太陽が黒い。違う、黒いのは月の影だ。昼なのに空は薄暗い。褪せた黄と緑が混ざり合った色に染まり、地平線へと向かうにつれて
トワの目の前には大勢のアグヌス兵が規則正しく列を成している。右手側にはエックスとシャナイア、左手側にはエヌとエムが同じくアグヌス兵の方へ真っ直ぐ視線を向けている。エヌは仮面をしていなかったが、エムはトワの様子を見にきた時とは異なり仮面を装着していた。ただでさえ読めない感情が更に隠されている。
頭上にはこのアグヌスで最も豪奢且つ繊細な装飾が刻み込まれた巨大な物体が浮いている。火時計をめしべとして、黄色に光るエーテルラインが刻まれた真っ白な花弁が六枚開き切った姿に似ているそれはアグヌスの女王の玉座だ。
こんなに人がいるにも関わらず静まり返り、声は何一つ聞こえてこない。背中側からゆるりと吹いてくる妙に生温かい風、身じろいだ時の布同士の擦れ、自分自身の呼吸と鼓動が鼓膜を微かに震わせる。
白亜の牢獄側から五人の人間と二人のノポンが連れて来られる。後ろ手に拘束され、あまりにも乱雑に突き落とすようにされて天還のおくりの場に膝をつかせた。
ノアを除いた皆はトワの姿を見て驚きや無事への安堵、これから何をするのかを察しての絶望をぐちゃぐちゃに混ぜた表情を向けてくる。
ノアだけは暫く俯いていたが、顔を上げてエヌに暗く沈み切った目を向けていた。ほんの僅かにだけ光が見えているが、今のノアの目はエヌとそう大差はない。陽の光が届かない深海のように真っ暗である。今のノアはとてもおくりの笛など握れないだろう。
——女王様! 女王陛下!
今まで沈黙を貫いていたアグヌス兵達が突如黄色い歓声を上げる。トワは玉座の真下にいるからいくら首を上げてもアグヌスの女王——ニアの姿を見ることは叶わない。
「今より遡ること一千の昔。一人のおくりびとによって成人の儀は始まりました」
女王が語り出す。
おくりびととしての知識として知っている。遠い昔には今のような成人の儀は存在せず、十年を生き延びた兵士には執政官が直々にその首を斬り落としていた。今にして思えば首を斬り落とす事で次の再生へと繋げ、メビウスが命の糧としてまた利用する仕組みだったのだろう。
その行為に対してあるおくりびとが異を唱えた。
殺す必要はない、と。
成人を迎えた者も寿命を全うせずに死んでいった者と同じようにおくったって良いはずだ。その考えに感銘を受けた執政官がおくりびとの提案を受け入れた結果、成人した者の最期の瞬間を笛の調べでおくるようになったとされている。
アグヌスでもこれまでに九百九十九の命が女王の元へ成人を迎え還ってきた。兵士にとっては寿命の全てを生き切れた喜ばしいことだが、女王にとっては哀しみなのだという。
女王は自身から生まれた命の全てに還ってきてほしいと願っている。誰一人として途中で命を落とさずに生き抜いてほしい。十年を生き切れる事を特別だと扱うこの儀式自体が女王には大きな哀しみである。誰もが女王へと還るのが当たり前となってほしい。
——心にも無いことをよく喋る
ケヴェスと同じく、アグヌスの女王も紛い物だ。メビウスがいいように利用するただの機械だ。
千年前から続く成人の儀で、今日千人目の命が還ってくる。それは何かの縁であるに違いない。だからこそ愛しい兵士達にも目に、心に刻み込んでほしい。
女王へと還ると共に、皆の心の中で永遠に生きる。
女王が語り終わるのが合図だと聞いていた。
何度も何度も繰り返してきた行為。唄口に唇をゆっくりと寄せる。これからも尽き果てた兵士に向け、そうして命の輪廻から沢山の命を解放するつもりだったけれど、きっともうそれは無い。
あんなに多くの兵士達が憧れていた成人の儀が、仲間の命も報われると信じて粒子となり空へと昇っていく光景を美しいと思っていたのに。今だけは、こんなにも見たくないものになるなんて。
アグヌスの基本の旋律を導入として奏でる。
ミオの為に作った旋律。本当はノアと一緒に演奏して、涙を流しながらでも笑顔でおくり届けたかった。
だから、せめての抵抗としてこの音も天空まで届くほどに響かせてやる。ミヤビにとって世界への唯一の抵抗だったのと同じ様に。
重たい扉が開かれる。演奏の手を止めずに瞼を上げて視線だけを其方に向ける。
アグヌスの千人目の成人、ミオだ。
ミオもノア達同様に後ろに手を縛られている。成人を迎えた者への扱いでは無い。
それでもミオはどこか決意を秘めた目のままに、ゆっくりと一歩ずつ足を踏み出す。儀式故の歩みの遅さではない。もう今にも身体の終わりが近づいているのだから、動かすのだって本来はやっとの筈なのだ。感覚も徐々に薄れている中でもミオは此方へと進むのを止めない。
トワは瞼を下さなかった。ミオの全てをこの目で見届けるのが彼女への誠意だ。
セナがミオを呼ぶ。ノアもまた彼女の名を呼ぶ、叫ぶ。壊れたように声を上げ、暴れてミオを行かせまいと拘束されたままの腕を伸ばそうとする。膝を上げ立ちあがろうとしてすぐに両脇のアグヌス兵に地面へと押さえつけられる。
ミオは階段を上る際にノアに振り返らなかった。その時のミオの表情を見ていたのはトワだけ。くしゃりと顔を歪ませ、涙を一筋伝わせた。けれどそれもほんの一瞬だった。
階段を上りきり、彼女もまた膝をつかされる。そうして次に見せた顔はどこか覚悟を決め切ったものだった。
ミオが瞼を下ろし、またそれを上げる。
穏やかな笑顔で。
演奏は止めない。目の前の光景からも逃げない。
金色の粒子が漏れ出す。ミオの表情は変わらない。
——約束、果たせましたか。
今は誰の内なる声も聞こえてこないから伝わったのかは分からない。でもミオはトワを見てゆっくりと頷いた。それだけでもう充分だった。
背中側から吹く風により粒子が広がっていく。ミオを構成する物が金色になりノア達へ寄り添うかのように。
ミオが身体を左へ捻り、そっと振り返る。仲間の全てを見ていただろう。全員を残して往く事にどんな想いがあったのだろう。
けれど、ミオが本当の最期に想いを渡したのはたった一人だった。
「ありがとう、ノア」
身体は正確に時を刻む。
ミオの身体は力を失い徐々に傾いていく。
金の光に覆われ、完全に倒れ伏す前にその身体は粒子となり崩れ去った。そこにはもう誰もいない。ミオの身に纏われていた服と
空を引き裂かんばかりにノアがミオの名を叫び上げた。
最後の音を紡ぎきり笛を離す。これで役目は終わったから、後はもう希望の丘で処刑されるのを待つだけだ。
待つ、だけだと思っていた。
「ま、待って、待って……なに、なにして」
アグヌス兵がノアの腕を掴み上体を僅かに浮かす。そこへエヌが左手に立ち、鞘へと手を伸ばした。
無意識にノアの元へ足が向かう。しかしそれを別のアグヌス兵が二人トワの両腕を掴み上げて引き留めた。
「終わった、でしょ、成人の儀、終わったよね、ねえ」
「終わったよ〜。だから次はウロボロスの処刑」
エックスがトワの顔を覗き込んでくる。仮面に覆われていても笑顔を携えているのははっきりと分かる。
「処刑、なんで、これ、成人の儀」
「成人の儀だよ。ミオをおくってあとは処刑って流れだもん。当ったり前じゃん! 一緒にやった方が効率良いし、そっちの方が面白いでしょ」
だってここ、天環の"処刑場"だもん。
「あいつらはミオと違って選ばせてあげるよ。命の輪からの解放かゆりかごにおくって再会を待つか、ってね」
「は……?」
——何を言っている?
トワのおくりは粒子の色を金へと変え、ゆりかごから再生されずに自然へ還す能力だ。今まで出会った骸も、今さっきおくったミオと同じになっている。だからノア達が殺されてトワがおくればそれは全て輪からの開放になる筈だ。
「……あ。あ、アッハハハハ!! 知らなかったんだ!? あんたの能力、自分で何も知らなかったんだ!? アハハッ、面白すぎるって!
いいよ、教えてあげる。あんたの能力ってのはね、"自分自身の意志で命の行き先を好きに出来る"が正解!」
寿命を全うしようと途中で命を落とそうと、トワが望みさえすればメビウスの命の輪から解放される。
つまり逆も成立する。
「成人してもあんたが自然へ還すのを拒めばまたゆりかご行き! そんな
「嘘、うそ、うそうそうそ、うそだ、せいじんしたひとは、ゆりかごでさいせいされないって、エヌが、だから、ボクがおくってもなにも、かわんないって、おもって」
「ミオを完全に殺したのはあんた自身だよ」
エヌからの取り引きを断って仲間の道を潰した。
自分の手でミオは二度とこの世界に現れない道へと往ってしまった。
「安心してよ、あんたは殺さない。残りの時間はぜ〜んぶの命をゆりかご行きとしておくってもらうから、これから成人するのも野垂れ死んだのも全部! シティーの人間ってどうなんだろ、こっちから輪廻に組み込めはするけど、あんたがおくるだけで都合良い何かが起きるならそっちもおくってほしいね! いいじゃん、おくりびととして全部の命をおくれるなんて本望でしょ!」
エックスの言葉も入ってこない。脳が、全ての理解を拒んでいる。
ボクのせいでみんな死ぬのに、ボクだけ生き残る? なんで? なんで? ボクはどこで間違えた? ミオさんをおくったこと? 取り引きを断ったところ? 能力を知ったところ? ウロボロスパワーを得たとき? ノア達と出会ったとき? おくりびとになったとき?
この世に、生まれ落ちたとき?
ボクがいなければ全て上手く回った。彼らはきっともっと上手く事を運び、こんな所で捕まる事も無くゴンドウと全ての囚人を救い出して真の女王へと辿り着いてこの世界を在るべき姿へと戻せた。
ボクがいたから、ボクが生きているから、ボクが全てを狂わせた。ボクが存在するだけで全ての邪魔をした。
エヌが刀を振り上げる。空が明るくなる。触が終わり、影に隠れていた太陽が顔を覗かせ出した。
「やめっ、やめて、やめて! 斬らないで、今殺さないで!!」
何の意識から来る行動なのか、これだけは分かっていた。
たとえどれだけメビウスの都合の良い世界だったとしても、成人を迎えた者の想いは誰にも汚されていいものじゃない。生き抜いた事への敬意があって、積み重なって、この酷い世界での数少ない光となって、誰もが目指してきた大切な儀だ。
それを余興として利用し、処刑まで加えて血で塗れさせるなどなんたる冒涜か。必死に生きる兵士にも、想いを届けるおくりびと達さえも踏み躙っておもちゃにして
ケヴェスもアグヌスも同じだから。この場所で何人もの成人が晴れやかな気持ちで旅立っていったのに、それを全て崩すことをするなんて。
どうせ殺すならここ以外にして、ここだけは駄目。成人の儀を担ってきた特別なおくりびとだから拒むのではない。こんなの一人のおくりびととして許せるわけがない。
「ノア! 逃げて!」
もう彼には顔を上げる気力すらないのに。
「エヌ! 殺すなら希望の丘でいいじゃないか! ここは、ここはやめて!」
これ以上、成人した者を、ミオの死を汚さないで。
形振りなど構っていられない。自分がどれだけ無力だとしても暴れて、叫ばずにはいられない。黙ってこんな光景を眺めるなど出来る訳がない。
「やめて、お願いだからっ、」
エヌの手に力が込められる。
刀が鈍く光り、ノアの首へと振り下ろされて。
「やめろォォォーーッッ!!」
——ぶつん。