キラキラ池を離れ、ターキンの砦付近を抜けていく。今までより更に霧も濃い上に、植物が生い茂り落ちる影もより暗いせいで不気味な雰囲気だ。
ターキン程度ならうっかり喧嘩を吹っ掛けられても簡単に対処してしまえるのだが、ゴゴールとなると非常に面倒くさい。下手に此方から仕掛けなければ戦闘にならないのが幸いかもしれない。
最悪なのは大きな悲鳴や転倒音を出してゴゴールの樹を根城にする不動のゴンザレスを起こしてしまうことだ。ここ一帯のゴゴールのリーダーであり、その身体のサイズも頭ひとつ抜けて大きい。急ぎつつも慎重に進んでいく。
顔を上げればモルクナ大森林からでも大剣が目に入ってくる。相変わらず目立ちすぎる目標だが、前よりも確実に大きくなっている。少しは近づけただろうか。
太古の四角塔を一旦の目標として進む。しかしそこへと至る道は大樹の幹や枝を歩く他にない。人が歩くには充分な幅だが、万が一足を滑らせれば大森林の下層へ真っ逆さまだ。立ちこめた霧の向こうには薄らと紫の沼も見える。
「怖ぇ〜って……」
顔を青くするユーニ。
「……落ちたら?」
「当然死ぬな」
分かっているが聞かずにはいられなかったセナと淡々と返答するノア。
「即死を免れても下層の毒沼で苦しんで死ぬから注意するように」
悲しくも追加情報を教えてくれるタイオン。
「結局どう足掻いても死ぬんだね……」
耳も肩もがっくりと落としたミオ。
「いざとなったらボクがおくるから、みんな落ちる時は安心して……!」
「落ち着けトワ! 静かに混乱するな!」
一周回って現実を受け入れているようで大混乱するトワの肩をランツが揺さぶる。
高い所は皆同じく怖い。
ありがたい事に道——というか大樹の太い枝はそこまで濡れていない。細かい段差に気をつければ無事に渡り切れるだろうとタイオンが判断してくれたが、全員が緊張した面持ちで足を踏み出してゆっくりと進む。そもそもモルクナ大森林を歩いて通過するなど両軍共にまず選択肢に入れもしない。通過だけなら輸送ポッドで良いし、下層の調査をするのだって安全な所までは空路で送ってくれる。むしろ生い茂りすぎている木々が四角塔への道へとなっているだけ幸運だ。
渡り斬るのに十五分だってかからない。たかが数分なのに体感は数時間程の長さに感じられた。
「生きてる! アタシ生きてる!」
「みんな無事だな……」
ユーニが両腕を上げて喜び、ノアが振り返って全員の顔を確認する。落ち着いて進めばまず落ちないのは頭では理解しているが、緊張感は異常だった。渡り切れると皆に言ってくれたタイオンの頬にも僅かに冷や汗が見える。やはり恐怖は感じていたらしい。
四角塔の階段を登る。壁が大きく崩れた箇所からはキャッスルが見える。この先はルノ古代遺跡とエンダド峠を通過してやっとカゼオイの崖道が待っている。陽も沈み辺りはすっかり暗くなってしまった。今日はここで休み、明日の早朝に発つことになった。
焚き火を起こして夕飯を摂り、当番順に従い後片付けをする。今日の担当はミオとランツだ。その後は眠るまでいつもの自由時間だ。
焚き火のすぐ近くではノアとタイオンが進路の確認で話し合っている。セナはリクに足を押さえてもらい腹筋運動に励む。ユーニはマナナに料理のリクエストをしているらしい。
トワもいつも通りに演奏の練習を始める。ランタンの置かれたテーブルの近くに立ち、崩れた壁側を向きゆっくりと瞼を下ろす。ケヴェスの基本旋律とアグヌスの基本旋律を吹き、次いで自分の旋律を奏でる。
指の動きも柔らかくなってきた頃合いだ。一度笛から口を離し、大きく息を吐いて肩の力を抜く。閉じていた瞼を開くと正面には胡座をかいたユーニが笑顔でこちらを見ていた。
「びっくりしたなぁ。いつからいたの?」
「アグヌスの音がしてたあたり、特等席いただきってな。やっぱりトワの演奏は綺麗だな〜」
「ありがとう」
トワは再び奏でようと唄口を口元へと運んだが、次に奏でようと思っていた旋律を何も言わずにやるのは心に引っかかる。ユーニにもどんな旋律なのか知っていてほしい。
「ボク、昨日ミオさんからとっても優しい調べを教わったんだ」
「へぇ、聞かせてくれよ」
「ミヤビさんの調べなんだけど……」
「ミヤビ、って確かミオの親友の?」
キイロの森でミオが零した本音に出てきた名前だ。
「託されたんだ。だから、ユーニにもミヤビさんの調べって知った上で聞いてほしいな」
ユーニは目を細め頷いた。トワも頷くことで返し、改めて笛を構える。
まだ少し緊張するがミヤビの調べを奏でる。ミオと似ているが異なる音。ミオが優しい人物なのはとっくに理解しているが、この調べに乗せられたミヤビの人柄もまたあまりにも優しい。ミオの調べには優しさと同時に彼女の強さも含まれている。しかしミヤビのこれには芯こそはっきりしているが、どんな人にも寄り添ってくれる感覚がある。この悲しい世界で涙を流す人の手を握って、涙が止まるまで傍にいてくれるような温もり。
ミオは強さから生まれた優しさ、ミヤビは優しさから生まれた強さがあるように思う。きっと二人は支え合っていたのだろう。一つ一つは単なる音符の羅列でしかないのに、想いを乗せた調べとなった瞬間にこんなにも沢山のものが感じられる。
「……どう、かな」
「ん。アタシもミヤビの想い、ちょっと伝わってきた気がする。ミオが胸張って親友って言えるのも分かる」
嬉しい言葉だった。託された想いがユーニへと届いたのだから。
「そういうのっていいよな〜。音って形でミヤビの生きた証が伝わって残ってくわけじゃん。それが続く限り、ミヤビはこの世界から完全にいなくならないっていうかさ」
ユーニの言う通りだ。この調べが受け継がれていけば命の刻限である十年を超え、ミヤビはこの世界に生きている。今ユーニもミヤビとその調べを知ったから、彼女の中にもミヤビのカケラが存在する。
ミヤビに会ってみたい。こんなに素晴らしいおくりびとと触れ合ってみたい。けれどそれは決して叶わぬ願いだ。だからこそ奏でることで彼女の一部と触れ合う。それしか出来ないけれど、こうする事でもう存在しない人と繋がれる。
「……あ、アタシあれ聞きたい。コロニーラムダで演奏してくれたやつ!」
「うん。じゃあご要望にお応えして早速……」
ユーニが目を閉じて音を受け止める姿勢を取り、トワが息を吹き込もうとした瞬間だった。
「分かってない! 全然!!」
トワもユーニも驚き、反射的に声のした方に視線を向けた。
叫んだのはミオだった。何が起きたのか理解する間もなく、ミオは走ってどこかへ行ってしまった。ノアがその場に取り残されているから、直前までは彼と会話していたのだろうが。
何が起きたかよく分かっていない、少し納得しない表情でいるノアにセナが近づき話しかけた。「ノアってさ完璧な人?」と。
少し距離があるからセナの声ははっきりとは聞き取れない。ミオはどうやらノアに愚痴を零していて、それに寄り添ってほしかっただけ……みたいな内容だと思われる。
セナはノアへ「ミオちゃんにちゃんと謝るんだぞ」と少しの意地悪さと羨ましさを滲ませた声で伝え、そのままミオを追いかけて行った。
「何か、面倒くさそうだな。ああいうの」
「……ああ」
テーブルにはいつの間にかランツとタイオンが向かい合って座っていた。
「あの〜……何かあったの? ノアとミオさん」
「アタシ達さっきのミオの声しか分かんねえんだけど」
トワとユーニに二人の顔が向く。聞こえてなかったのかよとランツが呆れる。対してユーニはトワの演奏聞いてたんだから当たり前だろと言い返す。いつも通りの二人の言い合いに発展する前に、タイオンが説明を始めた。
ミオが零した愚痴はやりたい事をしていたら大剣の大地が遠くなっていく。自分の命はもう二ヶ月しかない焦り。ノアはそれに
ノアも彼なりにミオを励まそうとしたが、それは全て正論でしかなかった。事実を並べて現実を突きつけているだけだ。ミオはそれに焦り、怯えているというのに。
「だからセナは『完璧な人?』って聞いてたのか……」
「ノアってそういうとこあるからなぁ」
普段は皆を率いて寄り添ってくれるミオだって普通の人間だ。弱い側面だって当然持ち合わせている。ノアも自分を普通の人だと称した。
それなら受け止めてあげてほしい。付き合いの長いセナやタイオンにすら愚痴を吐かなかったミオがノアには吐いた。それだけ信頼されていて、頼られている証だから。
「ユーニ、演奏また今度でもいいかな。ノアと話してくる」
「お、ノアのこと殴ってこい。鈍いんだよ〜! ってさ」
「それは出来ないって……」
「……ま、ずっと一緒にいるアタシ達より伝わる事もあるだろうからさ。うちのおくりびとの背中、撫でてやってくれ」
「うん」
ノアは地面に腰を下ろして空を見上げている。生真面目な彼だから、ついさっきの自分の発言を省みているのかもしれない。
トワも彼の右隣に腰を下ろし膝を抱えた。
「俺、どこを間違えたのかな」
しょんぼりしたノアを見るのは初めてだ。常に正しくあろうと努め正しさそのものも探すいつもの彼ではあるが、今はいつもある気迫や強さはなかった。
「ノアは間違えた訳じゃないと思うな」
「それならどうしてミオはあんなに辛そうな顔をしてたんだ」
——本当に真面目だなぁ。
原因を突き止めようとする姿勢は本当に賞賛されるべきだ。しかし。
「正しいからだよ」
ノアがトワの言葉を繰り返した。きっと彼は正しいのなら負の感情を露わにするなんて変だと言いたいのだろう。
「セナが言ったよね、ノアは完璧な人かって。でもノアは別に為すこと全てが完璧な人ではない、普通の人」
ノアが普通であるようにミオも普通である。ここまではセナの発言と全く変わらない。
「ボクにはノアって『完璧であろうとする人』に見える」
要するに人一倍か、それ以上に精神が強いのだ。
間違ったら正す。反省はしても後悔はしない。仮に後悔しても次はそうならないように尽くす。過去に縋り付くくらいなら未来へ進んだ方が良い。
間違いなく理想だ。それがノアの強さで長所だ。
「完璧であろうとして、普通の人である自分がそれを出来るから他人も出来ると思い込んでる」
死んだと思われていたヨランがメビウスとなり蘇った。それに悩むランツに対して、ヨランがあんな風になってしまった理由を知り前へ進まねばとノアは強く強く背中を押した。
残りの命に焦るミオには二ヶ月もあれば大剣へと辿り着けると腕を引っ張った。二ヶ月もあるならその全てを費やせば必ず願いに触れられる。悩んだり下を向いてる時間はないから、すぐに顔を上げて進もう。
強すぎて乱暴なくらいの正しさだ。
「ノア、ボクらは——ううん、ミオさんはノアじゃないんだよ」
そんな当たり前を彼は理解しきれていない。その所為で彼の長所が短所になっている。
時には振り返る時間くらいは待ってあげてほしい。
「でもミオさんもちょっと言葉足りない時もあるかな。ミオさんは言わないし、ノアは聞き出そうとはしない。そういうのは二人、似てるのかも」
完璧な人などいないのだから。時には接触して傷つく時もある。そうやって互いを知っていく。今まで順調に見えた二人だから余計に今回の衝突が大きかったのだろう。
「……明日、ミオにきちんと謝るよ。彼女のこと何も考えてなかったの、分かった」
「何もってことはないけど……。でもノアがそうやって歩み寄ってくれたらきっとミオさんも安心すると思う。ボクの勝手な考えだけどね」
ノアとミオが好きだ。二人が並んで歩んでいる姿が好きだ。
二人に笑顔でいてほしい。たとえ二人でいても、互いに悲しそうな顔をしているのは嫌だ。ミオがこの世界からいなくなるその時まで、二人が笑い合える手伝いがしたい。