人混みと騒音をかき分けてフラフラとした足取りで歩く貴方。
今にも倒れそうになる程の歩き方ですが、誰も気にかける事もなく、すれ違っていますね。
何故かその顔付きはどこか楽しげで、頬も少し赤みを帯びています。
余程今日は楽しい出来事でもあったのでしょう。
労働の対価として懐が暖かくなった貴方は思わずお店で沢山飲んでしまった様です。
何かを思考する事も無く、帰路の時間を怠惰に噛み締めていますね。
人混みも疎らになり、気付けばいつもの帰り道。
そんな貴方はふと、変な匂いに気付きます。
どうやら匂いがする場所は帰り道から外れた裏路地。
貴方は何の抵抗も無く、裏路地へ足を運びました。
脳内に駆け巡るのはただの好奇心。
お酒も入っているせいか、少し気持ちも踊っている様です。
何があるんだろうと子供の様な感情を持ちつつ、何も無ければ元の道へ引き返せばいいだけだと自分に言い聞かせます。
裏路地に入ると変な匂いというのはより強くなってきました。
街灯等も無く、月の光が一部差し掛かっているだけなので最初はあまり見えませんでしたが、次第に目が暗闇に慣れてくると2m程離れた場所に女性がしゃがんでいました。
こんな薄暗い場所で何をしているのでしょう? 気になってしまった貴方は女性に近付きます。
真後ろにまで距離が迫った時、貴方は足元で水音がした事に気付き、足元を見下ろしました。
そこにはあったのは水溜まりではない赤黒い何かが淀んで、水溜まりの様になっていました。
その正体に気付いた貴方は酩酊気分から目覚めてしまい、思わず驚きと恐怖の声を上げながら尻餅を付いてしまいます。
その音に気付いた女性は振り返るとじろりと貴方を一瞥しました。
その口周りは赤く染まっていて、まるで血染めの化粧。
「レディの食事を盗み見するなんてとんだ無礼者だぞなもし……────ひょっとして君の喰い場だったかい?」
立ち上がっていた女性は貴方に近付くと、目線を合わせる為に目の前でしゃがみました。
貴方は女性を呆然と見つめていましたが、その視線は女性の左手へ。
そこには
目はくり抜かれて虚空になっており、血の涙でも流しているいる様に見えてしまい、まるで苦悶の表情を浮かべているように感じた貴方。
貴方は今起きている事が夢の様に感じましたが、残念ながらこれは現実。
辺りに異臭が立ち込めていて、それが現実へと引き戻しています。
貴方は次第に動悸が激しくなり、怯えるようにカチカチと歯を鳴らしていると、
「ほうほぉう────。さては君、人間だな?」
まるで次の獲物を見つけたと言わんばかりに目をギラギラさせては舌を出して口周りに付いている血を舐め取っていました。
右目だけ赤黒く染った目で睨まれた貴方はズリズリと後込みましたが、"ひゅっ"と息を飲んだ瞬間、本能が"逃げろ"と脳内に叫んで来たのを最後に貴方はひっくり返った虫の如く、手足をバタバタさせると勢い良く立ち上がり、その場から走り出しました。
なんとも情けない走り方でしたが、今の貴方はただ、"あの化物から逃げないといけない"という気持ちだけでそれ以外の事は考えられませんでした。
走って────。
走って────。
気付けば視線の先には貴方が住んでいるアパート。
安堵に包まれた貴方は目の色を変えてゆきます。
カンカンと階段を駆け上がり自分の部屋へと向かい、鍵を開けると飛び込む様に入りました。
────しばらくして、少しだけ落ち着きを取り戻した貴方は部屋を一瞥。
少し散らかってはいますが、見慣れた景色に再度安堵に包まれて息を大きく吐き出しました。
そして居間へと向かってテーブルの前に座り込みましたが、脳内に浮かぶのは先程の出来事。
後ろを一度も振り返らずにここまで辿り着いたので、あの化物が追いかけて来なければいいと楽観視しつつ、貴方は久々の全力疾走に喉の乾きを感じてしまったので、立ち上がると電気ケトルのスイッチを付けに行きました。
そんな時、玄関からチャイムの鳴る音が────。
まるでその音が警鐘の様に聞こえた貴方は直ぐにあの化物が追いかけてきたのだと考えました。
そして貴方は1つ、重大なミスをしていた事に気付きます。
慌てて部屋に駆け込んだせいで扉の鍵を閉め忘れていたのです。
やってしまったと頭を抱えそうになる前に残酷にも扉はゆっくりと開きました。
そこにいたのは少し前に出会った化物でした。
貴方と再び目が合うと、にんまりと笑っています。
「むはは。戸締りもしないとは随分と不用心だねェ……。────逢いたくて焦がれそうだったよ。青年クン」
ケタケタと笑う化物はゆっくりと近付いてきますが、貴方は蛇にでも睨まれたのか動く事も出来ず、
"GAME OVER"
ジワジワと湧き上がるのは絶望。
まあ、それでも……良くやった方じゃないでしょうか────。
「────腹の虫も大笑いしそうな絶望顔を浮かべている所で悪いんだけど、今の君を食べるつもりはない」
その言葉に貴方はただ困惑しました。
最早情緒がトリップしてしまったのか思わず笑おうとしますが、まだ困惑の感情に引っ張られてしまい、全く取り繕えていない笑みを貼り付けていました。
藪から棒に化物はポケットからある物を取り出して丁度、顔の横でプラプラと振り子みたく見せました。
それは……貴方の財布でした。
恐らく逃げ出す際に落としてしまったのでしょう。
類まれなる親切心を持っている筈で、何と心優しき方なんでしょうと普通なら思う所ですが、今の貴方は半ば疑心暗鬼。
ただ貴方は死ぬ迄の余興付き合いをさせられているのではと冷静に感じました。
「まあ、
ニヤリと口角を上げては悪どい顔をしている化物。
殺るなら早くして欲しいと少し前の慈悲の言葉も忘れて自暴自棄になりかけている貴方に更に距離を近付いてきました。
仄かに香る血の匂いにあの時の光景がフラッシュバックしますが、それ以上によく見ると端正な顔立ちに少しあどけなさを感じる身体付きはやはり、化物ではなく、ただの女性にしか見えませんでした。
「安心したまえ。私は1度言った事は曲げたりはしない。それに、既に腹は満たした────」
彼女は貴方の顔に向かって手を伸ばすと、頬に手をかけました。
今までの記憶を遡っても滅多に触れられた事の無い異性の手の感触に思わず貴方の頬は段々と熱を持ち、目の前にいる女性の妖艶さにやられてゴクリと喉を鳴らしてしまいます。
「────あ〜どうしよ。やっぱり少しなら齧っても……いやしかし────」
ブツブツと何かを葛藤する様子の彼女は貴方の顔に手をやったまま、不意に頬から首筋にかけて指をなぞり始めました。
まるで、品定めをされているかの様に。
「……イイ、とても好いな君は。────うん、きめた」
貴方から手が離れると彼女はにこやかに、宣言しました。
「────貴方は私の非常食にしてあげる」
かわいそう