本の世界に没頭していると鹿おどしの音とは違い、カタン、という音がした。
顔を上げると、寝間着姿のユエが瞼を擦りながらこちらに歩いてきている。
「ユエ、どうしたの?」
「……風邪引く」
はい、と彼女が渡してきたのはシーツのようで、これを羽織れとユエは言いたそうだった。
「…本当どうしたの、これ」
「…アオ、今何時かわかる?」
そう言われて、僕は腕時計を見る。
時刻は午前3時。
今頃なら、ユエは夢の中のはずなのに。
何故彼女が起きているのか、疑問を覚えた。
「……シンクに起こされた。電話で。アオ、四番目の庭で読書してそのまま朝方まで起きてるだろうからって。なんか羽織るもの持ってってやれ、って…」
「シンク…」
有難いけど、ユエ起こしてまでは…流石にやめて欲しいかな…。
それなら僕に直接かけてくれば良いのに。
「アオにはもう掛けたって。出やがらないから、ユエ悪いって言ってたよ」
「…あ、やっべ」
携帯、自室に置いたまんまじゃん。
そりゃ、ユエにかけるよね。
いや、風邪引いたところで自業自得なんだけど。
ユエ起こす事か?
彼女はため息をついて、僕の隣に座った。
「なんかごめん、ユエ。寝れそう?」
「眠くなったら帰る」
そのまま、ユエは無言で月を見上げる。
そんな彼女を見つつ思った。
月明かりに照らされたユエ、綺麗だな。
これ、ドレス着て着飾っていたら…月から降りて来たお姫様って感じ。
何だっけ、昔母様から聞かされたお伽話にそんな話あったな。
「本読まないの?」
「あー…いや…あのさ、ユエ。お伽話の中に月に関する話ってなかったっけ?」
月に? と彼女は首を傾げていたが、何処の国の話だと聞かれる。
「母様から昔聞いた事あったやつなんだけど…」
「じゃあ日本だね。日本で月に関するお伽話っていうと…輝夜姫かな」
どんな話だっけ、と彼女に問うと、ユエは語り始めた。
「私もうろ覚えだから、詳しくはないんだけど…月で贅沢三昧していた輝夜姫は、罪を犯して地球に落とされた。竹の中に生まれ直した彼女は、竹取の翁と呼ばれるお爺さんが竹を切った際に出会い、そのままお爺さんとその奥さんであるお婆さんに育てられた。元々月の人であった輝夜姫は、成長するにつれてその美しさが評判になり、求婚してくる人が後を絶たなかったらしいの。でもある日から、月に帰りたいと涙を流すようになったんだって。それを聞いた当時の帝…王様がね、輝夜姫に求婚したんだって。王様の他にも、四人くらい輝夜姫に求婚している人達がいて。その人達に、輝夜姫は言ったの。私が望むものを持ってきてくれた人と結婚しますって」
ユエはこちらを見ず、月を見上げつつ語ってくれる。
その輝夜姫とユエが重なり、僕は思わず彼女の手を握ってしまった。
「ある人には仏様が使っている石の鉢、ある人には天国にあるという玉の枝、ある人には火鼠と呼ばれる動物の皮、またある人には龍と呼ばれる生き物の首についている球、そして帝には燕が産んだと言われる子安貝を持ってきて欲しいとお願いしたの。でも全員偽物しか持って来れなかった。だって、この世界でならともかく、昔の日本にそんなものあるはずないんだから」
「無理難題すぎる…」
僕がそう呟くと、そうだね、とユエは笑う。
「そのうち、罪を許された輝夜姫を迎えに月の人達が来た。帝や他の求婚していた人達は、輝夜姫を渡すまいと応戦したけれど、月の魔力に当てられて戦う気力を奪われ、そのまま輝夜姫を引き渡してしまった…ってお話」
「バッドエンドすぎない? それ…」
握っている手を握り返され、彼女はこちらを見て微笑んだ。
「お話が全部、ハッピーエンドなわけないよアオ。中にはバッドエンドだってあるもの」
「それでも、僕はハッピーエンドの話の方が好きかな。あとは勧善懲悪もの」
それは私も、とユエはクスクス笑う。
僕は彼女から手を離し、シーツを広げて被った後ユエに覆い被さった。
「ひゃっ?! アオ?!」
シーツの中、月の光が少し遮られて薄暗くなる。
僕は彼女を抱きしめつつ、胸に顔を埋めた。
「ユエ。君はいなくならないでね。輝夜姫みたいに」
「…やだなぁ。私の名前が月だからって、月に帰るわけないでしょ? 私はオーシア生まれの、オーシア育ちなんだから」
そう言ってユエは僕の頭を撫でてくる。
心地良くて、僕は目を閉じた。
そのまま寝てしまったようで、意識が覚醒した後ユエの胸の柔らかさを少しだけ堪能する。
夏だから寝間着の生地が薄いので、直接ではないものの柔らかいなぁ、という感想を抱く。
「ちょ、アオ…っ!!」
顔を少し動かすと、頭上でそんな声が聞こえて内心舌打ちした。
ちっ、起きたか。
そのまま寝たふりしててくれたら、少しだけつまみ食いできたものを。
「アオの変態!!」
「読むなってば、だから……いって!! 肘打ちしてくんな馬鹿!!」
思考を読まれ、脳天に肘打ちされた僕は起き上がってユエに抗議する。
彼女は自分の胸を抱きしめ、僕を涙目で睨みつけていた。