神笛と永遠と   作:坂野

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「もしも悩みが抱えきれなくなったら相談して。一人だとつい悪いことばっかり考えちゃうからね」

「吐き出すと軽くなります。トワさんよりも長く生きてるつもりですから、少しかもしれませんが力になれると思いますよ」

 コウハとカガリは別れ際にまで優しい言葉をかけてくれた。寒い夜の日に毛布で包まれる温かさに似たものを感じてつい涙が溢れそうになってしまったが、きっとここで泣いてしまったら二人を余計に困らせてしまう。ぐっと喉の奥に力を入れて漏れ出そうになる嗚咽を押し戻した。

 

 シティーのアステル港で降ろされた後、特に何も考えず思うままにふらついた。ミチバ食堂を通り過ぎてマキナ工房区から南側へ。そこからウィリデ公園へと下り、植え込みの前に設置されている長椅子に腰を下ろした。

 眼前ではシティーの子ども達が元気に走り回り、陽の光のような溌剌とした明るい声で公園を埋め尽くしている。子ども達だけでなく距離の近い男女の若者、散歩を楽しむ老人、書物を真剣に読む大人と様々な行為を楽しみ、今を生きている人がいっぱいだ。

 ——元に戻ったら、これが。

 頭の中が真っ暗になる。あんなに光に満ちていた筈の未来が途端に見えなくなった。差し込む光も無ければ、足元を照らす灯りさえ無い。何があるのかも見えない。何も存在していないのかもしれない。

 道の先にはこんな世界があると信じていたのに。

 

「トワちゃん、隣座ってもいい?」

 自分を呼ぶ声が降ってきて思わず顔を上げた。

「……ミヤビ」

 シティーの明かりを背に受けて、にっこりと笑うミヤビが立っていた。

 

 ミヤビはつい先程身体検査を無事に終え、何の異常も無しと判断された。ロストナンバーズで活動するのも、シティーでやりたい事をやるのも、何なら何もしないのだって本人の自由である。とりあえず、とシティーを見て回っていたミヤビは戻ってきていたトワを偶然見つけた。

 人の感情に敏感なミヤビはすぐにトワの表情に気がつき、同じように悲しげに眉間に軽く皺を寄せた。彼女の前では下手に嘘はつけない。見栄を張って強がったとしても、寧ろミヤビを不安にさせてしまうだろう。だから思い切って、彼女に今の想いを吐き出してみることにした。

「さっき、本当のアグヌスの女王様に会ってさ、そこでこの世界の成り立ちとか、凄い事をいっぱい聞かされたんだ。……ミヤビにも、話していいかな?」

「うん。私、ちゃんと理解できるかな……あんまり頭良くないし……」

「ボクも全部理解しきれてないから大丈夫だよ」

 ニアのようにすらすらと元あった二つの世界やオリジンの事は説明できなかったが、聞いてきた内容は一応話し切った。真実とされる内容にやはりミヤビも終始驚いていた。

「ボク、怖くなったんだ。このまま進んでいいのかって」

「どうして? メビウスを斃して世界を在るべき姿に戻す為にシティーの人も頑張ってる、って聞いたよ」

 それはそうなのだが、ニアの説明の中にどうしても聞き捨てならない情報が存在した。元は一つの世界が二つに分かれたとか、メビウスがケヴェスの女王を捕らえたとかよりもずっと恐ろしく感じた情報がある。

 オリジンの本来の働きによって起きる現象だ。

 ニアの話の中ではオリジンは"二つの世界が消滅する寸前の姿へと再生し元に戻す(・・・・)システム"だと言われていた。

 

「それってさ、アイオニオン(この世界)でのこと、全部無くなるんじゃないかって……」

 

 ケヴェスとアグヌスの人が出会ったことも、多くの人達との触れ合いも、この閉じられた世界で抱いた様々な感情も、今こうしているミヤビとの会話も——ここにあるシティーの命も全部消えてしまうのではないだろうか。

「進まなきゃいけないのは分かってるんだ、立ち止まったら駄目だって。でも……でもね、この世界のままみんなが生きていてもいいんじゃないかって思っちゃったんだ。このままでも、火時計を破壊し続ければ何とかなるかもって……」

 最悪の考えだった。だってそれは今まで否定してきた存在と全く同じものなのだから。

「こんな事を考えた自分が一番嫌だった……! メビウスと何にも変わらないじゃないかって……!!」

 そんな自分はノアやミオ達と一緒にいる資格がない。彼らは迷いすら持たずにこの世界を進めて解放しようとしている。永遠の今ではなく、何かを捨ててでも未来の為に進もうとしている。

 

「でも……やっぱり出来ないよ! 今ある世界を変えたい気持ちもあるよ、だけど、ボクは……っ、シティーの人達の命を捨ててまで未来を選びたくない!! そんなの選べない……選べないよぉ……」

 

 ぼろぼろと涙が零れ落ちていく。掌で何度拭おうとも全く止まる気配はない。段々と拭いきれなくなり、ズボンにも濃い染みが増えていく。

 エヌの気持ちがやっと理解できた。彼もこうやって己の何より大切な二つの前に立たされて、どちらかを選べと迫られた。選びたくなかったのに選ばねば全てを失うと脅されて、苦しんで苦しんで、その果てに"永遠の今"を選んだのだ。

 たとえそれがゼットによって誘導された道だったとしても。

 後悔が生まれぬ筈がない。どれだけの時が流れようと後悔も罪悪の意識も薄まる訳がない。自分の選択で数え切れぬ命の未来を奪い取ってしまったのだ。それがエムと同じくらいに大切な存在だったのだから、己の身を引き裂くという言葉すら生ぬるい苦しみだ。

 

 泣き続けるトワの背をミヤビは黙って撫でていた。トワの吐き出す想いを遮らずに全て聞いて、一つも零すことなく受け止めてくれた。

 しゃくり上げるトワの声が落ち着いてきた頃合いになって、ミヤビは言葉を一つずつ選ぶように話し出す。

「……怖いね。それが本当に起きたら、私も、とっても嫌だな」

 ミヤビは本当にシティーへと来たばかりだ。触れ合った人もロストナンバーズの一部の人のみで、まだまだ本来の人の姿にさえ慣れていない。

 しかし迎えてくれた人は皆優しかった。身体検査の担当者も決して雑には扱わなかったし、エセルの件で色々とあったトラビスだってミヤビを始めとしたコロニーオメガの兵士が安全に過ごせるように手を回してくれた。

 ついさっき歩いている時に偶然出会った女性は「新しい子が増えたんだね」と、ミヤビにとっては初めて見る"オカシ"をくれた。子どもなんだからシティーで沢山笑って、少しでも幸せになってほしいとその女性は微笑んでいた。

 無論全員がそうではないだろう。トラビスからはケヴェス兵とアグヌス兵に怯えたり、偏見を持つ者もいるから気をつけるようにと念を押されている。ミヤビも同じコロニーに所属する、本来は仲間である人々にさえ後ろ指をさされた経験がある。何なら目の前で堂々と運動能力の低さを馬鹿にされて嘲笑われてきた。ありとあらゆる人が自分にとって友好的に接してくれるなどと、淡い幻想を持っている訳ではない。

 それでもミヤビはこのシティーという場所を好きになれると思ったのだ。戦う以外の選択肢を自分の手で掴み取って、笑顔で生きている人が溢れる世界を信じてみたくなった。

 それが消えてしまうとなれば、ミヤビも胸の中が真っ黒な霧で埋め尽くされる感覚に襲われるだろう。

 

 可能であるならばシティーの命を捨てずに進みたい。でもどんな方法を取れば良いのかすら分からない。だから立ち止まって途方に暮れるしかないのだ。

 時間だけが過ぎていく。ニアから言われた事実だけが耳の奥で何度も反響する。あらゆる光を記録するオリジンは未来へ進む方舟だ。なのにその力は新たなる未来ではなく、元の世界をそのまま再生する。それは過去ではないのか。未来とは何なのだろう。ありとあらゆる情報を刻んでいるのに。

 生体情報、歴史、言葉、記憶、想い、魂。何もかもを、ずっと——。

「……あ」

 不意にミヤビは背を撫でていた手を止めた。

「トワちゃん、オリジンって今も動いてるかな?」

「……え?」

 もしもオリジンが一切の機能を稼働させていないのであれば、閉じたる世界であるアイオニオンはそもそも生まれなかったのではないだろうか。ゼットは態々ケヴェスの女王を捕らえてまでオリジンを掌握し、ゼットの思うままに世界を支配しているのだから全ての機能が止まっているとは考えにくい。規模の大小はあるだろうが、ゼットがオリジンを動かしている事に間違いはない筈だ。

「ミヤビ、それってどういう……」

「オリジンは全部を記録してた、って女王様は言ってたんだよね」

「うん……。確か、二つの世界が交わって消滅する寸前までずっとって……」

「もしかしたら、だよ。私の勝手な想像なんだけど……」

 

 オリジンは"今"も記録を続けているのではないだろうか。

 

 閉じた世界になっても、発生し続けた人間の正負の感情を、数え切れぬ程の沢山の想いを、二つの世界の人々の出会いを、新たに生まれたシティーの人の命も、"何もかも"を。

「可能性、あるかな……?」

 合っている自信は無いけれど、とミヤビは苦笑する。その姿が輝いて見えた。真っ暗だった頭の中に、あまりにも強い光が闇を打ち砕いて入り込んできた。

「あるかもしれない……!」

 ほんの数秒前まで不安と恐怖でうるさいくらいに鳴っていた心臓の音がまるで違う。希望に震えて、可能性の光を見出したことに歓喜の声を上げて強く強く鳴いている。

 ミヤビはやはり凄い人だ。多すぎる情報の中から見逃してしまうくらいに弱い光も掬い上げてくれる。

「……行こう! ミヤビ!」

 零れ続けていた涙を乱暴に拭い、ミヤビの手を取って立ち上がる。

「行くってどこに……!?」

「女王様のところ!」

 可能性があるなら確認してしまえばいい。違うと言われたらまた別の光を探せば良い。諦めて立ち止まる事がメビウスと同じならば、希望を探し求めて踠き続けるのだ。考えて、手を伸ばして、時には振り返って、また歩き出す。

 そんな当たり前で簡単な事をミヤビは思い出させてくれた。流れに身を任せてしまえばそこで終わりだ。進まぬのが罪なのではない。進もうとする意思を捨ててしまうのが罪なのだ。

 だから一歩も進めなくなってしまっても、その場で踠いて暴れてでも抗うのだ。

「ありがとう、ミヤビ!」

「……うん! どういたしまして!」

 

 

「トラビスさん、アーモリー貸してください」

「最近お前も強引になったよな〜!!」

 司令室の扉を開いて頭を下げる。事情を説明しろ事情を! と相変わらずのくたびれ顔で嘆く彼に理由を伝えれば、案外あっさりと許可を出してくれた。

「……人手少ないから適当に操縦者呼ぶからな」

「カガリさんですか?」

「いや、流石にあいつはまずい。あのぶっ飛び運転は燃料効率も最悪すぎる。一回飛ばすだけで燃料費が馬鹿にならない……」

 あの運転は有名らしい、悪い意味で。

 

 泣きそうな顔で連絡を入れたトラビスが依頼した操縦者はそれから数分もしない内に司令室へとやってきた。

「ンだよトラビスのおっさん。休暇手当寄越さないとモニカおばさんに言いつけるぞ」

「今は休暇じゃないだろ! そんな事したらこっちはミネさんに言うからな!!」

 トワにREXを託してくれたオーツ家のセインだった。

此間(こないだ)の事で頑張ったんだから俺だって休みてぇよ。……で、誰をどこに連れてけっ、て……」

「セインさん! お久しぶりです……ぅわっ」

 そんなセインはトワを認識するなりいきなりその身を抱きしめてきた。トワとミヤビはきょとんとしているが、何故かトラビスだけは顔を赤くして小声でパニックになっている。手出したのかとか何とか言いながら。

「セインさん、何か……?」

「……頑張ったな。触の日のこと、見てたよ。本当によくやったよ、ありがとな」

 成人の儀のあの騒動を見られていたのかと少しだけ恥ずかしくなる。態々一人だけ衣装を用意されたあげく、たった一人でおくりの調べを演奏したのは今となってはむず痒い。

 セインがよくやったと言うのは間違いなくREXの事だ。セインが作り上げた武器(ブレイド)の能力を開花させたのだから、彼だって嬉しかったに違いない。

 腕を解かれて見上げた表情は、普段の口の悪さからは想像も出来ないくらいに柔らかな笑みだった。

 

「よし、じゃあ早速REXについて詳しい話といくか」

「おうおう俺の言った事忘れるな。トワとミヤビを天空の砦まで連れてけ」

「ハァ〜? 折角この子に会えたんだから拡張能力についての情報を詳しく取材して次の研究と開発に役立ててだな」

「そのトワが行きたいって言ってんだ」

「……マジ?」

「あ、はい……、マジです」

「なら仕方ねえか、さっさと行くぞ」

「……お前、トワの事となると甘くないか?」

「少なくともトラビスのおっさんには甘くないぜ」

「お前って奴は……」

 ——やはり普段通りのセインである。

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