コロニー9の中央広場から左へと進む。そのまま道なりに行けばいかにも指令所らしき場所が見える。中心に机と椅子が何個か置かれ、ボードには連絡事項やらが書かれた紙がびっしりと貼られている。全体の管理は勿論、コロニー9の部隊長の報告会や作戦会議もここで行われる為彼等にとっての中枢だ。
「
「チーム名みたいなのあるとやっぱり違うんだよな。より仲間! って感じが強くなるって言うか」
「"コロニー9"だと
「表のアイオニオンには存在しない第三勢力だもの。なんか特別感あっていいじゃない」
「あれ〜? カギロイはシティーの事はもう気にしてない感じ?」
「ナエルも意地悪ね。分かってるでしょ、シティーだって私にとって最も大切なものの一つよ」
「皆さん、お喋りに夢中にならないでください。トワさん、すぐに会えますから」
——誰とだろう。
指令所の裏手から南側へ。リンカの言った通り進んですぐにまた知らぬ人物がそこにいた。
「先生、お待たせしました」
「お、待ってたぞ」
リンカが先生と呼んだ相手が振り返り此方を見た。身体が大きく如何にも頼もしそうな男である。ランツ並みかそれ以上に逞しい体つきで、相対するだけでも圧迫感があるが、笑顔は少年のようで壁を感じはしない。
少し暗い亜麻色の短髪、右目には太陽に似た輝きの金色。左目には大きな傷が残っており瞼が開かれる様子は無い。恐らく潰れてしまっているのだろう。
エイの言う"彼"とはこの人なのだろうか。直前にリンカもすぐに会えると言っていたし、状況としては間違いのないように見える。
「レックス、態々隠すように立つんじゃない。勿体ぶっている場合じゃないだろう」
エイが腕を組みながら呆れた声を出した。目の前の男の名がレックスであるとは分かった。しかしエイの様子からレックスもまた目的の人物ではないらしい。
「レックス……」
男の名を確認するように呟く。その響きは覚えがある、というよりよく知っている。セインから託された
エイが右手でトワの背中を二度軽く叩く。反射的に顔を見れば柔らかな笑みが浮かんでいた。前に出ろの意だと察して踏み出す。同時にレックスが右へと一歩ずれた。
驚きの声も出せなかった。ただ小さな息の塊が唇から零れ落ちただけ。
姿を現したのは椅子に腰掛けた一人の男性だった。金色の長い髪と機械の腕を隠すかのような赤いマントが真っ先に目につく。遠い空のような青い瞳は瞼が下りているせいで今は見ることが出来ない。
夢で幾度となく出会って、シティーの始祖像としても目にしたあの人が、今目の前にいる。
膝の上で両手を重ねて目を閉じたまま微動だにしない。眠っているように見えるが、エイが
「今ここにあるのはオリジンの依代として機能する最低限の情報だけだ。分かりやすく表現すると、器である肉体は存在しているが肝心の魂が抜け落ちている状態だ。だからこのままでは彼は目覚めることはない」
目覚めさせるには別の場所にある魂を吹き込まねばならない。器と魂の二つが揃って彼はセントムニアで他の者と同様に活動ができる。
「だから君を連れてきた」
エイはそう言うが、トワは彼の魂の場所など知らない。大体彼とは夢でしか会ったことがないし、彼がセントムニアにいる事だって今この瞬間に初めて知ったのだ。エイを始めとしてここにいる者達は
「君と、君の"笛"をこの空間に取り込んだんだ」
——まさか。
握ったままの笛を見つめる。
ケヴェスともアグヌスとも違う色使いの不思議なおくりの笛、この世界で二つとない特別な物。
「君の笛の一部にはオリジンの金属が組み込まれている。それを依代として、彼をセントムニアから外へと連れ出すことに成功したのが十年前だ」
夢の中で彼はこの笛を因果の外へ繋がる物だと言った。笛にモナドと名付けた時には嬉しそうにお礼を言ってくれた。
夢で彼と出会うようになったのはリクから笛を贈られてからだった。トワ自身の旋律が生まれたきっかけだって"彼"だった。
考えれば笛から彼へと繋がる要素はいくらでもあったのだ。今の今まで別々に捉えていたのがおかしい程に、最初からずっと。
どうすれば彼へと魂を返せる?
そんなの言われずとも分かる、知っている。笛はおくりの旋律を奏でる物、人の想いを届ける物だから。
願っていた。貴方に自分の演奏を聞いてほしいと。
「名前、なんていうんですか」
視線は彼から離さずに問いかけた。
エイはその名をとても懐かしげに、何よりも大切な物を扱うかのように丁寧に、でも待ちかねたように少し先走りながらもはっきりと呼んだ。
「シュルク」
——やっと、知れた。
いつの間にかコロニー9の騒めきは聞こえなくなっていた。人の声や足音だけではない、風も水の音さえしない。この場が、この空間がトワに無音という言葉で伝えてくる。
奏でろ、と。
それに応えぬ選択肢は無い。寧ろやるなと言われたとしても、突っぱねて演奏したいくらいだ。
きっと彼に魂を還すのにも理由はあるのだろう。単純にトワを彼に会わせる為だけにこんな大掛かりな賭けをするとは考えられない。エイ達はシュルクが目覚めるのを望んでいて、トワはシュルクと直接顔を合わせてみたいと願っていた。互いの願望が一致しているだけ。
だからこそボクは彼の為だけにボクの音を届ける。セントムニアに在る者が何を思っていようとも、この瞬間だけは音の全てを彼に捧げる。
唄口へと唇を寄せて瞼を閉じる。視覚から得られる情報を断ち、他の感覚を全て彼へと集中させる。今更彼の姿を見る必要は無い。だって、何度も夢の中で出会ってきたから。
息が笛を介して音となる。音が繋がり旋律になる。
どこまで行っても果てない草原と、どこまで行っても尽きない空。広大な草原には赤い剣が一本だけ突き立っている。空よりも鮮やかな水色のエーテルラインは剣を流れる血液のように柄から刀身へ、刀身から柄へと淀ませる事なく流れ続けている。そこが世界の中心であると信じて疑わない姿で堂々とそこに在った。
その赤い剣の傍にはいつも貴方がいて、終わりのない世界の果てを遠くの空と同じ色をした目で見つめていた。その光景をボクが認識するとすぐに此方を振り向いて、僅かに目を細めて微笑んでくれる。
不思議な夢だとは思っていた。それと同時に無意識でずっと安心していた。
貴方に伝えたいことが沢山ある。それを全て笛の音に乗せて。
空と草原と剣と貴方だけがいる世界。青かった空が赤く染まり、紫が紺へと繋いでいく。夜空に浮かぶ星々と剣のエーテルラインだけが光り輝いている。
夜は長い。本当に明日が来るのかと心が落ち着かなくなる。このまま夜が続いて世界が終わってしまうのではないかと何度も怯えた。でも必ず夜明けはやってくる。時間の流れは止まらない。
それがボクの願った魂の行き着く場所だった。
実際はもっと表情豊かな空間で、人も沢山存在して動いている。あまり外の世界と変わらないけれど、誰も悲しい顔をしていなかった。未来を信じる目をしていた。
そしてそこにはやっぱり貴方がいたんだ。
最後の音を紡ぎ終わり笛を離す。ゆっくり瞼を上げれば金色の粒子が一粒、シュルクの頬へと溶けていく瞬間だった。
粒子が溶けて消えてしまうのと入れ替わりで、シュルクの睫毛が微かに震える。人形かと見紛うほどに、一切の動きを見せなかった彼が身じろぐ。
たっぷりと三秒の時間をかけて開かれた眼と視線がかち合う。予想していた通りの眼の色、尽きない空のずっと向こう側の青。
「シュルク、さん……?」
今にも消えそうにか細い声で彼の名を呼んだ。その一瞬、本当に瞬く間だけシュルクの瞳の奥が暗く揺らいだ。しかしトワの見間違いだったのかと思うくらいに、すぐに見慣れた眼の色が映し出される。
「待っていたよ。十……いや、一千年前から此処でずっと」
そう言って微笑んだ。
ずっと近くにいたのに、何度も夢で出会ったのに。でも、違う。初めて会えた、やっと、やっと貴方と。
話したいことが沢山ある。旋律のこともウロボロスとしての能力もシティーで見た始祖像のことも。そして外の世界の状況を。
「あの、ボク、貴方に……」
「君はこれからどうする?」
「え……?」
微笑みを崩さぬままシュルクが問いかけてきた。
「仮に処刑を跳ね除けて、アグヌスキャッスルから生還できたとしよう。成人したミオを失ったけれど、それ以外は誰一人として欠けていない状態だ。
君はどうする?」
質問の意図は分からないが、答えは明白だ。
「"世界を在るべき姿に戻す"為にまた進みます。ミオさんの想いを引き継いで、ボクらの願いを叶える為に戦います」
「本当に?」
シュルクは表情を崩さない。優しくて温かい微笑みのままなのに、質問が一歩ずつ確実に此方へと圧を持って迫ってくる。
「それは
そのつもりだ。トワだって命が自然へと還る世界になってほしいと思っている。十年を超えて生きていける世界になれば悲しむ人だってずっと減ると信じている。
「それはロストナンバーズの願いだろう?」
シティーへと辿り着きケヴェスでもアグヌスでもない人の存在を知った。隠れ住めば命の危険に晒されずに済むのに、それを冒してまで兵士達を解放しようと戦う者がいた。その志に打たれて協力したいと思った。未だに戦争を続ける仲間達を解放したい。
「君もそう願っていることを否定はしない。でもシティーに辿り着くまでの間に、君自身の願いを抱いていた筈だ。それが今は、既に言語化されたロストナンバーズの目的によって上書きされてしまっている。
君本来の願いはどんなものだった?」
アルフェト渓谷でウロボロス・ストーンを発動し、シティーに到着するまでの旅路で感じたこと。メビウスを知り、火時計から離れて、敵軍の者と手を取り合った。戦って殺すだけの存在が大切な仲間になった。
戦う以外の道を見出せた。
戦場で役に立たなかったのに、場所が変われば誰かの力となれた。弱い自分でも道を見つけられた。世界のシステムでしかない"おくり"が何よりも力だった。
新たな情報を知る度に、まるで世界が変わったようだった。メビウスが支配する事実は全く変わっていないのに、自分一人が少しでも変化すれば見える景色がまるで違った。
「……この世界の、まだ戦争に囚われ続けている人達に、人を殺す戦い以外の道があるって伝えたい」
だからメビウスの世界を壊して、その道があると気づけるようにしたい。戦わなくなれば自分のように顔を上げられる。
いや、足りない。
世界を壊せるのは強い人だ。それはノアやミオ、ユーニやタイオン、ランツやセナみたいな人達だ。トワは今だって己が強いだなんて思っていない。弱いことに変わりはない。
けれど彼等との出会い、ゲルニカとの遭遇、ウロボロス・ストーンの解放——きっかけがあった。弱い自分がきっかけ一つで顔を上げられた。新たな道は作れていないけれど、元から自分には沢山の道があった。道は一つなんかじゃない。道は戦いだけだと思い込んでいる兵士達だってきっと同じなのだ。
「ボクみたいな弱い人に寄り添いたい。生き方を選べるんだよって、教えたい」
メビウスはメビウスにとって都合の悪い道を閉ざしている。生きる者の目を隠し、ほんの僅かな道の先だけを見せて苦しむ様子を楽しんでいる。本当は無限の可能性がある筈なのに、戦うしかないのだと吹き込んでメビウスの思い通りになるように導いている。
「ノア達がメビウスを斃して道を開いてくれる。ボクは壊した後の世界で、ほんの少しだけみんなの背中を押したい」
弱いけれど、弱いからこそ出来ることがあると今なら言えるから。
「強い人も弱い人も、みんなが道を選べる世界に連れていきたい」
これが、ボクの願いだ。
シュルクが再び瞼を閉じる。顔から穏やかな微笑みが抜ける。トワの答えが彼にとって納得のいかないものだったのだろうか。たとえそうだったとしても、発言を撤回するつもりはない。唇を強く結ぶ。何と言われようとも願いは変わらないし、変えられない。
ゆっくりとシュルクが立ち上がった。揺らめく長い金糸に一瞬だけ気を取られる。
「なら大丈夫。君は未来に進んでいける」
木漏れ日のような笑みと共にそう言って、シュルクの左手がトワの頭を撫でた。そうされるのがとても自然な気がして、でも特別で、何故か嬉しくて、泣きたくなった。
「僕はもう
頭を撫でていたシュルクの左手がトワの右手ごと笛を持ち上げる。
「
アイオニオンで生きていた時も、死後に
「死者の想いをおくりびとである君へと託し生者に繋ぐ。どんなに絶望の淵に追い込まれても抗うことをやめないでと伝えて。
この空間に限らない、この世界の全てで最も強い力は"人の意思"だ。それだけは忘れないで。
——レックスも、みんなもそれでいいよね?」
シュルクの視線が横に立つレックスへ、その後はトワの後ろにいるエイ達へと向けられる。トワは全員の顔を見ていないが間違いなくシュルクの発言に頷いたのを感じた。
「……爺ちゃんはまだあるだろ?」
マシューの声だ。マシューが爺ちゃんと呼ぶのはゴンドウだが、そのゴンドウは困った声を出した。
「説明すると長くなるしなぁ……。無理してこの子に背負わせんでも……」
「言える時に言っておかないと。お爺ちゃんも後悔しないようにね」
「ナエルの言う通りだよ。あんのクソジジイ、曾祖母ちゃんのこと何も見ないでやりたい放題やりやがって……」
「マシュー、身内をそう呼ぶものじゃないぞ」
「エイだってあんなの見て黙ってられないだろ! もう一発殴っときゃ……、いやとりあえず百発は……」
「君の大切な爺ちゃんの父親、だぞ」
「う……。そう言われると爺ちゃんに悪い、けど……」
「……とりあえずゴンドウ。簡単にでも託しておこう。ボクが彼女に記憶のカケラも渡しておくから、時間をかけて意味を理解できるようにするよ」
エイに促されてゴンドウが歩み寄る。ゲルニカよりも皺が深く、多く刻まれているからそれ以上に生きたのだろうかと場違いな事をふと考えてしまった。
「トワさん、だったね」
「はい……」
「父さんに伝えてくれ、"僕はこれで良かったんだよ"と。そして父さん自身もどうか解放してあげてほしい」
父さんとは? ゴンドウの親であるのはシティーで得た知識で理解できる。しかしゴンドウは既に命を終えてこの場にいるのだから、彼の父にあたる存在はもっと前に死んでいると考えるのが普通ではないだろうか。
「今は覚えていてくれたらそれで良いよ」
ふわり。視界に金色の粒子が舞う。
粒子はトワの身体から立ち昇っている。きっと外の世界、本来のアイオニオンへと戻るのだろうと直感的に感じた。
「……あ! ノア……! このままじゃノアが……!」
トワがセントムニア地方から戻るということは、強引に圧縮されている時が動き出すのに繋がる。そうなるとエヌがノアの首に向かって刀を振り下ろす瞬間から再始動してしまう。諦めたくはないがトワの状況からして、一秒にも満たない時間ではエヌの刀を止める手立ては思いつけない。
「……教えておくよ。いいよね、エイ?」
シュルクの確認にエイが首肯で示す。
「『大丈夫』だよ」
視界が金色に染まっていく。
「それと
……また、未来で」
戸惑いの言葉も、別れの言葉も言えずにそこでトワの意識は途切れた。
***
「言わなくて良かったの?」
トワの姿が消えてしまった空間で、空を見上げるシュルクの隣にニコルが立った。
「言っても混乱させるだけだからね。大丈夫、あっちには彼女がいる」
空から湖側へと目を落としたシュルクの表情がやんわりと悲しみに染まる。
「寧ろ心配は
「……兄さん、だよね」
「ああ。でも僕らは必ずまた会える。それを諦めてしまったらメビウスに屈するのと同義だ。——さあ、忙しくなるよ」
シュルクの呼びかけにそれぞれが動作や声で応える。
「事前の指示はこちらで出してあります。先生とシュルクさんは先陣を切っていただければ」
「師匠と一緒に戦えるのなんてもう十年振りなんだからアタシもう嬉しくって嬉しくって」
「エイとレックスの二人でも何とかなってたけど、何だかんだ大変だったよな……」
「リベレイターってやっぱりシュルクがいないと纏まりきらないのよね。これでエイも眠ってたらリンカなんて間違いなく倒れてたわよ」
「俺一人じゃ頼りないってか、カギロイ」
「そうじゃないわよ、組織としてってこと。戦いでは誰よりも頼りにしてるし信頼してるんだから、お父さん」
「十年も休んでしまったから僕が一番頑張らないとな」
「病み上がりが無理すんなよ」
「怪我でも病気でもないんだからなんてことないさ。それとも何だい、別れの直後だから剣が鈍るとでも?」
「まさか。お前は別れの後の方がとんでもない火力出す癖によく言うぜ」
「ふふ、そうかもね。こんな世界にしたメビウスの顔面を原型を留めないくらいに殴りに行かないと」
「相変わらずおっかねえな。巨神界と機神界の全てを導いた"神剣"から出てくる言葉じゃねえよ」
「救世の"英傑"から言われたらおしまいだな。……メビウスにだって手を伸ばしたいさ。彼らを切り捨てたらアルファの選んだ道と何にも変わらない」
「知ってるよ。弱い奴だって全員救ってこその俺の二つ名だ。だからこそ留まってちゃいけないんだ」
「うん。……それじゃあ行こうか、リベレイターの再始動だ。ニコル、手伝ってくれるかい?」
「はい! 父さん!」