名(迷)言は日常に   作:二斗島甚兵衛

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プロローグは名言とともに

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「人間は考える葦である。」

有名な言葉だ。

かのパスカルかパステルかラスカルみたいな名前の思想家が生み出した名言的な何か。

それに因んで考えると俺は考える葦そのものであると思う。

今日も今日とて、一日の時間という時間を思考の海に費やしている俺はその模範のような過ごした方だ。

考え、改め、そしてまた考える。

その意味のない思考の果てに終わりは見えるところを知らず、されどその考えに意味は1ミリもない。

ただ、世間様への愚痴だったり、遠くのどこでもない宇宙の謎だったり、もっと身近な人間関係の心許せる空気感への羨みだったり。

まぁ関係ないことをつらつら考えられるものだと自分でも思うものだ。

だが、考えることをそれでもやめない。

何故ならそれこそ考える葦であるという例えに直結するからだ。

俺の中で考える葦とは、考えて考えて考えて、これでもかというほどに考えている内容に対し、なんの意味のないことなのだ。

だってそうだろう?

葦一本が一体如何程の影響をこの広い地球、果ては宇宙規模で与えているだろうか。

例え、葦が考えれる脳を持っていたとして、なにができるというわけでもない。

だが、そのなんの意味もない時間こそが時間の浪費に最適であり、至高であると結論付けた俺はなにをするでもなく考えるのだ。

それが人間という、果ては俺という葦の生き方であるからだ。

違う?価値観の相違だな。

さぁ、人類よ。

考え続けろ。

 

俺?俺は寝る。

お前らも考える葦とか言ってないで睡眠時間でも増やしたら?

 

と、言うものの

実はこの名言には続きがあるらしい

「人間を押しつぶすためには宇宙全体が武装する必要はなく、蒸気や一滴の水でも人間を殺すことはできるだろう。もし宇宙が人間を殺しても、人間は尊い。なぜなら、人間は自分自身の死を理解している点で、宇宙よりも尊厳のある存在といえるのだ。人間の尊厳は、すべてその思考の中にある。よく考えることに努めよう。考えることにこそ、道徳の原理があるのだ。」

 

道徳的に言えばまあ、宇宙全体に考える思考など存在せず、その中でも考えれる人間という生き物はそのままの意味で思考を共有でき、思考できることは尊いことであるという解釈することができる。

 

まあ、そんな解釈など徒労だ、つづきがあるにしても時代錯誤も良いところだ。

 

そんな自己解釈勝手な文言など極論どうでもいいのだ。

 

やはり、現在に生きる私達にとっては、そんな文言など過去に生きている者達の戯言なのだ。

 

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現実を見ている俺の、俺達高校生の名言を作る物語を始めよう。

 

俺と俺の身近にいる人達による身近な人ための物語。

 

そこに至った経緯から俺達の物語を始めよう。

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