少し肩を落としてしまった僕の手を、彼女は強く握ってきた。
どうしたのかと見ればユエの笑みが深くなっており、あれ、これ地雷踏んだかな? と内心焦る。
「アオ、婚姻届ってね。別に親じゃなくても良いんだよ?」
「それは成人してる場合だろ。うちの法律は成人年齢20歳だからね、ユエ?」
プクーと頬を膨らませた彼女の頬をつつく。
可愛い。
それに、僕との結婚を楽しみにしてくれている彼女が愛おしい。
城に帰りたいな、なんて急に思ってしまう。
「城に帰って、ユエとキスしたい…」
「アオ、声に出てる」
注意してくる彼女に、わざとだよと言うと、ユエは僕の手を離して思い切り背中を蹴ってきた。
今回は魔力が乗っていたようで、僕は前のめりに倒れる。
「い……ってぇな!! 照れ隠しで蹴るんじゃねぇよ、ユエ!! 足癖悪すぎだろ、お前!!」
彼女を見上げると、黒いコートに白いシャツ、青いショートパンツ、黒のブーツといった出立ちのユエが、顔を真っ赤にさせながら怒鳴った。
「アオが節操ないのがいけないんでしょ?! 去年なんて、他人の家でそんな事言ってなかったじゃん?! むしろ私が言って貴方が注意してたくせに!! 口調シンクそっくりだし!! 馬鹿阿呆、バホーっ!!」
ダッと走って去って行くユエに、僕も怒鳴り返す。
「あいつも僕なんだからそうに決まってんだろ!! 人ん家で走んな馬鹿!! 後、バホーってなんだ?! …ってぇ……はぁ…」
僕は起き上がり、その場に座り込んだ。
別に、今この場でしようって言ってないんだけど。
あと、僕の口が悪くなるのは気安い相手か、本当にキレた時くらいなんだけど、ユエは分かっているのだろうか?
壁に背をつけ、更にため息をつくと影がかかった。
見上げると、ミントグリーンの髪の女性が僕を覗き込んでいる。
「あー…さっきのやり取り、聞いてました?」
苦笑いを浮かべて尋ねると、女性は一つ頷いた。
「はい。昔の陛下を見ているようでした。殴られている箇所は違いますが、概ね王妃様と同じ反応ですね、ご婚約者様は。遺伝とは怖いものです、殿下」
淡々と話してきたこの女性は、ヴァリエール夫人。
ロゼおじさんの奥さんで、名前はアエラさん。
アエラおばさんと、僕とシャナは呼んでいた。
「いや、お恥ずかしい所を…」
「王族の男性は、自分の伴侶と見定めた者を口説く習性があるのだと思います。それこそ、自分の自信のなさの裏返しかのように」
スッと手を差し出されたので、それを握り返す。
おばさんから引っ張られ、僕は立ち上がった。
「父様も自分に自信がなかったと?」
それは意外で、僕はおばさんに尋ねる。
父様はカリスマの塊みたいな人で、何をするにも堂々と、貴族相手にも臆する事なく命を下せる人だ。
そんな父様が、自分に自信がなかった?
僕じゃあるまいし。
「陛下は、王妃殿下を溺愛なさっておいででしたので。王妃殿下が自分から離れていかぬよう、陛下は必死だったようですよ。そんなに心配なさらなくても、王妃殿下も陛下を心の底からお慕いしているようでしたけれど」
そうなんだ。
思い返してみれば、今も母様が離れていかないよう必死になっているようだけど、父様は。
自室で纏めた報告書を持っていくと、高確率で母様に縋り付いて泣きそうになってる父様を見るわけだし。
やらかしが多すぎて、今度は何をやったのだろうと冷めた目で見る事が多々あるのだ。
「ところで、あちらは私達の寝室なのですが…何か御用ですか?」
「あー…陛下からの通達で、21貴族の屋敷を僕らが調べる事は聞いているかと思います。すみません、詳しい事は言えないのですが…プライベート空間だろうが調べろと、陛下から命を受けていまして…」
成程、とおばさんは納得してくれる。
普通なら嫌な顔をする所なのだが、アエラおばさんは何というか、結構淡白な所があった。
それこそ事務的に接してくる時もあり、おばさん自身が感情的になっている所を基本見た事がない。
おじさんがぽやーっとした陽だまりみたいな人だから、アエラおばさんは敢えてそうしているのだろうけど。
縁の下の力持ちっていうんだっけ、これ。
「なら、私が屋敷の案内をしましょう。グンジョウ君には見飽きている事かと思いますが」
僕の呼び方が、殿下からグンジョウ君に変わる。
そういえば小さい時、寂しがって泣いていた僕をアエラおばさんが抱っこして慰めてくれていたっけな、なんて思い出した。
「本当すみません、アエラおばさん。見飽きるとかはないとは思いますけど…」
「いえ。暫くこちらにいらっしゃってなかったので、内装も少し変わっているんですよ。幼少期の記憶というものは、朧げなものでしょう? グンジョウ君の幼少の頃のお話もして差し上げましょう。そちらで隠れていないで、いらっしゃいな」
壁の方へアエラおばさんが声をかける。
スーッ、と光学迷彩をしていたようで、ユエの姿が浮かび上がった。
うわ…いつの間にそんな魔法使えるようになったのユエ…。