エスケープ・フロム・アーク ~情報屋は世紀末を生きる~   作:うかた

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手掛かり

この『アーク』というゲームには、敵の体力を示すHPバーも、討伐を確約するシステムキルログも存在しない。目の前の肉体が本当に死体になったかどうかを判別する術は、きわめて乏しいのだ。完全に息の根を止めたと思ったNPCが実はただ気絶していただけで、無防備にドロップアイテムを漁っている最中に背後から撃ち抜かれた――そんな苦い経験を持つプレイヤーは、この過酷な世界において決して珍しくなかった。

情報屋として、そして一人のサバイバーとして、ノアはその手の油断が招く結末を誰よりも知っていた。

 

数秒待ち、確実な撃破を確認。激しい雨が割れた窓から吹き込むVIPルームでノアは膝をつき、ボスの死体が背負う無骨なミリタリーバッグに手をかけた。

 

今回狙っているアイテムはボスが持っているはずだ。が、確率ドロップであれば周回しなくてはならない。面倒な作業ではあるが、必要であればこなすだけだ。淡々と、ボスらが背負う巨大なバックから物を取り出していく。

アークでは、所持重量によって移動速度に制限がかかり、足音も大きくなる。利益だけを求め漁りすぎると身を滅ぼすことになる。一人でボス集団を壊滅させたのなら猶更だ。アイテムの重量当たりの価値を理解して、厳選して持ち帰らなくてはならない。

複数のグレネードは全て持ち帰る。消耗品の割に市場で用意するにはそれなりの値段になる上、ここから生還するための防衛用として、帰路でも役に立つかもしれない。

 次に、ボスの銃からマガジンを抜き取り、中の弾薬を確認する。先端の色と形状から判断するに、貫通力も威力も低い安物の弾だ。重量の無駄でしかないため、その場に投げ捨てる。

近接枠にはレアリティの高いタクティカルナイフがあった。換金効率は悪くないが、この重量をインベントリに抱えるのは少々もったいない。これもパスだ。

代わりに、最近の市場トレンドで価格が高騰しているクラフト素材だけを的確に、かつ迅速にバッグへしまっていく。

そうしてバックパックの底が見え始めたころ、ノアの指先が、小さく薄いオブジェクトに触れた。

引きずり出したのは、『千切れた書き写しの地図』。

ノアは小さく息を呑む。これまで集めてきたどの断片とも重複していない、見たこともない新しいピース。仮説が正しかったという確信は、ノアの思考をさらに加速させる。ここから、情報屋としての本当の「考察」が始まるのだ。

 

厄介なのは、この『アーク』というゲームが、外部ハードウェアへの画像保存や動画エクスポートをシステムレベルで完全に遮断している点だ。徹底してリアルさを再現したこの世界では、スクショによる記録は通用しない。つまり、この後に脱出に失敗して死ねば、この地図は藻屑と消える。

万が一のロストに備え、ノアは紙の地図に記された複雑な模様と地形データを、一文字たりとも漏らさぬよう脳裏へ焼き付けた。ひとまず満足するまで内容を暗記したノアは、それを実体の感触を伴う懐へと滑り込ませた。

懸念事項を一つ挙げるとするならば、この直後にノアが死亡し、このアイテムを他のプレイヤーに拾われてしまうことへの危惧だった。この『地図のピース』が、他でもない「この『エルファス市街地跡』のボスからドロップする」という事実。情報屋としては、その情報すらも隠匿しておきたい機密事項だ。もし死体漁りでアイテムを見られれば、産地がバレてしまう。それを防ぐためだけなら、完全に記憶したこの場で破棄してしまうのが最も安全な手段ではある。 だが、現物のアイテムとして手元に置いておけば、今後の検証や別のピースとの照合において大きなアドバンテージとなる。システム的に合成が要求される可能性も捨てきれない。

一瞬だけ思考を巡らせると、懐の膨らみを軽く叩いた。ひとまずは、このまま死守して持ち帰るべきだろう。

 

 まだ取り巻き二体のバッグが残っており、漁りたい気持ちはあった。しかし、レイドでの滞在時間が延びれば伸びるほど、他プレイヤーとの遭遇率――すなわち死亡率は跳ね上がる。ノアは死体への未練を断ち切り、取り巻きたちの残したアサルトライフルから、高価値なカスタムパーツである光学サイトやサプレッサーだけを手早く取り外す。バラバラに分解された銃器の残骸が、大理石の床に虚しく散らばる。

 

 これほどの高低差があると、弾道計算が狂うためここからの狙撃はまず不可能だ。それは同時に、下からのカウンターを警戒する必要がない安全圏であることを意味している。  

ノアは、戦闘開始に合わせて被っていた窮屈なタクティカルヘルメットのロックを外し、床へ転がした。外の微かな環境音をダイレクトに拾うためだ。

 これほどの高低差があると、弾道計算が狂うためここからの狙撃はまず不可能だ。それは同時に、下からのカウンターを警戒する必要がない安全圏であることを意味している。集中力の邪魔になるヘルメットを脱ぎ、深い聴音と索敵を開始する。

 

激しかった雨は、いつの間にか完全に止んでいた。窓から吹き込む風が、マゼンタピンクとターコイズブルーの鮮やかな髪を静かに揺らす。雨上がりの澄んだ空気の向こう、視界の限りを埋め尽くす『エルファス市街地跡』の廃墟群は、かつてこの地に人類の偉大な栄華が存在したことを、静かに、そして雄弁に証明していた。

 

敵影、なし。残留音、なし。 

短い索敵を終え、ノアは次の行動へと移る。ここからは、戦利品を抱えて生還するための脱出フェーズだ。

このビルの最上階から離脱する手段は二つある。一つは、先ほど上がってくるまでに使ったエレベーターを再び利用すること。もう一つは、かなりの遠回りにはなるが、この最上階からしかアクセスできない構造になっている、隠された避難用の下り階段を使うこと。

 

ビルの入り口にはブービートラップを仕掛けてあるが、万全とは言えない。先ほどのボス戦の最中、激しい銃声やグレネードの爆音に紛れてトラップが踏まれていたとしても、ノアが気づけたはずはないのだ。あるいは単純に、この高さまで爆破音が届かなかった可能性もある。エレベーターの繋がる先で敵が待ち伏せしているリスクを考慮すれば、選択肢は一つしかなかった。

ノアは警戒を怠らないまま、下り階段へと続く重い鉄製の防火扉へと手をかけ、静かにその向こうの暗がりへと踏み出した。

 

 

 

 

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