6話です。
情事紛いの慰め合いを終えた二人。
エトは首に手を当てながら貴方へ軽口を叩いていました。
「……今日はキミに沢山愛されてしまったね。暫くは痕が取れなさそうだ」
そう言って見せ付ける様な仕草をしますが、貴方は顔から火でも吹きそうな程の羞恥に顔を逸らしました。
彼女の首から肩にかけて虫刺されもしくは腫れの様な痣が幾つも出来ており、それを愛おしそうに撫でては微笑を浮かべました。
エトに言われてやったとはいえ、自ら付けた
それは征服欲、独占欲、支配欲とどれも歪で邪な劣情でしょう。
「鼻の下が伸びてるぞなもし……────。それで、
先程の感想を求めてきた彼女を前に気恥ずかしさで目を上手く合わせられずに視線を泳がせた貴方。
そんな貴方を見て不満気に目を鋭くしたかと思えば貴方に近寄ると自然と二人の距離は目と鼻の先。
「私は昂る気持ちを抑えるのに精一杯だった。……まるでキミのモノだと刻み付けられた感じがしたよ。でも────」
「貴方は刻むより、刻まれる方が好みでしょう?」
首元へチクリと刺すような小さな痛みに顔を顰めましたが、それに続いて吸い付く様な音と共に生暖かい感触に不快感を感じました。
"じゅるじゅる"とわざとらしく音を立てるエトにされるがままの状態が暫く続きましたが、一際強く吸われた後に漸く解放。
「────お・そ・ろ・い♡」
そう告げた彼女はケタケタと笑っています。
貴方の言葉を待たずに再び首元へ近付くと────まるで"もっと付けてあげる"と言っているような気がして、それを遮る事もせずにただ受け入れているだけの貴方に嬉しそうにしているのでした。
それにしても、エトの底知れない
果たして彼女の飢えを満たせるのか。
そんな後ろ向きな事ばかりが脳内を駆け巡っていると、不意に焼ける様な感触が襲いかかってきたので、思わず仰け反る様に彼女から離れました。
「おっと……────ケハハ、悪いね。思わず噛んでしまったよ」
噛まれた肩を撫でればぬるっとした感触がしたので、おずおずと手を見ると血が付着していました。
どうやら噛み千切らんばかりの強さだったみたいです。
おまけにそれを自覚したせいで痛みがジワジワと後から襲って来るのを堪えながらそんな事をした張本人を見るとニコニコと嬉しそうに微笑んで上擦った声を上げました。
「おやおや? ────青年、血が出ているじゃないか。……ほら、私が綺麗にしてあげる」
白々しく言い放った彼女は舌をペロッと出して再び貴方へ近付いてきます。
その真意を即座に察して制止しますが、その程度で止められる訳もなくて先程と同じ様な構図になってしまったので、もうどうにでもなれと諦観の姿勢を見せました。
「ずっと────ずぅっと前から味わってみたかった。キミの血はどんな味がするんだろうって……。────ああ、匂いだけで酔いしれそうだ」
彼女の鼻息がかかる度にくすぐったさを感じて身震いを感じますが、どういう訳か貴方は押しのける訳でも拒絶する訳でもなく、無意識に心躍らせてその時を待っていました。
「私をここまで昂らせたんだ。責任取ってちょ」
今度は口付けの様に優しく含むと、舌を這わせながら吸い付いてきました。
まるで母親に縋る赤ん坊の様な姿に愛おしくなった貴方はエトの頭を撫で始めます。
耳元で喉を鳴らす音が聞こえてくるのにドギマギしつつも、彼女を受け入れていると突然、行為を止めて口を離したのです。
「え────あぁ? な、なにこれ……。ハ────ハハ。まさかこの私が……?」
身体をビクビクと痙攣させている彼女はいつもと様子が違い、次第に頬は赤みを帯びてきて動悸も激しくなってきました。
流石に心配の気持ちを募らせた貴方は安否でも確認するように彼女の背中を撫でましたが、どうやら逆効果だったらしく────。
「まっ、待って……今は────!」
彼女を撫で続けていた背中は大きく痙攣し、それに耐える様にエトは貴方の服を掴んで握り締めていました。
途切れ途切れの激しい息遣いに彼女の身に何が起きたのか分からなかった貴方は声を掛けましたが、聞こえていないのか身体を完全に預けては息を荒くするばかり。
暫くして落ち着いたのか彼女が握り締めていた服を手放しましたが、その強さを物語る様にぐちゃぐちゃになった皺を残していました。
「────うふ、うふふふ。ねぇ……約束、破ってもいいかな? ……キミの事、一口だけ齧らせておくれよ」
上ずる声音に赤く火照った顔はまるでヒトで言う所の酩酊状態にも見えました。
今の彼女に正常な判断は出来ていないのでしょう。
貴方の肉を喰らい、どんな味がするのか確かめたくて興奮を抑えきれずに息を吐き出すその姿は獣そのもの。
「オラ、遠慮しなさんな♡ ────今の内に
いつもの様にまたエトに押し倒された貴方は心の準備をさせて欲しいと懇願しますが────。
「私達は両想いじゃないか。そんなつれない事言わないでおくれよ。────あ〜、そうだねェ。……天井のシミを数えている間に終わるよ。ダーリン」
そういう問題じゃないと言ったものの、はいはいと軽く流された貴方はいよいよ実食される時がきたようです。
今、目の前にいるのは涎を垂らす捕食者。
そんな貴方は非常食────そう、非常食なのです。
であるなら今食べるのはおかしいでしょうと駁議しますが、エトは惚けた顔をしていました。
「どんなモノもいつかは腐るか、廃れて壊れるかのどっちかだ。食物だってそうさ……────旬が過ぎるか、腐り落ちれば美味しくはないだろう? つまり今のキミは所謂、旬の食物で食べ頃なんだよ」
「ああ、でもどうしようか。キミを味見するだけで済ませられるか不安だ。────血を少し啜っただけであのザマ……。もし食べ尽くしてしまったら全部終わってしまう」
「そうなったらまた私は独りになる……。それでも、それでも今はキミを喰らってみたい」
理性と本能、どちらを取るかで葛藤するエト。
そんな貴方はさほど賢くはない頭脳で考えました。
一口だけ齧らせてしまうだけなら死ぬことは無いでしょう。
ですが、本当にそうでしょうか。
このまま受け入れてしまえば、間違いなく死んでしまうんじゃないかと心の何処かでそう感じていました。
まあ、でも────もう十分でしょう。
沢山愛されて、沢山愛して、貴方は満たされていました。
本当はまだ
貴方は彼女に笑いかけました。
────食べてもいいですよ。
そう微笑んで告げましたが、何故か不満気に顔を顰めていた彼女。
気付けば紅潮していた頬は冷めて思考は冴えたのか、目を逸らすと大きく溜息を吐いて愚痴を零す様に言いました。
「全く……キミのせいで優柔不断になったし、臆病にもなってしまった。────そうしようと思っていても、いざ言われると竦むよ。腹が立つ位には」
誤魔化す様に頭を掻き毟って貴方を見据えたエト。
「あぁもう……────優しくは出来ないからね」
覚悟を決めたのか、彼女はゆっくりと近付いてきたので思わず身体は強ばりましたが、それに添えられた手は優しく溶かす様にまとわりついてきて。
それから程良くほぐれた肉に牙を突き立てられて顔を歪めた貴方。
"ぶちっ"という音と共に肩に声にもならない激痛が走り、視界はチカチカと反転していました。
────貴方が最期に見た景色は恍惚の表情で咀嚼を楽しむエトの姿でした。
✕ ✕ ✕
廃れた神社の境内で一人、座り込んでいたエト。
あの日から考えているのはいつも彼の事でした。
彼の味を知ってからというもの、今度はどう愛して、愛されてみようかなんて────淡い乙女の様に悶々としていると、彼女に近付く影が一つ。
その影に気付いたエトは顔を上げると長身の男が立っていました。
こめかみに青筋を立てている辺り、どうやらかなり不機嫌な様子。
「……やあ、久しぶり。こんな所に呼び出して何の用?」
男の剣幕に顧慮もせずに軽薄な態度を取ったエトに空気は更に重くなり、ピリピリとした雰囲気へ。
「どういうつもりだ、エト。────顔も出さず、連絡も寄越さない。……何考えてる?」
「何かと思えば、それを言う為だけに呼んだの? 私だって暇じゃないんだぜ?」
「ふざけるな」
ピシャリと言い放った男の言葉にエトは薄ら笑いを浮かべたまま沈黙。
暫くして彼女ははやれやれといった感じで男を見つめると、再び口を開きました。
「……大した用じゃないなら帰るよ。────まあ、連絡はぼちぼちするから許してちょ」
エトは立ち上がると男を一瞥してからそのまま足を進めます。
通り過ぎていった彼女の後ろ姿を見つめると、男はポツリと零す様に言いました。
「────随分と入れ込んでいるな。たかが一人の人間に」
男の言葉にエトは足を止めてバッと後ろを振り返りました。
その顔に浮かべていたのは驚愕と焦燥。
しかし、直ぐに警戒する様に目を細めて男を睨み付けました。
「いい加減目を覚ませ。────俺達は喰種。住んでいる世界も見えているモノも違う」
男の説得にうんともすんとも言わず、黙り込むエトに痺れを切らしたのか、男は続けます。
「……このまま現を抜かすつもりなら、俺が奴を────『オイ』……っ」
男の言葉は最後まで続く事はありませんでした。
その後に言おうとした事が分かっていたエトは苛立ちを隠せずにはいられません。
「俺が、何だって? ────もう少し言葉は慎重に選んだ方がいいぞォ〜。……いやなに、
薄気味悪い笑みを浮かべては、一種の脅しとも言える彼女の口舌に男は更に青筋を立て、今にも襲いかからんと殺気を放っていましたが、それすら意に介せずにエトは子供の癇癪の様に小さく呟きました。
「────奪われてたまるか」
「……?」
「やっと……やっと見つけたんだ、私だけを愛してくれるヒト────彼は私だけのモノだ。例え相手が誰であろうと、奪わせるものか」
「……そうか」
納得した様子で目を閉じた男。
それから何かを考える様に間を空けると、エトに諭しました。
「────その感情は猛毒だ。今も、そしてこれからもお前の身体を蝕み続ける。戻れなくなるぞ」
「それ位、分かっているさ。だが、そうなってしまうのも仕方ないだろう?」
「……お前、堕ちる所まで堕ちるつもり?」
「うふふふ、それはそれで好いね。……私は独りじゃない。────何せ一緒に堕ちてくれる
「……────
「お互い様だろ、
軽口を叩き合う二人はお互いを嘲笑っていました。
さて、話はもう済んだと告げる様に踵を返したエトに男は再度警鐘を鳴らしました。
「
振り返りもせず、ヒラヒラと手を振って応えたエトにこれ以上追及はしませんでした。
次第に小さくなって消えていく彼女の姿を眺めて感傷に浸る男。
その表情はどこか哀愁を帯びていました。
「────これで俺に残っているのは復讐心だけか」
「エト……
男は独り言を吐き出すと、その場を後にしました。
おもいねえ