泥人形のおくりを終えたノアとミオにも、トワが生きてる者へのおくりをする話を伝える。二人とも最初は不思議そうな顔をしていたが、おくりびとである彼らはトワのしたいことをすぐに理解して喜んで受け入れてくれた。
イスルギが指定した時間まで運指や音の確認をする。
大丈夫だ、成人の儀の時と何も変わらない。笛の音色も普段通りだ。
「いつもの旋律にするの?」
ミオが声をかけてきた。トワは笛を軽く握り首を横に振る。
「ううん、新しいの。サフロージュの木から考えた旋律」
レーベ高原のサフロージュの木を見てからずっと考えていたものだ。ここまでの道のりとタイオンとイスルギの過去を見て、自然とイメージが固まった。ナミが還りたいと願った場所にもサフロージュが咲き乱れていると聞いたし、タイオンにとってもナミに繋がる大切な木であった。
「そういえば考えてたもんね。初披露か、私も楽しみ」
楽しみ。生きる者からのその想いはとても温かい。
正直な所集まるのは数人、十人も来たらかなりのものだと思っていた。何なら誰もいない光景すら覚悟していた。
しかしどうだろう。指定時刻、トワの目の前には多くの兵士が集まっていた。下手したらラムダの兵士のほぼ全てではないだろうか。彼らはイスルギから内容は知らされているようで、これから何が起こるかを理解した目でトワを見つめている。そこにあからさまな悪意や不信感は見られない。
純粋にケヴェスのおくりびとの演奏を聞いてみたい。死者ではなく生者へとおくりとは何なのか。ざわめきの中からそんな言葉が聞こえてくる。
右脚を前に出し、左足を少し外へ向け後ろに下げて両の踵を揃える。集まってくれた事への感謝として、深々と一礼をする。左手は無いはずのスカートを持つようにして自然と上がってしまったが、成人の儀の時の礼がそうだったからだ。普段と違う状況による緊張でトワは気がついていないが。
笛を構えて目を閉じる。今を生きて、先へ進もうとする人の為に音を生み出す。
インヴィディア坑道、セーヴの遺跡。そこに沢山のサフロージュが咲き乱れて、桃や橙色の花びらが踊るように舞っている。土と草の道、その脇には澄み切った水が続いている。戦いから切り離された空間で、命を奪われることに怯えずに誰もが笑顔でいられる。
いつか、命が還る場所。生きる者の悲しみが乗り越えた時にそれが先に辿り着き、静かに眠る。最期に人の命と、人の想い全てが粒子となりここへ来た時、サフロージュがそれを包んで共に地面へと溶けていく。
人の命の全てが、悲しみだけでは終わってほしくない。だから生きている今だけでも悲しみを和らげたい。
時間にして三分と二十秒ほど。唄口からそっと唇を離し、笛を胸元に寄せる。始まりと同様にもう一度礼をする。彼らの想いにどう響いたかは演奏を受け取った本人にしか分からない。おくりたいと思い、旋律を奏でたのはトワの勝手に過ぎない。演奏の場を用意してくれたイスルギへの感謝、演奏そのものを聞いてくれた事への感謝としての礼だ。
ぱちり、ぱちり。誰かがゆっくりと音を鳴らした。一点から徐々に音が広がっていく。決して勢いよく押し寄せるものではない。でもその数はたった数人が起こしたものでもない。
トワは頭を上げ、そこで閉じていた目を漸く開いた。笑みを浮かべ拍手を送ってくれるラムダの兵士達。その後ろには見守ってくれていたのだろうノア達の姿もある。そして宙には金色の粒子が僅かに舞っている。
それは間違いなく彼らの想いをおくった証拠だった。
生きる者へのおくりの儀の後、ラムダの兵士達は今後のコロニーに関してや鉄巨神の対応などに取り掛かっている。心配も多いだろうにイスルギの指示のもと、迷いなく行動する彼らからは胸に持つ力強い誇りが伝わってくる。
ノア達はラムダの前を野営地として借りた。夕食の準備をマナナが、ミオとセナがそれを手伝っている。トワも手伝おうとしたが「倒れた人に無理はさせられないデスも!」と断られてしまった。戦っていたミオとセナの方が休んだ方が良いのではと言いたかったが、当のセナの手で無理やり椅子へと座らされた。
皆、普段通りだ。
ただ、ランツだけが違った。リクに当たるような物言いをしてしまってノアに咎められていた。けれどもランツの気持ちは誰もが分かってはいる。ヨランがメビウスとなり、明白な敵として現れて冷静でいられる訳はない。それはノアも同じだろう。だが彼はヨランが現れた事よりも、そうなってしまった理由の方がより重要だと捉えていた。昔に留まるよりは良いと。
忘れるなんて出来ない。そう苦しげに吐いてランツは滝の外へと歩いていった。
ランツの姿が流れる水の向こうへ消えていったのを確認して、トワはノアに歩み寄る。
「……ランツには、きっとボクの音は届かなかったね」
「そんなことないさ。あいつだって考えてる、乗り越えようとしてるんだ」
先ほどのトワの演奏は過去の悲しみを乗り越えたり、今乗り越えようとしている人に向けてのものだ。ランツはまだ悲しみの底に近い所で悩み続けている。そこから這い上がるには彼自身が上を向かないと始まらない。
「俺たちは生きてるんだ。昔に囚われて下ばかり見て、今の仲間まで失うなんてしたくない」
ノアが聖神の笛を取り出す。笛を見つめる彼の目はリエス湖を見ながら一緒に練習をした夜のものと似ている。
「クリスさんのこと、思い出した?」
「言ってたんだ。『死んだ人は語らない。生きている者は死んだ者を想い、語る』って」
トワも聞き覚えのある言葉だった。語らないから丁重に扱うだとか敬意を持って演奏しろといった意味合いだと思っていたが、今となっては少し異なる捉え方が出来る。
死んだヨランが目の前に現れた。語らない筈の存在が生者にその想いをぶち撒けた。
「ボクらのおくりも、死者に対しては物凄く身勝手な行為なのかもしれないね」
人の想いを他人があれこれ考えた所で、正解は本人自身しか分からない。命を落としていった仲間を想い語るのは、結局今を生き延びている者からの視点でしかない。タイオンが言ったようにおくりは生者の為のものであり、実際は死者に対して何も産んでいないのかもしれない。死者の想いに触れずにいた方が良いのかもしれない。
「それでも俺は、やっぱりおくりは必要だと思う。死んでいった人へも、今を生きる人にも。
さっきのトワのおくりの時、ラムダの人達から粒子が出たんだ。いや、俺達もみんな。指の先から少しだけ、ゆっくり金色の粒子が浮かんだ」
不思議な光景だった。粒子の色に問わず、それが昇るのは人の命が消える時しか見たことがなかった。一瞬、成人の儀のように身体の全てが粒子となり溶けていくのではとすら思った程だ。しかしノアが今ここにいるように、誰一人消えてなどいない。
「泥人形からも白い粒子が出ただろ。あれはもしかしたら人の想いそのものなんじゃないか、って」
その考えはコロニー4で命の流れを強引に押し留めた時のトワのものと同じだった。
「人の想いなら、死んでもそこに残っている。俺たちがおくりをすることでどこかへと飛んでいく。……だから」
「死んだ人の想いを考えて、語って、おくることは無意味じゃない?」
「……そう信じたい。想い自体に人の生死はそんなに重要じゃないのかもしれないな」
おくりは死者の為か生者の為か。ただおくりびとという存在は、死者と生者を繋ぐ役割を担っている。死に往く者の想いに触れる。今を生きる者の祈りを乗せる。
おくりびとは生と死の狭間の不安定な足場で両方の世界を見ている。その不安定な場所で命とは何かの答えを探している。足が滑って死へと落ちていくかもしれないけれど。
それでもボクらは、不思議とこの足場から逃げる気はないのだ。