最後で、自らの価値を貶めてどうするのですか?」
傲慢としか思えない言葉だが、ショコラはショコラなりに、学園の魔女達を評価しているのだ。この世界の中で見れば、彼女達は優秀な魔女の卵だ。なればこそ、彼我の実力差を見極められない筈がない。そう思っての言葉だった。
「"自分の価値"ね……随分と傲慢な言葉だこと。余所者の貴女にナヴァラトナ家の一人娘たるこの私、『アディラ・ナヴァラトナ』の価値を推し量れる訳がないでしょう!」
アディラの叫びに呼応して、巨大な砂のゴーレム2体とスフィンクスが姿を現す。
「仕方ありませんね……なら先程とは趣向を変えるとしましょうか」
そう言いつつ、ザフキエルは視界の端に『運命因子の少女』を捉えていた。
(フォルネウスとフォカロルの力で全員を水底へ沈めるつもりでしたが……まさか、聖水で防壁を作るとは……)
一網打尽にするつもりが、蒼蘭の魔法の所為で、ホノカしか仕留められなかった。
(悉く、本当に悉く私の邪魔をしてくださるのですね……セイラ・ルリウミ……!)
今宵何度目かになる蒼蘭の妨害には、神の使いも苛立ちを感じずにはいられなかった。それをぶつける様に、ザフキエルはフォカロルの翼で突風を巻き起こす。
「これで砂の魔法は意味を成しません! 『絢爛なる女王』とは随分な名称ですが、砂上の楼閣の主人であるなら恐るるに足らず!」
「誰が『砂魔法で攻撃する』なんて言ったのかしら?」
アディラがそういうと、
「押し潰しなさい、『
魔術衣装で強化された2体のゴーレムは、ザフキエルを左右から押し潰すように、その巨大な拳を振り下ろした。少女が巨大な岩塊の下敷きになったのだ。物理的に考えれば、彼女の身体は文字通り潰れていないとおかしい。
そして、そんな非現実的な光景が、今まさに目の前で起こっている。ザフキエルが、10代程度の見た目をした少女が、『
「あの腕って……まさか!?」
後方に居た蒼蘭は、誰より早く理解する。ショコラの腕に、瓦礫が纏わりついているのを。そして、すぐさま結び付ける。炎華が戦った、煉瓦や岩を身体に纏う悪魔の話と。
「『
「察しが良いですね、
そして、ザフキエルの権能は『知識』! 私は喰らった悪魔を呼び出すだけでなく、その力を我が身に宿す事が可能になったのですよ!」
そういうと、ショコラは瓦礫を纏った両手に力を込める。すると、『
「貴女……どんな握力をしているのよ!? 私の柘榴石を、リンゴでも握り潰すみたいに!!」
「何も不思議な事ではありません。巌の悪魔は、同じく岩石の魔法に耐性があります。そして私は悪魔憑き。身体能力が普遍的な少女と同等だと思いますか?」
ザフキエルが更に力を込めると、ゴーレムの腕は完全に粉砕された。圧倒的な『大神官』の力の前に、魔女の卵はあらゆる意味で言葉を失った。驚愕、感嘆、そして思案だ。
(つまり『権能』ってのは、大雑把な言い方をすれば女神様が与える"チート能力"って事か? なら、ラジエルにも女神からの『権能』が!?)
蒼蘭はほんの一瞬だけ、上空で繰り広げられる戦いに視線を移す。大賢者が次々に繰り出す強力な攻撃魔法を、マギナは聖剣で弾いている。相手からの攻撃の合間を狙い、マギナはワームホールを開こうとするも、完全に空間が開く前にラジエルからの邪魔が入り、空間魔法は失敗に終わるのだ。
幸いと言うべきか、ラジエルはザフキエルほど強力な魔法を使っているわけではない。だが、どちらにしても大魔女からの助力は期待できず、蒼蘭達は自らの力で状況を打開するしかない。
『どうしろっていうんだよ』
その言葉を蒼蘭は必死に飲み込んだ。何も出来ない自分が士気を下げる訳にはいかない。だが、実際問題、大神官ザフキエルを倒す方法が蒼蘭には思いつかなかった。
しかし、A組の生徒2人は違った。
「だったら、その力! 何処まで通用するか見せてもらうわ! キリカ!」
「ええ、宙へと舞いなさい、ザフキエル!」
アディラが菊梨花に合図を送ると、ザフキエルの身体が空中に跳ね上がった。アディラが注意を惹きつけている間に、大聖堂の床は既に菊梨花の魔法によってトランポリンの様な弾力を得ていたのだ。
空中に舞い上がった大神官を照準に捉え、柘榴石のスフィンクスが口を大きく開く。同時に左右のゴーレムも、壊されていない方の腕から散弾を構える。
即ち、前方と左右——三方向からの同時射撃だ。
「足場の無い空中では、行動が大きく制限されるわ! 貴女に翼がある事を加味しても、地上より遥かに避け難い筈よ!」
「成程、貴女達なりに策を講じた訳ですか」
宝石の散弾を前にしても尚、ザフキエルは落ち着いた口調だ。
まるで、アディラ達の作戦を読んでいた様に。
或いは、彼女達が
『
だが、アディラとて闇雲に弾を浴びせているわけではない。撃ち返された宝石は菊梨花が更に刀で撃ち返し、軌道を変えて再びザフキエルへ襲いかかる。
その隙に、アディラは床目掛けて柘榴石を撃ち込んだ。大理石の床が大きく沈み、反動で跳弾が黒い剣の隙間を突く。
大掛かりな攻撃で注意を引き、本命を通す——蒼石の魔女から学んだ戦法だった。
「光栄に思い、そして受け止めなさい! このアディラ・ナヴァラトナの大盤振る舞いを!
『
アディラの叫びと共に放たれた跳弾が、黒曜の剣を掻い潜り、大神官の脚を捉えた。真紅の飛沫が、確かに上がった。魔術衣装で強化された魔法は、ザフキエルの身体へダメージを与えたのだった。
異邦の聖女は、痛みに一瞬表情を乱した。だが、その負傷は彼女を怯ませるには至らなかった。
ザフキエルの両腕が再び変化する。硬質化した皮膚は、敵を切り裂く剣ではなく、己の身を守る大盾に。そして、彼女の身体から、再び魔神の触手が姿を見せる。それは、ゴーレムの身体へ巻き付き、そのまま引き寄せようと力を込める。勿論、巨大な岩の塊は簡単には動かない。寧ろ、その逆。作用反作用の法則で、ザフキエル自身が接近するための触手だった。
大楯で柘榴石を防ぎながら、ワイヤーアクションの要領でアディラへ急接近する。
「……ッ! 『
大楯を粉砕すべく、ゴーレムの腕を射出させる。が、悪魔の皮膚で作られた防具は、少女の足掻きを物ともしない。そのまま接近して、盾とは逆の手に備わった剣を振るう。
「これで2人目」
ザフキエルは淡々と告げながら、アディラを袈裟斬りにした。柘榴石の魔女が絶体絶命の状況下で捻り出した策など、まるで意に介してないかのように。
鮮血の飛沫が、今度はアディラから迸った。
「そして」
ザフキエルは振り返らずに、自身に振りかざされた刀を受け止めた。再び漆黒の剣と化した左腕で、菊梨花の追撃を防いだのだ。
「何故……!? まるで、私の動きが分かっているかの様な事を!?」
驚愕のあまり、菊梨花の刀が震えている。剣術を身につけた彼女でも、背後の攻撃を受け止める事は困難だ。しかも素手で、ましてや人差し指と中指で挟んで止めることなど、菊梨花には到底不可能な芸当だ。
「ええ、だって
ザフキエルが自身の右目を指し示す。金色に輝く眼は、未来を見通す魔眼と化していた。
「……はああッ!!」
菊梨花は力を一瞬緩めることで刀を滑らせ、下段からの切り上げを喰らわせる。だが、その斬撃もまた、ザフキエルには届かない。ザフキエルは斬撃のタイミングを完璧に見切っていた。それは、実際に刀を止められた菊梨花本人が最も理解している事実だった。
「3人目」
ザフキエルの腕が、菊梨花の腹を貫いた。本来、人々を癒す為の大聖堂は、瞬く間に3人の少女の血で染められたのだった。
◆
凄惨な光景を前にした蒼蘭は、暫く呼吸が出来なかった。心臓が握り潰されたように苦しいのに、それでも心拍数は収まらない。
ステラ、炎華、アディラ、菊梨花。蒼蘭が知り得る限りの優秀な魔女達。その彼女らが、ほぼなす術なく倒された。しかも、地に伏した彼女達の命は、今にも消えてしまいそうだった。血の海の中で、彼女たちの息はか細く、いつ途切れてもおかしくない状態だった。
そんな彼女達を助ける術を、蒼蘭は持っていない。
沙織から貰ったポーションは、ここに来るまでに全て使い果たした。だから、蒼蘭には何も出来ない。
「あ……ああ……」
視界が涙で滲み、込み上げる罪悪感で吐きそうになる。
(俺の所為だ……俺が、皆に頼んだ所為で……)
だが、幾ら後悔しても、蒼蘭には何も出来ない。マギナが扱える、並行世界を用いた事象の上書きも叶わない。何故なら、
「さて、次は貴女ですね」
ザフキエルに倒され、蒼蘭が命を落とせば、事象の上書きは出来ないからだ。
罪悪感の他に、蒼蘭の心臓を締め上げるものがあった。それは、果てしない絶望感。地の底まで繋がる冷たいクレバスに叩き込まれたような感覚。隔絶した力の差は、否応なしに気力を奪っていく。
「ごめん……なさい……」
咽び泣く声が聞こえ、蒼蘭は振り返る。そこには、大粒の涙をこぼす友人の姿があった。
「ごめんなさい……私の所為で、お母さんも、お姉ちゃんも……。こんな私を助けに来てくれたのに……炎華ちゃん、アディラちゃん、菊梨花ちゃん……ステラさん……」
突如、ダムが決壊した様に、聖は泣き出した。
「やだ、やだよ、こんなの! 私、こんな事、望んでいない!」
誰に向けた訴えなのか、それは聖自身にも分からない。元凶たる大神官への抗議なのか、或いは誰かに助けを求める声なのか。
もし、後者だとしたら……?
聖は、誰に助けを求めているのだろうか?
母親か、マギナか、或いは他に、彼女が『助けて欲しい』と願う相手……
「
追い詰められた状況下では、時として人は合理性を欠く行動に出る。今の聖もそうだ。七夕祭りで時の魔女から貰った、『恋人』のタロットカード。お守り代わりに胸ポケットへ忍ばせていたそれを握りしめ、消え入りそうな声で助けを求めている。
『このカードは聖にあげるわ。素敵な友人との再会を願って。もし貴女が望むなら、そのカードに念じると良いわ。貴女の願いに応じて、"時の魔女"がきっと駆けつける…………なんてね♪』
届くわけがない。こんな小さな、少女の声など。
来るわけがない。悪魔の血を引き、異世界人に狙われ、その所為で大勢の命を危険に晒した者を、助けになど。
だが、その祈りは確かに届いた。今にも押し潰されそうな蒼蘭の、否、惺の心臓に活力を与えたのだった。
惺は聖に駆け寄り、彼女の頭を撫でた。
「ありがとう、聖。私の約束を、覚えてくれて」
「蒼蘭……ちゃん?」
顔を上げ、不思議そうに自分を見つめる友達に、惺は優しく微笑んだ。
「ごめんね、聖。私は今まで、貴女達に隠し事をしてた。その埋め合わせには、到底ならないと思うけど……私は、貴女の力になりたい。その機会を今、私に頂戴」
自分の気持ち、覚悟を口にした時、惺の身体はもう震えていなかった。
「『
惺の言葉に応えるように、彼女の身体が光り輝く。小柄で人形のような少女のシルエットが、光の中で変貌する。背丈は18歳の少女のものに。沙織が用意した聖女の服も、体型に合わせてサイズが調整される。
光が収まると、そこには濡羽色の髪、左目に泣きぼくろを携えた、新たな魔女の姿があった。
「私こそがあの夜、貴女と約束を交わした……『時の魔女-クロニカ・ナハト・ヘルゼーア』よ!」
ビシッと指を聖に指して名乗ると、聖は驚きの声を上げる。
「え……
ええっ!? クロニカさんって、蒼蘭ちゃんだったの!?」
「色々とビックリよね。でも、今は説明している時間はないの。皆を無事に助け出せたら……せめて貴女にだけは、説明するわ。初めて出来た、『魔女の友達』である貴女には」
「……嫌、です」
思ってもみなかった拒絶の言葉に、クロニカは固まった。が、続く聖の言葉に、彼女の真意を悟った。
「貴女だけでも、逃げて。クロニカさん……蒼蘭ちゃんだけでも!」
瞳から滴る涙を拭い、クロニカは安心させるように、
「ごめんなさい、その願いは聞けないわ。時の魔女が一度に叶えられる願いは一つだけなの」
優しい声色で、聖の頼みを断った。
そうだ。聖の言う通りだ。
蒼蘭の正体がクロニカだったとして、それだけでは今の状況が好転するわけではない。
だが、考えなしにクロニカの姿になったわけでもない。故に、時の魔女は彼女なりの決意を持って、大神官に向き直る。
そんなクロニカを待っていたのは、目を見張ったショコラの姿だった。蒼蘭が
(……ん? なんか、めちゃくちゃ驚いているような……?)
突然姿が変わったからといって、魔法に慣れ親しんだ異世界人がここまで驚くだろうか? そう考えたクロニカは、ラジエルの方に視線を移す。
夜空の中で、大賢者は硬直していた。師弟揃って同じリアクションだ。が、ショコラの口から出た言葉に、今度はクロニカが驚かされた。
「勇者……様……?」
ショコラはラジエルとは違い、勇者と直接の面識はない。だが、女神から権能と運命因子を授かったことにより、女神が持つ記憶の一部が流れ込んでいたのだ。
黒い髪、二重のまぶた、左目の泣きぼくろ、何より印象的な柔和な笑顔。性別こそ違えど、かつて女神セフィリアが召喚した勇者の姿そのものだった。
「これは、一体……セイラ、いえ、クロニカ! 貴女が『勇者様』だとでも言うのですか!?」
「………………」
クロニカは答えない。決して意図的な沈黙ではなく、突然の思いもよらぬ質問に面食らっているだけだ。だが、肯定も否定もしないクロニカを前に、ショコラは唾を飲んだ。大賢者が長年再会を待ち望んでいた『勇者』と、今自分が対峙している魔女が同一の存在である可能性を前に、クロニカへ刃を向けて良いのか迷っているのだ。
「ショコラ! いや、
今宵一番の声量で、ラジエルは叫んだ。驚愕、困惑、そして一縷の
「キミ自身の力で、彼女が『勇者様』か否かを確かめて欲しい! 単に『運命因子の魔女』を確保するだけでなく、勇者様の所在を確認できるチャンスだ! これこそが、大神官となったキミへ与えられた、女神様からの試練なんだ!」
ラジエルの言葉に、ザフキエルは頷いた。再び臨戦態勢を取り、クロニカと相対する。
「貴女が勇者であるのなら、大神官になったばかりの私程度、上回る筈です。貴女を推し量るには、確かに私は最適な物差しと言えますね。
正直なところ、私は半信半疑なのですよ。勇者様と姿形が瓜二つでも、貴女にこの状況を打開できるとは思えません」
「別に、私が勇者でなくても……私は、貴女を倒して聖を助けるつもりよ」
クロニカの言葉に、ショコラの中で怒りが再燃する。その激情に呼応するように、アディラにつけられた脚の傷が、蒸気をあげて再生していく。一部の悪魔がもつ再生能力を、悪魔憑きにして『悪魔喰らい』である彼女も宿しているのだ。
「まだその様な絵空事、綺麗事を……
貴女に! 彼女が救えるわけがないでしょう! 現に貴女は何も出来ていない、何も成し得ていない! 私の見た運命は変わっていない! ユカはこの場で死に、ヒジリは私が新天地へ連れて行く! その未来は、ヒジリにとっての『幸せ』は、貴女程度が邪魔できるものじゃない!」
「そんな未来……聖にとっての『幸せ』なわけがないわ!」
クロニカは地面を蹴って、ザフキエルに飛び込んでいく。手には銀のナイフ。悪魔や魔神の体質が色濃く現れたザフキエルには、よく効く武器だろう。だが、女神の使徒は運命を見通す。クロニカの動きに合わせて、反撃を喰らわせるまでだ。
「開眼せよ、『魔眼ザフキエル』!」
再び彼女の右目が金色に輝き、少し先の未来を映す。この力があったからこそ、濁流の中で炎華を見つけて仕留めることが、アディラと菊梨花の攻撃を予知することが出来たのだ。
が、ショコラの右目は、クロニカの姿を映さなかった。そこには、モザイクのように画質の粗いビジョンが映るだけだった。
「何故……どうして未来が……!?」
予想外の出来事に、ショコラの反応が遅れた。彼女が次に目にしたのは、
「『
静かに詠唱をするクロニカ。
そして、次にショコラが気がついた時には、
「……ッ!?」
彼女の左肩に、銀のナイフが深々と突き刺さっていた。
時の魔女vs大神官戦、第3章の決戦はまだ続きます。
果たしてクロニカの、そして炎華達の運命や如何に……!?
もしよろしければ、感想など頂けますと、この章が佳境に入った今、とても励みになります。
次回の投稿は、まだ未定です。
ですが、ここまで書いた以上、第3章は何としてでも書き切るつもりです!
続きを気長にお待ち頂ければ幸いです。そして、この章の行く末を見届けて頂けますと、とても嬉しいです。