神笛と永遠と   作:坂野

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 扉が閉まり六人の姿が見えなくなる。それだけで胸の真ん中が少しだけ切なくなる。みんながいないからでも静かになったからでもなくて部屋が暗い所為、きっとそうだ。

「明かり点けるも」

 リクがエーテルランプを弱く灯す。ぼんやりと、けれど柔らかい赤色の光はどことなく安心する。リクとマナナもいるから孤独ではない。独りでこの部屋で泣いていた自分とは重ならないはずだ。

 

「皆さんが戻ってくるまで暇デスも。お部屋の中を探索しますも!」

 マナナが部屋を彷徨(うろつ)きだす。寝台で跳ねたり机の引き出しを開けてみたりと早速はしゃいでいる。タイオンの心配は見事に当たっていた。

 その中で部屋の隅に置かれた決して大きくはないクローゼットを開いたマナナが一際高い声を上げた。

「ももーっ! 素敵なお洋服ですも!」

 黒の服が一着収納されている。ケヴェスのおくりびとの軍服に似ているが、上着の前側は完全に閉じられておりパワーアシストも無い。スカートにあたる部分の丈が長く、素材も軍服よりは薄く軽いが、触れてみると上質な生地で作られているのがすぐに分かる。簡易的な礼服と言えるだろうか。

「これ着てましたも?」

「うん、成人の儀の時の服。神奏とか言われちゃったから、服も別のを用意されて。……随分といい思いさせられてたな」

 小さくも重たい息を吐いた。別に特別な立場だからと誰かを見下してきたつもりはない。戦えぬ己よりも戦場で武器を振るう他の兵士の方が遥かに立派だと、以前も今もずっと思っている。

 しかしノア達と出会い、旅をする中で改めてやはり自分の恵まれすぎていた境遇を痛感した。戦場とは自分が考えるよりも遥かに悍ましく、恐怖も憎悪も悲しみも受け止めきれない程に溢れかえっている場だった。目の前の人を殺さねば自分が殺される世界で生きる兵士と比べ、キャッスルでただ守られておくりの調べを奏でるだけ。おくりが出来なくなれば死ぬとは常に考えてはいたが、それでも今日明日すぐにやって来る事ではない。兵士達は常に一秒先の未来すら信じられない世界で生きている。実際の戦場に立つ者達からしたらあまりにも狡い存在だったろう。

 それを正しく理解していなかった自分が嫌になる。

 

「……じゃあ、これは何も?」

 いつの間にかトワの足元にいたリクが何かを差し出してきた。くたびれた教本だ。トワはそれをよく知っている。だって、自分の物だから。

「教本のいろんなところに書き込みが沢山あるも。戦闘、作戦の立案、調理、採集、整備……」

 成人の儀の奏者を下ろされた時の保険として蓄えていた知識だった。武器(ブレイド)が出せなくても自分は役に立てると言えるようになろうとした足掻きだった。

「前にマナナが言いましたも、トワさんは何でも頑張ってきたって。その証拠がこの部屋にたーくさん詰まってますも!」

「マナナの言う通りも。土塊や赤銅でただ文句言ってる戦闘兵よりずっと立派も。特別な服くらい持ってたって狡くも何ともないも」

 つくづく救われてばかりだ。泣いて、苦しんで、罪悪感ばかり詰め込んでいたと思っていた部屋を二人はひっくり返してくれる。卑屈にならずに胸を張れと、俯いていた顔を上へと向けさせてくれる。

 

「成人の儀で演奏してきて、嬉しいと思ったことはありませんも?」

 右手を顎に添えて記憶を辿る。成人を迎えた者が金色の粒子となる瞬間の表情、おくられる命を見守るケヴェスの兵士達、還ってきた兵士を受け止めているかのように両腕を広げる女王、黄昏の真っ赤な空。十年を生き抜いた者への手向けとして整えられた儀式は、この世界で数少ない心の底から美しいと思える光景だった。

「……そうだ」

 一つ、思い出した。

 

 トワが四期あたりの頃だった。成人の儀の後、自室に戻ろうとした時にある兵士に話しかけられたことがある。八期くらいの見た目をした女性の兵士で、顔が少し高い位置にあるせいか少しだけ身体を硬くしてしまった。何か不手際でも咎められるかと嫌な考えが巡って背中が冷たくもなった。

 しかし彼女から出てきたのは予想とは真逆の言葉だった。

「ありがとう。彼の為に演奏してくれて」

 兵士の多くの目標は十年を生き抜く事だ。生き抜いた最後の最期に成人の儀を受ける。あくまでも大切なのは儀式自体である筈だった。

「彼ね、いつも貴方の笛の調べでおくられたいって言ってたんだよ」

 彼女は成人を迎えた者と同じコロニーの仲間だった。勿論トワと彼女は今まで会話はおろか、顔を合わせたことさえなかった。成人を迎えた者だって少し前にどういう人物かをデータの上で知ったくらいでしかなかった。だがそれはあくまでもトワの視点に限る。ケヴェスの多くの兵士はキャッスルに特別なおくりびとがいると知っている。

 話を聞くと以前の成人の儀の演奏を聞いた事があったという。その時にトワの笛から紡がれた旋律を大変気に入ったのだ、と。

「もしも貴方以外の演奏でおくられるのなら成人の儀なんて受けなくていいとまで言ってて、それだけ響いたんだろうなぁって。あんなに嬉しそうに旅立ったのを見られて私も幸せだったから」

 そう言った彼女の笑顔を見ておくれて良かったと、成人の儀で演奏できて良かったと心の底から感じたのに。自分の傷もない手が誰かの為になると、既に知っていたのに。

 

 なんでこんなに大切な事を忘れていたのだろう。

 

 自分の演奏を喜んでくれる人がいたのに。他の誰でもない神奏の笛の音で成人を迎えたいと生きた人がいたのに。

 沢山のおくりびとの中からたった一人、トワを選んでくれた人がいた。それを記憶の隅に追いやって、戦えないと嘆いて膝を抱えていた。なんて身勝手だろう。

 立場を鼻にかけて調子に乗るのも悪い事だろう。けれど卑屈になって自分を下げすぎて、自分へと向けられた感謝すら正面から受け止めるのを忘れていたのではないか。それだって相手からしたらどれだけ酷い行為か。

 何も変わっていなかった。やっと、気がついた。

 自分はずっと、沢山の人から温かい想いを向けられていた。

 

「あった……たくさん、あったよ。ボクはずっと幸せ者だったよ」

 戦えないからと己を過剰に卑下するのではない。今の自分がやれる事と精一杯向き合って、そうして誰かから向けられた想いを抱えて、もっと誰かの為になるように。この笛とおくりという行為で。

 それがボクが戦うという本当の意味だ。

 

 

「二人に見てほしい物があるんだ」

 大切な事を思い出させてくれたリクとマナナへ、トワの小さいけれど特別な物。

 クローゼット内部にある小さな引き出しを開く。入っているのはバレッタだ。模様が彫られた黄金色の金属質の材質で作られている。下向きの三角形の頂点それぞれに小さな円が配置されている模様だ。意味ありげに見える紋章だがケヴェスのともアグヌスのとも異なっている為、何を示しているのかトワも知らない。

「これも成人の儀で演奏する時につけてたんだ。御守りみたいな感じかな、なんか安心するんだ」

「不思議な模様デスも。でもマナナは好きデスも」

 今までは成人の儀、特別な時にだけ着けていた。十年を生き抜いた兵士へ最大限の敬意を示す為に、普段の髪留めではいけないと考えたからだ。

 ——そういえばこのバレッタ、何で持ってるんだっけ。

 いつの間にか持っていた。笛のように誰かに渡された覚えもないし、かと言って女王から生まれた時から在った訳ではない。本当にいつの間にか、トワの手の中に存在していた。

 考え込んでも答えは出ないだろうしあまり意味もない。首を軽く横に振って思考を振り払い、手を髪留めに伸ばした。今着けているそれを外し、金のバレッタと取り替える。

「持っていくも?」

「考えたらさ、成人とか関係ないよなって。命尽きる瞬間まで必死に生きてたのはみんな同じだから」

 出会う骸に対して敬意を払うのは当たり前だ。だからこのバレッタをこの先へと連れて行きたくなった。単にそれだけ。

 バレッタにはキャッスルにいた間のトワの罪悪感と、沢山の人から貰った想いも乗っている。けれどそれはキャッスルの中だけ、成人の儀だけ。もっともっと多くの人や想いを乗せたい。トワ自身がキャッスルを離れて様々な経験をして、人の想いに触れたように。この暗い部屋の外にも世界があるのだと教えたい。

 

 

 リクとマナナには好きにしてていいと伝え、トワは寝台へと腰を下ろす。笛を取り出して大きさは控えめに音を鳴らしていく。

 ミオに頼まれた彼女の為の旋律を創る。ミオの残り時間はあと二ヶ月だから一ヶ月で旋律を創り、残りの一ヶ月はノアとの練習に充てたい。本来の目的はシティーだから隙間時間でしか作曲も練習も出来ない。今が絶好のタイミングだ。

 トワが調べに乗せる想いの基本は魂が辿り着いてほしい場所だ。赤い剣の突き立つ草原、サフロージュの咲き乱れる場所。想像した景色自体は異なっていても、命を終えた魂がそこで穏やかでいられるようにという想いは全く同じだ。

 ミオの魂が行き着く場所はどんな所だろう。ミリク平原みたいな草原? イーグス荒野に似た乾いた大地? モルクナ大森林のような木で覆われた世界?

 

 いっそのこと今いる大地から離れて、空の上でも良いかもしれない。眼下には雲が海のように広がっていて、そこへ飛び込んでも落ちたりしない。水みたいに雲の中を泳げるなんてどうだろう。

 雲の上には大地はあったりするのだろうか。ケヴェスキャッスル地方が浮遊岩礁で構成されているから、意外とあり得る話かもしれない。雲の海で泳いで雲の上の大地に上がる。そこにはきっとミオの大切な親友が、ミヤビがいる。戦いの世界から解放されて、二人で話したり笛を一緒に奏でて笑っていられる。

 そんな世界がいいな。

 

 そこで手が止まった。

 旋律が出来て、練習して、ミオの前で披露した時。彼女はこの世界からいなくなる。分かっているのに、分かったつもりでいたのに。

 やっぱり寂しいと、急に現実に戻された。

 もしも自分がこれを完成させなければミオがいなくならないと言われてしまったら、きっとそうしてしまう。成人して消えてしまう直前で世界が止まるならそれでもいいと思ってしまう自分がいる。

 でも世界は止まらないのだ。時間は進んでいく、戻ることは出来ない。永遠なんてここにはない。

 いずれやってくる別れは辛いが、ミオが願ったことだからやり切らねばならない。たとえ完成させなければミオはいなくならないとしても、ミオ自身の想いを裏切るのが一番最低の行為だとさっき気がつけたから。

 

 でも、ちょっとだけ、今だけ、ミオがいなくなった世界の話をしたい。この不安を吐き出して、少しでも紛らわせたい。

「ノポンって十年以上生きるんだよね」

 机を漁るリクと寝台で転がっていたマナナがこちらを向いてその発言を肯定した。

「……今まで、どれくらいの人達と別れたの?」

 戦場で失われる自軍の兵士の数で言えば一日に千は簡単に超える。流石にそれは別だ。薄情だが顔も名前も知らない味方は山ほどいるし、そこへ感情を入れ込む程人間として出来ていない。今は親しい仲間に限った話だ。

「ガンマにいた時だけでも沢山いましたも。昨日はご飯を食べに来てくれたのに今日は来てくれない。明日も、その後も……。やっぱり寂しいデスも」

「数えたことないも。そんな暇もないも。でも生きてたことはリクが覚えてるも、それでいいと思うも。別れていった人達の記憶を持って、リク達が生きてればいいんだも」

「乗り越え方とかあった?」

「ミオさんのこと、デスも?」

「……うん」

 出会って少ししか経っていないけれど、ミオの存在は随分と大きくなっていた。ミオに限らず他の皆も同じだ。仮にミオでなくて他の誰かが成人を間近に控えていても同じように怖くなっただろう。

 

「そんなものないも」

 リクがばっさりと切り捨てた。本当に驚く程迷いなく吐いたから、トワだけでなくマナナも目を丸くしている。

「必死に生きてたらいつの間にかそうなってるも。考えてもみるも。人が一人いなくなって下向いて、それで今を生きてる人に何が出来るも?」

 嘆き、叫んだところで失われた命は決して戻ってこない。もう存在しない人に囚われて、今すぐ傍にいる者に目を向けないなんてはっきり言って無駄だ。

 そういえばノアも過去に囚われるよりも前に進んだ方がいいと言っていた。

「悲しむなとは言わないも。でもすぐに顔上げればいいだけも。泣いててもいいんだも」

 大切なものだけは見失うな。

 自分はその大切なものの一端を知れた。

 いなくなった人は自分自身を通して生きている。存在の何もかもが消えるわけじゃない。

 ミオが託してくれたミヤビの旋律を背負って生きると決めた筈だったのに、未だにふとした時に揺らいでしまう。辛くても我慢して顔を上げなければ、またこの部屋で泣いていた時と変わらない。

 

 両の手で頬をぱしりと叩く。ミオがいなくなった時には絶対悲しむし、苦しむだろう。自分も、仲間達も。そうして泣いた後はミオの最後の想いを抱えて、今度は誰かに繋ぐのだ。

「覚悟決めないとね。"おくりびと"なんだから」

 その言葉にリクも満足そうに頷いた。ノポンにしては理性的で妙な落ち着きがあるリクには何度も助けられているが、彼はそもそも幾つなのだろうか。トワよりも年上なのは間違いないだろうが、どれくらい上かまでは知らない。

 

 何とも不思議なノポンである。

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