その日の夕飯は大満足の出来だった。ハインドの肉と集めてきた木の実で作ったソースをかけたステーキは、旅の中で一番美味しいと言っても過言ではないレベルに美味だった。マナナが「ずっしり満足間違いなしデスも!」と宣言した通り、味も量も申し分なかった。
食事で満たされたおかげか、皆すんなりと眠りへと誘われていった。その中でトワは寝返りを繰り返している。どうにも寝付けなかった。頭の中でミオが昼間に奏でた音が止んでくれない。
一旦眠るのを諦め起き上がる。皆を起こさないように足音を殺して少しだけ離れる。振り返れば皆の眠っている姿も確認できるし問題はない距離だ。
ゆっくりと土の上に腰を下ろし、目の前に広がる遺跡と空を見た。鉄で出来た四角い塔の窓ガラスはかなりの数が割れている。ケヴェスともアグヌスとも違う文化らしく見えるが、この世界にそれ以外の物は存在するのだろうか。可能性があるならゲルニカが所属するところかもしれない。しかし記憶にあるアルフェト渓谷で襲ってきた
木々と遺跡の間から見える紺の空はどこからでもいつも同じ。小さな星々が輝いていて夜でもどことなく楽しい。暗いからといって寂しいだけの夜ではない。
「眠れないの?」
後ろからの声に思わず肩が跳ねた。首を後ろへ向ければミオが立っていた。
「ごめんなさい、起こしちゃった……?」
ミオの耳は小さな音も聞き逃さない。キャンプで夜に見張りを立てずに眠れるのは彼女の耳のおかげでもあった。
「気にしないで、私も眠れなかったから。隣、いい?」
頷けばミオはトワの左側に腰を下ろした。雲の隙間から差し込んできた月明かりがミオを照らしている。ミオの
会話も無くただ二人で空を、月を見ていた。聞こえるのは風と葉が擦れる音と虫の声、そしてお互いの呼吸。
ふ、とミオが口を開いた。
「私のこと、考えてた?」
トワは目を
「うん……。今日のミオさんの音、とても綺麗で、寂しくて悲しくて。ずっと、考えてた」
「やっぱり貴方には分かっちゃうんだね。……ねえ、聞いてくれる? 私とミヤビの話」
聞きたかったが本当に良いのだろうかとも思った。そんなミオの大切な部分を聞いても良いものなのかと。
「覚えてる? イーグス荒野でした約束、その時が来たら私の事を教えるって」
言われてトワは思い出した。完全に忘れてしまってはないが、ミオが話したくなければそのままでもいいと思っていたから少しだけ驚いた。
ミオが約束を果たそうとしてくれるのなら、それを拒否する理由などトワにはない。
「聞かせて。ミオさんとミヤビさんのお話」
ありがとう、と微笑みミオは語り出した。
ミオが初めに配属されたのはコロニーシータだった。新兵の訓練成績では誰よりも評価が高く、周囲もミオ自身も前線で戦うのだと信じ切っていた。
しかし軍務長から言い渡されたのはおくりびとの役職であった。とても納得など出来なかった。後方で武器を持たずに戦闘後に命を落とした兵をおくるだけなんて、兵士として生まれた意味が無いとまで考えていた。
アグヌスのおくりびとは一つのコロニーにおいて二人一組で構成されている。ミオと同時に任命されたのがミヤビだった。
ミヤビは体力も無く少し不器用だった。身も蓋もなく言えば鈍臭かった。その事も余計に納得できない要因だった。どうして自分がこんな彼女と同じおくりびとをしなければならないのか、と。
「今思うと、ミヤビは上手く戦えないから後方でおくりびととして役に立ってもらって、訓練の成績が良かった私なら万が一の時にミヤビを守れるからって判断だったんだろうね」
精神的にも成長した今なら軍務長の考えも理解出来た。しかし戦いこそが生きる意味の全てで、一人でも多く
ミヤビは演奏も最初から上手くはなかった。何ならミオの方が先に担当する難しい旋律を卒なく奏でられた。
他の兵士からもミオがおくりびとは勿体無いと言われもした。戦場において武器を振るった方がコロニーに貢献できると自他共に考えていた。
一度、二度と戦いの後にシータの兵士をミヤビと一緒におくった。粒子は空へと昇るが、ミオの心は満たされない。
おくりなんて無駄だ、これではコロニーの役になど立てない。苛立たしげに愚痴を吐いたミオにミヤビが言った。
「ミオは誰かに認められたくて、褒められたくておくりびとしてるの?」
過去のミヤビの言葉を紡いだミオが小さく笑った。
「ミヤビ、少し天然でね。どう見ても私は任命されて仕方なくって顔してるのに、そういう事言っちゃうの。その時はイラッとしちゃったけど、仲良くなってからはそんな所大好きだったな」
閑話休題。
ミヤビは鈍臭い自分で良かったと、開いた右の手のひらを見つめながら呟いた。先ほどのミヤビの天然——的外れな発言に少し腹が立っていたミオは強めの声色のまま返した。怖いだけでしょ、と。
ミヤビはそれを素直に肯定した。しかし続く言葉はミオの予想とは異なっていた。
「怖いよ。戦うのが怖い。自分のこの手が人の命を奪っていくのが怖い」
ミヤビは死ぬのが怖いとは言わなかった。死への恐怖が全くない人間などまずいない。でもそれよりもずっと、誰かの命が自分の手によって奪われてしまう方が彼女にとっては恐ろしかった。
しかしそれは
「違うよ。
生きる為に戦わなくていいなら、人の命を奪わなくてもいいのに。
ミヤビは物事の本質を見抜ける人だった。鈍臭くて天然でも、大切な部分だけは決して間違わなかった。
「ミオはケヴェスの人の粒子に触れたことある?」
ミオは首を横に振った。なんなら
アグヌスもケヴェスも想いは同じ。ただ、生きたい。
世界は簡単に変えられない。ミヤビは自分が、兵士達が無力である事もよく分かっていた。変えられないけれど、その中で足掻くことは出来る。泣いても、苦しんでも生き抜かなきゃならない。
ミヤビの精一杯の世界への抵抗はおくりだった。
アグヌスもケヴェスも問わずにおくっていく。彼らの想いを高く、空にまで届くほどに。おやすみなさい、ありがとう。
その時に別の兵士——ナヅキから大声で言われたのだ。「ありがとう」と。仲間をおくってくれて、彼らの想いを空へと届けてくれて。
「ミオ、無駄なことなんてないよ」
そこでやっとミオもおくりびとが役立たずなどではない事を知れた。
おくりは死んだ人の想いと向き合う行為だ。向き合い、受け止めて、残された者は生きていく。生きる人を前へ進ませる行為だ。
「死んだ人の声を届けるのがおくりびとだから」
その言葉は奇しくもノアと同じ言葉だった。
「ミヤビは私が知る中で一番のおくりびとだった。演奏の腕前とかそんなんじゃない。命に、この世界に誰よりも向き合っていた」
トワはミヤビを心の底から凄いと思った。生きる為におくりびとをしてきた自分なんかとは全く違う。
「何だかボク、恥ずかしくなってきたな。ずっと生きる為に、自分の為におくりびとしてきたから」
「そんな事ないよ。ミヤビの言葉を借りると、貴方はそうしないと生きられなかっただけ。その中でも貴方は命と向き合っていた。成人した人を敬意を持っておくっていたのは立派な事だよ」
ミオは少しずつおくりびととしての誇りを持つようになった。多くの命をおくり、ミヤビともまた仲を深めていった。
その数年後、コロニーシータの一部の兵士は急に所属コロニーを変更された。今から五年前の話だ。オメガの名を持ったコロニーは得体の知れない場所だった。ミオとミヤビだけでなく、セナもまた一緒にコロニーオメガへとやって来た。
オメガで戦闘は一切行われなかった。よく分からない検査を受けさせられる毎日で、死への恐怖が無いのは嬉しいはずなのに心が落ち着く事はほとんど無かった。
ずっとこうなのだろうかと思っていた矢先に事故が起きた。
突如としてコロニー内に紫色のガスが流れ込んできた。毒性が高く、吸えば
セナがレウニスへと乗り込んだ時点でもうガスはミヤビのすぐ後ろまで迫っていた。すぐにでも扉を閉め出発しなければレウニス内までガスが流れ込んでくる。遠くもない距離で爆発音も聞こえてくる。火花からガスに引火したのだろう。
「ミオ、私の全部をあげる」
ミオに突き出されたのはミヤビの笛——祈神の笛だった。
「ミヤビ……?」
ガスの影響でミオの思考は上手く回らない。ただミヤビから笛を受け取り、それを握った。
「私の分まで生きて」
紫の煙、爆発の赤。
脱出用レウニスは自動操縦だ。外側から誰かが扉を閉めれば自動で発進する。
外にいる誰かが閉めなければならない。
「ありがとう」
ミヤビが言った、あまりにも普段通りに。ミオの一番好きな笑顔で。
扉が閉まる。窓越しに見えたミヤビの笑顔はあっという間に紫で覆い尽くされた。
やっとミオの思考が追いついた。
理解した瞬間彼女の名を叫んだ。飛び立つレウニスは無慈悲にミヤビから離れていく。窓を叩いた。まだミヤビがいるのに、ミヤビを置いていかないで、誰かミヤビを助けて。
「遠くなっていくコロニーオメガが大きく爆発したの、鉄巨神ごと」
それは残された者は誰一人として助からなかった事を示していた。ガスで意識を失い苦しむことなく逝けたのを唯一の救いと考えて良いかどうかは分からない。
ミヤビは笛を託す事でおくりびととして為すべき事をミオへと伝え切った。ミヤビは自分の思いを遺した。
だからミオは決めた。自分も残りの命の全てで何を遺せるのかを探す。誰かに届けるものを探す。
ミヤビから貰った残りの命の全てを使って。
「……泣き虫さんだなぁ、貴方は」
ミオがトワの目元を拭った。ぽろぽろと涙が零れていく。しゃくり上げもせず、静かに。
「私ね、五年の間ずっと考えてたけど全然見つからなくて。やっぱりミヤビって凄かったんだなあって何度思ったか。でもね、一つ見つけたの」
ミオが祈神の笛を取り出した。ミヤビから託された想いの乗せられた笛。
「サフロージュの木の下でのこと覚えてる?」
ミオからアグヌスの基本の旋律を教わった時だ。アグヌスのおくりびとは二人一組だから、基本の旋律が二つある。
「ミヤビの音を、貴方に託そうと思う」
笛のように形のあるものではない。音は誰かが繋がなければ消えてしまう。ミヤビとミオのカケラをトワへと渡す。
「……ボクなんかでいいの?」
正直、その役目はトワよりもノアの方が適任ではないだろうか。相方としてもミオの記憶に直接触れている彼の方がずっと。
「実はね、笛を彼に託そうと思ってる。いつ渡すかはまだ決めてないんだけど……内緒だよ」
笛はノアへ、音はトワへ。
ミオが立ち上がり月を見上げて旋律を紡ぎ出す。初めて聞くそれは、音色が二つあるアグヌスの基本旋律によく似ているが細部が少しずつ違う。
ミヤビが奏でていた旋律だ。
音だけでミヤビがどんな人物だったのか伝わってくる。ミオの話した通りに、優しさとのんびりした雰囲気、それでいて心の真ん中をしっかり掴む音。
「これを
トワの記憶が間違っていなければミオから名前を呼ばれたのは初めてだった。ミオの口から自分の名前が出てくるのが不思議な感覚だ。
「別人だって分かってるのに、貴方とミヤビが重なる瞬間があって怖かった」
トワの名を呼んだら自分の中でミヤビがいなくなる気がした。ミヤビの全てをコロニーオメガに置いていってしまうような錯覚に襲われた。
「でも沢山話して、演奏を聞いて、やっと私の中で受け入れられた。ミヤビは消えたりしない。辛い想いや過去を乗り越えても、あった事がなくなる訳じゃない」
コロニーラムダでトワは生きる人の背を押せる事を祈り演奏した。それがミオにも届いていた。
想いを乗せて受け継いでいく。タイオンが懐中時計にナミの想いを乗せたように、ミヤビの想いの一つを音に乗せてトワへと託した。
とても重たいモノを渡された。ミオはミヤビの想いだと言ったが、トワはミヤビとミオの二人の想いだと感じた。
二人の想いを自分が背負う。途切れさせないように必死に生きる。そしていつかは自分がこの音を誰かに託せるようにならなければいけない。
トワは未だに零れていた涙を乱暴に拭き立ち上がる。ミオと正面から向き合う。
「ミヤビさんとミオさんの想い、預かったよ。大切にするから」
「ありがとう。でもそんなに気負わないで、時折思い出して奏でてくれるだけでいいの。トワには貴方自身の想いが詰まった音があるから」
「じゃあ、今、一緒に演奏してもいいかな。ボクがミヤビさんの音を奏でるから……息遣いとか、その、ミヤビさんのじゃないからミオさんには悲しいかもしれないけど……」
ミオがトワの手を両手で包み、ゆっくり首を横に振る。
「そんなことない。とっても嬉しい」
月を見上げる。月の光にだって意味を見出すのは自分たちだとノアが言っていた。
きっと今日の月の光は三人のおくりびとの為にある。ミオとミヤビとトワ。想いが繋がった祝福の光だと信じる。
重なる旋律がモルクナ大森林へ響く。かつてミオとミヤビが奏でていたおくりの旋律。五年前に途切れてしまった筈の音がここにある。
ミヤビの想いはミオと共に生きていた。そのカケラはトワへと受け継がれて、この先も生きていく。
二ヶ月後にミオがこの世界から消えてしまったとしても。