ブレイブリーから降りてオリジンの地を踏む。薄暗い中でメビウスを想起させる紫の光があちこちで灯っている。場の雰囲気から重苦しくどんよりと感じられるが、空気自体は汚染されていたり澱んでいるわけではなさそうだ。視界の面でも見通しはかなり良いのが幸いだろう。
どこを見ても全てが機械で構成されており、僅かではあるものの消滅現象の予兆である黒い霧も発生している。自分達が見てきたアイオニオンのどこにもこんな光景は存在しなかった。
興味深そうにセナが床に触れ、ノアの持つラッキーセブンと似ているのではと疑問を口にした。ノアもセナの動きをなぞるように右手を床に伸ばし頷いた。
ニアが
ユーニがミオにオリジン内部について何か知っているかと質問したが、ミオは首を横に振った。メビウスがゼットの下へと転移する時は必ず薄暗く広い部屋であった。長いエムの記憶にもそれ以外の情報は存在しない。恐らくはゼットによって定められた理の一つだったのだろう。
またメビウス達の気配は近くにないのか聞いてみると、ミオは何とも曖昧な答え方をした。すぐ傍にいる様でもあるし、遠くにいる様でもある。そこら中にいるかのように感じてしまう、と。
「もしかしたら床も壁も天井も、全部がメビウスなのかもしれない……」
天井を見上げてそう言ったミオに全員が息を呑んだ。ありとあらゆる角度から此方をじっと見ているのではという錯覚すらしてくる。いくら敵の本拠地だと分かっていても、誰かの視線を常に全方位から受けていると意識してしまえば、思わず身の毛がよだってしまう。
「……大丈夫、メビウスだけじゃないよ」
ただ一人、トワは揺らがない目で宙を見つめていた。
オリジンには全ての命が還る。長い時間の中で成人を迎えた兵士、シティーの命も含めた何もかもがここにある。この旅の始まりのきっかけとなったゲルニカも、メビウスとなっても最後は自らの意思で進む道を選んだヨラン、クリス、エムも、世界の解放を今も願いこのオリジンのどこかで戦い続けているシュルク達も。
「ボク達を信じてくれてる人もここにいる。見えないし聞こえないけど、応援してくれてるって分かるんだ」
「なんで……って、あ、そういや前に話してたな」
ユーニの問いかけに首肯する。ノアの首へとエヌの刀が振り下ろされる直前の一瞬に、精神だけが引き摺り込まれていたのがオリジンだ。セントムニア地方を再現した場と、こうして今立っているオリジンは同じ物であるとエイからも説明されている。間違いなくここに彼らもいる。
「それにボクの笛にもオリジンの金属が使われてるみたいで」
腰に手を伸ばして"
いつもよりほんのりと温かい気がする。もしかしたらシュルク達の魂がある場にやってきたから、何かの反応なのかもしれない。それこそ彼らの声であると信じたい。
「ノアはどう? ラッキーセブン、何か反応してない?」
「……してる。俺も普段とは伝わり方が違う」
ヒドゥンソードから抜いたラッキーセブンは激しく振動しているが、メビウスと対峙した時とは異なる感覚であるらしい。ノア曰く、誰かに呼ばれているようだという。
恐らく、ケヴェスの女王に。
オリジンの金属が女王の心に触れて生み出されたのがこの剣だ。女王が呼んでいるのか、はたまた剣が女王に呼びかけているのか。
ゆっくりと切先を動かしてみる。特に強く反応する場はないか、もっとはっきりと伝わってはこないか。
「下だ」
向かう場所は決まった。地図など何もないがラッキーセブンが道標となってくれる。
行こう。真のケヴェスの女王を解放する為に。
力場発生器基部からまずは繋がっている道をそのまま進む。さぞかし複雑な道なのだろうと覚悟していたのだが、案外壁に囲まれた通路らしき部分はシンプルであった。何層も扉があり、それを開く度に見たこともないモンスターらしきものが襲いかかってくるがその程度であった。
オリジンの金属に似たパーツと黒い霧で構成されたモンスター達は、倒すとすぐに崩れ去り霧散して消えてしまう。機械でも生物でもない謎の存在。骸になったり粒子として解けたりせず、初めから存在しなかったかのように全てが消える。
その残り香に触れたミオは、微かにメビウスの気配を感じ取っていた。詳しくはやはり何も分からず、答えられない事に対して申し訳なさげに首を振るばかりのミオに代わり、ノアが声を零した。
「形は関係ないのかもしれない。これもきっとメビウスなんだ。……何となくだけど、分かりかけてきた気がする」
ノアはこれすらもメビウスだと言った。人間が永遠の存在になったモノだけがメビウスではない。人の形に捉われないもっと、大きな何か。
連絡通路や増幅器区画、外殻通路を伝って歩み続ける。どこへ行こうとメビウスの気配は消えないし、ラッキーセブンと神笛の反応も収まりはしない。警鐘なのか鼓舞なのかも分からない。
現れる扉を数えるのも面倒になった頃、一つ大きく重たい扉が開かれた瞬間、全員が思わず身を強張らせる光景が飛び込んできた。
「鉄巨神……!」
火時計が収められる場、ケヴェスの鉄巨神の
アイオニオン各地に存在するコロニーそのものであり、兵士を縛る火時計でもある鉄巨神はオリジンの中で製造されていたのだ。鉄巨神工廠を見回せばケヴェスだけでなくアグヌスの鉄巨神も大量に確認できる。
メビウスによってケヴェスとアグヌスの戦争が管理されて長引かされ、永遠に終わらないように仕向けられていた。その事実を知って久しいが、鉄巨神さえもメビウスによって製造されていたことに怒りが湧き起こってくる。自身のコロニーのランクを上げ、より良い物質や待遇を求めて、最終的に黄金となって戦いの免除を目指していたのに、メビウスは最初から自分達兵士をずっと弄んでいた。メビウスが用意した舞台で、結末が決まりきった演目に対して必死に抗う姿を眺めて嘲笑っていた。
何故そこまでして自分達の命を貪る? 育てて、残酷に刈り取って、また育てる。メビウスの存続の為に沢山の命を犠牲にして、メビウス自身はただ笑っているだけ。刈り取られた無数の命それぞれが抱いた想いに何一つ目も向けずに、メビウスより格下だと、刈り取られるのが当然だと蔑んで。
感情のままにこの場の全ての鉄巨神を破壊したくなるが、何とかその感情を抑える。仮に壊し尽くしたとてメビウスから解放されない限りはどうせまた製造されるのがオチだ。叩くなら大元だ。
「でもムカつくから一発殴る」
肩を回したランツを止める者は勿論いない。ユーニやセナ、ミオも一発ずつ製造中の機器を思い切り拳や
「あれ、壊れてないか?」
「どうせ使わなくなるしいいんじゃないかな」
「それはそうだが……。君にも意外と乱暴な面があるんだな……」
順にノア、トワ、タイオンの発言である。
——少し、気持ち悪い。
意識や意志があるのかすら分からないオリジンのモンスター達が内部を闊歩している。互いを認識していないのか、モンスター同士はすれ違っても反応らしきものがない。ただぼんやりとした足取りで、己の領域らしき範囲をぐるぐると巡っている。
しかしオリジンの外部の存在には敏感である。視界なのか空気の流れなのか、何かしらの手段で此方を認識した途端に先程までのゆったりして覚束ない動きは何処へやら、敵意を剥き出しにして襲いかかってくる。
その動き自体は気にならない。オリジンへ乗り込む時点で分かりきっていた事であるからだ。トワの腹の底でどろりとした物が動いている感覚はもっと手前の情報で発生している。
「……疲れた? 少し休もうか?」
は、と顔を上げるとミオが心配そうにトワの様子を窺っていた。少し露骨に表情に出しすぎていたのかもしれない。立ち止まりたくもないし、笑顔を作って大丈夫とだけ返事をする。
「顔、青いのに無理しないで。きっとまだまだかかるから休める時に休もう?」
「……ありがとう。でも怠いとかそういうのじゃなくて、なんていうか……どっちかというと精神的に、かな」
「それなら人と共有したら楽になるって言うし、私で良かったら話して? 大丈夫、この距離ならみんなには聞こえてないよ」
前を歩く他の仲間達の背中を見つめる。周囲に警戒はしつつも、情報の整理やこの後の行動計画であったり、少しでも重たい雰囲気を飛ばそうと明るい話題で盛り上がっている。
こんな時に周囲まで確認して気を配ってくれるのはいつもミオで、その度に甘えてしまっている。前までは申し訳無さが勝ってしまっていたが、今では随分とそのハードルが下がった。彼女が差し伸べた手を払ってしまう方がずっと失礼なのだから。
「悪い夢みたいなのを思い出すんだ」
オリジンのモンスターを目撃するのはこれが初めてではなかった。セントムニアにも人の負の感情が集った時にモンスターの形をして攻め込んできていた。その内の一体をあの時に間近で見て、そいつの行動がどうしても思い起こされてしまう。
仲間達の首が転がった惨状と、骸を食い荒らすモンスターの姿が脳裏から離れてくれない。
「みんながもうそんなのに負けたりしないのは疑いなく信じてるんだ。でも、同時に急にいなくなっちゃうんじゃないかって気持ちもずっとあるんだ」
自分の意思で振り払いきれない恐れがこびりついている。皆が消えてしまうなんて、たとえそれをはっきり否定する意思を持っていたとしても、考える事自体が仲間達への裏切り行為な気がしてならない。
「ふふ、そんなことか」
トワの弱音を聞いたミオはくすりと笑い、そっと手を握ってきた。
「ちゃんと触れてる、でしょ?」
——私は間違いなくここにいるよ。
「トワはいつも抱え込んじゃうよね。私達に迷惑かけないように、自分が我慢すればいいって」
ずっとそうだったから。戦えない自分が嫌で、せめて誰にも迷惑をかけずに生きていようと決めて、息を潜めて過ごしてきた。
今となっては随分とマシになったと自負してはいるのだが、ミオからそう言われるのならまだまだ残っているのだろう。長い年数を重ねて染み付いてしまった部分は易々と抜け落ちたりしない。
「仲間ってね、迷惑をかけるものなんだよ。迷惑をかけて、かけられて。それを助け合って生きている。ちょっとくらい困ったって離れたりしない。寧ろ乗り越えた時に更に距離が近くなって、結び付きが強くなる」
戦闘においても同じだ。
自分達はずっとそうしてきた。戦闘でも、日常でも。
「だからもっと遠慮なく頼ってほしいの。迷惑かもなんて考えないで、自分じゃどうしようもなくなったら迷わずに助けてって言っていいんだよ。だって私はここにいて、貴方を助ける力を持ってるんだから」
もういなくならない。トワの見ている幻想でもないし、接触した途端に粒子として崩れ去りもしない。
「今の貴方に必要なのは、私達がこの場に存在しているって感覚を知ることだよ。それだって、こうして触れ合えば一瞬で分かるんだから。……ノア、こっち来て」
タイオンと話していたノアの背に声を投げかけ、そのまま手招きで彼を呼び寄せる。ミオは視線だけで促し、ノアもそれに迷う様子もなくミオの手と共にトワの手を握り込んだ。
「俺もいる。……ううん、みんないる」
ノアが静かに口角を上げたと同時に勢いよく誰かが彼の背を押してきた。
「水臭ぇな〜! 心配させないようにってすぐ抱え込むんだからさ!!」
「そうそう! ユーニの言う通りだよ。私達だってトワちゃんが怖がってる気持ちを分け合って、軽くしたいんだよ」
「ここまできて僕達が君を残して去る訳がないだろう。……もっと堂々と、信じてくれ」
「俺達の力は誰かを守るものでもあるんだ。前にも言ったろ、誰の犠牲も出さない為の
「みんなに話しにくいならリクに話すも。ノポンの懐はでっかいも」
「マナナがあったかくて美味しいお料理を振る舞いますも! 身体も心もポカポカになったらトワさんだってすぐにニコニコになりますも!」
強くて温かい言葉に思わず目頭が熱くなる。自分はここまで来てもまだ何にも分かっていなかった。勝手に距離を置こうとして、皆を拒もうとしていた。まだ心のどこかで彼らを遠い存在だと勘違いしていた。
ぐ、と涙を堪えようとしてふと気がついた。
「あれ、ミオさん、みんなには聞こえないからって……」
「ふふふ、あれね……」
珍しく悪戯げな笑みを浮かべるミオに嫌な予感がして皆の表情を改めて見た。ノアもランツも、セナにタイオン、リクとマナナも良い笑顔をしている。ユーニなんて露骨にニヤニヤと笑っている。
「もしかして、全部、聞こえて……っ!」
恥ずかしさで顔から火が出そうだ。ミオにしか聞かれていないと思っていた自分の弱音が何もかも全員に聞かれていた。
「ミオさんっ! この距離なら聞こえないって!!」
「ごめんごめん。きっとまた言えないでいるんだろうなって思ったから、みんなにも知ってほしいと思って。天空の砦の時も私達に気を遣って離れちゃったでしょ」
「うう〜!!」
事実なので何も言い返せない。確かにあの時すぐに抱いた恐怖を打ち明けていたら少し変わっていたかもしれない。
でも迷惑をかけるってきっとこういう事なのだ。己の弱い面を明かして、その上で手を繋いでいてくれる。時には恥ずかしさもあるけれど、その積み重ねで相手を知っていく。
「さ、行きましょう。ケヴェスの女王を助けないと」
「切り替えが速いよぉ……。穴があったら入りたい……」
遠慮なく手を引いてくるミオに強引に引き摺られるようにしてまた進み出した。
顔の火照りはまだ続きそうだが、何故か少しだけ幸せだった。