案内された部屋に入ってすぐ、目の前には深緑色のカーテンが広がっていた。先程モニカに先生と呼ばれていた男が穏やかな笑みでカーテンをゆっくりと開いていく。
そこにいるのはベッドに身を起こして座っている女性と、その横に佇んでいる男性だ。二人とも柔らかく、とても欲しかったものを手に入れたと言わんばかりの笑みを浮かべている。
そして女性の腕に抱えられた、とても小さい、何か。
ただその光景を口を開けて眺めていれば、女性が優しく手招きをして呼び寄せてくれた。男性も右腕を振って近寄るように促してくれる。
何故か寄っても良いのだろうかと迷ってしまい、助けを求めてモニカを見ればモニカも口角を上げ黙って頷いた。
ミオが一番最初に足を踏み出し女性の元へと駆け寄った。ワンテンポ遅れて他もベッド周りに集まっていく。
全員の視線は女性の抱えた小さい何かに釘付けだ。タイオンはそのあまりの小ささに驚き、セナは小さいけれどやはりこれもまた人なのだと理解した。こんなに小さいのに動いている、声を上げて自分の存在を叫んでいる。
「触ってあげて」
小さい人間に対して最も近寄り、特に興味を示していたミオに女性が声をかけた。ミオはそっと、軽く握った右手の甲で傷つけないようにゆっくりと頬の辺りに触れる。ミオの手が触れて驚いたのか小さい人間は鳴き声を大きくした。ミオは一瞬戸惑ったが、今度は開いた掌で包み込むようにして頭を撫でる。
「温かい……」
「でしょ。指、こうしてこの子の掌にゆっくり近づけてみて」
女性が小指を立てる仕草をしたのでミオも倣って左の小指を立てる。それを小さい人間へと近づければ、きゅ、とミオの小指を小さな小さな掌で握りしめた。
振り払う気など毛頭無いが、小さな体躯からは想像できない程に強い力がミオの小指を握っている。引き抜こうにも易々とは抜け出せない。
ミオは感動の隠しきれない声でセナにも同じように触れてみてと促した。その横ではタイオンが様子を覗こうと二人の周りをそわそわと、ひどく頼りなさそうにうろついている。
セナが小さい人間に掌で触れてやはりその温かさに感動し、タイオンはもう我慢ならずにミオとセナの間に割り込み緊張の面持ちで手を伸ばした。
「わ、あ、あぁ……!」
今までのタイオンから聞いたことのない声が絞り出されている。
「すごいな……すごいな、セナ……!」
「もう、ミオちゃんも私もずっと言ってるでしょ」
タイオンに続いてユーニやランツ、ノアも順番に小さい人間に触れていく。タイオンほど露骨に感情を出してはいなかったが、ノア達も初めて触れる存在に少なからず気持ちを昂らせていた。
「貴方もいいのよ。触ってあげて」
「……え」
女性がトワへ微笑んだ。トワはそこでちょうど女性と正面の位置で自分がただ突っ立って、動けていないことを自覚する。
「あ、えっと……、はい」
確かにトワも小さい人間への興味は大いにある。あるのだが、皆がそれに触れている間、トワは小さい人間よりも抱える女性ばかりを見つめていた。
見たことがあるような気がしたのだ。無論女性自身ではない。何となく、この光景を、小さい人間を抱えて愛おしげに笑う人を、その側にも同じ表情で小さい人間を見つめる人を知っている気がする。女性と男性ともう何人か周りにいて、嬉しそうな声をしていて。顔なんか分かるわけもない。話している内容だって理解できない。知っているのは、憶えているのは薄い金と蜂蜜色の綺麗な髪、ずっとどこかで聞いていた優しい声。光に溢れた世界で誰かに抱きしめられていた感覚。
そうやって自分の名を呼んでくれた存在を、何故か知っている。言葉も分からないのに、それが自分の名だと不思議と憶えている。
トワもまた皆と同じく、恐る恐る女性の腕の中の存在に手を伸ばした。指の腹で触れた肌はやはり温かい。温かくて柔らかくて、水分を沢山含んでいるのかこちらの肌に吸い付いてくる。優しく少しだけ押せば弾力で押し返してもくる。
生きている。
そんな当たり前の事がやけに切なくて愛おしい。こんなに小っぽけで、自分より力も無いとても弱い存在なのに、弱いのに強さがある。変な感覚だ。
「不思議だろう? だがこれが人間本来の姿なんだ。詳しく知りたいなら先生に聞くといい」
モニカに視線で合図された先生と呼ばれた医師——名をホレイスという——は、シワの刻まれた顔をより深くして笑った。
「人間本来の姿、知りたい人は手を挙げて」
全員が、リクもマナナもホレイスに釣られるようにして笑顔で片手を挙げた。
そうしてホレイスから教わった人間の本来の姿、生まれ方、成長、親と子という繋がり。育成モジュールからではなく人間は人間から生まれる事実は新鮮で、モジュールよりも惹かれる何かがあった。
モニカの言った新たな光とは人間から生まれる人間、"子"と呼ばれる存在だった。望まれて生まれてきた命は確かに眩く見える。
繰り返さない代わりにたった一度きりの生を必死に生きる。兵士達は繰り返した記憶は持たないが、ユーニが一瞬でも過去を垣間見たように無意識下ではやり直せると思い込んでいたのかもしれない。
メビウスの糧として扱われて、いつ死のうとまた蘇る。繰り返すと知っていれば扱いは自然と軽々しく、雑になる。そこに兵士達の想いがいくら存在しようと、世界のシステムとして勝手に廻り続けている。
そこから外れた者がシティーに生きる者達だ。ロストナンバーズはそのたった一度の命を懸けてまで、兵士も同じように生きられる世界を目指している。火時計に縛られずとも存在する十年の枷もいつかは外そうと研究にも力を注いでいる。戦いで誰も命を落とさない世界を望んで。
医療施設から出ると目の前を小さな人間が、否、子ども達が複数人横切って行った。子ども達はすぐに戦い等に身を投じるのではなく、心身が成長するまでは親の庇護下で育っていく。
見回せばそんな子ども達に限らず、親と遊ぶ子もいる。親が子を持ち上げれば子は高い声を上げて笑った。
シワシワの人間は老人と呼ばれている。成長して年を重ねる事を老いと言う。そういえばそんな単語をゲルニカが言っていた。
そんな老いた男女が何かを会話しながら歩いていく。浮かべた表情は明るかった。
横長い椅子に腰掛けた若い男女が見つめあっている。兵士における五期から十期に似た姿の人間は若者と呼称されている。若い男女は言葉を交わさずに見つめあっていたが、何方からともなく瞼を下ろしてゆっくりと互いの唇を重ね合わせた。
初めて見る行為だった。
「あれ、不衛生じゃないかな。……ノア、ミオさん?」
唇や口は言葉を発したり呼吸や飲食を行う部位だ。唇もそれと繋がる口内にも細菌等が多くいる。意識の無い相手に人工呼吸をするといった緊急時は別だが、そのような目的も無くただ唇を重ねるのは単純に汚く思える。そもそも人工呼吸は唇よりも外側を覆って息を吹き込むのだから、唇同士が触れ合う事自体考えられない。唾液を介して感染症に罹る事だってあるのだし、軽率にして良い行為だとは到底思えない。
それなのに若い男女二人に嫌悪の様子は微塵も無く、寧ろ嬉しそうにしているのが不思議でならなかった。
トワは感想に何となく同意を得たくて、すぐ隣にいたノアとミオへ
「はは、確かに衛生的とは言えないな」
振り返ったモニカが笑った。
「でもここに生きる人々が本来の姿、命の在るべき姿なんだ」
命は人から生まれ落ちて育ち、やがて伴侶を見つけた者は新たな命を産む。最終的に老いて自然へと還る。
広いアイオニオンの中にあるとても小さなシティーという空間に生きる者。その者達だけがそれを知っている。
モニカは次にシティー内にある命刻碑へと向かった。メビウスとの戦いで命を散らした者の名を刻んでいる石碑だ。
モニカはシャナイアから受け取った眼帯を石碑の前へと置いた。そして命刻碑の前で膝をつき目を閉じて静かに何かを祈っている。流石にその状態のモニカに話しかける訳にもいかず、ただ黙って彼女の背中を見守る。
少ししてモニカは立ち上がり、一つ安心したような顔で改めて命刻碑を見つめた。その彼女にノアがある質問をぶつける。
「さっき言ってた"ハンリョ"……って?」
「愛する者のことだ」
愛。また知らない言葉だ。
「愛、とは大切な物を想い慕う気持ち。好きという感情はお前達にもあるだろう?」
好きは分かる。それならば仲間に向けている好きも愛になるのだろうか。
「愛はそれよりも更に深いもの、だろうか。単なる好みに留まらない感情。この人の為ならばどんな事も成せる、この人とならば不幸にさえなっても幸せだと言える程の気持ち。
ま、愛にも種類はいくつかあるが今はそれだけ覚えていればいい」
複数ある命刻碑には他のシティーの者も訪れていた。一人の女性は数ある中から一つの名を見つけて、それを確認するように指でなぞる。その者にとって愛する人、伴侶の名前だったのだろうか。
他にも母親と子が命刻碑の前で目を瞑って静かに佇んでいる。母親の目尻には光る物が見えた。亡くなった誰か、愛する人へと想いを馳せているのだろうか。
「愛はそう簡単な言葉で語り切れるものではない。
いずれお前達にも分かる時が来る。——いや、もしかしたら」
モニカはノアとミオを交互に見つめて、"親"の顔で微笑みを浮かべていた。
モニカのした行為や命刻碑にやってきた他のシティーの者を見て、トワはある事に気がつく。形はケヴェスとアグヌスのとは異なっているが、きっとこれがシティーにとってのおくりなのだ。
命刻碑の存在と名前を刻む事、刻まれた名の者を想い生者が祈りを捧げる行為。自然に還る命と言えど死者の想いが本当の意味でどこへ往ったのかは分からない。だからこれも今を生きている者の為に存在している。
死者の想いを想像して語る行為は、もしかしたらあまりにも身勝手なものかもしれない。それでも根底にあるのは安らかに眠ってほしい、苦しみから解放されてただ穏やかに笑っていてほしい想いだ。
ゲルニカも眼帯という物を通じてシティーへ戻ってきた。あの時に触れた粒子からは感じられなかったが、シティーから遠く離れた地で命を落とした彼にだって無念の想いは沢山あっただろう。きっとその中にシティーへと帰ってくる想いも存在した。
「おくっても、いいですか」
ゲルニカのシティーへの想いを、どこか彼が安らげる場へ届くと信じて。
「ああ、親父も喜んでくれるよ」
おくりびとの行為はメビウスにとって都合の良い道具だと知ってしまった。でも死者の為にもなっていると意味を見出してくれた人がいた。
今、自分はどうしたいのか。
ただおくりたいのだ。
己の為かもしれない。モニカの為なのかもしれない。明確な答えはないけれど、この場でゲルニカの想いを考えて調べを紡ぐことがこの瞬間の使命だと感じた。
笛を構えて息を吸う。
ゆっくりと丁寧に吹き込んでいつもの自分の旋律を奏でる。
ボクらは貴方の願った通りシティーに辿り着けた。貴方が託してくれた希望を途切れさせずにここまで来られた。世界の真実はとっても辛いものだけど、貴方はそれから解放しようとしていたのだと知れた。
何をするのか、何が出来るのか。今は右も左も分からないけれど、貴方の希望をボクも繋いでいきたい。
だからどうか安心していてほしい。怖いけどボクはまだこの世界に完全に負けたくない。
ボクのこの想いが貴方に届くように。
眼帯から金色の粒子がぽつりぽつりと昇っていく。息を吹けば消えてしまいそうに小さく、僅かなものだった。
しかし粒子は昇ったのは事実だ。確かにゲルニカの想いはそこにあったのだ。
今更ながらトワ周りの設定画が出来ました。あらすじの一番下にあります。