しばしの間、ノアはエヌの想いと存在を受け止めるかのように右の掌を眺めていた。誰も何も言わずに見守っていれば、少ししてノアの中で納得がいったのか顔を上げ足を前へと運び出した。
エヌと歩み寄り手を取れたのならば、次にすべきことはまず目の前にいる女王の解放だ。メビウスの呪縛は未だ解ける気配が無い。断ち切ると言っても物質としてはオリジンから作られている物に違いないだろう。そうなると解放出来るのは同じ材質である
「……女王様にそれ向けんのか?」
怪訝そうに聞くユーニは憂色を漂わせている。解放の為とはいえ剣の切先を女王へ向けるのは無礼すぎるのではないか。他にも女王の身体ごと斬ってしまいそうな恐怖もある。何度も終の剣の鋭さを目にしているからこその不安だ。
「けどそれしか無いんだろ、怒られたら謝るしかねぇって。ノアなら女王には傷一つ付けないだろうしさ」
「ランツから正論言われるとちょっと腹立つな」
「んだよ」
事実ランツの言った通りだ。ノアも
「……いつもと反応が違う」
全員の視線がヒドゥンソードへと注がれる。ラッキーセブンは常時微かな振動と煌めきを放っている為、鞘であるヒドゥンソードにもその影響が出る。じっと目を凝らすも普段とあまり差は感じられない。いつも通りに細かく震えているようにしか見えない。オリジンに突入した際には女王に呼応して少し変わった伝わり方をしていたが、それともまた異なる感覚らしい。
柄に手をかけたまま、瞼を閉じて意識を剣のみに集中させる。ケヴェスの女王の心から生み出された剣は何を伝えようとしているのか。今感じられることをそのまま口に出してみる。
「『やっと会えたね、メリア』……?」
なんとなくそう感じた。
剣が喋ったのかと聞かれてもノアは曖昧な声を漏らすのみ。感覚的にそんな気がしたとしか言えない。
「とりあえず、ラッキーセブンをあの紐みたいなのに近づけてみようよ」
「そうだな。ここで黙っていても女王は降りられないようだ」
セナとタイオンの言葉に背を押され、ゆっくりと鞘からラッキーセブンを引き抜く。呪縛をそのまま断ち切るのは女王まで傷つけてしまいそうなので、そろりそろりと切先を伸ばしてみる。
その切先が足元の呪縛にほんの少しだけ触れると同時に、淡い紫色の光となりぼろぼろと崩れ出した。反射的に慌てて剣を引くが崩壊は止まることなく、女王を縛り付ける紐の形をしていた呪縛の全ては崩れ去ってしまった。
そうして光の粒と共に真のケヴェスの女王がゆったりと降り立った。
ただそこに立つだけでも、まるで芸術品であるかのような美しさと気品を醸し出しているが決して物ではない。血が通った肉を持つ紛れもない人なのだ。
真のケヴェスの女王——メリアは永らく閉じられていた瞼を開き、誰に聞かせるでもなく竪琴の音色にも似た美しい声で語り始めた。
「夢を、見ていた」
とても永い夢。どれだけ傷つき何度斃れようとも、その度に立ち上がり生き抜こうとする若者達の夢だった。果たしてそれはメリアが希望として願った夢だったのか、世界で確かに起きた現実なのか。
きっと両方だったのだろう。
囚われてからずっとオリジンに繋がれ、メビウスの支配する世界の維持に利用されていた女王はそれだけでオリジンの一部であり部品であった。故にアイオニオンで生まれる命も感情も、何もかもが感じられた。
同時に彼女は世界を見てもいた。ケヴェスキャッスルに在る偽りの機械の瞳を通し、狭い世界であっても兵士を見て、執政官を見て、ウロボロス達を見てきた。
囚われの身でありながら微かながら世界にも干渉を行ってきた。ウロボロスという希望を潰えさせない為にメビウスに従う振りをしながら。
「……まさか、キャッスルで偽の躯体が壊れたのは!」
情報が繋がり思わず声を張ったタイオンへメリアが頷いた。
ウロボロスにトドメを刺そうとした瞬間、ノアが女王相手にラッキーセブンを抜く覚悟を決めたあの時。女王が炎のエレメントを集約させ巨大な火球として発射をしようとした刹那だった。機械の女王は自身の膨大なエーテルエネルギーに耐えきれずに崩壊し、その正体をウロボロスへと晒した。その際にエヌは高笑いしながらこう言っていたのだ。
「希望は捨てたくないか、女王よ」
あれはオリジンにいた本物のメリアに対しての言葉だった。
露骨にメビウスに対して反抗の動きを見せれば即座に察知されてしまう。だからウロボロスを始末する動きに見せかけて、過剰なエネルギーで機械の身体を崩壊させて時間を稼いだ。恐らく直後に飛び込んでくるロストナンバーズの動きまで加味しての行動だったのだろう。
今やアグヌスの女王は目覚め、ケヴェスの女王も解放された。
「あ、あの……、メビウスは女王様の持つ鍵を使ってオリジンを掌握してるんですよね。なら今の女王様なら鍵を使えるんじゃ……?」
「それは出来ぬ」
セナが一つ問うもメリアは即座にそれを否定した。
確かにメビウスが欲したのは女王と彼女が持つ鍵ではあったが、現在ではオリジンを完全に掌握できる程の
ニアはその鍵を未だ所持しているが、行使するとなればオリジンへと出向かねばならない。メビウスの本拠地であるオリジンへ踏み込むのは鍵を奪ってくれと言っているようなものだ。
メリアが今の今までメビウスの呪縛によって捕えられていたのは鍵以外にも理由がある。一つは過去のシティーが生まれた時のように、二人の女王が協力することでメビウスに抗する力を持たれてしまわないようにする為。
もう一つは真の女王は鍵を持たずとも強大な力を有しており、野放しにしておけば各コロニーの火時計を破壊されてしまう為だ。
やはりオリジンを解放し、時を進めるには元凶たるゼットを斃す以外に方法は無い。
「……ゼットは、いや奴だけではない。エックス、ワイと合わせた三つのメビウスは人ではない。想いなのだ」
ほんの少しだけ寂しげな瞳をしたメリアが告げた。
誰もが抱き得る感情が集い、人の形を取っているのが原初のメビウス達だ。
エックスは幼い子としての側面を持つ。周囲の存在にまで思考が及ばず、己の精神的な快楽のみを純粋且つ残酷に求める。楽しいと感じることは楽しいままで良い、この楽しい瞬間がずっと続けばそのままなのに。
己以外も命を持った存在であり、失われてしまえば二度と戻らないことを理解していない。そもそもこの世界では容易な再生が可能な為、本来の命の尊さを知らない。壊れたら戻らないから大切にしなければならない。では何度でも再生ができるのならば大切にする必要はないと結論付けてしまう。
外の世界を知らないで我儘に振る舞い続ける。
対してワイは大人としての要素が強く表れている。自分以外の存在も、外の世界も知ってはいるが自身の理想や欲望に歯止めをかけられない。
目標、目的が何よりであり崇高なものだと疑わない。幼い子とは異なり、自分以外を含めて世界が構成されていると知りつつも、他人は自分より格下であると信じている。自身が特別だと証明する為に己の立場を上げるのではなく、他の存在の立場を下げている。
ゼットはその二つの面を有しつつ、不安や恐怖といった負の想いまでもが集まって形成されている。安定を求めて今に留まることを何よりも重要視する。それでいて退屈な日々を紛らわす為に自分は舞台に上がりもせず、他人の命を掌握し延々と演劇という名の殺し合いを鑑賞するだけ。
エヌやエムといった人から成ったものとは違い、この三者は"真のメビウス"である。人という個の形を取りながら、構成しているのは大勢の想いである故に個ではない。
「そなた達も既に気がついているのではないか? 自身の内にメビウスが在ることを」
事実としてメビウスとなってしまった過去の自分がいたノアとミオは特に理解できるだろう。未来を求めても求めても手は届かず、苦しい思いをするのであれば未来など捨てて今に留まり最愛の人と共にいた方が幸せだと。
二人に限った話ではない。前に進もうとした時に何かを捨て去らねばなかったり、大きなリスクを背負わなければならないことがここまでに何度もあった。トワもまたシティーの命が消えるかもしれない壁にぶつかった時、
このアイオニオンという世界は、静止してしまった時の中で永遠の今を選択した大量の想いによって創られた世界だ。つまり多くの恐怖という感情がこの瞬間を選び取った。
そうして出来た世界は現実ではなく、まるで偽物のようかに感じられるかもしれない。しかし存在する全ては紛れもなく現実だ。世界を構成する恐怖の想いも、未来を望んで抗う想いも、オリジンに元から記録された今の命も、新たに生まれた未来の命も。
今この瞬間に一人一人が存在し、内にある想いが在る自分自身が何よりの証拠だ。メビウス以外の想いだってアイオニオンに、オリジンに生きている。
終の剣やウロボロスが存在するのもまた確固たる証拠だ。今を選択して生まれた世界なのに、今ではなく未来を望んだ女王とそれを支える者の想いの結晶が形となったもの。
「だが最後はそれを振るう者次第だ。今を守るか未来を斬り開くかはそなた達自身で決め、その手で掴み取るしかない」
どちらを選ぶかなんてもう決まっていた。言葉にせずとも全員の表情を一つ一つ見たメリアは微かに口角を上げて優しく頷いた。
「ならば、私がかける言葉は一つだな。
——この世界を頼む。未来ある若者達よ」
メリアはオリジンの外へと赴き、残った各コロニーの火時計をニアと協力して行う。火時計の呪縛に囚われたままの命はゼットの力となってしまうから、ウロボロス達がゼットと対峙する直前までに少しでもそれを削ごうという作戦だ。
セナが外までの護衛は必要かと問うが、メリアは厳しげな雰囲気を持ちつつも少しばかり不機嫌そうな顔で答えた。私を誰だと思っている、と。守られるばかりの女王ではない。真の女王は兵士達の導であり、はっきりとした強さを持っているのだから。
ふ、とメリアの右手に彼女本来の
最後にメリアは誰かに笑いかけ、明るい翡翠色の光と共に姿を消した。
原初のメビウスを斃すこと。それが自分達にとって最後の戦いになる。誰一人欠けずに生き残って、変わった世界に皆でいたい。
過去のノアとミオはゼットと相対した時もあった。でもそのどれもが失敗に終わり、ミオの命はノアより必ず先に潰えて他の仲間達もゼットの凶刃に切り裂かれ散っていった。その記憶もまた存在するからこそ、ノアは誰の犠牲も許さないと決意した。
「きっと大丈夫よ。私達は負けない。だってここまで来られたんだもの」
胸の前で手を重ねるミオも同じであり、同時に過去とは違うと強く知っていた。世界は二人だけのものではないと知れた彼がいるから。
行こう、あの劇場へ。
——と神妙な面持ちで先へ進もうとする直前、トワはかがみ込んでリクの顔を覗き込んだ。
「リク、さっき女王様となんかしてなかった?」
その言葉に他の皆も一斉にリクに視線をやる。合計八人の視線を一身に受けて、もふもふの毛並みに穴が空きそうだがリクは平静を崩さない。
「何もしてないも」
「嘘言わない。女王様のこと、嬉しそうに見てたのボクは見逃してないよ」
「やっと解放できたんだから嬉しいのは当然も。それはみんなだっておんなじだも」
これもまた普段のリクらしい。それらしい理由を並べつつも重要な部分には絶対に触れさせない。この青緑の毛並みのノポンはどうも自身の心の内を本当の意味で見せてはくれない。
「それじゃボクの推理……って程でもないか。想像を聞いてほしい」
リクが女王メリアを見て嬉しげに微笑んでいたのは確認済みだ。更にメリアもまたリクをみて口角を上げ、僅かに首を縦に振っていた。両者に何かしらの関係があると推測するのは何ら難しくはない。
ここにノアの持つ終の剣——ラッキーセブンを足してみる。ラッキーセブンはオリジンの金属とメリアの心から生み出されたとニアが語っていた。現在はノアの下にある剣だが、彼はこれをリクから託され、リクは"シショー"から剣を預かっていた。
「"シショー"ってケヴェスの女王様じゃないの?」
沈黙が場を支配する。たっぷり十秒は間を空けてから話題の中心であるリクが大きく溜め息を吐いた。
「仮にそうだったとしてトワに何があるも? 知ったらメビウスに勝てるも? 未来の為になるも?」
「……ならないだろうね」
「じゃあそのままでいいも。合ってるか間違ってるかなんてトワにもみんなにも大事じゃないも。メビウスを斃して、オリジンを解放する方がずーっと大事だも」
「でもボクがすっきりしない」
「急に論理的じゃなくなったも……。感情論だも……」
強引に理由を付けるのであればもやもやしたまま最後の戦いに挑んでは剣に迷いが生じるかもしれないから、とでも言っておこうか。今のトワはこの場でリクと女王の関係性を知っておきたい。ただそれだけなのだ。
「ワガママだも!」
「ワガママだよ、教えて!」
「アタシもそれさんせーい! 知ってる事全部言えっての!」
「俺も俺も! こんな時まで隠し事されるとすっきりしないもんなぁ!」
リクと付き合いが長いユーニとランツも加わってきた。半分程度は普段澄ました顔をしているリクを困らせてやりたい意地悪な気持ちもありそうだが。
「リク、俺も」
「ノアまで……」
にっこりと、それはもう珍しいどころか見たことがないのではという程に見事な笑顔でノアも詰め寄ってきた。ラッキーセブンを振るう者として当然の欲求である。
「……そうだも。リクのシショーはメリアちゃんだも」
もうどうにでもなれと乱暴に吐き出された答えに喜んだのも束の間、メリア"ちゃん"と親しげに呼んだ点に対して再びリクは質問攻めにされた。今度はミオ、セナ、タイオン、マナナのアグヌス勢も加えて。
リクが「早く先に進むもー!!」と叫びを上げるまでもみくちゃにされ続けていた。