ゆりかごの中で眠る幼い少女の顔立ちは確かにエセルの雰囲気と酷似している。しかし今の少女の姿はどう見ても一期の身体だ。我々の知るエセルは十期だった。成人を間近に控えていたのだ。
よく似た別人だと結論づけて終わりたかったが、この姿を知っている者がここにいる。ノア、ユーニ、ランツは過去にコロニー14でエセルに助けられたのだ。三期にも関わらずコロニーを白銀へと押し上げたあの彼女に。
その顔と瓜二つ、全く同じと言っても良いくらいに目の前のゆりかごで眠る少女はエセルに似ていた。
ここは一体何なのだ。
ケヴェスの兵士もアグヌスの兵士もその命は女王から生まれる、と教わった。戦いに身を投じ、明日の命を掴む為に敵の命を奪い取り、必死に生き抜き、そして最期には——。
「女王へと還る」
この場にいない者の声がした方向、即ち上へと咄嗟に顔を向けた。降りてくる玉座と、そこに座する資格を有するただ一人。
白銀の長く美しい髪、ユーニと同じく頭部から生えた純白の羽、豪華でなくとも気品に満ちた黒のドレス、素顔を隠す仮面。ケヴェスの兵士であれば知らぬ者はいない存在。
「お帰りなさい、我が愛しき兵士達よ」
——ケヴェスの女王、メリアだ。
女王にしては近衛の一人もいない事に違和感を覚えたのも束の間、女王の右側に紫の粒子が弾けたかと思えば腰まではある長い黒の髪と金の鎧を纏った男が現れる。
それはコロニー4を発つエセルにトワが警告した存在だった。このケヴェスキャッスルを受け持つ執政官であり、ケヴェス全ての執政官を束ねる長でもある特別な人物。
「ウロボロス達よ。ここがメリア・エンシェント陛下の御前と知って足を踏み入れたのか?」
背筋が冷たくなる。静かな話し方ではあるがその中にある厳しさや鋭さが聞く側の身体にまで入り込んでくるようだ。その中で青い瞳は美しく見えたが、まるで深海を覗き込んでいるかのように真っ暗で感情の揺らぎは窺えない。ただ冷たいだけ。
今までのメビウスは言ってしまえばそのほとんどが小物染みた奴らだった。それもあってか余計に目の前の執政官からの重圧が強く感じられる。明らかに只者ではない。どんなに鈍い者でも察せる程の圧を放っている。
罠だったのだ。
ボレアリスから渡された地図も、殲滅兵器の図面も何もかもが。決してボレアリスがウロボロスを陥れたのではない。彼は何も知らずに利用されただけ。エセルが隙をついて入手したと言ったのも違う。わざとエセルに入手させ、ボレアリスを意図的に見逃してウロボロスに接触させた。
殲滅兵器の前でメビウスの手で抹殺する。それが駄目なら女王の間に誘導させて始末する。
ずっとメビウスの掌の上で踊らされていただけだった。
恐怖に足が竦む中でミオとノアだけが異様な反応を示していた。
ミオは激しい既視感だった。どこかで見たような、出会ったような気がしてならない。ずっと前から知っている。理屈は分からないが本能がそう訴えていた。
ノアは激しい頭痛に襲われていた。執政官を真っ直ぐ見つめる程に強くなるそれは今まで知ることの無い感覚だった。痛みだけでなく、不快感と嫌悪感に似た何かもノアの脳を直接握りつぶすかのように強くなっていく。
しかし二人の様子に気がつく者はない。
女王が王杖を床に打ちつけた。
「
嘘はないのだろう。表情は見えないものの声色と首を横に振る仕草から遺憾の意が感じられる。
「俺達が世界を壊そうとしているだって?」
「違うのですか?」
思わず声を上げたランツの言葉に間髪入れずに女王が返す。
ウロボロス達は今まで何をしてきたのか思い返してみろ。ケヴェスもアグヌスも問わずに火時計を破壊してきたではないか。各コロニーに必ず備わっている火時計、それはこの世界の決まりだ。それを破壊するのなら、世界の破壊と同義である。
黙っていられなくなったユーニもまた叫ぶようにして反論する。仕方のないことだったのだ、と。
「——仕方なく?」
女王の声に僅かな怒りの色が滲む。仕方なかったから火時計を破壊するに飽き足らず、敵であるアグヌスの者どもと共に在るのか。アグヌスは敵、ケヴェスの手で命を奪われる存在、これも世界の決まり。
「だから……だから抹殺しようとしたのか。俺達を、エセルのコロニー4を!」
女王はノアの叫びに直接は答えなかった。だが数刻の沈黙が事実上の肯定を示している。女王はノア達ケヴェスの者を愛しい兵士と呼びつつも此方を許そうとする気は微塵もない。
ウロボロス達と女王には明確な溝が存在していた。
「やはりウロボロスは"世界に仇なす存在"……。抹殺しなくては世界は滅びてしまう」
己を世に送り出した女王からの拒絶はキャッスルに抗すると決意しても心を抉ってくる。それに耐えきれなくなったかのようにユーニが再び叫んだ。
「仇なすってなんだよ!? アタシ達は今までケヴェスに、女王の為に戦ってきた! アンタに尽くしてきたのに……なんで!!」
その言葉を受けた女王の空気が変わった。怒りでも悲しみでもない。理解ができないと、そう伝わってくる。
「違うでしょう? 己自身の為。死にたくないから、その命を手放したくないから戦ってきたのでしょう?」
誰も言葉を返せなかった。それが紛れもない"事実"だったからだ。前線で武器を振るう者だけに限らない。整備だろうと採集だろうと調理だろうと、おくりびとだろうと。与えられた任務をこなす理由を突き詰めていけば根底にあるのは同じ想いだ。
死にたくない。ただ一点に集約される。
「……神奏の。私の愛しいおくりびと」
不意に女王がトワへ呼びかけた。
「貴方は彼らとは違うでしょう。不幸中の幸いでしょうか、貴方はウロボロスと共に在りながらもウロボロスそのものではない」
確かにインタリンクも不可能であるし瞳にウロボロスの輪も持たない。ノア達と違って完全なウロボロスではない。それでもゲルニカから"七人目"と言われた事は覚えている。何かまだ知らぬ事はあるだろうが、それを今女王に漏らす程間抜けでもないから口を結んだままに女王を見据える。
「キャッスルへ戻っておいでなさい。あの時、エセル達に貴方まで抹殺させようとしたのは誤りでした。部屋もそのままにしてあります。キャッスルは貴方を受け入れますよ」
キャッスルに潜入した時に出たトワの部屋がやけに綺麗だったのに合点がいった。あれもキャッスル側の作戦の一つだったのだ。
エセル達にやらせた時と手段を変えただけだ。始末できないならキャッスルへ幽閉してしまえば良いだけ。笛を介しての命の粒子への干渉能力の脅威さに加えて、どうしてもウロボロス六人とトワを引き離したいらしい。
「トワちゃん、戻っちゃダメだよ……!」
「そうだ。戻ったって安全な保証なんてどこにもねぇんだ」
セナとユーニがトワを庇うようにして前に出る。
トワも概ね二人と同意見だった。甘言で誘おうとしても今までの出来事とこの状況からしてキャッスルはもう信頼出来る場ではなくなっている。
何より今のトワには強い理由がある。
「……嫌だ。ボクはもうあの部屋には戻らない! みんなについていくって、ボクのおくりで出来ることを見つけるって決めたんだ!」
はっきりとした拒絶を女王に見せるなど今まででは考えられなかった。それこそ無礼だの不敬で死に直結してもおかしくなかった。女王が怒ろうともう戻りはしない。
「そう、ですか……」
仮面で見えはしないが女王が一つ溜め息をついた。その溜め息が霧散するか否かの瞬間、王杖から風のエーテルが集い此方へと発射された。ノア達は即座に
風圧により全員の距離が開く。それを女王は見逃さなかった。
トワの足元が黄色く光ったかと思えば、床からエーテルで編まれた
「あ、……っ!」
逃げも抵抗も許さず荊がトワを掴み上げた。
身体を大きく動かすのは当然不可能であるし、足の先も地面についていない。荊で宙に浮かせて身体に力自体を入れさせないようとしている。腕も肩より少し低い位置で宙に浮く形で拘束されている。笛に触れさせるのも許さない捕え方だ。
すかさずリクがエーテルの荊を切断しようと飛び出したが、トワの目の前でリクが何かに弾かれてしまった。
「リク!」
「も……、壁が邪魔してるも……!」
二度地面を跳ねたがノポン自慢の柔らかボディのおかげでリクに怪我はない。しかしその表情は悔しげに歪んだままだ。
透明に近いエーテルがハニカム状となりトワの周囲を囲っている。荊の発生と同時か直後に構成されたのだろう。
「これくらい自分でなんとか……。ん、ぐ……ぅっ!?」
自力で脱出出来ないかと足掻いてみる。力を入れれば身を捩ることは出来る。このまま荊を緩ませられないかと思ったのだが、途端に荊の締め付けが強くなった。
「ァ、はっ——、……ッ」
苦しい。生理的な涙が滲む。声どころか息をするのもやっとだ。拘束が強まっただけでなく、伸びた荊が首にまで巻き付いている。
「身を委ねろ。抗えば抗う程に苦しむだけだ」
黄金の執政官が口を開いた。滲む視界の中でも冷たい碧眼が真っ直ぐに射抜いてくる。黙って見ていろと語りかけてくる。
「ウロボロスがいなくなれば、貴方はキャッスルに戻らざるを得ない。
安心なさい。そこにいれば攻撃の余波は及びません。私が貴方を守りましょう」
「守ってなんかない! 苦しめているのは貴方だ、身も心も縛り付けて! あの子はキャッスルでずっと泣いていたのに女王である貴方は手なんて差し伸べなかった!!」
「ミオ、さ……」
「無理して喋っちゃ駄目。——大丈夫、私達が必ず助ける」
振り返ったミオの金の瞳は力強く輝いていた。仮面で隠れて見えない女王の瞳よりも、ずっと傍にあって優しくて、信じられるそれ。
「アグヌスがケヴェスを助ける? ああ、そうやって私の愛しきおくりびとを誘惑してきたのですね。無垢な彼女を誑かし汚そうと……」
「違う! 同じ人間だから、"命"だから! それに私達は気づいただけ——」
「神奏の、やはり貴方に外の世界は危険すぎる!!」
ミオの言葉を遮って叫び上げた女王が、再び王杖を強く床に叩きつけた。硬い音が女王の間に反響する。
「これからは私の傍にいなさい。キャッスルの中、我が玉座がこの世界で最も安全な場。これまでしてやれなかった分も、沢山、沢山、愛しましょう。
その為にも……世界を破壊へと導くウロボロス、我が威光の前に滅するが良い!!」
「っ、女王! それが貴方の意志なのか!」
堪らずノアが叫ぶ。女王は明確な殺意を此方に向けているというのに彼はまだ何かを諦めきれていない、何かを信じたがっている。
しかしノアの叫びに答えたのは女王ではなく執政官だった。
「女王陛下の意志ではない。"世界の意志"だ」
淡々と定められた理を読み上げるが如く執政官が告げた。その内容には引っかかる点はあるが、今はもう悩みも迷いも出来ない。
「ウロボロスをこの私の手で消し去る。世界の安寧の為に。それが、この世界の全て」
もう今の女王に対話の余地は残されていなかった。