エムは全てを伝えた後、すぐにアグヌスキャッスルへと戻っていった。触の日まで周囲の者に決して怪しまれぬように、命を貪るメビウスとして振る舞い続けなければならない。
エムから情報を得たモニカとゴンドウはすぐに作戦の立案へと取り掛かった。彼女のおかげでウロボロスの救出が不可能ではなくなった。同時にシティーの安全の確保に向けても秘密裏に計画が練られていく。
シティーの鉄巨神を移動させるのは触の日の早朝だ。時間的な余裕を作り、鉄巨神をゆっくりと動かせるのならばシティー内部への被害は少なくて済むのだが、早い時期にシティーが動けると大勢に知られては外部に情報が漏れ出す危険性がある。裏切り者が出てしまった直後であるから慎重に事を進めるべきだ。折角シティーの位置を変更しても、情報がメビウス側に渡ってしまえば元も子もない。
鉄巨神の稼働に伴う多少の揺れと家財道具の被害はロストナンバーズが責任を負う。エムの言葉通り、何より優先されるべきは人の命だ。
セインはウロボロス救出作戦で使用するアーモリーの整備を任された。通常の操縦に支障が無いようにするのは大前提として、キャッスルから視認されないように欺瞞装置の精度も上げねばならない。成人の儀が執り行われている最中に収容所を制圧し、エムがミオとして行動を開始した瞬間に裏切り者を取り押さえる作戦も同時に遂行する。
シティーが動けるという点を伏せたまま、ロストナンバーズは一丸となりウロボロスの救出と裏切り者を確保する作戦を必ず成功させる為に必死に動いていた。
だがロストナンバーズから裏切り者が発生した点に関しては、市民からの非難は当然ながら発生した。特に保守派筆頭であるドイル家はロストナンバーズの活動の停止と組織の解散すら求めてきた。やはり外になど出るべきではなかった、世界の解放などせず今のままシティーの中で生きるべきだと、自分達の主張が正しかったと声高に抗議を突きつけてきた。
それでもこの作戦そのものが止められなかったのは、ドイル家当主がシティー移動の機密を知っていたからだ。
ヴァンダム家とドイル家はシティーの進むべき道において対立こそしているが、根底にあるシティーを守りたい想いは変わらない。ロストナンバーズの今後については一旦保留とし、シティーの安全の確保が成されてから協議しても遅くはない。モニカがドイル家当主に鉄巨神を稼働させる計画を伝えた時点で、シティーに大変な危機が迫っているのは明白であったのだから。
余談だがシティーが巨大な鉄巨神である事実を知るのはシティーの長老でありヴァンダム家当主のモニカ、その娘のゴンドウ、ヴァンダム家が最も信頼を置くオーツ家当主のミネ、勢力が偏らぬように保守派筆頭のドイル家当主、中立の立場を貫くローディス家当主の五名だ。
リイド家とカシィ家は当主であろうとこの機密を知らされていない。重要な機密を持つ者は多すぎてはいけないのもあるが、現在の当主には任せられないというのが実態だ。
リイド家はシャナイアの母が現状は当主である。だが異様なまでにヴァンダム家を敵視している上に、シティーそのものの安全よりもリイドという家がシティーの上に立つ事を重要視しすぎている。根本的に大事な部分を見誤ってしまっている。
カシィ家は当主たるマティアが如何せん自由すぎる。カシィ家は元から始祖の師にあたる人物の自由な気風を受け継いでいる——噂では始祖本人は師とは逆で、慎重で丁寧な気質だったらしい。だからこそ師に惹かれたのかもしれない——のだが、その自由さは時に気まぐれに傾いてしまう危うさを孕んでいる。流石に当主たる人物はそこまで身勝手ではないのだが、万が一が捨てきれない。頭が固いだとか時代遅れと言われても譲れない部分である。
セインは偶々知ってしまったが、自身が今後当主にでもならぬ限りは知らぬ振りを貫くと決めた。
——でも順番考えたら婆ちゃんの次は親父で、その次は俺なんだよなぁ。
シノがやってくれないか、と考えたが大切な弟に押し付けるのはさすがに兄として最低だろう。その時が来るまではあまり考えないことにした。
ついでに言うと実際に鉄巨神が動いたらどうせ全員知る。機密崩壊である。
そうして迎えた触の日の当日。
前日までにゴンドウなどのキャッスルへ向かう者を除き、全員がシティーへ帰還するようにと長老からの"命令"が下った。要請だとか軽い言葉ではない時点で、不安になった者も大勢いただろう。
早朝にシティーの外へと繋がる道やプラエタリアの丘から開かれるシャッターも全てが閉じられた。"瞳"を介して全員へと強引に「シティーの位置がメビウスへ知られてしまった。よって只今よりシティーを三界景の岬の裏へと移動させる」と告知された。直後シティーが大きく縦に揺れ出す。
オーツ家当主として祖母であるミネは当然モニカ達といる。まだ機密を知らない両親は混乱しているだろう。しかし悪いがそちらには構っていられなかった。セインは告知の直後すぐに自室を飛び出してシノの部屋へ向かった。乱暴に扉を開いて急ぎシノの寝台へと入り、掛け布団でシノを
「にいちゃん!? なに!? なにが起きてるの!?」
揺れとそれに伴う大きな音で怖がるのも無理はない。厚い布団越しに聞こえる弟の声は既に半分泣いている。まだ幼い弟にはこれが攻撃などではなくてシティーの命を守る為のものだと説明しても、揺れが収まるまでは弟の恐怖は決して消えないだろう。でも、せめて、ほんの僅かでもいいから、自身がいる事でその不安が和らいでほしい。
「シノ、兄ちゃんがいるから! 絶対にお前に怪我はさせねえ、兄ちゃんを信じろ!!」
我ながら臭い台詞だなとしか思えなかった。人は追い詰められるとそんな台詞も簡単に吐けるんだと、脳の冷静な部分が地味に分析していた。
目的地まで時間にしてしまえば十分もなかった。短くて、あまりにも長い。セインだってこんな大きな揺れは今まで経験したことがない。そもそもアイオニオンでは地面が震動する現象はレウニスや鉄巨神の移動によって発生する。地面が揺れる事を地震と呼称はするが、自然現象としての"地震"はまず存在しない。年齢性別問わず、かなりの者がこの揺れに恐怖心を抱いている筈だ。
——俺だって怖ぇーんだよ!!
それでも泣き言を声として吐かずにいられるのは、大事な弟がこの腕の中にいるからだ。
やっと揺れが収まったところで両親が部屋へと入ってきた。流石親である。体験した事のない事態が発生しても、子の無事を確認しにきっちりと来てくれるのだ。セインが既に成人を迎えた大人であっても、親にとっては子であることに変わりないのだから。
シノを包んでいた布団を剥がせば、シノが泣きながらセインに抱きついてくる。背中を撫でつつシノの無事と、自分も怪我が無いのを両親に報告する。両親の安堵した表情を見てセインもやっと肩の力を抜いた。
シノが泣き止んでから部屋の外へ出て、家の惨状に頭を抱えた。仮にもセインの住まいはオーツの本家だ。マキナ工房区に居を構え、一般のシティー住民よりも遥かに大きな屋敷である。故に倒れたり落下した家財道具も一般の家とは比べ物にならない。
「親父ぃ、皿何枚割れた?」
「ざっと百枚は割れてるな」
「これロストナンバーズに損害請求出来んのか……」
「したいところだが、他の家で手一杯だろうな。うちは余裕あるから自分達で何とかしよう」
「ほら、二人とも。足元に気をつけて片付けるわよ」
「お袋も無理すんなよ。シノは自分の部屋片付けてきな、ガラスとか割れてたら触んないで俺呼べ」
「わかった〜」
鉄巨神が移動したのは早朝だったから、時間が経つにつれて外は明るくなる。シティーは陽の光が入らないからあまり時間経過を感じにくいのだが。
正午から一時間程前に、再び"瞳"にある知らせが入った。
本来であれば収容所にいるシティーの者の首が落とされる処刑の対象が当代ウロボロスとなってしまった。しかしウロボロス達を必ず助け出す算段がある。例年通りその様子は空へと投影されるだろう。己の目で見届けたい者はアステル港へ集合せよ、との事だ。
一応シティー内でも投影されたものを更に司令室で見られたりもするのだが、処刑を見ようだなんて者は多くない。今日ばかりは別かもしれないが、大体の者は家の片付けで手一杯だろう。
「親父、俺行ってくるわ」
「
「ああ、俺には見届ける責任がある」
「分かった。終わったらまた片付け手伝うんだぞ」
「その"片付け"にはどんだけ含んでんだよ……。親父だって一段落したらロストナンバーズ側で色々あんだろ」
「まあな。……行ってこい」
「ありがと、親父」
外出用の眼帯だけ忘れずに引っ張り出してアステル港へ向かうと、三十名くらいは集まっていた。案外いるもんだなと顔触れを確認すると、カガリとコウハの姿もあった。
「来てたか、赤と黄色」
「名前で呼びなさいよ
「褒め言葉だろそれ」
「じゃあ蜂蜜」
「言ってるお前の方が恥ずかしくなるぞ」
「二人とも、もう二十過ぎてるんだから子どもみたいなことしないの」
言い返してきたコウハも、止めに入ったカガリもやはり表情は普段より重たい。この姉妹だってウロボロスとは関わりがあるのだから心配でならないのだろう。
大型のアーモリーで外へと出て三界景の岬に降ろされる。正午が近く最も明るい時間帯なのに外は薄暗い。
当然だ、今日は触の日なのだから。
年に一度、太陽が月の影に隠れるだけの自然現象はシティーにとっては不幸の象徴でしかなかった。今回だってエムがやって来るまでは変わらぬどころか、希望たるウロボロスが処刑されるという何より最悪の事態へと突き進んでいた。
先程の告知では助け出す算段があるとしか伝えられていない。エムから情報を聞かされているセイン達でさえ詳細は不明のままだ。エムの言葉を信じてはいるが、心臓の鼓動はずっと強いままだ。左胸の辺りを黒のタンクトップごと右手で握りしめた。大丈夫だ、絶対に上手くいくと何度自分に言い聞かせても、怖い怖いと幼い子が泣いて暴れているかのように心臓が内側から胸を殴ってくる。
「出た!」
しんと静まったままの岬で、誰かが沈黙を破った。
キャッスルの上空に映像が投影された。時刻を確認しても正午の寸前だ。
映像の位置は今までと変わりない。メビウスは今もシティーが大剣にあると思い込んだままだから、例年通りの位置に処刑場の様子を映し出している。
「始まったわね」
「……希望の丘ではない?」
異なるのは今回の処刑は希望の丘にロストナンバーズ兵を並べて首を落とすものではない点だ。キャッスルにて成人の儀の形でウロボロスの一人を盛大におくり、その後残りの者の首を落とす流れだ。
そういえばそれを知っているのはエムの話を聞かされたセイン達三人だけだった。他は皆ウロボロスが希望の丘で殺されると思っていたのだろう。見慣れぬキャッスルの映像で場もざわついている。
アグヌスキャッスルにある天還の処刑場にウロボロス五名と、いつも一緒にいたノポンの二人も拘束されたまま膝をつかされる。誰の顔も憔悴し、諦め切った色に染まっている。
特にあの過去に
「……言わんこっちゃねえ。やっぱり弱い奴に寄り添って守れてるって勘違いしてたんじゃねぇかよ。ダセェ自己満足だ」
「あんた、ノア君のことそんな風に見てたの?」
「事実だろ。あの子——ミオっつったっけ、あの子が一番年上だから成人を迎えるのは彼女だ。どうせ失うって実感してやっと気付いたんだろ、典型的な馬鹿だ。……ってぇなカガリ! 腕
「セイン、コウハ、あの子……!」
「アァ!?」
視線を空へ向けたままえげつない力で抓ってくるカガリにキレつつも、セインももう一度映像に目を向け直す。その光景にセインもコウハも驚きと焦りが入り混じった声を出す。
「な……、ンであの子がそっち側にいんだよ!?」
「うそ、トワちゃん……!」
たった一人、トワだけが拘束もされず偽りの女王の下で笛を持ったまま虚ろな目をして佇んでいた。
「……あんな場で仲間にミオさんをおくらせるって言うの!?」
「誰よあんなの考えたメビウスは!! 今すぐライトニングバスターでぶっ飛ばしてやるわ!! セイン、アーモリー飛ばしなさい!!」
「うるせぇな!! 黙って見てろ!! 何とかなるって言われてんだから見てるしか出来ねぇよ!!」
「セインじゃ間に合わないでしょ! 私が飛ばす!!」
「カガリちゃんの運転じゃ死人が出るー!!」
三人が大騒ぎしようとも成人の儀は粛々と進む。ミオの為の調べの中で、主役であるミオが女王の前へ手枷を嵌められたまま歩み出る。膝をつかされた彼女の身体から金色の粒子が漏れ出し、その瞬間が来たことを告げる。
セインだけはあの身体の中にいるのがエムである事を知っていたから歯を食いしばりながら何とか耐えてはいたが、両脇にいる火光姉妹はずっと悲鳴に近い声を上げている。二人に限らず、文字通りエムの命を懸けた作戦を知らない他の者も似たような反応ではあったが。
「ねえ、何とかなるって言ってたじゃない! ミオちゃんあのままじゃ消えちゃうわよ!!」
「何とかなるんだよ!!」
「その方法を説明しなさいよ!!」
そしてミオの身体が全て粒子となり崩れていく。身につけていた物だけを残して命が天へと昇っていく。ミオが消えてしまった光景を見た者は言葉を失い、騒がしかった岬が一度音を無くす。
——ここからだぞ、"ミオ"。
セインだけは一つ深呼吸をして、希望が潰えていない事を信じて拳を握り直した。