ヤーナムから来たアイリーン先生   作:照喜名 是空

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グラウンドゼロ

 サオリとアツコはカタコンベから出て一歩目にその壮麗な装飾に圧倒された。

 全てが白い絨毯と布で覆われ、みずみずしい花で飾られている。

 いつの間にか高そうな調度品まで。

 

「サッちゃん」

「姫……つらいだろうが、ミメシスを発動しさえすればすぐに帰れる。行こう」

「……うん」

 

 静かだ。とても……おそらく防音処理がされている。そんな所にさえ金をかけられるのだと見せつけるように。

 古聖堂へと続くドアはとても大きく、ほんの数日前までなかったとすら思えない。

 意を決して扉を開けようとしたら中からスッと勝手に開いた。

 

称えよ、天の女王を(Hail holy Queen enthroned above) Oh,Maria』

 

 玄関ホールに入った目の前でシスターフッドのシスターたちが厳かに歌い始めた。

 

称えよ、慈悲と慈愛の母を(Hail Mother of Mercy and of love) Oh,Maria』

 

 その歌声は古聖堂の空気をびりびりと震動させ、サオリたちの脳天をゆらす。

 

すべての智天使に勝利あれ。(Triumph all ye cherubim)熾天使たちよ共に歌え(Sing with us ye seraphim)

 

 その圧倒的大音響と迫力、そして美そのものを音で表現すればこうなるだろう、というかのようなあまりにも美しい音色……

 

天と地に賛歌よ響け(Heaven and earth resound the hymn)

 

 言葉は分からずとも、解らされてしまう。これこそが救いという物を表現した歌なのだと。

 

救いよ(Salve) 救いよ、(salve)女王よ救い給え(Salve Regina)

 

 歌声は古聖堂を覆い尽くし、事前に考えていた作戦を脳から吹きとばさんばかりだ。

 思わず、涙が出そうになった瞬間―

 思いっきりアップテンポになった。ピアノがノリノリのリズムを奏で出す。

 

我らの命と喜びはこの地上にあり(Our life, our sweetness here below) Oh,Maria』

 

 なんだ、なんなんだこれは。サオリの脳は混乱し、アツコは素直にきれいだと思っていた。

 

苦悩と悲嘆の中で我らの希望(Our hope in sorrow and in woe) Oh,Maria』

 

 その上地上階の左右にいる正義実現委員会の連中までスウィングしだして歌い出す。

 

すべての智天使に勝利あれ。(Triumph all ye cherubim)熾天使たちよ共に歌え(Sing with us ye seraphim)

 

 そこからはもう混沌だ。

 指揮者が振り向いたと思ったら百合園セイアだった。

 

cherubim(ケルビム)~!』

 

 目元は白いレースで見えないが口元だけでものすごく楽しそうに煽っていると解る顔でコーラスを入れている。

 サオリとアツコ、そしてスクワッドではないが精鋭といえるわずか数名の手勢たちの真ん前で踊りながら一人一人に顔を近づけてコーラスしていく。

 

seraphim(セラフィム)~!』

天と地に賛歌よ響け(Heaven and earth resound the hymn)

 

 歌はものすごくいいのに目の前で煽り散らかしながらすごく良い声でコーラスを入れてくるセイアが気にかかってしょうがない。

 

『Oh! Oh,Oh~!!』

救いよ(Salve) 救いよ、(salve)女王よ救い給え(Salve Regina)

 

 さらにここでミカに守られながらナギサまで前に出てくる。もう殴ってみろといわんばかりだ。

 サオリはなまじ戦術的価値観をもっているためにもうわけがわからない。ここでやってしまっていいのか? いやミメシスが……と考えるが頭がまとまらない。

 

『ハ~レ~ル~ヤ~!!』

 

 どういうわけかセイアを失明させてメンタルがぼろぼろのハズのミカまで良く通る声でパワフルに踊り始める。

 

愛すべき無垢なる母よ(Mater amata intemerata)

 

 セイアがノリノリで目配せをすれば。

 

聖なるかな、聖なるかな主よ(Sanctus sanctus dominus)

 

 ミカがはじけるような笑顔で返し。

 

乙女よ、母よ見守りたまえ(Virgo respice, mater respice)

 

 締めの聖句をナギサがしとやかに朗々と歌い。

 

聖なるかな、聖なるかな主よ(Sanctus sanctus dominus)

 

 またミカが返す。

 こんなのがもう一回繰り返しで歌われた。

 大音響と頭に響く美しい歌声。それが歌が終わると一瞬で静まりかえる。

 恐るべき統制だ。おまけに誰一人息切れしていない。

 

「はじめまして、アリウスの生徒会のお二方。ティーパーティーのホスト、桐籐ナギサと申します。お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 見事な一礼だった。

 だからこそ、こちらは憮然と返すしかない。今頭をさげるわけにはいかないのだ。

 

「アリウス分校の錠前サオリだ。こちらはアリウス生徒会庶務の秤アツコ。短い間だが、招待を受けよう」

 

 昨日、大急ぎで書類だけ受領したなんちゃって生徒会だ。ミメシスの関係もあり、どうにも生徒会でないと縛りが弱そう、というわけだ。

 アツコは手話で『よろしく』と伝える。

 

「アツコはよろしく、と。こちらにも少々事情がある。理解してくれ」

「ええ、そちらは『何かと』大変でしたでしょうからね。こちらもつい張り切って歓迎の歌をサプライズで披露させていただきました」

 

 さっそく内戦を擦ってくる。トリニティらしい。

 だが舌戦には分が悪い……どうしたものかと思うと通信機が鳴った。

 

「はい、マダム」

『サオリ、なぜ早く出ないのですか。通信を繋げなさい』

「はっ、申し訳ありません」

『よくもこんな……わたしによくもこんなものを聞かせてくれましたね……あのババア……!』

 

 ベアトリーチェからの通信をホログラムにして見せる。

 切り替える前に一瞬聞こえたマダムの怨嗟を聞かなかったことにして。

 

『どうも、初めまして。アリウス分校で生徒会長を務めておりますベアトリーチェです。歓迎の歌がこれですか。実に子供じみた歌ですね。それとも、あなたの差し金ですか? アイリーン先生』

 

 二階席にいる仮面の老婆を見る。とても老婆とは思えない。背筋が伸びきっている。只者じゃない。

 

「さあね、あたしは少しアドバイスしただけさね。初めてになるねベアトリーチェ生徒会長。何の因果か先生をやらせてもらってるアイリーンだ。あんたの噂はよく聞いてるよ。いい年して生徒だか大人だかわからない妙な小娘だってね」

『ほう、そうですか。私もあなたの噂は良く聞きますよ。連邦生徒会長に取り入って地位を簒奪した老醜が居ると』

 

 初手からボルテージは上がりきっている。だが、ここですべてをご破算にするわけにいかないのはベアトリーチェのほうだった。

 

「へえ、そうかい。ああそれから……お仲間に聞いたんだけどね、あんた、崇高……要は神様になりたいんだろ? なってどうするんだいそんなもの」

「何を聞くかと思えばそんなことですか……決まってます。全てを救うのです。それこそが大人の義務です」

 

 今度はあきらかにアイリーンの方がキレた。空気が冷え込み、重々しく感じる。

 静まりかえった古聖堂にアイリーンの底冷えする笑い声が響く。

 

「クククククッ……フフフフフッ……」

『なにがおかしいのですか……!』

 

 共に静かだが怒りに満ちた声だ。

 

「ククク……あんた、やっぱりあいつらの仲間だねえ。ヤーナムのバカ共にそっくりだよ。『神様になって全てを救う』? そのために築き上げた死体の山はどうせ必要な犠牲だったとか言うんだろう?」

『違いますか?些細な犠牲です』

 

 アイリーンは今度こそ呵々大笑した。

 

「ハーッハハハハ!何を言うのかと思えば……あたしはあんたと全く同じ事を言って同じようなことをした連中を大勢知ってるよ。こういうのをなんて言うか知ってるかい?」

『さあ?』

 

 椅子から顔をのりだして思い切り侮蔑した声でささやく。

 

「馬鹿の一つ覚えだよ。……これが笑わずにいられるかい……クックック」

 

 ベアトリーチェは怒りの余りぎりりと手を握りしめる。

 

「全員みじめに何も成せず、血溜まりの中でゴミのように死んだ……あんたもそうなる」

『ならばあなたは違うとでも?何かを成せると?』

「少なくとも『神様になって全部救いたいです』なんて夢物語はそれこそ小娘の頃に捨てたね。あたしに言わせればそんな夢を抱えてるうちは子供だ。あんた、やっぱり生徒だったんだねえ。大人ならそんなバカな夢は忘れて自分のやれることをするもんだ」

 

 これはベアトリーチェには見過ごせない侮辱であった。

 

『ならば! あなたはこの世界の有様をどうして肯定できるというのです!』

 

 まるで、悲鳴のような叫びだった。本心なのだろう。

 

「……肯定してないよ。良いとは思わないけど、いきなり神様になれるなんて思いあがっちゃいない。覚えておきな小娘。世の中変えられないことはある。それは変えちゃいけないことなのさ。だから大人は手の届く範囲からなんとかしていくんだよ」

 

 空気が一転して冷え込んだ。互いにこいつはもう殺すしかないと悟ったのだ。

 

『それではいつまで経っても何も変わりません。やはりあなたこそ何も成せずもうすぐ死ぬ凡俗です、ふさわしくない地位にいるようですね。』

「じゃあ凡俗じゃない聖人とやらをここにつれてきな。まさかあんたがその器だと思っていないだろうね?」

 

 セイアがクスクスと笑い、ミカがバカみたいじゃんね、とため息をつき、ナギサが微笑んだ。

 ベアトリーチェは元々赤い体をますます赤くしてきびすを返した。

 

『もう結構です。よくわかりました……あなたは私の敵にすらなりえません。ただの障害です。打ち倒されるべき障害です』

「奇遇だね。アリウスの子らはともかく、あんたは必ず殺さなきゃいけない獣だと思ってた所だ。失せな。獣にかける言葉はないよ」

『言われずとも……ああ、そうでした。サオリが途中で出会った白いタキシードの生徒から何か手紙を受け取ったようです。どうぞ、もう手遅れでしょうが』

 

 これは作戦の中にあった。サオリは頭を切り換えて素早く行動に移した。

 手紙が目の前に居るミカにわたる。

 その瞬間、かなり遠くで爆発音がした。

 

『そういえば、その生徒はこう言っていましたね。慈愛の怪盗と。おやおや、せっかくの晴れの日に残念なことです。せいぜい頑張って下さい』

 

 ベアトリーチェは言うだけ言って、通信を切った。

 どよめきが、周囲を支配した。

 アイリーンは心底くだらないと言う様子で舌打ちとため息を吐いた。

 

 

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