朝焼けが眩しい。モルクナ大森林にしては珍しく霧が薄い朝だ。トワが目を覚ました頃には皆出発の準備にかかっていた。一瞬寝坊したのかと慌てたが皆の様子は普段通りだ。
何よりマナナはまだ寝ている。起こそうとするリクの方が十二時間は寝すぎだと焦っている。
ランツとセナは同じ動きをして腹筋トレーニングに勤しんでいる。確かレッグレイズと言うのだったか。タイオンはハーブティーを飲みながら瞳で侵入経路の再確認中のようだ。そこへユーニが近寄り朝の挨拶をかける。タイオンは随分と集中していたのか肩を跳ねさせたが、ユーニの笑顔を見て彼も笑みを浮かべた。
ノアはヒドゥンソードで素振りをしている。毎朝の彼の日課だ。単に鍛錬になるだけではなく、自身の体調も客観的に判断できたりもするらしい。
素振りを終えたノアは一つ息を吐き、朝日へと向かい直った。ランツほどの大きさではないが、鍛えられた背中は逞しい。
そこへミオがゆっくりと歩み寄ってきた。昨晩の謝罪と共に。ミオは余裕が無くノアに当たってしまったことを謝り、ノアはそんなミオの状態に気がつけなかったことを謝った。ミオは眉の端を下げていて、普段より少し弱々しく見えたが精神は落ち着いているようだ。
ぽつりぽつりとノアへ、笛を託された経緯とミヤビのことを話し出した。ノアにとってはインタリンクの際に垣間見る記憶の一つだ。ミオの言葉で今まで断片的でしかなかった情報が繋がっていく。
語るミオから次第に嗚咽が漏れ出す。あの夜、トワに語ってくれた時に彼女は涙を見せなかった。でもノアの前では泣いている。やはりミオにとってのノアは弱さを見せられる、心を許しているとても大きな存在なのだ。
過去を語ってくれた事はちょっとした優越感があった。でも本当にミオ自身の心の内を明かすのは結局ノアなのだと実感する。セナがノアに対して羨ましい感情を抱く理由も分かる。
「……楽器、交換しない?」
少しの沈黙の後、涙を拭いたミオが告げた。ノアはそれに戸惑った。当然だろう、ミオにとっては親友から託された何よりも大切な笛なのだから。それをたった今聞かされたばかりなら余計にだ。
だからこそだ。
「少しでも長く使ってあげたいんだ、ミヤビが生きたかった分まで。君の方が長生きでしょ?」
ノアは視線を泳がせて迷いはしたが、きちんとミオの頼みを受け入れた。
「……俺もこの笛、おくりの師匠みたいな人の物なんだ」
「え……。ごめん、知らなくって……。それなら無理して交換しなくても」
「違うよ」
途端に申し訳ないと慌てるミオにノアが優しい声で続ける。
「長さなんて関係ない。この笛にもミオの想いを乗せてほしいんだ。……
「うん……。ありがとう」
聖神の笛はクリスからノアへ、そしてミオへ。祈神の笛はミヤビからミオへ、そしてノアへ。
「大切にするね」
「俺も。ミオとミヤビの想い、大切にするよ」
ミオが笑った。いつもの元気で頼もしい笑顔とは違う。やりたかった事の一つを果たせて安心したといった笑顔だった。
真っ直ぐにノアを見つめていたミオがゆっくり視線をずらした。その視線とトワのものがかち合う。ミオはそのまま微笑んで手招きをした。
トワは思わず右の人差し指で自分をさすが、ミオは間違いないと頷く。慌てながら立ち上がりミオの元へ向かう。呼ばれた理由は分からないし、ノアも理解していない顔をしている。
「一つ、お願いがあるの」
ミオからの頼みなら、自分で出来る範囲でなら拒否する選択肢はない。
「いつか……いや、もういつかじゃない。二ヶ月後、
拒否するつもりはないのに。
「最期のその時に、少しでも良かったと思って終わりたい。全ての心残りの解決は難しいかもしれないけど、君達二人の調べなら笑って往ける気がする」
改めて本人からその時——ミオの命が終わる瞬間までの時間を告げられると、本人でないのに少なからず心が揺れる。一番怖いのはミオなのに。けれど、彼女の願いならそれを叶えたい。ノアだってきっと同じ気持ちのはず。
首を少し右に捻りノアを見れば、分かっていると言わんばかりに頷いてくれる。トワよりもずっと強い彼が今更こんな事に怯えるわけもない。
「任せてくれ。ケヴェスのおくりびととして……ってもう関係ないか。祈神の笛と神笛の音色でミオの想い、高く届けるよ」
「ありがとう。それともう一つ、トワにいいかな?」
「……ボク?」
「うん。少し我儘になっちゃうんだけど、私をおくる旋律、創ってくれる?」
ミオの生きてきた理由、残りの時間で何を果たそうとしているか。それはもう知っていた。彼女を構成する想いはトワの中にもある。
ミオの魂が辿り着く場所、辿り着いた先でミヤビと会えるように。そんな旋律を創れるだろうか。——違う、創るしかないのだ。トワに出来ること、トワにしか出来ないことだ。
「創る、創ってみせる。成人の儀で演奏してきた者として、ミオさんの想いをミヤビさんがいる場所まで届けてみせる」
トワの言葉を聞いたミオは自慢の耳を少し下げて笑い、トワの右手を両の手で優しく包んだ。
ミオの体温と想いの一部が流れ込んでくるような感覚がして、ひどく泣きたくなった。
日が昇るにつれて橙色の空も青くなり霧も濃くなってきた。テントやテーブルを畳み出発する。四角塔の階段を登り東側へ伸びる橋を渡っていく。左に視線をやれば鉄骨の間から山道戦線のケヴェス陣営が見える。幸いこちら側には全く気が付いていないが、距離にしたら百メテリもない。足音を殺して急ぎ足で駆け抜ける。
橋を渡りきりルノ古代遺跡まで来たら視界を遮る壁が現れた。一安心といきたいが、壁を挟んだ向こう側には攻城戦型シュルツが配備されている。強力な自立型レウニス故に兵士は配備されていないが、索敵範囲に入ってしまえば即座に焼き尽くされるだろう。気が抜けない状況が続くがもう少しだ。目と鼻の先のエンダド峠を抜ければもうカゼオイの崖道に出る。あとは緊急脱出用通路を発見さえ出来ればキャッスルへと潜入出来る。
ルノ古代遺跡を抜け、エンダド峠へと出た。ミオの耳が反応する。直後、皆にも聞こえる機械音と振動が伝わる。音のした方を向けば、巨岩の上に黒と白の鉄巨神が堂々たる佇まいでそこにいた。鉄巨神といってもコロニーそのものである鉄巨神とは違う。今目に映っているのは戦闘用に製造された物で、白銀級の実力者に与えられる特別な兵器の一つだ。
鉄巨神が巨岩から降り立つ。その衝撃で砂煙が舞い立ち、顔や身体にぶつかってくる。鉄巨神は着地の衝撃を吸収する為に曲げた膝関節をゆっくりと伸ばして此方を見据えてくる。胸には怪しげな紫の光を持つ火時計が組み込まれている。紫の命の火は見たことがない。ケヴェスであれば青、アグヌスであれば黄色のはずだ。
「一期一会と言っておきながら恥じ入るよ。ノア、ミオ」
響いてきた声には聞き覚えがある。エセルだ。
声と共にエセルが鉄巨神の顔の前へと現れる。それならボレアリスが言っていた情報の通りならば、赤き三日月型の飾りを頭部に持つ白い鉄巨神にいるのは。
「紅蓮の、カムナビ……!」
エセルの好敵手。武人を体現したかのような姿をしたアグヌス屈指の槍術の使い手だ。
「思惑通り来たわね。エヌの読み、
「ここから先には行かせないんだな」
突如鉄巨神の前へ紫の光と共に二人の執政官が現れた。向かって右側は細身で体つきからして女性に見える。左側は明らかに余分な脂肪で膨れた身体を持ち、鳥を連想させるマスクからは見下すような半目が覗いている。声からして恐らくは男性だろう。
「あの執政官、コロニーゼータの執政官だよ。合同作戦の時見たことある。確か……オーだったと思う」
セナが左の執政官——オーを知っていた。それなら右は
「キャッスルにいる執政官の一人だよ、ピーって名前。ボク、何回も見てる」
ケヴェスとアグヌスの執政官が同時に現れ、エセルとカムナビが手を組みウロボロスを殺しに来た。もうキャッスルと執政官、メビウスとの繋がりは疑いようが無くなってきた。カーナの古戦場では全ての執政官がメビウスとは限らないと思っていた。しかしメビウスはウロボロスの敵、そして目の前にいる執政官もウロボロスの敵としてやってきた。更にヨランの件と合わせれば執政官の全てはメビウスであると結論付けて間違い無いだろう。
「久しぶりねぇ神奏の。コロニー9に行ってから行方知れずで心配してたのよ」
「ボクも抹殺対象にしておいてか」
「そうね。でもケヴェスで一番の奏者はやっぱり貴方ね、何人か演奏を聞いたけどやっぱり物足りないわ。殺すのは惜しいくらいよ」
掴みにくいピーの喋り方は苦手だった。口調は柔らかいがどうも落ち着かない。きっと心の底で他人を馬鹿にしているのが透けているのだ。
「ノア、ミオ。私は本気だと伝えたはずだが?」
エセルが二人に問いかけた。本気、即ちウロボロスを殺す意志は変わらない。
だからこそ来たのだ。エセルたちを止めて、殲滅兵器を破壊してコロニー4を守る。エセルにウロボロスを殺させなどしない。そして大切なコロニーの皆も守り切る。
その程度の事はエセルにはお見通しだろう。目を閉じて不敵に笑った彼女の表情からよく伝わってくる。伝わるからノアたちにも理解ができる。理由を話して通してくれと言っても許してはくれない。
どうにもならん。諦めろ、と。
エセルが背を向けて鉄巨神へと戻っていく。それがエセルの答えであり、彼女からの鼓舞でもある。
どうにもならない時は諦めろ。
「なら……最善を尽くし、全力を尽くす!」
ノアが叫び、皆もまた
エセルがそう教えてくれたのだ。
「よく言った。それでこそ君たちだ!」
エセルの鉄巨神が二振りの剣を構える。彼女のダブルレイピアと連動した特別な鉄巨神だ。カムナビもまた先端の燃え盛る長槍を構えた。
自身の何倍もある鉄巨神相手だろうと弱音は吐いていられない。やるしかないのだ。