エスケープ・フロム・アーク ~情報屋は世紀末を生きる~ 作:うかた
場所:エルファス市街地跡北西 時刻:8:24
カチカチという無機質な電子音とともに、青いバイザーへアイテムの情報が展開されていく。 先ほど仕留めたスカベンジャーから回収したテキストデータだ。実体は小さな四角い情報デバイスだが、こういったデータには高値で取引されるものや、隠しミッションのヒントが紛れ込んでいることがある。一見ただのジャンク品、低価値な換金アイテムに思えるものでも、その恩恵を熟知しているノアは、手に入れた端から目を通すようにしていた。
「『サブカル記者のゲーム紹介』……ハズレかな。でもボクが見たことのないアイテムってことは、最近のアプデで追加されたのかも」
ビル攻略の合間の、束の間の休息。 ノアは重いヘルメットを脱ぎ捨て、小さく息を吐いた。狭く薄暗い廃ビルの室内に、マゼンタピンクにブルーのメッシュを入れた鮮やかな髪が揺れる。 かつてフレンドから「目に痛いし、何より目立つからやめてくれ」と懇願されたカラーリングだが、普段はヘルメットで隠している。周囲に敵の気配もない今なら気にする必要はない。
とうの昔に電力の絶えたコンクリートの部屋には、壊れた蛍光灯が虚しくぶら下がっている。代わりに部屋を照らしているのは、隣室の窓から差し込む僅かな外光だけだった。
「……うーん、ただのメタ的なゲーム情報かぁ。やっぱり大したものじゃないかな」
ノアは小さく息をつき、手の中のデバイスを放り投げるようにインベントリへ仕舞う。
「値段もつかないだろうけど、とりあえずメモにして取っておこう」
誰に言うともなく独りごちて、親指と人差し指を軽くすり合わせた。澄んだ小さな電子音と共に、空中に発色の良いピンク色の仮想キーボードが浮かび上がる。これはゲーム内に存在するシステムではなく、ノアが現実世界で装着しているフルダイブ用ヘッドギアに搭載された外部OSの機能だ。
そのまま手慣れた動作で、ゲーム内のバッグから飲料アイテム『普通のコーヒー缶』を取り出す。小さな金属缶に入ったコーヒーは常温で、賞味期限の部分は見えなくなっている。とはいえ、少なくともノアはこれを飲んで調子を崩したことはない。
放棄された建築物特有のカビと埃の匂いに混じって、微かに焙煎された豆の香ばしい香りが漂った。
ヘッドギアのメモ機能を起動し、空中に浮かぶ鍵盤を叩いて先ほどのデータ内容を書き留めていく。カタカタという軽快なタイピング音だけが、薄暗い部屋に小さく響く。
ふと耳を澄ませば、建物の外ではいつの間にか、細かい雨が降り始めているらしかった。シトシトというくぐもった雨音が、先ほどまでビル内に反響していた銃撃や爆発の余韻――血生臭い戦闘の喧騒を、冷たいキャンバスで覆い隠すように掻き消してくれている。
タイピングを進めながら、ノアは思考の片隅で現在の戦況を整理した。
このビルを徘徊していたエネミーは、ここへ至るまでの道中で粗方片付けてある。残る標的は、最上階を占拠しているボス集団のみだ。
彼らは屋上階を縄張りにする習性があり、そこから出てくることは一切無い。ゲーム内のシナリオ的に言えば、ボス集団はこのあたりのスカベンジャー達を配下に置いている。雑用は全て、下の階の部下であるスカベンジャー達に任せているのだ。彼らのうちの誰かが残したログデータから集めた情報だ。
背後への憂いもなかった。進行ルートの入り口には念入りにブービートラップを仕掛けてきたため、万が一他のプレイヤーが漁夫の利を狙って侵入してきても即座に察知できる。さらに言えば、今ノアが腰を下ろしているこの一室には窓自体が存在しないため、遠方からスナイパーに狙撃される心配も皆無だった。
今この瞬間だけは、この部屋はセーフゾーンだ。
ノアはコーヒーを一口啜り、ふう、と息を吐く。そして、迫るボス戦へ向けて意識を切り替えるように、キーボードを叩く指の速度を少しだけ上げた。