「え、と……おはようございます。アイリーン先生……午前4時はおはようで良いんですかね……?」
「年寄りは朝が早いんだよ。それに、仕事柄ね……」
『狩人』の狩りは夜の闇の中で行われるものだ。
『獣』があふれかえる『獣狩りの夜』もまた一夜の狂乱だ。
だから普段から夜型なんだよ……
「ガキは寝ときな。私は書類でも読んでるよ」
「あ、はい……おやすみなさーい……くぅ、くぅ……」
ああ、まったく知りもしない文字が読めるってのは『慣れてるけど』気分が悪いね。
『狩人』としてヤーナムの血を受け入れたときから、こういう事は慣れっこだよ。
どれ、組織図に予算の流れでも見てみるかい。
こう見えて若い頃は警官だったんだよ。殺人犯を追って行ったら逃げ込んだ先が
「うん……? これは、ちょいとまずいねえ。あたしとした事が忘れてたよ……」
SRT特殊学園……これは
考えてみりゃあ、当たり前だよ。『管轄を超えた捜査機関』が最初の試みじゃあなきゃ、すでにやってる所があるはずだ。
あたしのせいで冷や飯食う連中がいるのは気分がよくないねえ。
どれ、夜が明けたらリンのお嬢ちゃんにでも聞くかね。ああ、ついでに挨拶回りもしなきゃいけないねえ……
ポッと出の新参者が挨拶も無しなんざ、ヤーナムでやったら闇討ちものさね。
「うーん……おはようございます! 今日は何をしましょう!」
「挨拶回りだよ、アロナのお嬢ちゃん」
「ええっ!? なんというか……少し、意外ですね……イメージと違うというか……」
「殺しで食うからには礼儀と矜持が必要なのさ。覚えておきな」
「はっ、はい……!」
やれやれ、電車とやらも不便だねえ。とりあえず、手土産もいくつか『懐』に入れたけどさ。
まったくこれを買うのにもいくつか騒動があったよ。菓子折一つ買うのでも一筋縄じゃいかない街だねえ。
まあ、おかげで治安の具合もわかったし、いくつか縁もできた。
さあ、仕事の時間だよ。
「あら、おはようございます。アイリーン先生……ですよね? こんな朝早くから一体どちらへ……?」
『タワー』とやらにアロナちゃんの案内でなんとか電車と歩きで行くと、リンのお嬢ちゃんとすれ違った。
リンがいぶかしんでいるのは今日は羽毛のマントと帽子を着けてないからだね……あんなもの昼間からつけれられるかい。
あれは夜闇に潜むための物だ。
ただ……街じゃあ、天使の輪っかをつけた学生さん以外は獣人やらアタシのような仮面をつけたやつらしかいなかったからね……
素顔を晒してるババアなんていなかったのさ。
だから、今のアタシは官憲の服にペストマスク姿だ。白髪もでてるけどね。
「挨拶回りだよ。とりあえずまずは財務と次に防衛、あとは調停に人材にも今日中にいきたいもんだね。とはいえ、忙しいだろう? 朝礼が終わるまで待つつもりだったのさ」
「それは立派な心がけですね……さすがは大人、と言ったところでしょうか」
「ああそれとね、今は忙しいだろうから後で良い。SRT特殊学園は今どうなっているんだい? うちの捜査部ができてお払い箱、なんてのは困るよ」
「ああ……そうですね、その件なのですが……少し難しい事になっています。丁度良かったです。10時に来ていただければお話ししましょう」
「そうかい、すまないねえ。じゃあ、これでも持っていきな」
あたしは『懐』から『高級なクッキーセット』を出してリンに渡しておいた。
「これは……しかし」
「これは同僚に、餞別だよ。いいからとっておきな。いらなきゃ部下にでも渡しときゃいいさ……じゃ、いってきな。そろそろ朝礼だろう。ババアの長話につきあわせて悪かったね」
「い、いえ……ああ、そうでした。調停室に行くならアユムに話を通しておきます。今は私の秘書的な役割もしてくれているので……」
「そうかい。頼りになるね」
「はい、ではまた」
秘書、ね……先に話を通しておくかい。
小綺麗すぎるオフィスを歩いて、調停室に行くと書類と段ボールの山の中で仕事をしている長い金髪の娘がいた。
「邪魔するよ。捜査部のアイリーンさね」
「しゃ、シャーレの先生ですか!? お会いできて光栄です。調停室のアユムと申します。今は行政官のリン先輩の秘書のような役割を……」
「ああ、そのリンから紹介されてね。挨拶回りをしたいんだよ。とりあえず今日中に財務と防衛に行くつもりだからアポをとってくれるかい?」
「はっ、はい! あのそれからこの辺りの荷物はシャーレ宛てらしくて……こちらの件、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「受け取りサインだね。お安いご用さね。どれどれ……クレジットに技術ノート、戦術教育BD?」
「えっと、はい。クレジットはキヴォトスの通貨でして……こっちが初期運転資金、これが臨時で日払いにした初日のお給料……」
「ああ。金かい。ならこっちは教科書ってところかい?」
「はい、何しろ先生ですから!」
技術ノートとやらをぱらぱら捲ってみるが、普通の教科書に混じって戦闘訓練もある。
どうなってるんだいこの街は。ずいぶん偏った教育をしてるねえ……まあ、自衛の力はどうしても必要だろうからね……
「なるほどね、生徒会から捜査部への支給品ってワケかい」
「ええ、そういう性格の物だと思います。あとこっちはなぜか「外」からのものらしくて……ヤーナム……? って読むんですかね。送り人の名前の所は、ハンターさん……でしょうか?」
あいつだろうね……お節介なもんだ。
「ああ、それは多分地元のお節介な後輩だよ」
「そうなんですか! よかった、良くわからない物ばかりでして……ええっと、『人形』『使者の水盆』『古い上位者の死血』『上位者の叡智』『匂い立つ血の酒』……?」
あのバカ、ヤーナムのとびっきりヤバいものばかりおくってくれたね。
たしかに獣狩りの夜では通貨の代わりになるものだったり、絶対に必要な物ばかりさね……
「あのバカ……それはもうとどいてるのかい?」
「はい、この小さな木箱がそうらしいです。人形と使者の水盆はシャーレのオフィスに直でとどくみたいですけど……?」
アユムは目覚まし時計ほどの大きさの木箱を渡してくる。あたしの目にはそれは金色の炎が立ち上っているように見える。
アユムにはただの木箱に見えてるみたいだけどね。
まあ……『懐』といい、これが狩人が持ち歩けないほど沢山の荷物を持てる『神秘』の一つ『狩人の業』さね……
触れれば、それらのアイテムがあたしの『懐』に入ったのがわかる。さて、抜け殻になったこれには何が入ってるかね。
「どれ、ちょっと開けてみるかねえ」
狩人の目で異変がないということはヤバい物じゃないはずだよ。
「手紙と、瓶? でしょうか」
「ああ、こりゃ酒だねえ。ヤーナムで最後に作られたまともな酒だよ」
『ヤーナム最後の酒』
ごく小さめの、胸ポケットに入るほどの瓶。
琥珀色のそれはウイスキーだ。
まともな酒はヤーナムから絶えて久しい。
「これがお酒ですか……初めて見ます」
「なんだい、あんた酒を見たことないのかい。禁酒法でもあるのかい?」
「実質そんなモノですね。学園都市ですから……そのお酒も隠しておいたほうがいいですよ」
「ああ、なるほどねえ。助かったよ。確かに学生さんには御法度だねえ」
手紙も短いもんだった。まあ、狩人同士の手紙ってのはそういうものさね……
『すべて狩人狩りのおかげだった。だから、お礼を忘れるな』
『おお、俺はやった! だから、お礼』
『青い記録に至れ。卒業を全うするために』
『世に平穏のあらんことを。』
『だからこそ、頼む。遺志を継いでくれ』
励ましと、世話になった礼、あとは目標の提示ってところかね……
どうせあれなんだろう? 死に戻りしなきゃいけなくなるんだろう?
今回の目標は学生の卒業かい……誰の、から探らなきゃいけないんだろうねえ……
とりあえず平和にすりゃあいいんだろうね。無茶を言ってくれるよ……
「その、うれしそうですね。アイリーン先生」
「ああ、世話になった礼だとさ。律儀な後輩だよ」
「そうですか……さすがです!」
「褒めても何もでや……ああ、そういえばあったねえ。これを受け取っておきな」
あたしは『栄養満載の総合ビタミンゼリー』とそのへんで買った適当な菓子を机に置いておく。
このゼリーもそうだけど、駄菓子とやらは便利だねえ……ついあげたくなっちまうよ。
「えっと……ありがとうございます! これが大人の気遣い……!」
「大したモンじゃないさ。まあ、よろしくしておくれ」
「は、はい!」
まあそれからちょいと雑談して、アユムがさっとアポを取ってくれたんで財務に挨拶に行った。
まあ……小役人な娘だったねえ。根は善良そうだけどあれは面倒だよ。
さて、ここからだ。防衛室ね……さあどんな娘が出てくることか。
◇
「邪魔するよ、捜査部のアイリーンだ」
通された室長室とやらで窓を向いてコーヒーを飲んでいた影がこちらを向く。
糸目に桃色髪のちんちくりんの娘。これが不知火カヤってわけかい。
「ああ、お待ちしておりました。初めまして……ですね。先生。防衛室のカヤと申します」
「よろしくお願いするよ、先輩。これはあたしから、挨拶だよ」
『懐』から『栄養満載の総合ビタミンゼリー』と『高級なクッキーセット』を出して机に置いておく。
その時、すぐ横にお互いが立つ形になる。
ふうん……どうも頼りないねえ。根回しだの外交だのの方が向いてそうだよ。
あたしの脳の奥の瞳、『啓蒙』が囁く。これも知り得ない事を知る『狩人の業』のひとつさね。
「おや、これはこれは……コーヒーに合いそうですね。ありがとうございます」
「そうかい、喜んでくれたらうれしいね」
それからお互い探りながら少しの雑談をして……
「そういえば、防衛室にちょっとした相談が2つあってねえ。少し聞いても良いかい? SRTのことさ」
「ああ、その件ですか……どこまでご存じですか?」
「たいしたことは知らないさね。ただね、ウチと権限が被るだろう? あたしとしてはその子達を冷や飯食らいにするつもりはないのさ」
カヤは糸目をわずかに開けてコーヒーを飲み、カップを机に置く。
「そうですね……SRTは今、そういった権限の重複よりも連邦生徒会長の失踪により命令権を持つ者が不在である事が問題視されています」
「宙ぶらりんになっちまったってわけかい……」
「はい、そして強力な武力を持つ部隊を遊ばせているわけにもいきませんし……我々も今どうしたものかと検討してはいますが……おそらくはヴァルキューレ警察学校と併合……のような形になるかと」
「ふぅん……その命令権とやらはリンのお嬢ちゃんじゃダメなのかい? たしか代行だろう?」
「それは私からはなんとも……法律上の解釈からいえば先生、あなたのほうが優位の継承権がありますし」
どうもきなくさいねえ……嘘の臭いだ。政治の臭いがするよ。
ああ、警官だったころも、ヤーナムの闇でもよくかいだ臭いさね。
「なら素人考えになるけどね、あたしとリン、双方の承認で……とかそういう風にはいかないもんかね。まあ、難しいだろうねえ」
「ええ、何しろそれ以上に連邦生徒会長失踪による混乱の鎮圧で手一杯でして。SRTの身の振り方は後回しになるでしょう」
「……そうかい。これも素人考えだけどね。警察と軍は違う。SRTは軍に近いね? ……軍権をみすみす手放す組織に後はないよ。金食い虫だろうが、とりあえず存続させとくのを老婆心ながら勧めるよ。忙しいならとくにね。慌てて決めることもないじゃないか」
「……ご忠告ありがとうございます」
なんともじとっとした目をするねえ……ヤーナムでたまに見るね。そのへんの主婦とかがするよ。
まあ、こういう目のヤツは長くないけどねえ。
「おっと、すまないね。説教するつもりはなかったんだ……今はね。暇なババアが居座ってもよくないさね……ここらでおいとましとくよ」
「そうですか、有意義な歓談でした。またそのうちお会いしましょう」
「ああ……それと最後にもう一つ」
「はあ。なんでしょうか」
「警察と言えば横流しや賄賂がつきもんだ。あたしも小遣い稼ぎをいちいち責めはしないよ。でもね、売る相手は犯罪者ってことをよく考えな。警官が犯罪者に脅されるなんざ、よくある話さ……そして、笑えない話さ。そうだろう?」
「いえ、それは……」
「……と、そう言うヤツを見かけたらこのアイリーンが言っていたと伝えておくれ」
「あ、はい……」
ありゃあ、クロだね。まあ、この状況であの立場でやってないはずがないとは思ったけれど。
それにしてもカマかけてみたら大分顔色が悪いじゃないかい。
……引き返せなくなる前になんとかしてやりたいねえ。
小娘が汚職なんざやるもんじゃあない。もう少しガキらしく遊んでりゃあいいんだよまったく……
◇
その後、リンからも話を聞いたけどね。似たようなもんだった。
とりあえず、指揮権だの命令権だのはリンがもっといて、責任や承認はあたしが引き受けるのはどうだと言ってはおいたけどね……
あとみすみす軍を手放すなんざ、滅びへの直通切符だよとも口酸っぱくして言っておいた。
とはいえ、あの年頃は難しいからねえ……どうなることやら……