神笛と永遠と   作:坂野

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 結果としてあの場では誰一人として死人は出なかった。脱出に失敗したアギョウやウンギョウといったシティーの者は再びリ・ガート収容所へ戻された。それも数としては数十人しかいない。ゴンドウを始めとして、ウロボロス候補生達や多くのロストナンバーズ兵は逃げ切る事に成功した。

 しかしノア達当代ウロボロス、リクとマナナ、そしてトワはアグヌスキャッスル内の白亜の牢獄へと投獄された。その中でミオのみは別の牢屋へ、他はまとめて一つの牢屋へと押し込まれた。

 牢獄内はエックスの能力と同様に武器(ブレイド)の抜刀は不可能だった。トワはエヌから武器(ブレイド)を抜けば他の仲間を直ちに殺すと耳打ちされたが、トワの後頭部に中継デバイスの埋め込まれたバレッタはない。エヌから脅しをかけられなくとも今のトワは以前と同じく、全くの無力に戻っていた。

 

 差し込んでくる夕陽が眩しい。こんな状況下でなければ、その美しさにうっとりと溜め息を吐くことも出来たのだろうか。

 タイオンはここから脱出する策を練っている。どれ一つとして上手くいきそうにないと首を横に振ったが。

 ノアは感情のままに格子を揺らしていた。殴りつけ体当たりをしようとも、強固な金属で組まれた格子は当然崩れも曲がりもしない。金属同士が接合部の僅かな隙間でぶつかり合う音が喧しく響くのみだ。何度か試したところでノアも結局は抵抗をやめてしまった。

「ごめんね……ごめん……。ボクが……ボクのせいだ……」

 膝を抱え込み只管にトワが謝り続ける。トワが責任を感じる必要など微塵も無いと、ユーニが背中を撫でつつ優しく慰めてくれるが、エヌの言葉が頭にこびりついて離れない。

 自分が選択を間違えた所為で皆をこんな目に遭わせてしまった。自分が余計な考えを起こさなければ、全員が収容所から脱出してシティーへと戻れたかもしれないのに。有り得たかもしれない可能性がトワを責め立ててくる。

 

「意外と大人しいな」

 今、最も聞きたくない声だった。ノアと同じだと思ったがまるで違う。何もかも、こんなの、ノアなんかじゃない。

 エヌはこの状況を静かに嘲る。ミオはすぐ隣の牢にいるから叫べば声くらいは届く。名前の一つでも呼んでやればどうだと。

 エヌを睨みつけるノアの目は未だに死んでいなかった。希望が完全に潰えた訳ではないから、まだ戦えると彼は信じている。

 エヌは余興の内容を語り出した。誰に対しての物なのか、誰が得をするのか。そんなのは分かりきっていたがたった一言、それだけで全員が絶望へと叩き落とされる。

 

「"成人の儀"だ」

 

 ただ、絶句した。

 あと一月もせず、触の日にミオの命は刻限を迎える。その日に盛大に、キャッスルを挙げて成人の儀を執り行う。

 下卑た笑いを響かせるエヌに耐えきれなくなったノアが格子を握りしめ、射殺さんばかりの目でエヌを睨みつける。

「おっと、大事な事を伝え忘れていた」

 ——もう、いい。

「命の再生については知っているな?」

 ——やめて。

「だが例外もある」

 ——言わないで。

 

「成人の儀を迎えた者の命は、再生されん」

 

 牢が解放され、その瞬間にアグヌス兵がノア達を取り押さえる。何をするのか分からずにいたが、ゆっくりとエヌが牢屋へと入り込んだ。

「キャッスルの誇るおくりびとに演奏を担わせるのも良いが、それではお前達も満足しないだろう。顔も知らぬ者に大切な仲間をおくられては折角の成人の儀も味気ない」

 足の向く先が誰かなどと考える必要もなかった。

「しかし、だ。その役割を果たすのに最適の人物がここにいる」

 エヌがトワの髪を乱雑に掴み、俯いていたままの顔を強引に上げる。

「光栄だろう。めでたき成人の儀を自身の手で執り行えるのだ。ケヴェスもアグヌスも関係無く、愛おしき仲間をお前がおくる。おくりびととして最高の喜びだろう!」

 手首を強く掴み上げそのまま引き摺るようにして牢の外へと連れ出していく。

「……やだっ、やだぁっ!! 離して、やだ、いやだァァッ!!」

「扱いは丁重にせねばな。神奏には別室にてゆっくりと準備に取り掛かってもらおう」

 ノア達も踠いているが、今の自分達は一介の兵士にも満たない。ただ押さえつけられたまま、トワの名を呼ぶしか出来なかった。

「違う、そんな成人の儀、やりたくない、やだ、っ、ミオさん!!」

 掴まれていない右の手が空を切る。連れていかれまいと踏ん張るが、エヌの力に到底及ぶ訳もない。仕留められ事切れた獣が単なる後処理として引き摺られるかの如く、トワの力の一切が無視され仲間達から引き離されていく。

 涙で滲む視界の中で仲間が自身の名を叫ぶ声と、ミオの白銀の髪が揺れていたのが強く脳に焼きついた。

 

 トワが連れて来られたのは明らかに牢ではない部屋だった。広くは無いが白を基調とした部屋に寝具や机、椅子など生活に最低限の物と、控えめながらも丁寧に配置された調度品が存在している。

 部屋へと押し込んで立ち去ったエヌと入れ違いになるようにして、エムがこの部屋へと足を踏み入れる。立ち尽くしているトワの顔を軽く覗き込み、細い指で零れ続ける涙を拭ってくる。しかし次々に涙は押し出され続けており、エムのその行為もあまり意味のあるものではなかった。

 その表情と行為がメビウスらしからぬものだと気づく余裕も無かった。

「私の執務室兼自室です。とは言っても私はあまり使用していませんから、成人の儀の当日までここで過ごしてもらいます。

 それと、これを」

 エムがトワの両手首に軽く触れると、そこに少しだけ燻んだ黄色のエーテルラインが浮かび上がる。見ただけならばシンプルな腕輪に見えなくもない。

「貴方には己の手で命を断つ事を禁じます。自害に繋がる行動を起こせばそれが強制的に貴方の動きを停止させます」

 要するに手枷だ。成人の儀のその日まで生き続けろと、苦しみ続けろと言いたいのだろう。

 

 エムが部屋を去ってからは何の行動を起こすでもなかった。見目は良いがここだって独房でしかない。抗ったとて易々と逃げ出せる筈もない。

 何の気力も湧いてはこなかった。

 柔らかい寝具が目の前にあるが、そこで横になろうとは思わなかった。ノアやミオは冷たく硬い牢の中にいる。自分だけが楽に眠りにつく訳にはいかない。彼等の道を潰した自分にはそんな資格だってない。だから床で眠った。床の硬さで身体が痛もうと、冷たさで震えようとも、布の一枚も被らずに、情け無く泣いて、泣き疲れて、意識を飛ばすの繰り返しだ。

 定刻に放り込まれる食事にも大して手をつけなかった。つける気力も無かった。しかしエムの嵌めた枷はそれを許さなかった。飲まず食わずは衰弱から緩やかな死へと繋がると判断され、命を繋ぐ最低限の水分と栄養だけはトワ自身の意思とは別にして口へと手が勝手に運んでいた。

 

 何日かが経過した、と思う。

 涙を流すだけの体力も消え失せて身体を横にしたまま、ただぼんやりと部屋の何かを見つめるわけでも無く、呼吸だけを繰り返していた。

 エムが再び部屋へと入って来た。床に転がったままのトワを見るなり焦りを含んだ短い悲鳴を漏らす。そうしてすぐさま駆け寄りトワを抱え込んだ。視界に埋め尽くされたエムの顔は、メビウスなのに今にも泣き出してしまいそうに歪んでいて、湿り気を帯びた声で言葉を零していた。

 こまめに様子を見に来るべきだった、自害出来ない事に慢心してはいけなかった。——ごめんなさい。

 どうしてメビウスである彼女が謝るのだろう。メビウスはウロボロスを忌まわしく思っている存在だ。現にミオの命を完全に消し去ろうとし、ノア達の心も完膚なきまでに叩き折ろうとしているのに、どうして。

 強くない力で抱きしめられる。エムの着用する鎧のせいで体温なんて届かないのに、不思議と温かさを感じた。

「……言伝を頼まれました。貴方に、ミオから」

 トワの瞳が微かに揺れる。

 ああ、でもメビウスの事だから、きっと適当な嘘を言って何が何でもおくらせる気なのだろう。

 

「おくって、と。約束(・・)の通りに」

 

 トワの目が見開かれる。やっと本当の意味でエムを視界に捉え、彼女の顔をはっきりと認識する。

「きっと彼は——"ノア"はおくれる状態ではないから。貴方一人に背負わせてしまうけれど、貴方が(ミオ)の為に作った旋律でおくってほしい。そう、言っていました」

 エムが、メビウスがそんな事を知っているなんて有り得ない。ノアと共におくる約束をしたのも、トワがミオの為に新たな旋律を生み出そうとしたことも。それを知るのは自分達だけなのにエムは知っている。だからこれは嘘ではなく、間違いなくミオがエムを通して託した言葉なのだ。

「ほんとうに、ミオさんが……言った、の」

 泣き叫び続けた所為で、やっと出した声は酷く掠れていた。

「はい。"ミオ"は仲間に想いを託してあなたのおくりで旅立てたらもう良いのだと、こんな状況でも笑っていました」

 エムが右手で何かを取り出し、トワの手に握らせた。

「笛……ボクの」

 ここへ連れて来られた時にノアの物と共に奪われていたトワの笛——神笛(モナド)

「だから……どうか、自分を傷つけないで。あんな過去は、繰り返す必要なんて無いから……」

 ——エムは何を言っているのだろう。

 メビウスである彼女の言葉がよく分からない。よく分からないが、その違和感へと思考を向ける余裕は無い。

 理解できたのは、ミオはトワの演奏でおくられるのを間違いなく望んでいる事だけだ。

 

「う、ん。そうだった、ボク、ミオさんと、約束したから」

 どんな状況になってもミオは成人の刻まで生き抜く。トワは必ずそれを自分の手でおくる。エヌが用意した余興でも、メビウスの掌の上で踊らされたとしても。

 約束だから。

「……ありがとう」

 エムの微笑みが、いつか見たミオのそれと重なった気がした。

 

 

 残り二週間。

 動かす指が時折止まる。迫る時間が腹の底からも物を押し上げるかのようで吐き気まで感じる。

 でも進むしかなかった。ミオをおくった後の自分や仲間達の身がどうなるかを考えないようにして、ただミオの命をおくりきる一点だけを見つめて。

 少しだけ変化があった。エムが日に必ず一度は顔を出すようになった。会話も多くはないし、あの時のように見せた微笑みも特に見ていない。本当に倒れていないのかの確認をしに来ているだけのようだ。

 なのだが、トワが床で眠る事だけは頑なに許してはくれなかった。運ばれてくる食事にも手をつけ目の開いている時間は只管笛と向き合っていたが、仲間達へのけじめとしてやはり恵まれた場で眠るのは抵抗があった。

 エム曰く万全の状態で臨んでもらいたいとか、戦場に立てなかったトワでは環境の影響を受けやすく衰弱が進むのが速いからだとか、尤もな理由を連ねられたが表情は無のままだった。メビウスとしてエヌの余興に同調しているのか、それともエムの本心からの心配からなのかも読めない。

 一度笛を持ったまま寝落ちてしまった時があった。次に意識を取り戻した時には、それはもう丁寧に寝台へと横にされていた。だからそれ以降は諦めた。仲間への謝罪で心を埋め尽くして眠りに落ちることにした。

 

 エヌにはここへ連れて来られた日以来会っていない。確かめはしていないが部屋の外には見張りの兵士がいるだろうし、彼自身が訪れる必要は別に存在しない。顔を見るのも、声を聞くのもエムだけだった。

 エヌがここを訪れていれば、その都度ノア達やミオの様子を告げてトワの心を抉っていただろうからずっとマシかもしれない。寧ろエムは仲間達の様子を何一つ伝えなかった。

 一度だけ、この状況が間違いなく現実であると確認する為にトワから聞いたことがある。皆はどんな状況であるのかと。

 エムの答えは「知らない」だった。ミオの言伝を預かった時以外あの檻房には向かっていないのだという。そう答える彼女もやはり無表情で無感情に見えた。余計に彼女が分からなくなっただけだった。

 

 

 時間は進む。止まる時など一瞬とて存在しない。来るなと願おうとも必ずその刻は訪れる。神の定めた理に人は抗う術を持たない。

 触の日、成人の儀が執り行われる日。

 来てしまったという嘆き、この手でおくるという使命感、避けられぬ現実への諦め。もう自分でも何を感じているのか分からないけれど、己でも不気味な程に感情そのものは穏やかだった。

 用意された着物へと手を通した。アグヌスのおくりびとと同じ真っ白な生地に、黄金色の糸による刺繍が施されている。

 成人の儀において主役は成人を迎えた者なのに、おくりびとが何故着飾らねばならぬのだろう。その疑問にも答えは容易に導き出せるようになっていた。

 何もかもが余興だから。アグヌスの歴史の中でも特別な儀にして、ケヴェスのおくりびとにアグヌスの色を纏わせ、反逆者のウロボロスを栄誉ある成人の儀で命を全うさせる。なんて素晴らしく冒涜的だろうか。

 そして最後にはどうせ皆殺されるのだ。きっと本来の触の日で行われる処刑のように、儀が終わった後に希望の丘でミオ以外の全員が首を落とされる。

 

「出来ましたよ」

 エムの声で顔を上げる。視界には鏡に映るトワ自身の姿がある。黒ではなく白を身に纏わせ、エムに櫛を通された金の髪は乱れの一つもない。

「……最後にこれを」

 エムがトワの首の周りに手を回す。どうやら首飾りを結んだようだ。胸の上に光るのは下向きの三角形の頂点それぞれに円が描かれた紋様の——。

「これ、ボクの……」

 あの時にエヌに飛ばされたはずのバレッタの装飾であり、武器(ブレイド)の中継デバイスが埋め込まれたパーツだった。

「貴方にとって大切な物でしょう? 時折髪留めのあった位置を寂しげに撫でていましたから。きっと、失せ物を探しているのだろうと。

 さあ、迎えが来てますよ」

 

 約三週間振りにこの空間から出る。出たとして解放などされない。あるのは紛れもない終わり。自分はこれから死にに行くのだ。おくりびととして最後の仕事を果たして、死ぬ。

「エム、さん」

 部屋を出る一歩前で立ち止まる。揺らがない彼女の目を見つめて、最後に。

 

「ありがとう、ミオさんの言葉を教えてくれて。余興でもボクの身の回りを見てくれて。

 貴方にもボクの音、少しでも届いたら、嬉しい」

 だから見ていて、最後の演奏を。

 おくりしか出来ないボクの、もっと生きたいと願うミオの願いを叶えられない無力で無様な姿を。

 

 最期の、おくりだ。




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