「サクラ。人呼んで泣き虫サクラ」
「泣き虫………サクラ?」
魂魄妖夢と名乗る少女は、目を丸くさせるや否や、ぷっと吹き出し笑う。
対してサクラもまた、にこにこと笑みを浮かべていた。
「何が泣き虫だ。それにサクラだと?"ふざけた名"の妖怪だ」
「………」
にこにこにこ………にこにこ………にこ………に………
簡単なキッカケだった。
名前をバカにされたという、人生で一度や二度ありそうな出来事。
彼に悪口を放つ者など一人もいなかった。
故に馬鹿にされたことなど一度もなかった。
途端に笑みが消えた───
「妖怪風情が名を侮辱されて怒るのか。やはり、知性も理性も欠片もない、妖怪だな」
「………人間」
「なに?」
「私は人間ですよ。ミス ヨウム」
また笑顔を浮かべ始め、そう主張するサクラ。
気にするところはそこかと疑問に思うも、人間であるという言葉に疑心した。
「貴様のような人間がいるものか」
「何を言うのかね。頭、腕、脚、鼻、口、生殖器、全てが揃っている。人間の雄、そのものですよ」
「人に似た妖怪、とでも言えばいいのか」
「ふむ………君は少し喋り過ぎるね」
ドスンッ───階段を登り、近付いてゆく。
妖夢は少し驚いたような顔を作るも、決してその場から動かず待ち受ける。
間もなくして彼は階段を登りきる。
魂魄妖夢の遥か頭上にて、サクラは笑うが、妖夢の表情には常時、冷静沈着な澄んだ瞳を忍ばせていた。
「やはりそう…………貴様のような男はいつも、その無駄に発達した体躯を信じてやまず、不用意に間合いに踏み込んでしまう」
「クスクス…………まだ振るっていないじゃないですか。そのソードを」
「はぁ………お先にどうぞ」
ため息をつくと、そう言いながら剣を握る。
先手は譲ってやろう、しかしその直後、確実に斬る。
彼女の瞳にはその意志が、信念が宿り燃えていた。
サクラはこりこりと頭を掻き、彼女の耳元に手を近付ける。
親指と中指を、丁寧にくっつけながら…………
ベチィィィィィッッ
指パッチン、別名フィンガースナップ。
親指の付け根に勢いよく中指を打ち付けることで、薬指と小指の間に溜まっていた空気が一気に放出。
関節の音が鳴っているんじゃ、と勘違いしがちだが、事実は異なり、実際はただの拍手とほぼ同じ原理なのである。
空気を弾いて音を出す、それを拍手よりもコンパクトに行使しているというだけだ。
それを魂魄妖夢の耳元で行う。それ自体は大したことではない。
だが重大なのは、それを行う者がサクラであるということだ。
「ッヅア…………?!!」
チカチカチカと脳が弾ける感覚。
それはまさに地獄だった。
鼓膜を激しく揺らし、今にも突き破るかの如く、音の嵐が暴れ廻る。
サクラのフィンガースナップは嘗て、プロレスリング全域の観客の耳を塞がせた代物。
最早一種の兵器にまで成りおおせたその音の爆発を、無慈悲にも耳元で炸裂させた。
「ワァ~~~オ。未だ正気を保っていますね」
「勇敢な剣士です。しかし愚か者だ」
「…………おや、聞こえていませんか?少し待ちましょう」
「~~~~~~~~~~~~~~~ッッ」
無意識だった───溢れ出る涙、掠れた声、右耳を両手で塞ぐ愚行。
震える両脚、唇…………身体の異常を隠すため、愚かにも耐える。
油断したでは済まされない先手は、妖夢を空前の状態異常へ陥らせた。
「グッ………ッ………き、さまッッ!!!」
荒々しい、それでいて強烈な一閃。
剣を腰で抜き、腰で振るう。
結果編み出される斬撃は、形容するならそれは───宮本武蔵、そのものだった。
プシィッッ
サクラの正中線にかけて、なぞるように噴き出す血しぶき。
浅手とはいえ、サクラの表情を確かに驚かせた。
ピキッ、という音が聞こえた。
かけていた眼鏡が一刀両断され、地に落ちたのだ。
「ぬぅう…………おのれ………覚悟しろッ!ようか…………」
「い…………な……………………な、なん………!」
妖夢は目にしてしまった。いや、目にすることができなかった。
眼鏡によって隠されていた男の目、そこに在るはずの眼。
真っ暗な穴だったのだ。
奥に何も見えない、深淵のような穴。
つーーーっと、妖夢の頬を汗が流れる。
今の今まで、何も見えていなかったというのか、暗闇の中、階段を容易に登り、あまつさえ私の斬撃を浅手まで避けたというのか。
信じ難い現実、許し難い己の怠慢。
現実と想像が幾度となく頭の中を駆け巡り、軈ては彼女は剣を、慎重にそして素早く。
鞘へと戻していった。
「私の負けだ」
ぷるぷると拳を握り締め、そう告白する。
顔にも不満が現れながら、彼女は自然と敗北を宣言していた。
しかしサクラは、はて、と首を傾げる。
「負け、とは」
「………頭が冷えた…………いえ、冷えました」
「その身のこなし。その対応に、私の今までの所作言動を振り返り、比べました」
「愚か者でした。私の方が遥かに」
「補足すると、今のは勝負ではない」
「君が一方的に遊びたがった、そして私は付き合った。それだけのことです」
落ちた眼鏡を拾い上げ、微笑みながらこう言った。
「勝負とは、無事に済むものではありませんよ。ミス ヨウム」
「!…………肝に銘じましょう」
ふぅ、と軽く息を吐く妖夢は、ひとまず己の失態を洗い流さねばと口を開く。
「話も聞かず、無礼を働いたこと、お詫び申し上げます」
「どうか手当てのほどを…………」
寧ろこれくらいのことしか出来ない為、断られてしまえば、彼女はただの悪名な門番に成り果ててしまうだろう。
本当の自分を隠し、強い自分を演じてしまった。
すると、サクラはくつくつと肩を揺らした。
「それは素晴らしい。しかし二つ、お伝えします」
「私は人間です」
「………信じましょう」
「そして二つ…………君は私の名を侮辱した」
「!」
刹那、得体の知れない寒気が妖夢の全身を襲う。
その大きな要因となったのは、穏やかであった表情が今、無へと変わったからだ。
真っ暗な目で、確かに彼女を睨みつけていたからだ。
「くッ」
剣を握る、その時だった。
「しかし───遅すぎたッッ」
袈裟に斬り込まれん、妖夢の刀身。
───ハズだった、刃。
加速前に握られる刃は、妖夢の顔へ押し付けられ、共に目玉のないサクラの邪悪な笑みが現れた。
「そう、遅すぎたのです。貴方は」
「ひ…………!」
「……………………こ、こは……………」
気が付くと、そこは階段を登った先にある地面であった。
上体を起こし見回すと、あの男が何かを見つめながら呆然と立ち尽くしていた。
自分が一体何をされたのか、何が起きたのか、思い出せなかった。
しかし不思議なことに痛みはどこにもない、ただ気を失っていただけのようだ。
くんっ、と立ち上がり、あの男の元へ向かう。
「ヨウム」
「!………はい」
気配を消していたのに気付かれた。
盲目の人間はそれ以外の五感が鋭くなると聞いたことはあったが、このレベルは聞いたことがないと妖夢は唾を飲み下す。
「此処は桜が咲いているのだね」
「は、はい」
「なんて綺麗なんだろう…………これは、前世では拝めなかった………」
「そう、でしたか」
「…………あの、巨大な生命は?どうやら枯れてしまっているようですね」
サクラが指さすのは、周囲の木々とは比べ物にならないほどの、巨大な樹木であった。
何か強大な、強い気配が秘められているような気がした。
妖夢もその樹木に視線をやり、答える。
「あれは西行妖です」
「サイギョウ、アヤカシ」
「はい、私も詳しくは知りませんが、多くの人間の精気を吸った妖怪桜です。今は封印され、春になっても花が咲くことはありません」
「昔、あの西行妖に春を集め、花を咲かせようと目論みましたが、失敗に終わりました」
「それは残念ですね。恐らくは、私が見る最上級の美しさと言えましょうに」
「……先程から、貴方の理解の範疇には及ばない会話をしていると思うのですが」
「理解はしていませんよ。ただし、知りはしました」
「はぁ………変な人間ですね」
溜息をつくと、何故か嬉しそうに笑みを浮かべるサクラ。
悪い人ではなさそうだが、やはり正直、気色悪くはあった妖夢は、その姿に苦笑していた。
「取り敢えず、手当てするのでこちらへ」
「お気遣い感謝します。ヨウム」
灯篭と桜の木々が連なる長い一本道を、二人は歩き続ける。
サクラはその景色に恍惚としていた。
自分の顔に落ちる桜の花びらが、こんなにも愛おしいとは。
子供のように掌に花びらを集め、笑みを浮かべるサクラの姿はまさに子供で、先導していた妖夢は違和感を感じながらも、少し口角を上げていた。
「着きましたよ。此処は白玉楼。私の主が住まう屋敷です。と言っても、見えないので分かりませんか」
「ほぅ、慕う主がいるのですか。屋敷に関しては、確かに曖昧です」
「えぇ、多分、勝手に上がらせて大丈夫だと思うので、どうぞ」
「……君は優しいですね」
「!……手当てしたら、すぐ顕界へ戻しますからね。貴方が何故此処にいるのかも、後でお聞きしますから」
さっさと屋敷の中に入る彼女の顔は、少し赤らんで見えた。
指示通りついて行き、門を潜り、縁側を歩く。
サクラは彼女の背後を、もとい背中を見つめていた。
先程のちょっとした触れ合い、それは彼女の力量を図るのには十分過ぎた。
彼女は所謂、達人と呼ばれる域に達していよう。
剣さばきも、肉体も、どれも素晴らしい逸材。
しかし何とも、その心の甘さが露呈しているようにサクラは見えた。
ガラッと襖を開くと、そこは広間。
座布団を敷き、サクラを座らせると、此処で待っていて下さいと伝え、また何処かへ去って行った。
「…………歩みも良い、空気も良い、彼女はエクセレントだ」
「良い哭き声が出せそうな予感がする」
「………」
「……………私は一日に凡そ人間の20倍ものカロリーを摂取しなければなりません。でなければ肉体が弱り果ててしまう」
「貴方は私の何百倍なのでしょうね」
己の背後に忽然と立ち尽くす、何か。
何か、と云う表現はこれから幾度となく使用することになる。
それはサクラですらもが、未だ"見つけれない"相手だからだ。
それは、桜のような女性だった。
この冥界と呼ばれる世界を、全てこの人型の存在に集約したかのような、そんな存在感。
全てを飲み込み、喰らい尽くすかのような、暴食感。
なのにあまりに色気のない、透き通るかのような透明感。
サクラがその存在に気がついたのは、足音などの情報からでは無い。
恐らくは素人ですら見抜けるような、その空間の違和感だけだった。
「…………あらぁ、お客さんかしら?」
「恐いね」
「えぇ~?」
その女性らしき声は、何やら妖艶な笑みを浮かべているようだった。
そして彼もまた、初めての経験、出逢いに胸を踊らせていた。
「何も分からない。貴方の姿が」
「それは見ていないからではなくて?」
「見ているよ。最早直視さえしている。だが分からないのです」
「どんな肉体で、どんな顔で、どんな髪で、どんな姿か、何一つ分からないのですよ」
「貴方、生きていますか?」
徐ろに、サクラは振り返り、その女性の声の方へ体を向ける。
その女性は何やら鼻歌でも歌うような、優しい笑い声を発している。
何と恐い、何と恐ろしいことかと、サクラは畏怖していた。
最早、その顔から笑みが消えてしまっていた。
そう、眼前の女性はまるで、否、亡霊そのものだったのだ。
「あれ、幽々子様。此処にいたんですか」
襖から現れた妖夢は治療具を手に部屋へと入った。
そして妖夢は目にする、汗ひたたる、男の姿を。
「ヨウム。彼女が君の主かな」
「え、あ、はい。見ての通り楽観的な……あぁすみません、見えないんですもんね」
申し訳なさそうに笑いながら、妖夢は正座に腰を下ろす。
ガタガタと震え始めてしまっているサクラの方をちらりと見て、妖夢は何処か優越感にでも浸るような顔を作る。
「妖夢。このお方は?」
「先程、冥界に迷い込んだようで……侵入者と勘繰った私が少し暴挙に……」
「あぁ、だからこんなに血だらけなのね。あと、貴方服は?色々見え隠れしてしまってるけれど。クスクス」
「あ……えぇ、はい、何故か着ていないようです」
「ふふ、そうなの。あと、そう怖気なくていいのよ。何もする気はないから」
何もする気はない?
とんでもないッッ
サクラは心から怯えきっていた。
姿も見えない、何一つ情報が読み取れない。
姿分からぬ者など、生涯誰一人存在しなかったのだ。
その初体験、そしてこの、全身を覆う果てのない寒気。
己など、ものの一瞬で死に至らせてしまうと確信出来るようなこの雰囲気。
人間ではない。サクラは今、断言させた。
「………素晴らしい……うぅ………アリガトウ………」
「?……サクラ………さん?どうしたんですか?」
そして同時に、果てしなく嬉しかった。
自分を哭かす者など、生涯誰一人居ないだろうと考え、いや確信さえしていた。
たとえいたとしても、それはきっと長い闘いの果て、最高の幕締めの後に訪れるものだと思っていた。
ところがどうだろう、それがどうだろう。
赤子のように、簡単に捻り潰してくれよう、相手が存在していた。
サクラは嬉しがった、何とも嬉しがった。
だから姿が見たく、妖夢に問いかけた。
「ヨウム。彼女の名前は………」
「へ?あ、西行寺幽々子、様です。その、亡霊です」
「そう、西行寺幽々子。亡霊よ」
「サイギョウジ、ユユコ………うん、イイ名前です」
「ユユコ。貴方の体を、触らせてくれませんか?」
「ブッ」
妖夢は思わず吹き出し、何を言ってるんだこの人はと焦りを顕にさせる。
しかしその一方で西行寺幽々子と名乗る女性は、彼の存在しない瞳を見た時に既に理解していた。
私の姿が見たい、本当にただそれだけなのね、と。
「えぇ、いいわよ~」
「ゆ、幽々子様っ!!……くっ、やはりこの男、私が斬り伏せ」
さわっ───既に彼の手は幽々子の腕に触れていた。
あーーーッ!!と驚愕する、と思いきや、妖夢は彼が触れた途端、安心してしまった。
その触れ方、指先の指紋のみで、まるで空気越しになぞるかのように触れる姿は、痴漢などでは到底無いこと。
彼の瞳は存在せず、幽々子の姿を知りたがること。
その一瞬で理解してしまい、押し黙ってしまった。
「あぁ………すごい………ユユコ………触れる度に、君の体が割り出されてゆく」
「腕………なるほど………脚………なるほど………」
「腹部……うん、背筋………うん、うん………首、顔………髪……………嗚呼」
「ユユコ、次で貴方の姿が完璧に分かります」
「眼を………触らせてくれるかね」
「どうぞ~」
くんっと顔を近づける幽々子に、サクラは子供のように笑い、親指で彼女の目玉に触れる。
入念に、痛めぬよう、優しく、それでいて強く。
数十秒、触り続け、ようやく指を目玉から離す。
サクラは深く、深く溜息をつき、小さく笑みを作る。
「ユユコ。君は何と美しいのでしょう」
「あら、お世辞かしらぁ」
「いいえ。貴方は私が想う二番目に美しい女性です。いえ、外見だけでいえば、貴方は史上最も美しい女性と言えましょう」
「三番目はヨウムですね」
「え、あ、そうですか?………て、一番じゃないんですか。幽々子様は」
「えぇ、一番は私のママです」
「ママ………あ、へー、確かに……一番ですね、お母さんは」
苦笑いを余儀なくされる妖夢ではあるが、サクラは満足そうに口にする。
「母親に勝る女性は存在しません」
「!……その通りですね。って、忘れてた!手当てしますから、動かないでくださいね。畳に血がついちゃう………」
颯爽と治療に取り掛かろうとする妖夢を見もせず、サクラは幽々子を真っ直ぐに見つめていた。
今は全てが分かる、彼女の姿形が。
より恐ろしさが増し、より美しさが増し、より透明感が増した。
なんということだろう、私の生涯が触れもしない。
遠い世界の住人に、サクラは絶望にも似た感情を初めて抱いた。
「えー、と、貴方のお名前は?」
「サクラ。泣き虫サクラ」
「クライベイビー………それはあだ名か何か?」
「いえ、最早私の名です。名字と思ってくれれば結構」
「なるほどねぇ。分かったわ、サクラちゃん」
ふふふ、と優しく微笑む姿はまるで母親のそれだった。
なんという温もり、包容感、彼女は根っからの母親気質である。
ゆったりとした声色、ゆったりとした姿、サクラの目からはある意味心地よくさえあった。
「ユユコ」
「ん?」
「私は、生きた人間なのでしょうか」
「あら───貴方、半人半霊なのね」
「はっ!!?」
治療中の妖夢が飛び上がる。
「何を驚いているの?まさか気付いていなかったの?」
「え、いや、なら半霊は何処に……」
「別に半霊は必ず具現化する訳じゃないわよ。サクラちゃんの体の中に、ちゃんと半霊の部分が潜んでる」
「え、じゃ、じゃあ………サクラさんと私は、同種……?」
「そういうことになるわね~。どういう経緯かは分からないけど~」
妖夢は見上げ、その呆けた顔を見つめる。
この筋肉妖怪モドキが、私と同種………?
少し考えたくなかった為、半霊を一度抱きしめた。
「それが半霊、かね?」
「あ、はい…………一応私なので、変なことしないでくださいね」
「ふむ……ユユコ。私は人間だったハズですが、半人半霊とは?」
「う~ん、貴方の場合はちょっと特殊かもしれないわね」
「妖夢は先天性のものだけど……貴方は後天性ね」
「一度死に至り、何か強い想いが貴方を所謂、幽霊として形作り、中途半端なところで、何の因果か幻想郷に迷い込んじゃったみたいね」
「地縛霊のような、精霊のような、悪霊のような………なんだか不安定」
「でも大部分が人間だから、あんまり気にする必要ないと思うわよ」
「ほっほっ、何と愉快な。幻想的ですね」
あまりにファンタジー過ぎる理論に、サクラは笑うしかないといった模様。
しかし信じるしかあるまい、なぜなら彼は既に死んでしまっているのだから。
「はぁ~………何だか可笑しな出逢いをしてしまいました」
包帯を巻き終え、溜息をつく。
凄く面倒なことになりそうな予感がすると、この巨人を横目に思うが、考えてみれば同種と出会うのは初めてだった。
あまり邪険にするのは良くないかと、一度真剣に、彼と付き合って見ることにした。
「えぇっと、色々サクラさんも聞きたいことありますよね。えっと………サクラさんは何処からいらしたんですか?」
「………ママの所」
「ママのところ………って?」
「長い……話すと、長いですよ。ヨウム」
妖夢は視線を上や斜め下やらに泳がせ、軈て首を縦に振った。
彼を知るには、彼から聞くのが一番早い。
そして彼は話し出す、彼の生い立ち、その全てを。
「あれは………私が五歳程の頃…………」
「う、うぅっ……………うぅ~~~…………!!」
「おや、泣いていますね。ヨウム」
「うぅ、うるさいですよ!ただ………うぅ……!」
彼の語彙力は、詩人並だった。
彼の生きてきた頃の経験は、まるで絵にして漫画として掲載するように二人に伝えられた。
妖夢は決して堅くない、そして素は誰よりも心優しい。
彼の生きてきた思い出を、欠片残さず知り得た妖夢は、期せずして涙が零れ落ちていた。
「ママと会うには、私が行くしかなかった」
「命を落としても………逢いたかったんですね……っ」
「……羨ましいな。君は」
「えっ………?」
「泣けることは、素晴らしい。私には涙腺が無いからね」
「あ、あれ、でも、泣けたんですよね………?」
「そうです。あの日だけは、泣けたのです。科学的には証明出来ないとしても、私は泣いたのです」
「三日三晩、十日十晩、泣き続けた」
「排泄することは何事も気持ちいい………汗も、排尿も、射精も、哭くことも………最高に気持ちがいい」
「君はそれを常日頃経験出来ている。素晴らしいことです」
「…………はい、サクラさん」
妖夢はようやく、スッキリとした勇ましい笑みを魅せた。
その笑顔にサクラは目を丸くさせる。
今の状態ならば、きっと私は哭ける。
サクラは確信した。
やはりこの少女もまた恐ろしく強いと。
「壮絶な人生を歩んできたようだけど……その夢の話が気になるわね」
「大きな目玉のモンスター……うーん、心当たりしかないわね~」
「知っているのですか?ユユコ」
「えぇ、でも貴方、それを知ってどうするの?」
「殺したい」
「へっ?」
妖夢はピクっと肩を揺らし、困惑させる。
妖夢自身、そのモンスターには心覚えがあった。
そしてそれが一体どんな存在なのかも。
「やめておきなさい。殺されちゃうわよ~?」
いつもの調子でそう言う幽々子、サクラもまた変わらぬ調子で口を開く。
「何を持ってそのような?」
「う~ん、もしかしたら違うかもしれないけれど、八割がたはそうだと思うから、教えておくわね」
「何も出来ずに死ぬわ。望むべくは、彼女に気に入られること、ただそれだけ」
「それは出来ません」
「どうして?」
「私はねユユコ。聞いた通り、勝ちたいと思った事がなかった。寧ろ哭くこと、即ち敗北を望んでいた」
「───今は無い」
濃厚な、殺気。
どろりとした、ぬめりとした、色黒い殺気。
笑みが消えてそれが露呈してしまった。
妖夢と幽々子は彼にしか持たない独特な殺気に、震えを成した。
「最早逆です。哭きたくない。彼女には、泣きたくないのです」
「勝つのではない、殺すのです」
「それも乱暴に、荒々しく、欲望のままに」
「………………それは、夢物語ねぇ」
薄く笑みを広げ、尚も否定する。
それほどまでの怪物ということ、この巨漢を前にして尚、到底届き得ないと断言する水準。
恐らくは幽々子並みか、或いはそれ以上か。
「ではもし、その彼女に重大な理由があったとしたら?」
「全てが元通りになるのなら考慮します。全てがね」
「そう…………少なくとも、私は気に入ったわ、貴方のこと」
「だから色々、手伝ってあげるわ。協力するかは別として、ね」
「それはそれは、頼もしい」
西行寺幽々子のバック、なんと強力な武器なことか。
気まぐれなことは多いが、それほどサクラを魅力的に思えたのだろう。
「一つ、お二人にお願いします」
「何かしら?」
「私を顕界とやらに連れて行ってはくれませんか?見聞を広めたい」
「それくらいなら造作もないけど、今日は此処に留まりなさい」
「そんな恰好してたら、すぐ博麗の巫女に退治されちゃうわ」
「ミコ、ハクレイ………」
そういえば、ずっと裸だったことを忘れていた。
露出狂の趣味はないため、それもそうだと首を縦に振ったサクラであった。
「(夢の世界…………ねぇ………)」
話の節々に感じる違和感を感じながらも、幽々子はサクラにそそられていた。
こんな人間そうはいない、否、彼たった一人だけだろう。
是非欲しい、そして是非見たい、彼が何を"しでかすか"を。
それより、合う服あったかしら、と彼女は困りかけた。