2006年 4月 25日
禪院明日香に昼夜の概念は希薄である。
もちろん窓のない部屋に籠もっているからである。
「生涯にわたり一日に1時間21分以上の睡眠を取らない」という縛りのもとで短時間での脳と体の全回復を実現しているため、昼夜の概念がますます希薄になっている。
そのため、他者との感覚のズレからくるトラブルを回避するために、一日の行動をなるべく一般に合わせている。
午前4時。エレベーターで禪院家に上がると、武器庫に行って支給している呪具の点検を行う。本来このような雑務は明日香が行うべきことではないが、専門家・技術者といった知識を持つ者が育たないので仕方ない。
現在、本家及び分家に所属する戦闘員に支給している呪具は三種。自律式『落花の情』もどき、耐久性簡易領域、術式弾が装填された拳銃である。
『落花の情』もどきは体表に展開される領域に触れた呪いを打ち消すもの。ノイズキャンセリングのように単純な機構ながら、二級程度までの呪いなら対抗できる。自らの術式も影響するため、術式持ちは使用できない。
耐久性簡易領域は報告ミスによる等級違いの任務で呪霊の領域に飲まれた際に、救援が来るまで最大48時間は持ちこたえられるというもの。こちらから攻撃もできないが向こうからの呪いも
術式弾は禪院甚壱の「拳の術式」が再現されたもので、これも二級程度の呪いまでなら対抗できる。扇の「火の術式」や直哉の「呪った相手を1秒間フリーズさせる術式」なども切望されていたが、前者は提供を拒否され、後者は複雑すぎて再現不能であった。愛称は拳の拳銃という意味で『
これらによって二級以下(蝗GUYレベル)による戦闘員の消耗は限りなく抑えられるようになった。ちなみに「炳」の人員は筆頭・禪院直哉の方針でこれらの使用が禁止されている。
午前8時。今日は大学に行く日だったので上機嫌で準備をする。以前なら「博士枠」なる存在になるという目標があったが、日本には独特な「論文博士」という制度があり、あっさりと数分野で博士号が取れてしまった。つまりもう行く理由はないが、明日香は呪術を知らない友人との交流を楽しむためにダラダラと通い続けている。知識では及ばないものの、頭の回転が早い友人たちとの交流は楽しい。ひと月後に迫った「改革」によってある程度研究が自由になったらぜひこちら側に引き込みたい。
午前10時、大学に居続ける為に履修した1ミリも興味のわかない授業の最後列で、タブレットをスクロールしてAHTアメリカ法人サンフランシスコ本社からの業務報告の要約に目を通す。場所によって違いはあるが、現地はだいたい18:00ごろだ。サンフランシスコに本社を置いたのは一日の終りにアメリカ各地の関連組織の日々の活動をまとめて報告させるため。
AHTは所詮、禪院家のフロント企業という役割しか無いため事業の拡大は指示していない。しかし百合華の知識と明日香の設計がもたらした高度な計算機工学技術と、その技術力に魅せられた日本の経営幹部・外国法人のCEO達によって、次々と事業が拡大していった。何しろ働けば働くほど成果が上がるのである。楽しくて仕方ない。
明日香としては研究資金の調達と各国での禪院家の活動の補助が十全に行われていれば満足であるため、好きにさせている。アメリカ法人のCEOに誕プレとして、数兆円の物理学研究所の設立計画書をプレゼントされたときは小躍りした。ウキウキで一般公開していない最新理論とその先の仮説に対応した設備に計画書を書き直して送り返した。このとき明日香は生まれて始めて五徹の壁を超えた。(CEOは白目を剥いた。その後、早く論文で公開しろと矢継ぎ早にメールが届いたため、めんどくさいお前がやれと関連資料をまとめて送りつけた)
特に問題もなかったのでそれまでやっていた、昨日公開された論文の題と要約に目を通す作業に戻った。
正午、キャンパス近くにある蕎麦屋で友人たちと40分ほど喋ったあと、プライベートヘリで1時間半ほどかけて東京に向かう。当主・禪院百合華と宮内庁・三輪高光の主導による「改革」の準備も佳境であり、今日は明日香を交えた会議がある。憂鬱である。明日香のやることといえばAHTの動きを彼らと連携させるために情報提供をし決定した要請を経営陣に連絡するだけであるから退屈である。それ私必要? と思う。正直なところ、根が禪院な明日香には政治が全くわからない。敵対勢力は征服し反乱分子は鏖殺すればいいとしか思っていない。
一度本気で聞いてみたところ、
午後6時、会食が開かれた。しかし会議のメンバーがそのまま移動してきているため退屈な会議の延長である。同じ建物にあるサロンの隅で、挨拶に来た三輪家の四歳のお嬢様を捕まえて水色の髪を撫でて過ごした。おお
「かすみちゃんはいつも敬語なの? 偉いね」
「はい! お父さまに習いました! こうすると頭良さそうに見えるそうです!」
「そっかー。私は五条悟とか総監部とか政府高官とか、その辺にしか使わないけど、敬語キャラもありかもなー」
「いいと思います! 五条悟! わたしも五条悟にあってみたいです」
「ふーん、生五条悟は結構失礼なやつだぞ」
「生五条悟!」
午後8時、やっと会議が終わり、百合華ちゃんと東京別邸入りする。
午後8時半、設備の点検や調整を終えてヘリで1時間半かけて京都に戻る。
午後11時。ソファーで睡眠。
午前1時ごろ、起床してシャワーを浴び、ドライヤーを手にソファーに戻り、研究用のシステム管理ページを開いて、
「
睡眠中に届いた通知は、『土御門
明日香の口角が上がる。
『五行機関』関連の調査のため、全国に何箇所かある安倍家ゆかりの地の周辺は、『窓』や協力者を初め、呪力センサー、防犯カメラ等、監視網が張り巡らされている。
バカ正直に土御門を名乗るとは思っても見なかったが、僥倖である。
表世界の土御門の末裔は全て把握しており陰陽道は継いでいないことは判明しているが、今回はその誰でもない。そもそも、
「これは、楽しくなってきたじゃないですか」
§ § §
午前3時、月も隠れた闇の世界。福井県にある、とあるホテルで。
他の宿泊客は防音結界の中で大金を握らせ市内の他の宿泊施設へと追い出した。
明日香は全員がホテルから退避したことを確認すると、「彼」が泊まっている部屋の扉の前に行き、手元のスマートフォンを操作する。
「闇より出でて闇より黒く その穢れを禊ぎ祓え」
『帳』もどきの結界が下りる。それは天元の補助を用いない『帳』。本当は詠唱は不要なので気分だ。呪力を込めないので天元の結界が応答して本当に『帳』が下りてしまうなんてこともない。
付与された効果は『全呪力の可視化』と『土御門天音の出入り禁止』。
部屋の中からガタンッ、と物音がした。少なくとも結界の呪力で目が覚める程度の呪力感知能力はあるらしい。
明日香は躊躇なく拳銃を抜くと、扉に向かって引き金を引いた。
ズガァァァァァァン、と。透明な拳を幻視したかと思えば静寂な夜に似つかわしくない轟音が響き渡り、扉が壁と天井を巻き込んで盛大に吹き飛ぶ。
これでただの偽名を使った一般人なら、もし生きてたら謝って金を握らせよう、と事後的に考え、
轟と風が吹き、煙が晴れ、茶髪の少年が現れた。
「クソッ、うるせえな。ふざけんじゃねえよ部屋ごとふっ飛ばしやがって」
「こんにちは。あなたは土御門天音さんでお間違いない?」
「ああご存じのとおり天音さんだよ。何だってんだいったい」
少年は手で埃を払う。何事か手印を組むとラフな浴衣が変化し、おそらく彼の普段着であろうシャツと着物の合わさった大正時代の書生のような格好になった。
「呪力……お前、呪術師か」
「うーん、まあ正解。禪院明日香。鈴科明日香のほうが知られているかな?」
「知るか、どこの誰だよ」
この言葉に明日香は純粋に驚く。昨今では先進国の人間で明日香の名前を知らない人を見つけるほうが難しいくらいだ。
少年は何かに引っかかったように首をひねってから、思い出したように言った。
「あー禪院ってあれか。平氏のパクりみてぇなプライドの高い蛮族集団。やべー本物初めてみた」
少年は何がおかしかったのかケラケラ笑うと、真面目な顔になった。
「で、何の用? 天音さんは現在、今すぐお前をぶち殺したいくらいにキレてますよ?」
「ちょっと聞きたいことがあった、かな?」
額に青筋を浮かべた顔を歪めた少年は、30cmほどの木の棒を取り出した。
「それは、呪具?」
「お前たちの言い方で言えばまあそうだな、札みたいに霊力の流れを整えるものだ。しかも使い捨てじゃない」
霊力、ねぇ。
「へぇ。それで?」
「こういうことだ」
バチバチと、少年を取り囲むように雷の龍が顕現する。
「悪く思うなよ、俺の睡眠を邪魔した当然の罰だ」
呪具が振られ、龍が宙を走る。
対する明日香の前には
その出力から雷の龍が押し勝つかと思えば、呪力が散らされ龍が消滅、行き場を失ったエネルギーが周辺一体を焦がす。
「散々脅かすからなにかと思えばただの術式じゃないですか。やっぱり陰陽師=術師の一派説が正しいんですかね、がっかり」
「なるほど、破邪の術式を持った式神使いって訳ね。だけど式神使い・呪霊使いの対処については18世紀には確立している」
少年は呪具を振る。
「『退魔の呪い』」
「おや」
濃密な正の呪力の塊が銀の龍の形を成して、牛頭鬼を消し飛ばした。
それはそのまま直進し、明日香に触れた瞬間、何かに弾かれ消滅した。
「龍、好きなんですか?」
「青龍は俺の守護神だからな。春生まれなんだ」
「ふーん? 今のは良かったです。研究意欲が湧きますね他には?」
「楽しんでんじゃねぇよ、『剣印の法』」
不可視の斬撃が飛ぶ。
明日香に当たった部分だけが溶けるように消え、残りが背後の壁を切り裂く。
それを見た少年は向きを変え窓に向かって走り出した。
「(破邪の術式を全身に纏ってんのか? 物理攻撃なら行けるか?)」
「それは陰陽師文化の研究資料で読んだことがあります! 実在したんですね!」
背後から嬉々とした声が飛んでくる。
「知るかよ!」
少年は四方八方に斬撃を放ちつつ吹き飛んでいた窓から飛び出した。
無詠唱で放たれた斬撃によって床と天井が切り裂かれ崩落する。
ガラガラと崩れ、小さなホテルは完全に瓦礫の山となった。
更に懐から和紙に書かれた札を出し突きつける。
「借りるぜ親父、『
札が焼ける。
直後、10倍の重力が瓦礫の山にかかる。ホテルだった何かは、自重に負け更に細かく砕けていく。
今度こそはやったかと思ったが、1秒後、瓦礫が中心部から爆破され、無傷の明日香が出てきた。
「……めんどくせぇ」
「機構は単純ですよ? 結界の外殻に触れた情報から自動で適切な対抗術式を構築する、というだけです。 条件の難解な術式や五条悟の『茈』レベルの無法じゃなければ物理でも呪力でも、だいたい防げます」
「術式の開示ってやつか」
「いえ、親切心です。それで次は?」
条件を聞けば、解法は何通りかは思いつく。
ただしそれには、全霊を持って術式を構成する必要があるだろう。
こんな敵国に等しい場所で霊力切れで立ち往生など、冗談じゃない。
それに、なんだか防御を突破しても、まだ隠し玉がある気がした。
教師や先輩たちだったらこの眼の前のイカれた女を討てるんだろうな、と自身の若さを呪い忸怩たる思いをしながら、少年は諦めた。
「あーもーいいよ、飽きた、それでちなみに、聞きたいことって何?」
「五行機関について、知ってることを全部」
「あー、あんたもその口ね」
少年は少し考え、「ま、術師相手ならいいか」と軽い調子で答えた。
人差し指を振りながら得意げに言葉を紡ぐ。
「五行機関は平安後期に天元の結界の外部に設立された研究機関である。五行機関は陰陽師のための教育機関である。五行機関は明治3年に朝廷から排斥された政府機関である。五行機関は陰陽寮の正当後継である。そして」
少年の持つ呪具から金色に変色した呪力が吹き出し、結界を破壊する。
その出力は五条を1単位とするなら0.69五条くらいか。
正の呪力とも、負の呪力ともつかない、いわばニュートラルな呪力。
ニヤッと笑って、少年は捨て台詞を吐いた。
「五行機関は陰陽術と西洋魔術を融合した、世界最強の独立国である」
バチンッ、と破裂するような音が響いて少年は姿を消した。
土御門天音「俺この間おっかねえ女に寝込みを襲われたんだぜ?」
学友「(権力狙いの女に夜這いされるのは)いつものことじゃねえか」
土御門天音「それが聞いて驚くなよ? 夜中の三時に泊まってた部屋をふっとばされたんだ」
学友「それはなかなかアバンギャルドな求愛だな」
時間をかけてもろくなことにならないという法則が証明されたので、今回は数時間で書きました。これくらいならもっと早く書けるようになれそう。