神笛と永遠と   作:坂野

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 漆黒。

 瞼を閉じているのかと勘違いする程に、上下左右四方八方が黒一色で塗りつぶされている。

 

 ボクは、何をしていたんだっけ。

 

 何の考えもなしに足を前へと押し出した。頭の中に靄がかかっているようにぼんやりとしている。寝起きの感覚に近いから、うっかり深夜に目覚めてしまったのかもしれない。寝ぼけていたから寝袋を抜け出してふらふらしていた、そうに違いない。

 近くには皆が眠っているキャンプもあるだろうし、少し離れていても誰かには会えるかもしれないと呑気な事を考えて、重たい服を引き摺ってなんとなく歩みを進める。

 爪先が何かに当たった。重たくて硬い、それなりの大きさの物体。石や岩だろうか。躓かなくて良かった。何とぶつかったのだろう。そろりと視線を下へ向ける。

 蹴った感覚的にサイズは、多分、人の頭くらいの——。

 

 人の、頭。

 

 声も出なかった。

 転がっているのは骸となり果てた人の頭部だった。時間を止められたかのように目を見開いたままで、黒ずんでしまった、ノアの、頭が。

 瞬間、忘れていた情報が再生される。成人の儀でミオをこの手でおくり、己の意志で彼女をこの世界から永遠に消し去ってしまい、そのままエヌがノア達をも処刑しようとして、エヌの刀がノアの首を——。

 ノアだけではない。転がる首はまだある。ランツの、ユーニの、セナの、タイオンの。そうして追った視線の先には紫の靄と金属に似た物質で構成された何かがいる。巨大なスパイドにも見えるが有機的ではなく、もっと機械的な印象を受けた。

 その何かは足元を(まさぐ)っている。見てはいけない、見たくないと脳内で警鐘がけたたましいくらいに鳴り響いているが、見えざる力で導かれたかのように視線は何かの足元へ向かっていった。

 赤い袖、黄緑のパーカー、橙のマフラー、灰色のロングコート、紺のボトムを身に纏った五体の頭部が切断された骸が。

 何かが、それを引きちぎって、運んで、肉が千切れる音を立てて。

 ——喰っている。

「ぁ、あ……!」

 僅かながらもやっと声が出た。しかしそれは蠢く何かに気づかれるには充分すぎる音量であった。

 顔があるかも分からないが、振り返った何かが此方を認識する。

 逃げなければ。そう考えても足は動かない。身体の震えで歯と歯がぶつかり合い情けない音を立てている。

 殺される以外考えられない。

 自分を喰おうとする悍ましい存在からも逃げられない。助けだって呼べない。呼んだところで誰が来るというのか。それなら、それならせめて苦しまずに殺してほしい。一撃で、意識もすぐに飛ばして——。

 嫌だ。死にたくない。死にたくない。理由なんてない。本能が、ただ生きたいと叫んでいる。

 まだ、死にたくない。逃げなければ、足を動かして、少しでも遠くまで。

 

「逃げるの?」

 

 人の声だ。誰の声、と問うまでもない。動いているのは己の口だ。

「仲間をおくらないで逃げるの? おくりびとなのに役割も果たさないで?」

 止まらない。口が、勝手に回っている。

「へぇ、結局は自分しか大切じゃないんだ。戦えないからおくりに向き合ってきたのに、それすらも捨てて何処かに行くつもりなんだ。我が身大事でみんなをまたゆりかごに戻して戦わせるんだ」

 心にもない事を、とは否定できなかった。

「あ、もしかしてゆりかごに戻せばまた会えるから敢えておくらないで逃げるのか! 確かに『ボク』が干渉しなければ何も起こらないもんね。世界はメビウスの都合の良いまま、『ボク』は命の行き先を決められる」

 自分の理性が言っている。

「違うって? それなら今からでもやれよ。ほら、おくりしか出来ないんだろ。自分の役割くらい果たしてみろよ」

 おくりでしか貢献できない。皆の中で誰よりも戦いで役に立てないから、それが出来なくなったらどうするか、そんなの、もう、最初から決めていたじゃないか。

「出来ないんだ。じゃあ仕方ないなぁ」

 何かが跳び上がる。足らしき一本を振り上げて迫ってくる。

「言ってただろ。足手纏いなら置いていっても良いって。置いていかれたらコロニーに戻って、無抵抗で撃たれるって」

 ——今が、死ぬ時だ。

 

 

「おらぁぁァァ! 間に合えェ!!」

 

 赤い閃光が目の前に走る。

「リボルトアッパァーッ!!」

 赤い閃光——真紅のナックルはスパイドに似た何かの腹を下から上へと殴り上げた。そのまま何かは宙高く打ち上がり、この漆黒の空間の天に激突する。そこから亀裂が走り、まるでガラスが砕け散るかのようにして漆黒が割れていく。

 差し込んできた光に目が眩む。反射で目を閉じたが、すぐに開いて周囲を見回した。

 今までいた空間とは明らかに違う。紅や茶に染まった木々が生い茂った森に似た場所、晴れ渡った青空。アイオニオンのかなり多くの場所を訪れた自負はあるが、今まで見たことのない景色だった。少なくともトワの記憶にこの場所は無い。

 そしてあの赤い拳を纏った男性も初めて見る人物だった。黒い髪を後ろで一纏めにして、黄赤色のシャツに蝋色の上着とズボンを身につけている。でもその顔立ちと瞳の色は誰かによく似ていて。

「エイ! トドメは任せた!」

「了解した!」

 男性の後ろから銀に煌めく長髪を携えた女性剣士が飛び出す。黄金の羽と白銀のマントをはためかせ、細身の赤き剣から複数の斬撃が放たれた。女性剣士の髪と同じ銀色の太刀が宙にいたままの何かを斬り刻んでいく。そうして何かは複数のパーツへと分裂したまま地面へと落下して、紫の煙となって跡形もなく消えてしまった。

 

「ローゲット岩道でフラックとはねぇ。懐かしいっつーか趣味悪いというか……」

「感傷に浸ってる場合か、マシュー」

 目の前の状況が理解できずに立ち尽くすトワだったが、陽の光と人の姿に微かな安堵を感じたせいか力が抜けて身体が傾く。それを支えるように女性が駆け寄り背中に手を当てた。

「歩けるか」

「え、っと、あの……」

「理解が追いつかないのは分かっている。だが悠長にしている時間はないんだ。ノア達はまだ死んでいない。だからこそボク達を信じてくれ」

「え……」

 彼らは死んでいるのではないのか。だって、ついさっきこの目で転がった首を見たのだ。骸となった兵士はゆりかご以外でどうやったって再生できないのが理のはずだ。

「あれは現実じゃない。君が最も恐れる事象を具現化しただけのものだ。絶対に受け入れてはいけない」

「エイは嘘言わねえよ、はぐらかすだけで。だから俺達のこと、信じちゃくれねーか」

「また言葉の前後を入れ替えたな」

 信じて良いのかという疑問は大いにある。しかしあの光景が事実でないかもしれない、事実でないと信じたい。判断材料はあまりにも少ない。彼らが嘘を言っている可能性だって充分にある。

 でも判断するのは結局己自身だ。

「……信じさせて、ください」

「よし。ついてきてくれ」

 そのまま銀髪の女性に左手を引かれ、小走りで紅い森の中を駆け出した。

 

 男性はマシュー、女性はエイと名乗った。

「ここはこの世界の始まりであり、全ての魂が還る場所、オリジンだ」

 この空間はアイオニオンのとある場所に位置しており、今まで過ごしていた世界を外とするとここは内側になるらしい。

「今はエイが何とかしてここの時間を滅茶苦茶速くしてるから、外の世界はそんなに動いてないって訳だ。あ〜……外を物凄く遅くしてる方が分かりやすいか?」

 外の世界は事実上停止しているに等しく、エヌの刀が振り下ろされる寸前の瞬間で時間を引き延ばしている状況なのだとか。

 このオリジンは全てがこのような自然で溢れる空間ではない。本来のオリジンはそのほとんどが特殊な金属で組み上げられており、もっと無機質な場である。先程マシューとエイが倒してくれた謎の生き物がそれに近い。

 ここはあくまでもオリジンの一部であり、しかも物理的に存在をしている訳でもない。オリジンへと還ってきた魂が作り出す仮想空間のようなものだ。

 

「要するに"魂が死後行き着く場所"だ」

 

 アイオニオンで命を落とした者は、色の差はあれど粒子となりどこかへと飛んでいく。そのどこかがこのオリジンだ。

 仮想空間は過去にアイオニオンの中心に実在していたセントムニア地方の記憶と情報から構成されている。その為便宜上この空間をセントムニア地方と称する。

 

 森の中にある妖光虫の泉を通り過ぎて更に進む。

 オリジンには自然に還るとされる命が辿り着く。シティーの者や成人を迎えた兵士、トワがおくった者達がそれだ。しかし全ての魂がセントムニア地方へと辿り着く訳ではない。ほとんどの魂は死後オリジンと同化し、遥か未来で再び目醒める時を待ち続ける。

 しかし生前、死の間際までメビウスへの抵抗を諦めなかった者、想いを誰かへと託して心の底から未来を信じた者、強い意志を持つ者が死後セントムニア地方へと辿り着く。

「……ボク、死んだんですか」

 記憶が間違っていなければ、ミオが消えてしまった後に処刑されるのはノア達だった。エックスはトワのおくりの能力をメビウスにとって都合の良い方向へと使い潰すと発言していたから、あの場でトワだけは殺されない筈である。しかしここが死後の世界であるならば、やはり命を落としたと考えるのが自然だろう。

「いや、死んでいない。ボクが君の魂とその笛を一時的にここへと強引に引き摺り込んだんだ」

 そこでようやくトワは自分の手に笛がある事に気がついた。右手に強く握り締められたまま、いつもと変わらない赤がそこにある。

「ゼットに気づかれなくて助かったよな。エイがこんな博打するなんて初めてだろ」

「あの瞬間、ゼットを含めたメビウス全てはエヌとノアに意識を向けていた。その僅かな隙を狙ったが、正直なところ成功するかは五分だった」

 ゼット。初めて聞く名だが文脈として奴もまたメビウスだろう。

「てか、エイなら"視えてる"もんだと思ってたぜ。確率が半分ってのもおかしくねーか?」

「いつも言っているだろう。ボクが視えるのは流れの内だけ。彼女は存在自体が流れの外のものだ。予測は出来るが精度は流れの内より遥かに低くなる。確率として半分もあれば上出来なくらいだ」

 

「ところで、全然関係ない話なんだけどさ」

 マシューが切り出す。

「その格好、似合ってるよな。綺麗な金髪に白って合うんだな」

 彼の表情は真っ直ぐな笑顔で何も裏は感じられない。単純にトワの今の姿を褒めているだけだが、エイは露骨に眉間に皺を寄せた。

「絶対に彼の前で言うんじゃないぞ」

「えー、何でだよ。喜ぶと思うんだけどなぁ」

「笑顔の彼の左ストレートを喰らいたくないだろう」

「……ガチギレじゃん」

 

 

 紅い森から徐々に岩壁が露出した道へと変化する。シュルヴァエ突岩を曲がると大きく開けた地へと出た。

 場の状態から過去に大きな戦場となったのだろう。地面は焼けこげ、彼方此方に多くの機械部品が散乱している。

 その中でも一際目を引くのは鉄巨神ほどはあろうかという巨大な何か——色合いや構成部品もフラックとはよく似ている——だった。次に見えたのはその左右に打ち捨てられた黒と白の鉄巨神、最後に巨大な何かと戦う人影二つ。服の色合いからしてケヴェスとアグヌスの兵士だが彼等は争っているのではなく、協力して戦っているように見える。

「ニコル! 遅れないでよね!!」

 アグヌス兵が武器(ブレイド)に張られた弦で大きく音を奏でると、敵の足元から巨大な火柱が渦を巻きながら発生した。

「分かってるよ! トータル、デストラクション!!」

 そこへケヴェス兵が背負った武器から細かなミサイルが発射され全弾が敵へと命中する。そのまま敵は悲鳴なのかよく分からない音を絞り出しながら霧散して消えてしまった。

「ニコル、カギロイ! タイミングばっちりだな」

 マシューがケヴェス兵をニコル、アグヌス兵をカギロイと呼んだ。

「あんなの来るなんて聞いてないわよ。よりにもよってディバロウと同じのなんて私達に喧嘩売ってるとしか……」

「でも勝てたんだから、ね。ドガと一緒じゃないだけずっとマシだよ」

 二人の顔を見てトワは思わずある名前を口走った。

「セインさんと、カガリさん……?」

 ニコルはトワへREXを託したセインと、カギロイは火光(かぎろい)姉妹の姉であるカガリと顔立ちが複製かのように似通っている。カギロイに至っては双子の呼び名と名前まで同じだ。口調から性格面ではイメージした人物達とは真反対ぽく見えるが。

 ニコルとカギロイはトワを視認すると輝いた顔で近寄ってくる。まじまじと見られると少し恥ずかしい。

「確かにこうして並ぶとトワの方が似てるわね。女性だったらこんな感じなのかしら」

「ぼくは母さん似らしいから……」

「二人とも今は面影探しをしている場合じゃないぞ」

 エイがニコルとカギロイの頭に軽く手刀を落とす。叩かれた部分を手でさすりながらも、ニコルとカギロイもまたエイに続くようにして走り出した。

 

 戦場跡を過ぎ、寂れたエレベーターで上昇していく。その先は紅い森とは異なり緑の草が広がる世界——アマネセル高原が広がっている。

 アマネセル高原を進みながらエイはあの紫の靄と機械らしきパーツで構成された何かについて説明を始めた。

 あれは人の負の感情が形となったものである。端的にオリジンのモンスターと呼称する。アイオニオンで活動する生命が抱く悲しみ、苦しみ、恨み、焦燥、憎悪、空虚、絶望——それらが集約した時にセントムニア地方にオリジンのモンスターとして出現し、ここにいる者を襲い出す。

 本来であればアイオニオンを支配しているメビウスは、この仮想空間のセントムニア地方に直接の手出しは不可能である。だがオリジンのモンスターが人の負の感情が形作ったという現象は、元を辿ればメビウスが生命に対して下した行為から来ている。遠回りではあるが結果的にメビウスはセントムニア地方へと攻撃を仕掛けている。

 何故メビウスがここを襲うのか。理由は明白だ。ここに存在する魂はセントムニア地方の中で営みを為すだけでメビウスの力を削いでいる。そもそもメビウスを打ち倒し、未来を望む者が集まるのだから自然な話だ。

 現在、やけにオリジンのモンスターが多いのは成人の儀が理由だ。ミオが消えてしまう事に耐えられなかったノア達の負の感情が圧縮されてモンスターとなり、セントムニア地方に現れている。加えてエイがトワを引き摺り込んだ際にトワの絶望も同時に連れて来てしまった為、普段よりも多量のモンスターが発生している状態だ。

「それは充分想定の範囲内だ。何よりここにいる者は"力"がある。易々とやられないさ」

 

 高原の北の端まで来ると何やら城壁の一部がある。すっかり朽ちており、城砦としては何も意味を成していない。

 そこへまた二人の人物が立っている。二人はマシューの姿を見てそれぞれ片手を振った。白髪で癖毛を持ち頭には大きな耳が二つ生えている女性と、マシューと同じ髪型だが真っ白な毛色をした老いた男性だった。

「左がナエルで俺の妹。で、右が俺とナエルの爺ちゃん」

 情報が多すぎる。脳の処理だけでなく、成人の儀からずっと張り詰めたままで精神も限界を叫んでいる。

 

「今は無理して全てを覚えたり理解する必要はない。君が留めておくべき情報はまだ先にある。君にとって最も大切なことはボクらの名前でも、この場の情報でもない。

 

 ボクらは君を"彼"に会わせるために連れてきたんだ」

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