※こちらを読む必要が無いよう本文を構成しておりますが、世界観を事前に知っておきたい方、世界観を見失った方はこちらをご覧下さい
世界設定
20年前まで砂漠地帯だったはずの地域が突如雨の止まない湿地地帯へと変貌し、さらにその湿地帯を取り囲むような絶壁が現れ外界から断絶した陸の孤島、雨止まぬ地「グナプス」。
そこでは輝石という石が採掘されており、莫大なエネルギーを得られる事が知られている。
そのため輝石をエネルギー源としたインフラが整備されており、現実世界の水道電気熱源等は全て輝石からのエネルギーを元にして作られている。
しかし輝石に関する技術や知識は今なお謎に包まれている。
石造りの家屋を後に空を見上げながら帰路につく。
隣を歩く母は遠くを見つめどこか儚げながら、しかし満足そうにも見える
「レグナス。この世界は好きですか?」
唐突に何を尋ねるかと思えばなんとも漠然とした質問に唖然とする
止まない雨に打たれる木々。霧のかかった深い緑は灰色の空とのコントラストを奏でどの場面を切り取っても美しい絵画のようなこの世界
「私は、嫌いじゃない。すごくきれいだと思う」
そう答えると母はこちらを向き優しく微笑む。
私は何よりこの母の笑顔が好きだ。母が私に向けてくれる笑顔。ただ美しいだけの何もない世界で生きて居ようと思えるのはこれがあるおかげだ。
そうして自分の背丈の倍ほどのところに位置する母の横顔を見る。すると母は少し寂しげに空を見やる
「朽ちゆく果てに見える世界はより美しいのでしょうね」
その時母のつぶやいた言葉をどうしても忘れることが出来なかった
ドンドン
誰かが家の戸を叩く音で目が覚める
非常に嫌な予感がする
「レグナスの嬢ちゃん。嬢ちゃんおらんか」
この声は村の鉱夫のおじさんの声だ
どうせまたランタンでも落としたかぶつけたのかしたのだろう
直すのは造作もないことだ。しかし今はそれ以上にこの惰眠を貪る時間を邪魔されたくないのだ
「今はいないって言っててよ」
そんな懇願も虚しく母は家の戸を開け鉱夫を丁重にもてなす
「いつもお世話になってます。どうぞこちらへ、すぐに準備させますのでごゆっくりして言ってくださいな」
「お母さん、いつもありがと」
嫌味半分でそう母に告げ
重い鉛のような身体をなんとか持ち上げ居間に向かう
木で出来た床はギシギシと音を立てる。この鉛のような体がこの古びた床を貫いてしまわないかとても心配である
「おはようおじさん。またランタン落としたの?」
寝起き3秒、目も開かないまま客人へ話しかける
「そう怒らんでくれよ〜かるい落石にあっちまったんだ。俺は怪我ですんだんだが、こいつはダメだった」
鉱夫はそう言いながら腰紐からヒビだらけのランタンを外す
これは酷い有様だ
「一応修理は試みるけどその状態だと新しいものに交換が妥当になると思うよ」
「あちゃーやっぱりそうか、こりゃ高くつくな。また嫁に怒られちまうよ」
「輝石と心臓部次第かな、まぁ一旦工房で様子を見るよ。それまで怪我の手当てしてなよ。まだ応急処置しかしてないでしょ」
母が居間の奥から包帯や消毒液が入ったカゴを取り出す
「おじさん。怪我の手当てをしてもらうだけだよ。お母さんに変な気起こしたら言いつけるから」
「さすがは嬢ちゃん抜け目がないなぁ。今日は何もしないよ」
今日はという言葉に怪訝な反応をしながらボロボロのランタンを取り上げる
「じゃあお母さん。2時間くらい工房にこもってるよ。」
「はい。よろしくね」
母がニコッと微笑む。よし、頑張ろう
工房と言っても元は薪を置いていた倉庫に無理やりスペースを作り機材を持ち込んだだけの場所である
3種類ほどの工具を使い分けながら手際良くランタンを分解し、部品ごとの症状を確認していく
「輝石も心臓部も無事か、じゃあすぐかな」
工房の棚から変えのパーツをいつくか見繕い手早く組み立てていく
作業時間にして40分程、当初の予定より随分と早く終わった。
完成品の動作確認のためスイッチを入れるとランタンは淡い虹色の光を放つ。輝石特有の魅惑的な光だ
この世界の機械は全て輝石からエネルギーを取り出し作動している。
そのエネルギーは光、熱、動力とその全てを賄っており無くてはならない存在なのだ
「おじさん、おまたせ。輝石も心臓部も無事だったから大した値段にならないよ」
おじさんは手を合わせ私に拝む
「ほんとにいつも助かるよ。こんなこと出来るの嬢ちゃん以外に居ないからなぁ」
ガハハと音が聞こえてきそうな大笑いをするとポケットからいくつかの石を取りだし差し出してきた
「ほれ嬢ちゃん。お礼のプレゼントだ」
差し出された手には赤、青、黄色、緑4種類の小さな石があった。
これはそれぞれの顔料として使える石だ。王都であればそれなりに流通しているが、そもそも絵を描く人間が居ない田舎では輝石以上の高級品である
「おじさんこれほんとにいいの!?」
「おう!輝石のついでに取れただけのもんだ、王都に売っても大した値がつかねぇかんな。好きに使ってくれや」
目をキラキラと輝かせながら石を受け取りはしゃぎ回る。これはとんでもない臨時収入だ
「じゃあな嬢ちゃん。また来るぞ」
「うんおじさん、ありがとう。怪我もしてるし無理しちゃだめだよ」
そう言って戸をくぐろうとするおじさんを母が呼び止める
「おやお兄さん、ちょっとお待ちくださいな。
お代貰ってないですよ?」
すっかり忘れていた。というか貰った石の価格を加味すればあと3回修理したってお釣りが来る
「奥さん相変わらず手厳しいね。お嬢ちゃんいくら?」
「あ、えっと銀貨3枚でいいよ。そんな大したことしてないし」
「はい、毎度あり。私がいるところでそんな誤魔化しは効きませんよ。あと、娘へのお気遣い本当にありがとうございますね」
銀貨を受け取ったお母さんがニコッと笑う
私はお母さんが大好きだし尊敬もしているが、同時に最も怖い存在でもある
しかし起きる予定の時間より早く起きてしまった。修理作業も予定よりも早く終わったので幾分か時間が出来てしまった。
であるのならば、行くしかないのである。
「お母さん!ちょっと行ってくる!」
先程貰った石を握りしめ工房へ戻る。いつもの道具の入ったカバンを担いで飛び出していく
「どこ行くのか分かんないけど気をつけなさいよ。あ、あとお風呂沸かしたいから薪だけ持って来といてくれない?」
母からの頼みに呆れを含みながら返す
「そろそろ輝石使いなよ…お風呂もだけど料理も楽になるし夜にだって明かりがあった方がいいでしょ?」
「だって高いじゃない。薪ならほとんどタダみたいなものだし、夜は寝ればいいじゃない」
母は輝石が苦手なようなのだ
理由は知らない。ただ、薪は乾かす手間があるし母の趣味は読書である。先の発言が本心でない事くらいは親子として察することが出来る
しかし、母が輝石を苦手としているからこそ私は輝石を珍しく思い、輝石にこれほどまでの価値を感じているのかもしれない。そう考えれば母の輝石嫌いにも感謝である
母からの頼みである薪を移動させ目的地に向かう。今はこの新たな顔料を試したくて仕方がないのだ
お気に入りのスポットに辿り着くとすぐに準備を始める。
天幕を貼りキャンパスを設置、そして先程貰った石の欠片をヤスリで削り乳鉢で油や糊を加えながらすり潰す。
輝石器具いじりに次ぐ私の趣味、風景画だ。
この世界の風景はどこも素晴らしく映えるのだ。
雨雲の灰色と湿地の木々が持つ緑、さらにこの湿地帯を囲むようにそびえ立つ外壁の土色もこの色の無い世界に色を生み出している
「いつ見ても不思議な景色だよなぁ」
そうしみじみと呟きながらただその不思議な景色が現存することに感謝し少しずつ筆を進めていく。
日が沈み寒色の世界を徐々に赤く染めていく
天幕に溜まった水が少しづつしたたり、限界が近いようだ
「さすがにそろそろ帰ろうか」
キャンパスに布をかぶせ天幕を回収する
しとしとと降り続く雨を感じながら帰路に着く
雨止まぬこの地が赤く赤く染まりゆくのを眺めながら
「絶対!約束だよ!」
どこか懐かしい香りが鼻腔を刺激する
窓から差し込む夕日が顔にあたり赤く染った頬をさらに赤らめる
白い部屋、大きなベットに座る彼女と私は指切りをしている
「大きくなったら王都に来てね!それで、色んな絵を見せて!色んなお話を聞かせて!
だからもう一度、大きくなったら!」
彼女のキラキラと輝く瞳と、陽の光を受け紫色に光る花が窓枠の外で揺れていたのを今でも鮮明に覚えている。
ドンドン
誰かが家の戸を叩く音で目が覚める
非常に嫌な予感がする
「レグナス!レグナス起きなさい!」
母の焦る声に驚き飛び起きる。
目に飛び込んできたのは赤く染まる空だ
おかしい
私は昨日ランタンを直し、絵を描き、家に着き、夕飯を食べ、お風呂にも入り、完璧に寝支度を済ませ、拾ってきた輝石器具の分解をするなどして夜更かしをしたはずだ。
であれば朝焼けか?
いや違う
なぜなら赤く染まるその向こうにはこの世界の誇る満点の星空が見える
「敵襲!敵襲ー!!」
おびただしい熱気と悲鳴、雨やまぬ世界に似合わぬ炎が私と母を包んでいた。
煤で頬を黒く染めた母が私の肩をつかむ
「レグナス!起きたのね。これをもって王都へ行きなさい。今すぐ逃げて、あなただけは生き残って。私たちの希望なのよ」
まだ理解が追いつかない。
この村を襲う理由、村のみんなや母が逃げようとしない理由、私の好きな村とこの世界が赤く色付いている理由。
何も分からない。
分からないまま指輪をはめられ燃え盛る家から押し出される
今逃げれば母も村も私のすべてが今ここで無くなってしまう。
どうにか止めなければ
どうにかしなければ
どうにか、なるのか?
熱い
熱い
熱い熱い熱い
しかし、その先のことを想像すればするほど体はみるみる冷え切っていく
母が、死んでしまう
「いやだ!いやだいやだいやだいやだ!私だって残るんだ!私だって何か」
「いいから行きなさい」
鬼の形相で私を突き飛ばす母
その眼には決壊寸前の涙が浮かんでおりその相反する表情と行動で母の心情を察することが出来た。
「振り返ってはいけません。そのまま真っ直ぐ王都へ向かうのです。
その指輪をもって王都に着けばなんとかしてくれるはず」
何とかってなんだ。
もう既に何とかなってないでは無いか
母がおらぬこの世界に意味なんて
「レグナス、この世界は好きですか?」
切羽詰まったこの状況で、これが最後になるかもしれない会話で、どうしてそんなことを聞くのか。
「嫌いじゃない、すごく綺麗だもの。でもお母さんがいないと」
戸惑いながら、けれど心の内を絞り出すかのように熱気で焼かれた喉から答えを返す
「私はこの世界が好きなのよ。あなたがいるこの世界が、だからお願い、生きて。」
炎が家の支柱を燃やし尽くし屋根や壁がみるみる崩壊する
周囲からは悲鳴と怒号が渦巻き私の退路を塞ぎ赤はさらに鮮やかになっていく
「私も同じだよ」そう叫んだ声は炎に包まれた瓦礫が覆い隠してしまった
村が燃えてから3日ほど。
止まぬ雨を一身に受けぬかるんだ土を踏みしめながら歩く
読書好きの母からいくつか拝借して読んだ本ではこういった一人旅では往々にして仲間と呼ばれる存在が登場する
しかしここは雨だけが降り続く虚無の世界
王都以外に人がいるなど余程の事がない限り有り得ないだろう
そんな絶望の縁をひたすら歩く
このまま進み王都へ辿り着けるのか
たどり着いたとして、その先が光か闇かそれさえ見えない暗黒の道をただ進んだ
照りつける夕日の熱はあの獄炎に比べればなんてことは無く、むしろどこか懐かしく暖かい刺激が網膜を刺激する
しかし、あまりの怪奇なその状況に目を大きく見開くことになるとは思っていなかった
橙に輝く夕日を背負った黒い何かがこちらに向かってくる
こんな辺境にいるはずのない
人である
人ではある。が、どうやらただの人ではなさそうだ
兵士というにはお粗末な、しかし最低限の防具に身を包み私の腕よりも長い剣を携えヨロヨロと歩いている。
千鳥足で進む彼の顔は深くそして暗く淀み、それはまるで鏡を見ているかのようで、見て見ぬふりをしておくことが出来なかった
「あの、大丈夫ですか?王都はあっちの方ですよね?」
私と鉢合わせになったということは王都から遠ざかっているということだ。
しかし王都から1人で外に進んでも人の力では到底超えることの出来ない土壁があるばかり。
そんなとこへ行く理由なんてあるはずがなく、そのわけを伺う。
「人を、探しているのだよ」
ゆっくりと告げる男の眼は漆黒と言って差し支えない、全てを飲み込んでしまいそうな目をしていた
「お嬢ちゃん。元気かい?」
「ええ、まぁ…それなりには」
「そうかい…それなら良かった。病気なんかもしてないかい?」
「えぇ。こうして育ててくれた母には感謝してるわ」
「こんなところで1人かい?お母さんは?」
「先日死にました。」
「そうかい……………そうだったな」
まずい。そう感じるには遅すぎた
「俺には病気の妹がいてね。今も寝たきりで俺の帰りを待ってくれてるんだ。いつも笑顔でおかえりって言ってくれてね。すごく優しいんだ。
俺はあいつを救うために必死になった。俺があいつに出来ることは金を稼ぐことだけだったから。
でも、無駄だった
私と妹はいとも簡単に、そしてぞんざいに全てを奪われた。俺は妹を守れなかったのだよ」
彼が話す間、私の足は動かなかった。
いや、きっと動けば殺される。そう本能が察したのだ
「だからな、嬢ちゃん。本当にすまない。」
疑念が確信に変わる
彼は私を殺そうとしている
なぜ私が殺されなければならぬのか必死に考えた
家が燃え、母が死に、三日三晩歩き続け、こういう事は自分で言うものではないかもしれないが、私は相当の不幸を一身に受けている。
こんな状態の私に通り魔?こんな辺境の地で?
泣きっ面に蜂が飛んでくる方がまだ余程可愛いだろう
いっそこのままひと思いに切り捨てられてもいいのでは無いか
そうしてグルグルと思考をめぐらせている間に彼は私の目の前に辿り着いた
男は腰に携えた鞘から剣を引き抜き振りかぶる
違う。
私は
生きなければいけない
そう母が願ったから
男の奥に赤く光る夕日で再び網膜を焼く
この眩しさは今なお夢で見る
「病気で寝たきりの友達がいるんだ。」
男の動きが止まる
「その子がね、私に言ったんだよ。この世界の全てが好きだって」
母の死に際の一言が頭の中を反芻する
母の願いは私が生きることだ
今死ねば意味が無い
抵抗はできない
ならばそうするしかない
「ねぇお兄さん、お金がいるんだよね。
この指輪をあげるよ。それなりに貴重なものだと思うよ」
あの時、母から無理やり渡されたものだ
プラチナのリングに高純度の輝石が装飾されたなんとも不思議な指輪であり、様々な刻印が刻まれている。
あの時母はこれを見せれば王都でなんとかなるとそう言った。
すなわちこれは王都ではそれなりの価値がある。もしくはそれなりの効力がある由緒正しきものであると考えられる。
であれば、交渉の材料にはなるだろう
たとえ母の形見であったとしても
男が指輪をマジマジと眺める
「お嬢ちゃん。本当に君は聡明だと思うよ。
確かにその刻印の刻まれた指輪を頂けるのならもう1年くらいは妹と一緒に過ごせるだろう。だが今私が欲しいのは金じゃないんだ。
君なんだよ」
そう言うと私の差し出した指輪を奪い取り思い切り踏みつける
「こんなものがあるから!輝石なんてものがあるから!全部おかしくなるんだよ!!」
怒り狂った兵士に何度も踏みつけられ破壊されていく小さな指輪と同じように、ほんの少しの希望と願いで保たれていた私の心が崩れていく
母からの願いも、母の形見も、私の存在意義も
その全てを目の前で失いその場にへたり込む
もう生きる意味なんて私には無い。
輝石もこの世界も、死んでしまえばなんの価値も無いのだ
であれば
消えてしまえばいい
私もこの世界も全て
消えてしまえばいいでは無いか
突如地鳴りが起きる
誰一人として身動きが取れないような激しい地響きだ
続いてどこからか轟音が近づいてくる
轟音は徐々に大きくなり確実にこちらへ近づいてきていることが分かる
音の正体は津波であった
絶壁に囲まれた陸の孤島と呼ばれたこの湿地にこの陸の孤島を埋めつくさんとする水流が押し寄せ、一番手前に見えた波を奥の波が飲み込んで迫ってくる
怒り狂いっていた兵士も、私も、いやきっとこの湿地にいる全ての生命が命乞いすら出来ず突如として起きたこの天変地異に、文字通り為す術なく飲まれたのだった
あれからどれくらい時間が経ったのだろう
全身が冷たい
首から下の感覚が一切ない
力も入れられず動くことも出来ない
きっともう時期に命が尽きるだろう
自分の死に場所くらい確認しておこう
最後の力で目を開ける
大きな虹色の結晶、どこまでも高く、大きい、山のような輝石の塊
どういった原理でそうなっているかは分からない。
だが、確かにその輝石の山の中に城がある。
きっと正確には城だった場所に輝石の山が出来たのだ
村の襲撃、母の死、謎の通り魔、この間から分からないことだらけである
ただいまこの瞬間一つだけ分かることがあるとすれば
朽ちゆく果てに見える世界がただ美しいということだけである
朽ちゆく果てに見える世界
レグナス編
〜完〜