次にトワが目を開いた時、最初に飛び込んできたのは知らない天幕の白だった。次いでマナナとセナ、ユーニとミオの顔。
「トワさん! 気がつきましたも! 良かったデスも〜!!」
「マナナ、おっきな声出すとトワちゃんびっくりするから……!」
「手足の痺れは!? アタシ達のこと分かるか!?」
「ユーニも落ち着いて……。ここはラムダの救護室だよ。滝の裏にあってね、そこを貸してもらってるの。
貴方が倒れたってマナナが泣いて走ってきて、私達もびっくりしたよ。まだ身体は辛い?」
トワは体を起こそうとしたがミオが止める。しかし体の不調は何もないのだ。いつの間にか耳鳴りも頭痛も、麻痺弾による痺れも全て消え去っている。大丈夫と告げ、上半身を起こして視線を左右に動かした。
「メ……、ヨランって人は?」
メビウスと言いかけて慌てて修正する。ユーニ達にとっては共に訓練兵時代を過ごした大切な仲間だったのだ。
ヨランを倒してしまったのか。ここに見当たらないノアたちは無事なのか。ラムダの兵士たちはどうしているのか。泥となり崩れてしまったイスルギはなんだったのか。疑問は沢山ある。
「ヨランは……戦って少ししたら、どっかに消えちまったよ」
ユーニが苦々しげな表情と共に地面に視線を落とした。ヨラン自身の口からはっきりと、自分はメビウスになったと宣言されたのだという。
ヨランに関してはこれ以上聞いても、彼女に辛い思いをさせるだけだ。
ノア達はラムダの兵士の無事を確認しにいっている。
どうやら坑道に現れた兵士やイスルギも含めてヨランが作り出した泥人形だったらしい。人の感情を泥人形へと移し変える能力が、ヨランのメビウスとしての力なのだとか。人形には理性がないから思いの丈をぶち撒けてしまう。悲しいことにイスルギの泥人形が叫んでいた内容は、紛れもなく彼が実際に思い悩んでいた感情でもあった。
泥人形を作られた者たちは滝の裏で倒れており、確認したところ眠っているだけだ。彼らの命は一人たりとも失われていないし、ノア達も誰の命も奪っていない。
ラムダの鉄巨神が最後の足掻きと言わんばかりに放ったレーザー砲が兵士を撃ち抜いた時、赤い粒子が全く昇らなかった理由がこれだ。本当の肉体ではなかったことにトワは一人胸を撫で下ろした。
一通りの疑問が解けて訪れた沈黙が気まずかった。ここに来るまでは会話がなくても特段気にもならなかったのに、今は人の声がない空間が耳に痛い。
そこへ慌てたタイオンたちが走ってやってきた。軍務長室で倒れていたイスルギが運び込まれてくる。ランツが背負っていたのをタイオンとノアでゆっくりと寝台へと横にさせる。
程なくしてイスルギが目を覚ました。タイオン、そして見知らぬ者たちの顔ぶれを見て僅かばかり驚いた様子を見せた。
イスルギは何も覚えていなかった。ラムダで起きた一部始終を伝えたが、彼が最後に見たのは執政官としてのヨランだけで、泥人形が作られたことも自身の感情をそれに移されたことも何も覚えていない。
「私は何か言っていなかったか。お前たちに、何か酷い事を……」
「いいえ。いつもの軍務長でした。紛れもなく僕らの誇りの、イスルギ軍務長でした」
タイオンが間髪入れずに答えた。迷いなく、真っ直ぐに。
「……そうか。すまなかった」
トワは気づいた。イスルギはタイオンの答えで全てを理解してしまった。零した謝罪と伏せた目が全てを物語っている。
己の内にあるナミを失った事への感情がタイオンを傷つけたのだと、聡い彼は痛いくらいに分かっていた。
だが同時に、今のイスルギは決してタイオンを憎んでいない事も伝わった。ナミを失ってしまい底の無い悲しみに苦しみ、その責任を他の誰かに押し付けたくなる時もあった。それでも彼はその辛い過去と憎しみの感情を乗り越えたのだと。
今回はヨランの能力で彼の脆く柔らかい部分を強引に引き摺り出されてしまっただけだ。悲しみが深く、完全には立ち直りきれていなかったところをつけ込まれてしまった。大切な人を失った悲しみなど簡単に消えるものではない。何年経とうと残っていたっておかしくはないし、誰かに責められるものでもない。
タイオンはもしかしたら、イスルギが未だに自分を許していないと感じているかもしれない。作戦の立案から遂行まで関わり責任感が強い彼は、泥人形に言われた事を全てそのまま受け止めて過ぎているかもしれない。イスルギの今の言葉で、本当の気持ちがタイオンへと届いていると良いと願う。師が聡いように、きっと彼もそうであるはずだ。
イスルギが懐中時計を取り出した。一度ナミからタイオンに託されたが自分には重たすぎると、タイオン自らが手放しイスルギに預けた物だった。
「重すぎるとしてもお前に持っていてほしい。これはナミがお前に託した物だ」
静かな笑顔でイスルギはそう告げた。そこから悲しみや憎しみの類の感情は読み取れなかった。ラムダに流れ込む滝の水のように透き通って見える笑顔だった。
きっと彼の中で一つ整理がついたのだろう。
今の懐中時計にはナミの想いが、そしてイスルギの想いが乗っている。それをタイオンに預ける。
「カデンシアの辺境、ファーレン巌窟道を抜けた先にサフロージュの木が咲き乱れる地がある。もしもお前がそこに寄ることがあれば、そこへ埋めてやってほしい」
ナミはかつてそこへ還りたいと願っていた。決してラムダにいる事が苦であった訳ではない。きっと兵士達が成人の儀を目指すように、彼女は命が終わる時にそこにいたかったのだろう。
「……
タイオンが目を見開くが、イスルギはそのまま続けた。
「私は何も覚えていないが……、お前達が火時計を破壊してきたのは両国に反逆したからではないのだろう?」
戦略士と呼ばれる彼は僅かな情報から、確かに物事を見極められる実力を持つ。執政官からはウロボロスを反逆者だと伝えられたが、タイオン達がここにいて穏やかに会話をしている事実は執政官の情報とどうも直接結びつかない。
火時計を破壊された結果、今後コロニーがどうなるかが分からない不安は確かにある。それでも。
「私はお前達を信じよう。火時計の破壊とキャッスルからの解放を吉報だと捉えられるように、前を向きたいと思う。……タイオン」
「……はい」
「お前の優しさで勝利に導く姿を、優しさが勝利することを証明してくれ」
イスルギ自身にも、ナミにもそれを見せてほしい。
「それじゃ、いいかな」
タイオンとイスルギのやり取りが終わったのを確認したノアが踏み出した。ミオも隣で頷く。
二人は泥人形たちをおくるのだという。彼らなりのケジメだ。結果的に誰の命も奪っていないが、戦う事を選択し武器を向けたのだからやるべきことだと二人は判断した。
イスルギにも見届けてほしいと、彼も一緒に連れ出す。外にはラムダの兵士も集まっていた。皆、二人のおくりを見届けようとしている。
二人の笛の旋律に白い粒子が応じ、ゆっくりと空へと昇っていく。そこにあるのは泥の塊でしかないのに。
「あれ、不思議だよな」
タイオンの左隣に来たユーニがおくるという行為に一つの疑問を投げかけた。一体おくりはいつ頃から始まったのか、と。
「この世界を維持するシステムとして必要だから始まったんだろう。僕はいつから始まったのかまでは知らないが」
難しく聞こえるが、内容は至って単純だ。
死んでいった仲間達がどこかで自分たちを見ていてくれる安心感に繋がるからではないだろうか。罪悪感や喪失感の緩和の為だとタイオンは考えている。
おくりそのものは別に意識しなくともいい。そこにただ"在る"だけでいい。意識したらそれはそれで成立し、機能するように出来ている。
「僕たちの命は女王から産まれ、女王へと還ると言われている。……
「アタシ達も同じ」
「だろう。しかしそれは成人の儀を迎えられた者だけだ」
戦場で死んでしまうほとんどの命はどうなる? どこへ行く? そんなの誰も分からない。その不安を"おくり"が和らげてくれる。
「現にトワは成人した者以外も、君の考える魂の辿り着く場所に行けるようにと祈って演奏しているんだろう」
タイオンがユーニの左にいるトワに視線を移した。
「うん。……って、あれ? ボク、タイオンにそれ話したっけ?」
「この間ミオから聞いたんだ。実際はどこへ行くかなど誰も分からないが、もしそうであるならば確かに残された者も多少は救われるだろう」
つまりタイオンの考えるおくりの儀式とは「生きる人の為」の行為だ。
以前にノアはおくりびとを死んだ人の声を届ける者だと言っていた。逆にタイオンはおくりを生きる人の為の行為だと考えている。
トワは一つ気がつく。おくるものは死んだ人の想いに限る必要などないのでは。生きている者の想いをおくることだって出来るのではないだろうか。
「あの……イスルギさん」
タイオンの右でノアとミオのおくりを見ていたイスルギに声をかける。
「ボクにも、おくりをさせてくれませんか」
「……だが、泥人形たちへのおくりはもう彼らが今」
「違います。コロニーラムダのみんなの想い、貴方の乗り越えた想いをおくらせてください」
イスルギも、共に聞いていたタイオンとユーニも首を傾げる。命を落としていないのに何の想いをおくるのか。
「タイオン、ボクね、みんなが戦ってる時に君の記憶を見たんだ。ボクもよく分からないしわざとじゃないんだけど、勝手に見ちゃってごめんね」
タイオンがコロニーラムダにいた頃のこと。イスルギ、そしてナミとの間に起こったこと。二人の反応からしてやはりそれは事実であり、トワはあれが自分の幻覚や妄想の類ではないと確信する。
「ナミさんを喪った悲しみをおくるんです。悲しみそのものを忘れる必要はないけれど、先へ進むのにそれが枷になってずっと縛られてたら苦しいから。
それに他のコロニーラムダの兵士達にも、そういった気持ちって絶対にあると思います。だからみんなの悲しみをおくれたらな、って」
どんな人も抱えている過去の悲しみや後悔はある。それを整理して切り離して、空へとおくる。おくりの旋律が人の想いに反応するのなら、人の生死は問わなくたって良いはずだ。
「あ、ケヴェスのおくりびとにやられるのが嫌だって人もいるかもしれないし聞きたい人だけでいいので……! もし誰もいないならボクは別にやらなくても大丈夫ですから! ボクの勝手な我儘なので!」
慌てながら両手を横に必死に振るトワを見て、イスルギが小さく笑った。
「いや、是非聞かせてもらいたい。皆にも連絡を入れておこう。そうだな、二十分後に蒼水の岩棚で演奏をお願いできるだろうか」
「……はい! ありがとうございます!」