自室にて、録り貯めていたロボットアニメを消化していた禪院家当主・禪院直毘人は、不覚にも、いきなり襖を開け放った見知った侵入者にこう言ってしまった。
「いや誰だお前」
「はァ? アンタは自分の子供の見分けもつかないんですか若年性認知症ですかァ?」
「いやお前口調も雰囲気も全く違ってそれは無理があるだろ」
「ちょっと気分を変えてみただけだ気にすンな」
いつも無表情だったはずの真っ白な長女は、苦笑しながらドカリと勝手に胡坐をかいて座り込んだ。
突然当主の部屋にカチコんできた6歳女児に言いたいことは山ほどあるが、一先ずはもっとも優先すべきことがある。
「その浮いてる透明なのはなんだ。呪霊じゃないよな」
「オレの、あー、そォだな。式神だ」
『私はメイドインUKの作り物の悪魔クリファパズル545ですが何か??』
「……そうか」
喋れるんだな、その式神。
* * *
禪院百合華は生まれた時から印象深い子供だった。
男ばかりだった直毘人の子の中で、彼女は初めての娘だ。
そのおかげで、長女誕生の報は、多忙な特別一級術師と禪院家当主としての生活の中でも多少なりとも印象に残っていたので、彼女が生まれた週末に母娘の部屋を訪ねた。
彼女は先天性白皮症、いわゆるアルビノだった。
生まれつき髪と肌は真っ白で、瞳は赤い血の色をしていた。
それらは肌や視界が日光、特に紫外線にひどく弱いことを示している。
先天性の体質は呪術では天与呪縛として働くことがある。
術式の威力の底上げや呪力量の増加などだ。
呪力量はそこまで多いようには見えないので術式の方だと期待した。
その後、五条悟が誕生したことで呪霊が力を増し、さらに多忙になった日々の中でしばらく存在も忘れていた。
三歳ごろから家の行事などで遠目に見かけることが増えた。
聞くところによれば、彼女は常に無表情で、感情の機微というものを感じさせないらしい。
人とかかわることも避け、何かを命令したとき以外はずっと一人で静かにしている。
見た目も相まってかなり気味悪がられていた。
もしかしたら「感情が無い」という天与呪縛かもしれない。
もともと術師は共感性の低いやつが多いしそこまで強力ではないかもしれんが。
また呪力量は少ないが呪力操作の演習だけでは好成績だとか。
呪力で守れれば暴力が日常茶飯事の禪院家でも大けがをすることは少ないだろう。
結局5歳になってしばらくしても術式が発現する気配はない。
禪院家の者たちは呪力量が少なく術式もない、体の弱い百合華を出来損ないの非術師として扱い始めた。
気の早いことだ。
術式の発現は通常4歳から6歳であってまだ術式を持たないと決まったわけではない。
これで十種でもあたれば爽快なんだがなあ。
そんな風に、なんとなく頭の片隅に据え置き、忙しい日々が過ぎていく。
そうして百合華が生まれて6年ほどが過ぎたとき、別人のようになった彼女が唐突に直毘人の部屋に飛び込んできた。
* * *
「それで、術式が目覚めた報告か? その式神か?」
術式によっては目覚めるタイミングで、突然人が変わったような性格になるやつもいたと聞く。
こいつもそんな一人なのだろう。
……そのはずだ。変な奴が受肉したわけじゃないよな。
ちなみに劇物である特級呪物が幼児への受肉に成功した例は無い。
「あァそれもあるンだがもっと重大な用だ。あと術式はこいつに関係ねエ」
「まずは術式だ。過去に例のあるやつか?」
「ベクトル変換だ」
「……なんだそれは」
真っ白娘が手を伸ばし自分の座る隣の畳に触れると、畳は見えない手にねじ切られるように、バツンッと大きな音を立てて千切れた。
ここが他人の、しかも当主の部屋だってこと忘れてないか?
「見ての通ォり触れた物体の運動やエネルギーのベクトルを操れる。電磁波や、まだいまいちパラメータをつかめてねェんだが呪力も操れるはずだ」
なるほどなあ。
投射呪法と同じく
停止だけでなく運動を操れるという点では投射呪法よりも応用性が高いだろう。
ただし同時に、すさまじく制御の難しい術式であるだろうと直感した。
並の者では触れた者に衝撃を与えるとか、武器や呪力を飛ばすとか、その程度が関の山だろう。
これからのこいつの修行にもよるだろうが。
ただし、いきなりそんなことを言っても仕方ないので、とりあえずは軽いアドバイスに留めた。
「ベクトル変換、だったか。術式名はあまり突飛なものをつけるな。呪術界では伝統は大事だ。儂は投射呪法だがそれで苦労した。物体操術か、まあ強いて言うなら向量操術とでもしておけ」
白髪娘は首をひねった後、まあいいかと頷いた。
「それで? 本題を言ってみろ」
「当主の座を寄越せ」
直毘人はあっけにとられて目を見開くと、すぐに、ワッハッハッハッハッハッ、と、豪快に笑いだした。
変わりすぎだろ、お前、と。
自分の術式にどれだけ自信があるのか、その白髪も相まって五条悟を彷彿とさせる。
そうやってしばらく、ひとしきり笑った後、ようやく落ち着いて呼吸を整え切り出した。
視線に期待をこめて。
「条件が三つある」
「言ってみろ」
「第一に、当然儂より強いことだな」
「それは問題ねエな」
生意気にもそう返すが上機嫌な直毘人は気分を害す様子はない。
「いくら強力な術式でも使いこなすのはかなり大変だぞ。というか使いこなせているやつは一握りだ。十種影法術や無下限呪術のようにそもそも普通は使いこなせない術式すらある。あとはフィジカルと呪力量の問題だな。お前には両方欠けているが下手な術式よりシンプルに殴ったほうが強い。それにお前の弟の直哉は儂と同じ投射呪法だ。お前が女なことを脇においても、半端なことでは相伝が優先されるぞ?」
今は十種を引き継いだ術師はいないのでこんなところだろう。
いたら文献にしか残っていない魔虚羅を上回ると感じさせる実力を示す必要がある。
返事はないが理解しているようなので続ける。
「第二に15歳になるまでは無理だ。6歳児を当主に据えたとなったらさすがに御三家を外されかねん」
ただしコイツが15歳になるころでも、儂はまだ56で現役だ。
実際はその前に負ける可能性は低いだろう。
そう皮算用する直毘人だが、念のため付け加えた。
白髪女児は微妙な顔をして少し首を傾げた後、諦めてため息をついた。
「……仕方ねエか」
「第三に婚約者を決めておけ」
「はア? オレは誰とも結婚する気はねェぞ?」
いや、と直毘人は首を振った。
「優秀な術式を持って生まれたものが子を作るのは術師の義務だ。それにお前の術式が相伝になればお前の立場も強くなる」
お前の術式があたりか外れかはまだ分からんが、という言葉は飲み込んだ。
白髪の娘は少し考えてから言った。
「要は禪院にオレの術式をもってるヤツを増やせばいいンだろ?」
「まあそういうことだな」
「術式ってのは要は脳と魂魄に刻まれた情報だ。ならもとのデータさえ分かればオレの術式で書き込める。とりあえずうちにいる術式を持たねェやつ、希望者全員に植え付けてやる」
「……おう、そうか。まあそれができたならそれでもいい」
発想力はあるようだがその施術にどれほど緻密な呪力操作が必要なのか想像もつかない。
五条悟でも無理なんじゃないか?
失敗してしぶしぶ婚約者選びに変える様子が目に浮かぶが、初めから頭ごなしに笑い飛ばすこともないだろうと満足するまで好きにやらせることにした。
ふぅと息をつくと、禪院直毘人はヨッと立ち上がってにやりと笑った。
「さて、今から修練場に行くぞ。今日だけは特別に稽古をつけてやろう。
* * *
1995年 10月 25日
しばらくして観覧台である二階席の引き戸が開いた。
主催である当主の入場である。
いったんはシンと静まり返った修練場だが、すぐにざわめきを取り戻す。
当主に連れられて、呪力量も少なく術式を持たない6歳の女児が入場したからだ。
「直毘人、どういうことだ! なぜそいつが上段にいる! そこはそいつのような出来損ないの猿が上がっていい場所ではない!」
と思わず叫んだのは「炳」の筆頭であり当主の弟の禪院扇だ。
対して、返答は微妙な顔をしている当主からではなく、問題の本人からだった。
「ああ、ああ」
気にするそぶりもなく、いつだって無表情だった6歳児は今はニタニタと不気味に笑っている。
「そぉいう考え方から全廃するつもりなンだが、今日のところは無礼講で構わねエよ。オマエ達みてエな頭の軽い野郎にいちいちキレてたンじゃこっちの頭の血管が保たねエからな。これでも成長したンだぜ。褒めろよ、なア?」
今度こそ修練場は完全に静まりかえった。
皆が唖然と見つめる中、その6歳児は、花道でも歩くように足を進めていく。
どこから現れたのか、得体のしれない少女の異形が、当主の席の隣に何枚かの座布団を高く積み重ねる。
そして真っ白な怪物は、その上にドカリと腰掛け足を組んだ。
摘まみ出せ、とは誰も言えなかった。
直系とは言え何の術式も持たないはずの6歳の女児が当主に連れられて上座に座ったことにも、「炳」の筆頭であり当主の弟である禪院扇にありえない口をきいたことにも、脳が情報を処理できず、術師たちにできたことといえばただ唖然とするのみだった。
しかし、解答はヤツ自身がすぐに口にした。
ほんの数日前まで無力な幼児であった怪物は、背後に異形の少女を侍らせて、そして余裕の笑みと共にこう告げたのだ。
呪術を扱えないものを猿と呼んで。
男尊女卑に染まって今まで彼女を虐げてきた者たちにとっては、決して理解できない挨拶を。
「それじゃ注目、禪院家次期当主の禪院百合華です。みンなよろしくね☆」
禪院家の修練場に猛烈な怒号が響いた。
新約22リバース最後の統括理事長宣言が好きすぎてやってみたかった。