神笛と永遠と   作:坂野

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Epilogue

 紅緋(べにひ)と紫紺の間を彷徨う空の色、皇都へ向かう人、噴水で遊ぶ子ども達、出店で少しばかり割高な食べ物を買ってはしゃぐ若き男女。時計の針は天と地の二つの世界を繋ぐかのように一直線に並ぶ。

 午後六時。示した時と同じ六つの鐘がグランデルに響き渡る。鐘の音が鳴り止むと同時に花火が高く上がり、黄昏の空を色とりどりのエーテルの花火が彩っていく。

 どぉん、と身体の芯まで揺さぶってくる音が少女の意識を現実に引き戻す。

 抱え上げられたまま、理由も分からぬ不安から逃れようと強く握り込んでいた父の服の襟は皺くちゃになっていた。頬をすり寄せてきた父の肌は温かくて約束通りに傍にいてくれる。

 今となっては祭りが始まる直前までの恐怖はすっかり消え去っていた。きっと非日常的な空気に触れて少しばかり神経質になっていただけなのだ。家族皆で来る祭りが恐ろしい訳がない。絶対に楽しい祭りになると誰にだって簡単に分かる。

「始まったね。今年は三万発って言ってたかな、タルコが張り切りすぎたってメリアも困ってたよ。きっと妹の為にいっぱい用意したんだね」

 眉を下げて僅かばかり困りつつも穏やかな笑みを浮かべる父はいつも通りで——そうだろうか。少女とよく似た色をした髪は腰まで伸びていただろうか。少女を抱える腕の右片方のそれは明らかに機械で作られた人工的な物であっただろうか。

 ——お父さんって、こんな格好だっけ。

 心の内に芽生えた疑問の種は芽吹き広がる前に、次々に打ち上がる花火の音で吹き飛ばされていく。

 

 花火大会はメリア・エンシェント女王陛下の誕生祭の開幕と同時に始まる最初の催しだ。

 今日という日は特別だった。毎年盛大に執り行われる女王陛下の誕生祭ではあるが、今年は巨神界と機神界だけでは収まりきらない。

 遥か昔——この世界がまだどこまで行っても果てのない海とどこまで行っても尽きない空だけだった頃、二柱の巨大な神が生まれた。

 名は巨神と機神。神々は互いの存亡をかけて戦い骸となった。その骸を大地として生命が誕生し、それぞれの文明を築き上げた。二つの世界は長い歴史の中ですれ違いと衝突を繰り返し、やがて互いの大地であった神の骸が崩壊した。一つとなった世界は手を取り合い交じり合いながら新たな道を進み出した。

 その新たな道を進む最中(さなか)、今まで果てのない海しかないとされていた先にある国が見つかった。有史以来決して少なくない人が世界の果てを見つけようと船を出していたのに、あまりにも巨大な国がどうしてか今頃になって発見された。

 国の名はアルストと言った。

 アルストにも二柱の神の世界と同じように生命が存在し、人と呼べる知的生命体が文明を築いて生きていた。二柱の神の世界とアルストはすぐに交流が盛んになり、正式に国交が結ばれ同じ世界に生きる命として歩み出している。

 今日のメリア女王陛下の誕生祭にはアルストの人々も沢山招かれていた。おかげでグランデルはホムス、ハイエンター、マシーナ、ノポンに限らずアルストの様々な人種の者も混じり合い、普段の何倍も賑やかな場となっている。

 更に両国の間には第三の国までもが存在した。遥か昔に新天地を求めて旅立った両国の人々は新たな大地に辿り着けはしたが、本来の世界に戻ることが出来ずにその新天地で新たな生活を重ねていったとされている。

 ——それはいつからだっけ?

 何十年も前のような気もするしつい昨日のような気もする。

 

 喧騒の中で少女はゆっくりと首を回して流れゆく人々の姿や声に意識を傾ける。

「あそこアカモートって言うのか! 綺麗だな、絵に描いてみてもいいんじゃねぇか?」

「何言ってんの、こんな人混みじゃ無理。お祭りが終わってまた来た時にする」

「ふーん、また来る気ではあるのか」

「当たり前でしょ。素敵な絵が描けるなら何回でも足を運ぶよ」

 褐色の少女と栗色の髪を大きく二つ結びにした少女が僅かばかり強い語気で話しながら歩いていくが、足取りは軽やかで浮き足立っていた。きっと幼馴染なのだろう。

 

「あれ美味しそう! 次はあのお店で決まりね! はいこれ持って」

「俺は歩く食べ物置き場じゃねぇんだが!?」

「いいですか、私達の所には巨神界や機神界からもたらされた物も多いです。その原点を知るという意味でもこの城下町で直接食する機会を得たというのは有り難いことで……」

「なんだその手に持ってるプリリムは! お前も結局菓子食いたいだけだもがっ」

「あんたはもちもちイモモチでも食べてなさい」

 顔立ちがよく似た金と赤の髪を持つ二人の女性に蜂蜜色の短い髪をした男性が振り回されている。会話の内容から新天地で生まれ育った者達と考えられる。自分達のルーツの一つである巨神界に来られてはしゃいでいるようだ。

 

「も〜……。こんなに人多かったら見つかんないわね」

「こりゃ相手を探したほうが手っ取り早そうだな」

「その相手がいくつでどんな見た目してるか私は分かんないの! 誰よあの子のパートナーって! この場でお父さんが大声で名前呼んだほうがずっと早いわよ」

「俺が恥ずかしいじゃねえか……。それにお前に同じ事やったら絶対怒るだろ」

「そりゃそうよ。全力で走ってきてお腹にパンチしてやるんだから」

「もっと父親に敬意を払ってくれよ」

「お父さんの腹筋が私のパンチで傷つく訳ないでしょ。敬意と信頼のパンチなんだから」

「お前の母親がとんでもない存在だって事忘れんなよ……」

 左眼に大きな傷のある隻眼の偉丈夫と彼の隣を歩くピンクアーモンドの長い髪を一纏めにした少女とすれ違う。二人揃って誰かを探しているようだ。この人混みの中だからはぐれるのも無理はない。無事に見つかると良いのだが。

 

「何やってんだよ! もう始まってるぞ、花火大会」

「もたもたしてっといい場所取られちまうよ!」

「そうだよ、早く早く!」

「……ごめん、ちょっと考え事。今行くよ!」

 子ども達は打ち上がる花火を少しでも良い所で見ようと駆けていく。陛下を祝う事自体よりこのお祭りを目一杯楽しみたいのだろう。友達と共に花火を見て、露店の食べ物を制覇する勢いで食べまくり、親にお小遣いをおねだりして使いすぎだと怒られる。特別な力を持たずともそんな未来は自ずと視えるものだ。

 

「先にお母さんと合流しようか。クリスの演奏まで何か食べよう」

「ん……でもいっぱい食べたらクリスお兄ちゃんと一緒にご飯食べられないよ」

「あはは、そうだね。でも終わるのは遅くなるだろうから何も食べないとちょっと辛いかな。ちょっとだけお腹に入れておこう?」

 今日は一番上の兄が所属する楽団がアカモートで誕生祭の催しの一つとして陛下の前で演奏をするのだ。

 兄は自身の笛の音を沢山の人に届けたいと幼い頃から演奏を続けていた。少女も下の兄も両親もクリスの演奏が大好きだ。奏でる音の一つ一つに彼の想いが丁寧に織り込まれていて、言葉として説明されずとも何を伝えたいのかが真っ直ぐに伝わってくる。

 少女のお気に入りは巨神と機神に纏わる物語を音として記した曲だった。兄はよく父にこの世界の神話について好奇心旺盛に様々な事を尋ねていた。父も飽きる表情を何一つ見せずに知る事の全てを伝えようとしていた。あまりに遠い時代の、本当に事実として起こったか定かではない筈の神話なのに、父はまるで全てを見てきたかのように語っていた。その点だけは不思議だったが、そんなやり取りを重ねて紡がれる兄の調べが世界で一番だと少女は思っていた。

 いつかはメリア女王にも聞かれるくらいの演奏家になりたいと語っていた兄がその夢を叶える。誕生祭での演奏が決まった時には家族全員が我が事のように大喜びしたものだ。

 そんなクリスの晴れ舞台を家族皆で見に行くのだが、もう一人の兄であるニコルは友人であるパナセアやルディと遊びに行っている。しっかり者のパナセアがいるから待ち合わせの時刻には間に合うだろうが、好きな事に夢中になると周囲が見えなくなるニコルの事は妹ながら少し心配だった。ニコルと父は性格や好みが似通っていて、一度"夢中"に行動スイッチが切り替わると寝食を忘れて物作りに没頭してしまう。それを少女と母親で無理やり作業場から引き剥がして食事の席に着かせるなんてのは特段珍しくない光景だった。

 

「トワ、シュルク」

 背後からとても聞き慣れているのに、ずっと聞きたかった声が降ってくる。振り返った先にはプラチナブロンドの短髪を微かに風に揺らめかせた女性——少女の母親が立っていた。

 彼女は伴侶である少女の父の姿を見て一瞬瞳を悲しげな色に染めるが、すぐに普段通りの明るく優しい笑顔へと戻る。

「頑張ったね。それにしても右腕も含めて戻るんじゃなかったの?」

「多分依代として長くいた所為じゃないかな。さっき一瞬だけレックスを見かけたけど、彼の左眼も治らなかったみたいだ」

「何事にも例外は付きものよね、依代生活も二回目だし。そういう例外をやたら引いちゃうのが貴方と」

「それはフィオルンもじゃないか」

「私は世界一個創ったりまではしてないわよ。とにかく! 右腕のことはメリアに相談して再生培養装置に入れるから安心して。私で半年ならシュルクは一ヶ月くらい……レックスなら数日で終わると思うわ」

「うーん、女王の親友としての立場の濫用……」

「メリアも張り切って突っ込むわよ」

「怪我をして順番待ちの人もきっといるから先に彼らに……」

「巨神界と機神界を救った英雄に順番を譲らない人がいると思う!?」

「急に横暴になったね!?」

「私の大切な人に早く治ってほしいのは当たり前でしょ!」

 ——両親の会話は少女にはよく分からない。

 

 ふと遠くから音が聞こえた気がした。何かの楽器の音、僅かに掠れるようなそれはいつしか聞いた笛の音。

「さっきホムラ達に会えてね、四人で抱きしめ合ってお疲れ様の言い合いよ」

「みんなやっぱり強いなぁ」

「もう、女性にそういうこと言わないの。ニアは今すぐメリアに会いに行きたがってたけど状況が状況だからね、どれだけ早くても明日以降かな」

 そして笛の音に紛れて聞こえるもう一つの音、注意深く聞かなければあっという間に消えてしまうくらいに弱い何かの音。

「彼女、本物の女王ではないからね。メリアに会いにきましたって簡単にできないのは可哀想かな」

「今日は他の人に察されないようにいつも通り過ごすように言われてたけど、明日からは成功祝いなんかできっとまた大変になるわよ〜。ニアのぐったり顔がもう見える気がする」

「それでも人とブレイドの両方の特性を持つ彼女だから代表者として頑張ってた。ただ依代になってた僕よりもずっと凄いや」

「みんな頑張ってみんな凄いの、シュルクもトワも。……お母さんずっと見てたから。頑張ったね、トワ」

 母の右手が少女の頭を撫でる。頭を撫でられる事は珍しくない。母はよく褒めてくれるしその度に優しく頭を撫でてくれる。だからこれは何ら変わりのない日常的な行為の筈なのに何故かひどく久しぶりな気がして、ずっとずっと待ち焦がれていたような気持ちで胸が埋め尽くされていく。

「それに……」

 つん、と母が額を人差し指で軽く突いてきた。

「こんな新しくて素敵な世界が生まれちゃったんだもの。誰がやったかなんて関係者でも知らない人は沢山いるでしょうし……そもそも変わった事にも気がついてないかも。どの道私たちは説明に追われそうね」

「それくらいは何て事ないさ。親としての責務だもの」

「ふふ。世界を創っちゃうなんてお父さんに似たね」

「芯の強さはお母さん似だよ。ね、トワ」

 両親の会話に対する疑問は幾つも湧いてくるが、今の少女は笛の調べに混じるもう一つの音を聞き探す事で精一杯だった。

「さ、ゆっくり歩きながらアカモートに行きましょ。シュルクは人探しもあるんでしょ?」

「うん。人として生きてみても良いって言ってたから、この中に必ず彼もいるよ。綺麗な銀髪だから見つけるのは難しくないと思うな。男性と女性のどっちの姿なのかは分からないけど……」

「娘が増えても嬉しいわね……」

「当たり前のようにうちで養子にしようとしてるね」

「シュルクだって同じでしょ」

 

 ——誰かの、泣き声。

 音の正体を理解した少女は父の腕から飛び降り、小さな泣き声を頼りに走り出した。どこへ行くのかと背中で聞いた両親の声を無視して少女は駆ける。人の波の間を縫うように、とにかく声が少しでも大きくなる方へ。

 いつの日か、君の傍にいると約束した気がする。

 そうして行き着いたのは小さな路地であった。街灯も花火の光も届かない所為で薄暗く、どこか冷たくて湿った寂しげな匂いがする。

 路地にはぽつりと人影があった。見つけた声の主は薄い金色の髪と真っ白な服を着て、蹲ったまま嗚咽を漏らしていた。体格から少女とそう大差のない年齢の小さな子に見える。

「ねえ、きみ迷子?」

 少女は子どもに近寄りしゃがんで声をかける。少女の存在に気がついた子どもは涙で濡れた顔を上げ、天色の瞳で少女の顔を覗き込み呟いた。

「ひとり、ぼっち……」

「ならボクと一緒に来ようよ。今日ね、クリスお兄ちゃんがみんなの前で演奏するんだ。一緒に聞いたらきっと楽しいよ」

 少女は左手を伸ばす。

 追いかけてきた両親は少女と向き合う子どもの顔を見て驚きで一瞬身体を強張らせる。かつて対峙したあの存在、この手で斬った創世神と瓜二つなその(かんばせ)に対して一切の動揺をしないのは無理な話だ。

 しかしそんなのは少女に見えはしないし、何も関係などない。

 だって少女にとって目の前の子は約束していた相手、いつかの過去に自分が友達になると手を伸ばした小さな存在なのだ。

 どんな見た目であろうと、どんな過去があろうと明日が怖いと震える君の隣にいる。夜を越えて朝日を眺めて、新たにやってくる未来で新たな友人を探しに行くのだ。

 

 花火が彩る空に一筋の流れ星が輝く。後に白鯨の民と呼ばれる多くの別次元の人間を乗せた巨大な船は、流れ星が(いにしえ)から伝わってきたように世界にもたらされる吉兆の印であったのかもしれないと後世の人は語った。

 

 

 分かたれた世界が一つとなれたように、いずれ世界に生きる全ての生命も手を取り合い歩んでいける。どんなに大それた話であろうとその一歩を踏み出さねば何も始まらない。傷つく事に恐れたとしても一握りの意思を持ってまた明日を目指す。

 伸ばされた手を取ること、目の前の存在が確かに在るのを知ること。

 ボクらの未来はまだ描かれてもいない。だってこれからボクらの手で創っていくのだから。

 第三者が描いた物語はもうおしまい。ここから先は小さな一歩を踏み出したボクらが紡いでいく。他の誰にも描けないボク自身の物語。

 

 黄昏の先で出会う新たに繋いだ命で描く、永遠の想いの物語を、いつか出会う君に。

 

 

 




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