長い大階段を駆け上がる。カプトコルヌ山嶺の空気は冷たすぎて今にも凍えそうであるし、一気に上るから息が切れ喉が痛む。それでも足は止めない。
泡沫の門を潜り足元を見下ろせば、ヨランが落下していった場所から奈落を見つめるノアとユーニ、ランツの背中がある。そんな三人の背を静かに見つめるミオ達もまた見える。
右手から下層へ伸びる階段を下って皆の元へと向かう。静寂に包まれた空間の中でトワの足音はよく響く。その音に気がついた皆は、あの戦いを終えたばかりで様々な感情が溢れかえっている筈なのにそれでも笑って迎えてくれた。
「ボクも見てたよ、ヨランの姿」
感覚的に六人もトワと繋がっていたのは知っていただろう。だからトワの言葉に頷いて、ユーニが泣きそうな声で呟いた。
「全然変わってなかったよ。アタシ達の知るヨランだった」
だがヨランが取ったのは、自由でありながらやはり悲しい選択だったとノアが嘆いた。
だからこそ進まねばならない。こんな世界を壊して、あんな選択をさせない世界を創らなければならないとランツも改めて決意を固くする。
「だけど、女王が……」
ノア達が階段から上層へと向かおうとする。トワはノアの上着の袖を引っ張りそれを止めた。
「駄目だよ、ノア。やることやってない」
「トワ、女王がディーの攻撃で心臓を貫かれて……!」
それは知っている。あの情報の波の中に、真のアグヌスの女王が目覚めた瞬間に心臓を撃ち抜かれて殺された映像も紛れていた。説明されなくともそれくらい分かっている。
「この先のことを考えないと、このままじゃ世界を壊すどころじゃないんだ!」
「そんなの分かってるよ!!」
強い声にノアだけでなく全員が驚愕の表情を浮かべている。確かに今まで仲間に対してこんなに声を荒げた事はなかったかもしれない。
「ユーニ、意味ないかもしれないけど女王様に回復アーツかけてあげて。みんなも上に行って。ノアとボクはここでやることがある」
「分かった。うちのおくりびと、頼むぜ」
「……うん」
ユーニ達の姿が見えなくなり再び静寂が訪れる。トワの意図が理解出来ないとノアが沈黙を破った。
「どうして……、俺達はここで立ち止まってる場合じゃないだろ!」
「ノア、ヨランをおくらないつもり?」
ノアが息を呑む。
回復に優れるユーニなら上に行って、可能性がどれだけ低くともまだ力になれる。しかしノアはそんな力は持たないのだから、急ぎ戻った所で女王の蘇生には何の役にも立てない。何よりノアには女王の回復や蘇生をするよりもずっと大切な役割がある。
「大切な仲間なんでしょ。ここでヨランをおくらないで前に進むなら、ボクはノアの笛を奪い取るよ」
ノア自身がおくりびととなった理由を忘れたとは言わせない。自分の死を受け入れて往った人の笑顔の理由が知りたくて、ノアはおくりびとになった。死に往く人の声を届けるのがおくりびとだと常に言っているのに、それを放棄するのであれば同じ"おくりびと"として許してはおけない。
ヨランを本当の意味でおくれるのはノアただ一人だ。同じおくりびとでもミオとトワはヨランの情報を間接的にしか知らない。ミオとミヤビの時とは異なり、ヨランの想いはノアとユーニとランツの三人へと託されている。その中でおくりびとはノアだけ。おくりびとであるノアが雲の下へと散っていったものをおくらないのであれば、ヨランの想いの全ては解放されないだろう。
おくらない選択を取ってしまえば、想いと未来を託してくれたヨランに対して最悪の仕打ちでしかない。おくりびととしても、仲間としても最低の裏切り行為だ。
「ノアにとってヨランはそんな軽い存在だったの?」
袖を掴む手に力が入る。もっと理性的に、冷静に言うべきなのにそれが出来ない。目の前にいる彼が一瞬でもおくりびとの責務を放棄しかけたことに感情が大きく揺れている。
「——おくれよ! おくりびとだろ!!」
未来を切り拓くだとか世界を壊すだとか大層なことを掲げても、周囲にいる人に意識を向けないのであればメビウスと何が違うのだろうか。リ・ガート収容所でも、ゴンドウは世界を在るべき姿の名の下にどれだけの命が散ったのかを問い詰めてきた。
大きく崇高な目的を果たす為には犠牲は付き物だとか、女王が瀕死だから大切な友人をおくれないのは仕方のないことだとか。本気でそう言うのであれば、そんな人間に未来など託したくはない。そんな者が作った"未来"よりも、酷い世界だとしても"今"の方がずっとマシにさえ思えてくる。だって、命を物のように扱っているのは変わらないのだから。
誰かの為と言いながら行動する己に酔ったまま、本当の意味を考えずに進んでしまえばエヌの選んだ道と全く同じだ。
「ごめん、怒鳴っちゃって……」
「……いや、ありがとうトワ。忘れるところだった。あの時決めたのに情けないな。——エヌにも同じ事を言われたのに」
成人の儀でミオの身体が消える寸前、余興の締めとしてエヌはノアに聖神の笛を渡し、おくれと言い放っていた。エヌにとってはノアの精神を完全に叩き折る為の行為でしかなかっただろうが、あの時のノアは事実としてミオをおくることを拒んでしまった。あの精神状態でおくれなかった事に対して責めるつもりはない。しかし"おくらなかった"のは確かだ。
ミオとの約束とエムの想いを受け止めきれずに、ノアは笛を手から零してしまった。死に往く人の声を届ける筈のおくりびとがそれを放棄してしまった。
「でも、もう違うよね。今のノアなら誰であってもおくれる。たとえそれがミオさんだったとしても」
「ああ、やり遂げるよ。……ミオがいなくなるのは、今でもあんまり考えたくはないけどな」
「あはは、そうだね。ボクもあんな成人の儀は……もう、嫌だな」
ヨランが身を投げた地点へともう一度近づく。落ちぬようにゆっくりと下を覗くが、あるのはどこまでも続く雲だけ。
「ノアはヨランの事だけ考えておくって。ノアの旋律にボクがケヴェスの旋律で合わせる」
「いいけど……、トワは?」
「ボクはディーをおくる」
コロニー4では答えが見つからなくてケイをおくらなかった。でも今は答えを見つけられた気がする。
「そう、か……。よし、じゃあやろうか」
笛を持ち構える。瞼を閉じおくる人の想いを受け止めて、ゆっくりと調べを紡ぎ出す。
人としてはディーを許す事は勿論出来ないし、したくもない。でも彼だって元は戦いしかないこの世界に生まれた兵士だったのだ。戦って、殺めて、人の首を集める事にしか快楽を見出せなかった彼には、やはり初めからその道しか与えられていなかったのだと思う。例えば彼がシティーに生まれていれば、他にも楽しめる事がもっとあったのではないだろうか。
しかしシティーでさえもシャナイアのように苦しんでる人はいた。素直な笑みを浮かべることすら叶わず、泣いて世界への恨みを吐いて命を落としていった。
だからシティーも含めたこの世界全てを壊す必要があるのだ。命が奪われることもなく、外に怯えて隠れ住まずに済む世界を創る。
願わくば、次があるのなら、彼が誰かと手を取って生きられますように。誰かを無闇に傷つけずに彼が笑顔になれる世界となるように。
調べを紡ぎ終わって奈落を覗いても、粒子の一つさえ見えはしない。それでも良いのだ。笛を通して命に触れたのは確かだとはっきり言える。
「ヨランはやっぱり満足だったんだ。最期の姿を自分で選べたから、俺達の背中を押せたから……」
「うん。だからボクらはランツが言ったみたいに、ヨランの為にも何が何でも進まないと」
——女王の身に何が起きていても。
下層から上層へと駆け上がる。女王が眠っていた最上層までの階段の段数は数百を超えている。下手すれば四桁あるかもしれない。体力の無いトワはノアに手を引いてもらいながら、疲れで速度を落としても足を止めることだけはせずに必死に階段を上がっていく。
ようやく辿り着いた幽玄の間では、先に行っていた皆が悲しげに立ち尽くすばかりの光景が広がっていた。
悪あがきでユーニも回復アーツをかけてはくれたがやはり手遅れであった。ディーに撃ち抜かれた後はすぐに戦いとなってしまい、応急処置が間に合うだけの時間はとっくに過ぎ去ってしまった。何より心臓がある位置を的確に貫かれている。床にも大量の血が広がっているのが何よりの証拠だ。人からあんなに血液が流出してしまえば命を保てなくなるのは知識として持っている。
「ごめんなさい……私の半分は
ディーはミオの身体がエムである事を利用して、ずっとウロボロス達の位置を把握していた。眼帯でウロボロスの微弱な電磁波を遮断しても、メビウスとしての存在の波動は防ぎようがない。少し考えれば気がつきそうなものだが、ここにいる誰もがそれには至らなかった。それは完全に自分達の落ち度でしかない。
真のアグヌスの女王が死んでしまったらこの世界を在るべき姿に戻す術を知る者は、未だに行方知れずの真のケヴェスの女王しかいない。手掛かりは何もないが、それでもこれしかもう手段は無い。エムが守ってきた約束を果たせなかった代償として、メビウスの支配する世界でまだ生きねばならぬというのか。
誰もが途方に暮れる中で、聞き慣れぬ声が微かに耳に入る。
「……っ、ぃ、てててて……」
横たわったままのアグヌスの女王の右手がゆっくりと動く。
「あんの野郎、思いっきりぶっ刺しやがって……」
そのまま身を起こし右手で胸の風穴の——風穴があった筈の位置を押さえた。
「あと二セテリずれてたらヤバかったぁ……」
目を開いている。動いている。喋っている。
思考が追いつかない。死んだ筈の女王が、人が、動いている? 生き返った? それとも実は急所を外れて死んでいなかった? それとも夢でも見ていると言うのだろうか?
誰もが言葉も発せない。意味のない困惑の音を含んだ息が口から漏れるばかりだ。
「……あっ!?」
やっと女王が此方を認識した。ぐるりと顔触れを確認し一つ咳払いをして、何故か困り顔のまま笑う。
「んっ、んんっ! あ、貴方達は……?」
「馬鹿な! 確かに心臓を刺し貫かれていたはず……!」
女王の質問にも答えられずにいたが、やっとタイオンが口を開いた。それでも女王の言葉への答えにはなっていなかったが。
「血だってあんなに出てたのに……。どう見ても致死量以上だったろ!?」
回復役故に、仲間内では最も医療知識に詳しいユーニから見てもほんの僅かな希望さえ存在しない程の傷だったのだ。
「でも、生きてる、生きてるよ!」
そうだ。セナの喜んだままだ。今、現実として、目の前でアグヌスの女王は生きている。理屈は分からないが喜ばしいことではないか。
その困惑の中でアグヌスの女王はミオの姿を見て花が綻ぶように笑い、寝台から完全に身を起こして立ち上がった。
「良かった。……叶ったのですね」
誰の願いか、などとは愚問だろう。女王が眠りにつく前に鍵を託した相手は一人しかいないのだから。
女王はもう一度この場にいる者の顔を見て一度瞼を閉じ、また開く。作り物の機械とは違う、温かい日の光を思わせる金の瞳が女王の持つ気品を表しているようだった。
「私の名前はニア。アイオニオンの片翼、アグヌスの女王です」