記憶。
自分のではない。誰かの、過去を生き抜いた人の、まだアイオニオンの中心部に地面が存在していた時の世界の記憶。
真っ黒な塔から青白い光が天へ伸びていく。それを受けて空に現れる巨大な球体。ケヴェスでもアグヌスでも、ましてやシティーの物とも異なる。外の世界からやってきた物体だと説明されたら少しは納得できるだろうか。
『あんな場所に——』
『だとしたら、時間はあまり残されてねぇ——』
オリジン内部に作り出されたセントムニア地方で出会った人々が記憶の映像の中にいる。彼等と対峙するのは黄金の鎧と漆黒の長髪を持つメビウス・エヌだった。
『俺はこの世界を"守る"事を条件にゼットから永遠の今を約束された』
彼が望む永遠はただ一つ、エムと共にいる時間だけ。
光景が切り替わる。
どこか見知らぬ劇場で、過去のエヌと顔に紫のヒビが走る白髪のメビウス——ゼットが言葉を交わしている。エヌは二人の永遠と引き換えにかつてのシティーを滅ぼした、とエムの記憶を受け継いだミオが話していた。
しかし、違う。今見ているのはそれと何かが違う。
オリジン、アルファ、糧、新たなる命、方舟、古きものを捨てて未来へ。
エヌが守ろうとしたのはエムとの時間と、
また切り替わる。
シティーが燃えている。オリジンのモンスターが辺りを破壊して歩き、何かを目指して侵攻を続けている。その先頭にいたのはエヌだった。
見えたのは光の柱と、光を宿しているのにどこか虚ろな目をしたナエルとシティーの人々、そしてゴンドウ。
『父、さん……?』
嗚呼、そういうことか。
不要な物を捨てて旅立とうとしたアルファと呼ばれた機械と、糧である新たなる命と、それを排除することで世界を繋ぎ止めようとしたメビウスと、全てを救おうと争った
約千年前に過去に存在したシティーは壊滅した。エヌの手によって。それがヴァンダムの始祖像に書かれていた歴史であり、エムの記憶でもあった。
でも真実は違った。エムが語ったのは彼女がエヌやゼットから聞いた話でしかない。エムはエヌがシティーの人々を殺した光景を見てはいなかった。エムの目で確かに見たのは燃え盛るシティーだけだ。転がる死体は一つとしてなかった。全員が逃げ出せたのか、シティーの人間は骸を遺さないからなのか、死を死と認識する間もなく肉体ごと消し飛ばされてしまったのか。己の目で見ていない以上、エムはこれが間違いなく真実だとは何一つ言えない。
エヌとゼットの取り引きだってエムは直接見ても聞いてもいない。拾った情報を繋げて作り出したエムなりの推論でしかない。
エヌとゼットが語った情報は取捨選択がされていたとしたら? 意図的に言葉に修飾を施したら? 二人の間で口裏が合わされていたら?
今の世界で真実を知るのはエヌとそれを仕向けたゼットのみ。
エヌはエムにある秘密を隠し通した。それはエムがエヌに対して全ての想いを打ち明けなかったように、独断でミオと入れ替わり自分だけ先に往ったように。エヌもまた独りで誰にも打ち明けられぬ秘密を抱え込んで、千を超える年月を漂ってきた。
それで自分がどれだけ歪もうとも、エムへの残酷な真実だけは守り抜いた。
誘導されたとは言えエヌの選んだ道や起こした行為を許せはしないけれど、それでも、まだ彼には良心はあったのだ。
あのシティーへの襲撃で、エヌ自らが手をかけたのはたった一人だ。
何よりエヌは"彼"を本当に殺すつもりなどなかった。身内さえも斬り捨てると覚悟した筈なのに情は捨てきれなかった。捨てられる訳、なかった。
エヌは愚かで、哀しくて、寂しくて、とても優しい人でもあったから。
「……後は君次第だ」
いつの間にか、煌めく銀の美しい髪を揺らす女性が隣にいた。
「エイさん……」
今はオリジンにいる彼女がここに存在する細かい理屈はよく分からないが、何となく理解はできる。シュルクが過去に笛に魂を宿らせたように、記憶のカケラを介して夢の中に形を持って現れているだけ。今も彼女の本体と呼べる部分はオリジンにて未来を信じて世界を見つめているのだろう。
「長い時を重ねて記憶も情報も朧になってしまった。シティーに伝わる歴史は様々な点が歪んでしまい、真実を知る者はあの中にはもう存在しなくなってしまった」
これは過去に生まれた後悔からの"未来への償還"であり、"新たなる未来"へと繋ぐための礎となる記憶だ。
「記憶が朧となっても"あの瞬間に在った想い"は受け継がれているんだ。メビウスを斃し、世界の解放を成し遂げる。そしてその想いは、今集おうとしている」
「……どうしてボクに見せたんですか」
その問いにエイはほんの僅かに呆れの色を含みつつも笑みを浮かべた。
「君が一番理解しているだろう。君は"おくりびと"だ」
死んだ人の声——想いを届けるのがおくりびとだから。
過去に未来を望んだ人達の想いと、たった一人の父親へのゴンドウの想いを生者に届けられるのはトワしかいない。ノアはもう一人のエヌだからこの想いを届けられる側で、ミオとエムにこの真実を託すにはあまりに残酷すぎる。
「ボクは君の行動を制限など出来ない。仮に君がこの記憶をミオに伝えたいのなら止めはしない。だからこの後君が何を考えて、どんな行動を起こすのかは君次第だ。
とりあえず、目を覚ましたらまずはすぐ傍にあることに向き合うと良い。まだエヌと出会うまでに時間はある」
世界がゆっくりと白んでいく。外の光が部屋の中へと差し込んでくる感覚に近い。
「一つ伝えておく。君を連れ込んだオリジンと女王が話したオリジンは全く同じ物だ。"新たなる命"が確実にあの中にあるのを君は見ていたんだ。
アイオニオンの地に立つ者が分からないのも無理はないけれど、オリジンへ還った者は完全な自己の消滅を恐れてはないんだ。自己の消滅が起こるのは世界ごと全てが消える以外にはないからね」
——それでも全ての命を救おうとしてくれたことに感謝するよ。
「……あっ、エイさん、この記憶のカケラの中にいたのなら、オリジンのエイさんは寝てるんじゃ……!」
何故か全然関係ない事が気になってしまった。
シュルクの魂が笛の中にあったのと同じならば、今度は彼女が動けないままなのではと不安になる。しかしエイは首を横に振った。
「ここにあるのはボクの権限のほんの僅かでしかない。こう言っては何だけれど、ボクはシュルクよりも権限が大きいんだ。今もオリジンで正常に活動しているよ」
権限とかよく分からないがとりあえず問題ないらしい。
「もう戻る時間だ。君が何を選択しどの道を進むのか、ボクもシュルクも信じて見守っている。君が本当の意味で独りきりなんてことはないんだ。それだけは覚えていてくれ」
見慣れた黒い天井。少し前までは目を覚ますとこれを見て、また戦闘を免除された唯一のおくりびととしての変化の無い生活への嫌悪と諦めを感じていた。
少し前、シティーを知る前、コロニー9に行く前。
——キャッスルにいた頃。
「ぁ、っ……!?」
そこで勢いよく身を起こした。周囲を見渡してもやはり自分のよく知る、否知りすぎている場所だった。
「なんで、ボクの……部屋に……」
掌に触れる布の感覚と、独特の沈み方からトワはやっと自身が今までかつての自室の寝台で眠っていた事を理解した。
見ていた夢の情報が混ざって、眠りに落ちる前に何をしていたのかすぐに思い出せない。女王ニアにまた会いに行って、シティーの人達もオリジンに記録されていることに喜んで、船を完成させる為にオリジンの金属を探してて、見つけて、メビウスが来て、それで——。
手の中に何かがある。握っていた右手を恐る恐る開くと、アグヌスの軍服によく見られる赤い組み紐が在った。この結び方はおくりびとの物で、これをあの場で身につけていたのは、ミヤビで、まさか。
「クリスさん……!」
最悪の想像を振り払うように部屋を飛び出した。外に兵士がいる可能性を考える余裕すらなく、組み紐をもう一度強く握りしめたまま走る。兵士達に見つかってしまったら、REXで強引にでも突破するしかない。
そう覚悟していたのだが誰もいない。トワの部屋は兵員待機区画の中央にある。よっぽどの事がない限りは少数と言えど必ず兵士が巡回している場所だ。明らかに異常事態だと理解しつつも足は止められなかった。
数ヶ月程度では忘れたくとも忘れられない。目を閉じてでも歩き回れるくらいにキャッスルの地図は頭に入っている。エレベーターで格納庫へと下がる。格納庫上層の中央に走るブリッジに来て思わず立ち止まった。
人が倒れている、それも視界に入る全てが。足音を殺してそっと近づき顔を覗き込む。粒子は出ていないし顔も黒ずんでいないから命を落としてはいない。掌を顔に近づければ温い空気が触れる。呼吸はある。見たところ外傷もないし誰かに襲われたとは考えにくい。
——眠っている……?
呼吸も穏やかで安定している。見張りや巡回中に身体の不調で倒れ込んだわけでもなさそうだ。
死んでいないし救命措置が必要でもないと判断付ける。あまりにもキャッスル内が静かすぎて不気味だが、再び走り出した。
格納庫下層まで来たがここも同じだった。物資保管区にいる兵士達も倒れたり、壁に背を預けて眠り込んでいる。普段なら自動巡回しているウェリテスやエクイテス、スペクラトスといったレウニスからも光が消えて沈黙している。レウニスもまた眠りに落ちているかのようだ。
格納庫からキャッスルの正門方面へと進む。もしもクリスがいるとするならばキャッスル内にある執務室の可能性が最も高い。玉座の奥にあるから、まずは玉座を目指さねばならない。
シーレの大広間の階段を駆け上がる。壁画には向かい合った人型の何かが彫られている。右のものが巨大な剣を真っ直ぐ左のものへと向けていて両者の戦いを描いているように見えるが、絵が意味するものは分からない。教本や執政官はこの壁画について何も触れてはいなかった。単なる装飾品と言われてしまえばそこまでなのだが、キャッスルにいた頃はこの場を通る度に妙に興味を引かれた。今は気にしてなどいられないが。
聖天翔の間からは只管エレベーターで上を目指す。啓示の間で停止したエレベーターを出て、恩寵の殿廊の最奥にある別のエレベーターを使えば女王の間だ。エレベーターが昇るにつれ、静かだった空間にある音が聞こえてくる。
笛の調べ。
誰かがいる事実に一瞬怯えを感じたが、徐々に調べが大きくなるにつれてそれは不安に変わる。
ノアのおくりの調べだ。
ノアが女王の間にいて、笛を奏でている。それはノア達がそこにいて、ノアが誰かをおくっている証拠だ。誰をおくっているのか。女王は機械だから元から生きていない。では誰を、なんて考えるまでもない。
ノア達は兵士を殺さない。アルフェト渓谷から始まった旅の中で自分達が斃してきたのはメビウスだけ。
では今ここにいるメビウスは——。
「クリスさん!!」
止まったエレベーターを飛び出した。目に飛び込んできたのはミオ達の背中と、此方側へゆっくりと流れてくる白い粒子だった。トワの声に驚いたようにミオ達が振り向いた。粒子を掻き分けるように玉座へ駆ける。
沢山の粒子の一つが伸ばした指先に触れて溶けた。流れ込んできたのはクリスの想いだった。彼が本当にやりたかった事が、トワに黙っていた事への謝罪が、協力してくれたミヤビとセインへの感謝が、シティーの人々が希望の姿であると理解していた事が、最期にノアの調べを聞けた満足が。
「クリスさんっ! クリス、さんっ、なんで……なんでっ……!!」
解ける瞬間のクリスの身体に触れようと右手を伸ばして、もう少しというところで勢いが全て止まってしまった。
「クリスさぁぁんっ!! なんで、こんなのいやだよっ、ボク、なんにもできてない!! クリスさんになにも言えてない!!」
貴方がボクを見つけてくれたからおくりびととしてここにいるのに! 知らぬところでメビウスからの魔の手から守ってくれていたってやっと理解できたのに! 貴方の最期をボクの音でおくりたかった、今のボクの姿を見て安心してほしかった! ありがとうの一つもまだ言えてないんだ!!
ノアに抱き止められたと気がついたのは、クリスの想いをおくってくれた手が背中を撫でてくれた時だった。ノアだって大切な師を自分の手でおくったばかりで苦しいのに、ただ目に溜めた涙を静かに零して何も言わずにいてくれる。
どんなに全力で踠いても非力なトワではノアの腕から抜け出せはしない。ある筈ないのに、粒子を全て集めれば帰ってくるのではないかと、また笑って頭を撫でてくれる気がして。色を問わず粒子となった人間はもう戻ってこないと知っているのに。
「ノアぁ……クリスさんっ……嘘つきだよぉぉ……! あんな姿して、メビウスのフリしてっ、違うのに、違うよ……!」
「うん、そうだな。……俺達の知ってるクリスだった。何にも変わってなかったよ」
「こんなのやだあぁぁ……! クリスさんが消える必要なんてないのにっ、メビウスの身体のままでも、一緒にいて良かったのに……! いっしょに、いたかったのに! うあぁぁぁぁ……!!」
唯一の救いは今度こそノアの手でクリスが往けたことだ。四年前に彼がいなくなってしまった時は骸は見つからなかった。当時一緒にいたノアさえもしっかりとした形でおくれもしなかったし、本当の意味で死を受け入れられてはいなかった。
でもやっと受け入れられる。彼の想いはノアに、ウロボロス達に、そしてトワに受け継がれたのだから。
頭ではそう理解して受け入れている。しかし心は別だった。泣きじゃくるトワも、抱きしめているノアも今だけは哀しみに暮れる時間が必要だった。
悲しみに暮れてもまた顔を上げるから。メビウスの手から解放された先の世界でまた巡り会えると信じているから。
どうか、今だけは、涙を零す瞬間を許してほしい。
眠るケヴェスキャッスルでトワの泣き声だけが、何よりも大きく響いていた。