7-1
真のアグヌスの女王——ニアはエムの想いをここまで届け、再び自身を目覚めさせてくれた事に対して感謝を述べた。もう一人のエムであるミオと、彼女と一緒にここまでやってきたウロボロス達全員へ、慈愛に満ちた笑みと共に。
そして長い歴史——この世界の成り立ちを、贈り物を包んだ紙を開くかのようにゆっくりと丁寧に語り出した。
「遥かな昔、元々は一つであった世界が二つに分かれました」
一つであった世界では繁栄の極みを迎え、多くの人々が暮らしていた。何一つ不自由はなかった筈なのに、理想の世界を築き上げた筈なのに、人々の傲慢な想いは"先"を求めて奪い合いを始めた。自らの意思で終わりのない、結ぶ実もない争いを続けていた。
ある日、地上を焦がし空さえも焼き尽くさんとする人々と崩れ行く世界の惨状を憂いた一人の男が、未知なる物に好奇心と救いを求めようとして暴走してしまった。
男が指先一つで開始した、世界全てを巻き込んだ実験により元の世界は二つに分かたれた。
一つは二柱の神々から成る巨神界と機神界、もう一つは
同じ一点を出発地として生まれた二つの世界は、同じ姿をしながらも正と負といった相反する性質を持っていた。各々の世界は独自の進化を遂げ、新たな命を生み出し育んでいった。決して平和であるとは言えなかったが、未来を求める者達の世代や種族を超えた努力によりようやく平穏が訪れた。
背を向けて互いを知らぬままに、それぞれの未来へ向かう筈であった。
しかし世界は存在の孤独に耐え切れずに、失われた己の半身であるもう一つの世界を求めてしまった。再び本来あるべき一つの姿へと戻ろうとした。
言葉だけ聞けば喜ばしい事かもしれなかった。けれども現実は言葉の持つ雰囲気とはあまりにもかけ離れていた。
「それは破滅を意味していました」
相反する性質を持つ世界は交わる事で全てを消滅させてしまう。アイオニオンの各地で起こる消滅現象はその前兆である。消滅の後に残るのは光だけ。
その"光"が二つの世界の人類に残された最後の共通の言葉であった。異なる世界に在りながらも人々は"光"を使い言葉を交わした。世界の消滅を回避する手段を二つの視点から模索する為に。
世界の消滅は近い未来ではなかったが、決して遠い未来でもなかった。世界の混乱を避ける為に消滅の事実を知る者はごく僅かな者に限られたが、互いの世界の叡智を掻き集めて結集させ、一つの希望をやっとの思いで生み出すことに成功した。
それが"オリジン"と呼ばれる物だ。
——ここはこの世界の始まりであり、全ての魂が還る場所、オリジンだ。
エイの声がフラッシュバックする。忘れる訳がない。成人の儀のあの瞬間に、トワの魂が引き摺り込まれた場をエイははっきりと"オリジン"と称したのだ。
ニアの説明するオリジンはそれとは随分と異なっていた。
オリジンは世界に存在する全ての情報を記録する巨大な機関である。記録は単なる生命データに留まらない。"光"となる全ての言葉、記憶や想い、魂をも刻み込む。世界が消滅する寸前まで"何もかも"をオリジンは記録し続けた。
未来へと渡り往く希望の方舟としてオリジンは誕生した。その本来の用途は消滅した世界を「消滅する寸前の姿へとそのまま再生し、
全てを尽くして作り上げたオリジンを備え、二つの世界が交わる時は遂に訪れた。
しかし、世界の再生は行われなかった。
再生の行われなかった世界は消滅を迎える"その瞬間"に静止してしまった。
静止させたのはゼットを始めとしたメビウス達であったのだ。その中でもゼットはメビウスを統べるメビウスとして君臨し、
その静止した世界こそが自分達の生きる世界——アイオニオンである。アイオニオンに在る物は全てがオリジンから呼び出された情報で構成されている。シティーがあった大剣や、インヴィディア坑道内の遺跡等も本来は二つの世界に存在する物である。誰かがアイオニオンで作り上げたのではなく、この世界が誕生した瞬間から"あの状態のまま"存在している。
人も同じだ。ケヴェスとアグヌスの者は本来それぞれの世界を生きる人間であったのだ。
例外はただ一つ。アイオニオンで新たに誕生した命であるシティーの人々だけ。
静止した世界の中でメビウスは何をしようとしたのだろうか。こんなとんでもないシステムを掌握したのだから、さぞ大きな野望でもあったのだろうとランツが問うた。
ニアは哀傷を滲ませた瞳で遠くを見つめた。
「何も、しませんでした。何もする必要は無かったのです」
強いて言うのであれば、世界をただその場その時に留めて、閉じた時間の中を永遠に漂うことこそが目的であり願いであった。当然漂うのにも
その糧こそがケヴェスとアグヌスの兵士の命である。
オリジンに記録された巨神界と機神界、アルストの人々の情報を引き出し、兵士としてアイオニオンに再生させる。メビウスの手で作られた命は、文字通り奴等の糧であり遊びの駒に過ぎない。駒の一つ一つに意思や感情が存在していても、駒を扱う者にそんな事は何も関係がない。駒は駒として黙ってプレイヤーに従うのが役割なのだ。
オリジンの創造者たる者には"心"がある。オリジンを使用する権限の強さと言い換えてもいい。
ゼットはその最も上位の権限を掌握する為に、真のケヴェスの女王を捕らえた。ケヴェスとアグヌスの女王は権限としてオリジンの"鍵"を所有している。ゼットはそれを欲した。
結果、ゼットはケヴェスの女王の鍵を使い、オリジンの全てを掌握してしまった。この閉じられた世界において、オリジンの掌握はそのまま世界そのものの掌握と同義だ。命に枷を嵌めるのも、理そのものに干渉し自由に書き換えて生死すらも思い通りにしてしまえる。ゼットがこうしたいと願えば、それがどんなに残酷で非人道的なものだったとしても、容易に世界の理として顕れてしまう。
「これがエムも知らなかったこの世界の成り立ちです」
皆押し黙ってしまった。誰も知らなかった世界の生まれを知らされたのだから無理もない。
「私達もメビウスに抵抗しなかった訳ではありません。私も持つ鍵を使って生み出した物があります」
それがウロボロス・ストーンだ。
ニアが指したのは、自分達の始まりとなったあのケージだ。翠玉色に光るケージが咲くように開き、ウロボロス・ストーンではなく装飾品にも見える金属の歯車が姿を見せる。オリジンの金属によって作られた物だ。
ウロボロス・ストーンはオリジンを構成する物質と、女王の持つ鍵——胸にある"
だからこの千年の間、ウロボロス・ストーンは減る一方だったのだ。唯一創り出せるニアは天空の砦で眠り続けていた。減りこそすれど増えはしない。
ゲルニカがあの時にどれだけの覚悟でウロボロス・ストーンの力を解放すると決意したのか。今になって彼の託した想いが、まるで質量を持ってずっしりと背中にのしかかってきた感覚がする。
そんなウロボロス・ストーンも完全ではない。いくらウロボロスと言えど、力そのものは強大であれど無限ではない。ウロボロスよりも外側を覆う
「でも貴方達はゼットの理を打ち破りました」
ウロボロスの力と
ウロボロス・ストーンと同じく、終の剣はケヴェスの女王の心とオリジンの物質が触れ合い生まれた物だ。二つの世界の鍵から生み出されたものが巡り合い、メビウスすらも超える力となった。
それでもウロボロス・ストーンも終の剣もきっかけにすぎない。本質は己自身である。
つまり、扱う者の"想い"。いつかリクが話していた事と合致する。
想いは鍵となる。ニアの
ここまで来たらすべき事は明白だ。オリジンへ赴き、ケヴェスの女王とオリジンをメビウスの手から解放する。
「……解放できれば、世界を変えられますか? この理不尽な世界を消し去れますか?」
少しだけ自信無さげに訊くセナに対して、ニアははっきりとした言葉では告げなかった。
貴方達がそれを望むのならば、と。
ノアもメビウスが本当に斃すべき相手なのかを問うたが、ニアの答えはセナへのものと大きく変わらなかった。世界を変えたいと望むのも、メビウスを斃すと判断するのもウロボロス達自身だ。
どこか心に引っかかる感覚はあるものの、ノアはそれに一応納得はしたようだった。まずはオリジンそのものへと向かわねば始まらないから、先にそちらをやるべきだと判断したのだろう。
トワは違った。
オリジンを解放したらどうなるのか。勿論本来の役割を果たす為に二つの世界を再生させるだろう。
全てを、元に戻す。
——なんで、みんな怖くないんだ。
あんなに女王様は恐ろしい事を言ってたのに、どうして、何の迷いもなくオリジンを解放しようって言い出せるんだ。
そんなの、強いからだ。
答えなんてとっくに知っていた。自分とは違って六人は強い者だから、時には何かを失ったとしても進める人だ。
自分がこんなにも怯えているのは弱いからだ。弱いから、すぐにみんなと同じ場所へ至れない。自分だけでなく、沢山の人にまで影響する選択に対して、進むという答えを即座に選べない。
ニアはノアの答えを聞き、幽玄の間の南側へと誘導する。そこから見えるのはアイオニオンの中心部にある大海の渦である。
「あの渦の底にオリジンはあります」
何人たりとも寄せ付けぬ大海の底にゼットがいる。
オリジンの場所が分かろうとも良い事ばかりではない。寧ろ分かってしまったから大きな問題が発生した。あの渦は近づいただけであらゆる物を吹き飛ばし捩じ切ってしまう特殊な力が働いている。近づく事さえままならない。
「いーや、女王様なら知ってんだろ。オリジンとやらを作った張本人なんだからさ」
ユーニが明るい声で言う。こんなに沢山の情報を知る上に鍵すらも持つニアであれば、きっと大海の渦もどうにか出来る知恵を握っているに違いない。
ウロボロス達の期待の視線を受けたニアは、ぎこちなく首を捻りこう言った。
「さ……さぁ……。私にも分かりません……」
「女王様だろ!? そんな事も分かんないのか!?」
「マジかよ……」
「何ということだ、僕は失望を禁じ得ない……!」
「君達、ちょっと言い過ぎ」
女王相手だろうと容赦無く責め立てる皆をミオが諌めた。エムとして女王の事を過去から知っている彼女らしい行動である。
だが今度はそのミオに矛先が向かうこととなる。
「ミオ、お前さん、メビウスの力使えたよな!?」
「えっ。え、えぇっと……」
「だったら行けんじゃねえか? あのビュンって瞬間移動みたいなやつでさ! ヨランもやってたし」
そこでゆっくりとミオの目が逸らされる。
「今は使えないんだ……メビウスの力……」
「はい?」
ランツの素っ頓狂な声が響いた。
ミオの、と言うよりエムのメビウスとしての能力はキャッスルを解放した直後から既に使用できなくなっていた。これもまたゼットによるものだろう。メビウスを統べるメビウスであるゼットであれば、能力権限の剥奪など容易い。
それにしてもオリジンに行く手段が無い。どうしたものかと嘆くが、ノアがある名を呟いた。「サモンさん」と。
サモンというノポンはノア達にある夢を熱く語っていた。大海の渦すらも物ともしない、究極のすんごい船を作っている。もうあるのか作っている最中なのか、はたまた設計途中か。記憶は皆バラバラだがサモンが船の話をしていたのは事実だ。
これが使えるかもしれない。希望が見えてきた。善は急げだ、早速シティーへと向かおうと走り出す。
「ありがとう、女王様。何とかなりそうだ!」
「私達、必ずオリジンを解放してみせます」
「お、おう……」
ウロボロスがいなくなった幽玄の間で、女王らしからぬニアの返事があったのを知るのは本人ともう一人しかいなかった。
幽玄の間を出てトラビスに連絡を取る。事情を把握したトラビスは迎えの船を砦の前へと手配してくれた。長い長い階段を降りて、奉迎の台座へ向かえば言った通りにアーモリーが新たに一機到着している。隣にある小型のはトワが乗ってきた方だ。ノア達はそのまま大剣にある整備区のサモンの下へと向かう。
その中でたった一人、トワの足取りは重たい。
「……ボクは、行けない」
どう考えても、希望が見えて浮き足立つ彼らにかける言葉ではなかった。
「どうして? 行くなら一緒に……」
「足手纏いになる」
戦力だとか、物理的に力が足りないとかそういうのではない。精神的に皆に付いていくには不相応なのだ。
今、トワの心にある考えはノア達ととても並べられた物ではない。皆の進もうとしている道が正しいのだと理解したい気持ちは大いにあるし、実際正しいのだと思う。けれどどうしても考える時間が欲しい。あまりにも身勝手で、我儘な行為だと重々承知してはいる。
「ごめん……。でも答えが出たら必ず言うから、みんなは船のこと聞いてきて」
せめて自然に笑えていただろうか。
沈黙の空間が耐えきれなくなり、トワは逃げるようにしてカガリとコウハのいるアーモリーへと乗り込んだ。
「おかえり、トワちゃん。女王様とか大丈夫だ、った……。……みんなと喧嘩しちゃった?」
「そういうのじゃないんですけど、ちょっと……。勝手にこんな風になってるボクが悪いので……」
「あんまり自分ばかり悪く言わないでください。距離が近いと色々ありますからね。疲れたでしょうし、ゆっくり戻りましょうか」
「普段からそうしてよカガリちゃん……」
「時は金なりなんだから急いでなんぼだよ」
「事故ったら意味ないんだってば……」
穏やかながらも普段の空気を崩さず、あまり深く聞いてこない二人が有り難かった。その優しさが温かくて、それに甘えている自分が情けなくて、ノア達についていけない弱い自分が悔しくて、一粒だけ涙を零した。