湖の乙女と夢魔の祝福   作:タキヤコ

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2章 5年生
第13話 9月 - 憧れの的


 

 今年の夏は暑いことしか取り柄がなかった。休暇中は、友だちから届く手紙と、メープルの作ってくれるビスケットだけが、ヴィヴィアンの楽しみだった。家にいるのはひどく退屈に感じた。今までどうやって過ごしていたのか思い出せなかった。ホグワーツにいるときと同じように、キッチンへ忍び込んで、退屈を凌いでいた。

 

 やがて待ちかねた9月がやってきた。今日からヴィヴィアンは5年生だ。

 

 父と長兄が仕事へ行くのを見送って、列車の時間よりうんと早く家を出た。次兄は付き添いを父から命じられていたが、ヴィヴィアンは口裏を合わせることを約束し、ついて来ないでもらった。彼にしても外に出たくはなかったのだろう。ヴィヴィアンの提案に、ほっとしていた。

 

 メープルとともに、キングス・クロス駅の9と4分の3番線まで着いた。ホグワーツ特急はもうすでに生徒たちを出迎えていた。早めに着いたはずだが、生徒の姿がちらほらと見える。待ち合わせでもしていたのか、家族同士で立ち話をする人たち。よっぽど心配性なのか、忘れ物がないか何度も確認している生徒と家族。あくびをしている駅員。その脇を通って、ヴィヴィアンはホームを奥へと進む。

 

「ここまででいいわ。元気でね、メープル」

「かしこまりました。お嬢様も、どうかお気をつけて」

 

 メープルは頭が膝につくくらい、深くお辞儀をした。ヴィヴィアンは最後尾の一番奥の扉から車内へ入る。ホームを振り返るとすでにメープルの姿はなかった。まったく……余韻というものを知らない、真面目な屋敷しもべ妖精だ。ヴィヴィアンは、ふっと笑って、重いトランクを持ち上げた。

 

 狭い通路でこっそり浮遊呪文を使いながら、扉から一番遠いコンパートメントに入った。去年は誰も来ないコンパートメントの中から、知らない生徒たちが通りすぎるのを横目で見ていた。友だちの姿を探す生徒たち。視界の端に映るのは、こちらを少し覗いてガッカリする顔だらけ。それでも家にいるよりはずっとマシだと思っていた。

 

 今は違う。少しうたた寝でもすれば、

 

「ここ、いいかな?」

「──ええ。もちろん」

 

 隣に、向かいに。友だちが座ってくれるのだった。

 

 

 

 

 今学期になってから、レギュラスが表立って一緒に行動するようになった。前まではこっそり抜け出してヴィヴィアンたちと過ごしていたのが、最近では他の生徒がいる前でも近寄って話しかけてくるようになった。食事や授業など、寮単位で行動するときはスリザリン寮の友だちに囲まれてはいるが、彼らにもヴィヴィアンとアリアドネのことを友だちだと紹介してくれた。

 

 レイブンクローの同級生たちからは、相変わらず白い目で見られるが、スリザリンの同級生とは男女問わず、すれ違えば挨拶くらいはする仲になった。特に三人の女の子たちからは、とある理由でよく話しかけられるようになった。だがいつも場所が悪い。今日は女子トイレだ。

 

「それで、レギュラス様の練習の日は!?」

「今週は水曜日と土曜日だって」

「土曜日!?」

「ということは……」

 

 ああしてこうして……、と口々に言い合い、何かの計画を立てている。彼女たちは以前、ヴィヴィアンの夢魔の噂を聞きつけ、異性を誘惑する方法を教えてもらおうとしていた、スリザリンの三人娘。エリザベートとクララとクレアだ。誘惑することは諦めたようだったが、その代わりレギュラスの予定や情報を知りたがった。彼女たちと話すときは、レギュラスに見つからないことが必須なのである。

 

「ありがとう、ヴィヴィアンさん、アリアドネさん。助かりましたわ」

「同じ寮なんだから、自分で聞けばいいのに」

「わ、わたくしが!? そ、そんなの……」

 

 三人の中のリーダー格、エリザベートがブツブツと言う。クララとクレアの双子も、釣られてもじもじしている。ヴィヴィアンたちに対しては、グイグイと音がしそうなほど積極的なのに、レギュラスが相手だとそうはいかないようだ。

 

「ねぇ、レギュラスのどこがそんなにいいのぉ?」

 

 欠伸をしながら問いかけたアリアドネ。途端、三人が目の色を変えて、グイッと彼女に近づいた。

 

「あわわ……いや、悪い意味で言ったんじゃ──」

「それをお聞きになりますか!?」

 

 水を得た魚のように目をきらきらと輝かせていた。こうなればもう止められない。

 

「レギュラス様は」

「聡明で」

「賢くて」

「何より、名門家たる気品を備えていらっしゃいますわ」

「談話室のソファでくつろがれる姿を一目見れば、あなたがたも骨抜きですわよ」

「ご覧になれなくて残念」

「でも、おかげでライバルが減りましたわ〜!」

 

 三人は順番に語り、次第に機嫌が良くなってきたのか、しまいにはオホホと高らかな笑い声を上げた。

 

「ソウナンダァ……じゃ、どうして『様』って呼ぶの? 仲良くなりたいんでしょ?」

「同級生なんだから、呼び捨てで呼んでみたら?」

 

 アリアドネとヴィヴィアンが続けざまに言うと、

 

「ひぇ……」

「よ、呼び……」

 

 さっきまでの勢いはしぼみ、ぽぽぽと花の咲くように、彼女たちの頬が真っ赤になった。甘ったるい匂いがしてくる。

 

「そ、そんなの、わたくしにはまだ早いですわ〜!」

 

 エリザベートが頬を両手で挟み、トイレから駆け出ていった。残された双子も、お待ちになって〜! と言いながら後を追って出ていった。嵐は過ぎ去った。

 

「行っちゃった……」

「……この匂いは、少し苦手だわ」

「匂い?」

 

 アリアドネが鼻をクンクンさせる。

 

「そりゃあトイレだからねぇ……ここはマシなほうだと思うけど」

「そうじゃなくて。さっきの、空気が甘ったるい感じ。薔薇の花壇に首を突っ込んだみたいな」

 

 お菓子のような優しい甘さとは違って、粘りつくような熱を感じる甘さだ。身体がそわそわとして落ち着かなくなる。

 

「あぁーわかるかも。恋の話をしているときの空気感って、ちょっとムズムズするよね」

「ムズムズ、ねぇ……」

 

 違うような同じような。この匂いもやっぱり夢魔の血のせいなのだろうか。そう思っていると、

 

「ふふふ……」

 

 くぐもった笑い声のようなものが聞こえた。辺りを見回した途端、どこかの個室で不自然な水しぶきが上がった。

 

「──わかるわよ、わたしにも」

 

 扉を開けずに出てきたのはゴーストだった。

 

「嘆きのマートル!」

 

 マートルは女子トイレに棲む、生徒の姿をしたゴーストだ。彼女はクルクルと二人の周りを回り、ヴィヴィアンの前で止まった。

 

「いいわね! 恋の話……甘ったるくて、ムズムズして、苦手だって言っているけど、ほんとはそれが気持ちいいんでしょ? ふふふ」

「何を言っているの」

 

 ヴィヴィアンは少し警戒しながら聞いた。

 

「わたし知ってるわ……あなた、夢魔の血を引いてるのよね」

「だからって、この手の話が好きなわけじゃ──」

「ふふ、ムキになっちゃって。わたしには見えるわ……あなたの恋の炎が、煮えたぎっているのが……触れると火傷しそう!」

 

 マートルがヴィヴィアンに触れるような素振りをしたかと思えば、熱々の大鍋で火傷をしたみたいにひゅっと手を引っ込めた。からかっているに違いない。ヴィヴィアンが無視をすると、マートルは尚も詰め寄ってくる。

 

「怖いんでしょう? 恋をするのが。夢魔の力で知らないうちに誘惑してしまうかもって……キャハッ」

「そんなこと……っ!」

 

 マートルは頭上に浮かんで、自分自身を抱きしめながら身体をくねくねさせた。ヴィヴィアンは反論するのをやめ、深く息を吐いた。言い返しても無駄だ。マートルが面白がるだけ。ゴーストだから捕まえて黙らせることもできない。ヴィヴィアンが言い返してこないのを見て、彼女は再び目の前に降りてきた。

 

「うふ。彼、人気なのね。レギュラス・ブラック」

「レギュラスを知ってるんだ?」

「わたしはなぁんでも知ってる。彼と二人きりになったことだってあるわ」

「あなた……もしかして、男子トイレにも行くの?」

 

 あからさまに嫌そうな顔をしてみせたはずだが、マートルは嬉しそうに飛び上がった。

 

「水道管を伝って、どこへだって行けるわ。トイレにも、お風呂場にも、キッチンにも、ね」

 

 そう言うと、ヴィヴィアンに向かってウインクをした。一瞬、ドキリとした。キッチンにいるところを見られていたのだろう。しかし、その話は追求しないでいてくれるようで、マートルはレギュラスと二人きりになった話をしたくてたまらないようだった。

 

 彼女は声をひそめて話し始める。

 

「彼ね、トイレに来たっていうのに、なんにもせず、鏡の前でじっとしてたの」

「……それってあたしたちが聞いていい話?」

 

「わたしはバレないように、扉の影からこっそり覗いてた」

「……耳を塞ぐ準備はしておくわね」

 

「そしたら彼が『何の用ですか?』って、こっちを向いたの!」

「おぉ〜! さすが!」

 

「まるで、便器に張りついたナメクジでも見るみたいな目で、わたしを見てたわ」

「おぉ……さすが……」

 

「ちょっとドキッとしちゃった。キャッ」

 

 そのままマートルはひゅうっと飛びあがる。

 

「ふふ、聞いてくれてありがと。わたしも恋の話をしたかったの」

「今の、恋の話だったのかなぁ?」

「でも安心して、わたしはあなたたちを応援してるわ」

 

 マートルはアリアドネとヴィヴィアンを順番に指さす。そしてヴィヴィアンの顔の前でまた、ろうそくの火に触れたみたいに手をひゅんと引っ込めた。もはや遠慮などせず睨みつけた。

 

「マートル、怒るわよ」

「わぁ怖い顔」

 

 肩をすくめる振りをして、彼女はキャハハと笑いながら個室の便器の中へと帰っていった。

 

 

 

 

 今年ももちろん、クィディッチ杯が開催される。レギュラスだけでなく、アリアドネが練習に行く日もあった。去年の試合で箒から落ちるという怖い経験をしたアリアドネだったが、その経験がトラウマになってはいないようだった。むしろ、有り得ない動きをする箒にしばらく捕まっていられたことが、自信となっているらしい。より複雑な動きにも果敢にチャレンジするようになった。見ているこっちのほうが不安なくらいだったが、

 

「もしものときは、また、きみたちが助けてくれるでしょ!」

 

 と笑うのだからしょうがない。

 

 放課後、練習に行くアリアドネを見送ると、レギュラスと二人でキッチンへ行こうということになった。アリアドネには教えていないから、来るのは久しぶりだった。キッチンにいるところをマートルに見られていたという話は、彼には言わないでおいた。

 

 レギュラスが鞄の中から課題を取り出そうとしたとき、教科書の間から何かが滑り落ちた。ヴィヴィアンは何気なくそれを拾った。新聞の切り抜きのようだった。レギュラスが珍しく焦ったようにそれをひったくった。

 

「……聞いても?」

 

 見なかったことにするのが優しさなのだろうが、いじめたくなってしまうのがヴィヴィアンである。好奇心で緩む頬を抑えつつ、一応は丁寧に尋ねた。レギュラスは白い頬を微かに赤く染めながら、ゆっくりと曖昧に頷いた。そして観念したように、鞄から一冊のスクラップブックを取り出した。

 

「……誰にも言わないでくれ」

「アリアドネにも?」

「あぁ、彼女にも、だ」

「いいけれど、どうして?」

「……きっと、子どもみたいだって思われる……」

 

 まさに子どもみたいにボソッと言いながら、彼はスクラップブックを広げた。新聞の切り抜きがいくつも貼ってある。写真はどれも薄暗い。記事は決まって、闇の魔術と、『例のあの人』に関することばかりだ。何ページにも渡って記事がびっしりと貼ってある。ヴィヴィアンはスクラップブックを眺めながら呟いた。

 

「子どもらしい子どもなら、こんなことはしないと思うけれど……」

 

 カエルチョコのカードを集めるようなものだと考えれば、たしかに子どもじみている。が、彼のコレクションは、子どもが集めるにしてはいささか物騒だ。

 

「それって、褒められているのかな?」

「“子どもらしくない”っていうのが、あなたにとって褒め言葉ならね」

 

 レギュラスはほっと息をつくと、安心したように笑って、スクラップブックの切り抜きを指さした。

 

「僕の尊敬する魔法使いだ」

 

 彼の指は『例のあの人』の記事をなぞる。はっきりとは写っていないが、ぼやけた写真からでも身のすくむような圧を感じる。

 

 ウィングス家でも、父がたびたび話題にしていた。今日は何人死んだとか、マグルが、闇祓いが、とか。母が物騒な話を嫌がるので、そう多くは聞いていない。ダンブルドアを批判している父ではあるが、『例のあの人』について文句を言っていることはなかった。それどころか、取り締まるはずの魔法省職員としてあるまじきことを口走りかけて、兄に止められていたくらいだ。父と兄の勤務する魔法省は、マグルに対する隠蔽のため彼に手を焼かされている。諸手を挙げて賞賛するわけにもいかず、いまのところどっちつかずだ。

 

 そんな『例のあの人』を、尊敬していると、はっきり言えるレギュラス。さすがは純血主義で有名なブラック家の次男である。

 

「彼のどういうところが好きなの?」

「好き、って……君、大胆なことを言うね」

「違うの?」

「そんな純粋なものではないよ」

 

 ふーん、と曖昧に返事をした。納得はしていない。ヴィヴィアンにとってレギュラスは誰よりも純粋に見えるのだ。

 

「じゃあ、彼のようになりたい?」

「それも少し違うな」

 

 そう呟いて、レギュラスは考える素振りを見せる。彼の答えを待ちながら、ヴィヴィアンは切り抜き記事の中のどんよりとした空の写真を眺めていた。写真の中では雲が髑髏の形に集まって、口から蛇を出していた。『例のあの人』を象徴する闇の印だ。

 

 頭の中が整理できたのか、レギュラスが顔を上げて言う。

 

「……僕はいつも考えるんだ。魔法界を守るためにはどうすればいいのか」

 

 前にも話していた。魔法をろくに知らないマグルの血を引く者が増えれば、やがて魔法界のあらゆるものが淘汰されていく、と。ヴィヴィアンが同僚生たちの輪から外れてしまったように。

 

「その答えが、()の人なんじゃないかと思うんだ」

 

 指でそっと触れて示す。写真の中では禍々しい雲が蠢いている。ページをめくると、写真のひとつから魔女がわっと躍り出た。心臓が跳ね上がる。ヴィヴィアンは驚いて、あやうく悲鳴をあげかけた。『例のあの人』を闇の帝王と呼び、賛同する者。彼らを『死喰い人』と言うらしい。記事を読むと、写真の中の魔女はマグルを殺した罪でアズカバンに投獄されたらしい。威嚇するような魔女の姿を目を細めて見つつ、ヴィヴィアンは言った。

 

「……それはきっと危険な道よ」

 

 あなたもマグルを殺すの? そう尋ねるように、記事を指さした。心臓がまだドクドクしている。驚いた余韻か、それとも彼の返答に不安を抱いているのか。ヴィヴィアンの言わんとすることが伝わったのか、レギュラスは安心させるように明るい声で言う。

 

「大丈夫。この魔女はやり方を間違えたんだ。僕はそんな愚かな真似はしない」

 

 “愚か”というのが、マグルを殺したことなのか、それとも投獄されたことなのか。問いかけることは、何となくはばかられた。

 

 マグルとはいえ、人が死ぬのは良いことではないとヴィヴィアンは思う。けれど、魔法界に仇なす者たちをどうすればいいのか、わからない。考えたこともない。代替案もないのに糾弾だけをするのは無責任だ。自分のことを考えるだけで精一杯なヴィヴィアンには、『例のあの人』を見つめるレギュラスが、どんな気持ちでいるのかわからなかった。彼が遠くに行ってしまうように思えて、わざと話を逸らそうと声を高くした。

 

「彼のようなすごい魔法使いの前では、夢魔なんて、ただの小さなコウモリになってしまうのでしょうね」

 

 口に出してみたら、不思議と自分の悩みが、ちっぽけなもののように思えた。レギュラスは、つかの間驚いたような顔をしてから、柔らかく微笑んだ。少し困ったようにも見えるその表情は、どこか大人びていて、否応なくヴィヴィアンの胸を苦しくさせた。

 

 

 

 それからしばらくレギュラスが『例のあの人』の話をすることはなかった。このとき話したことも、胸を苦しめられた理由も、ヴィヴィアンは深く考えはしなかった。己の浅はかさに後悔することになるのを、このときのヴィヴィアンはまだ知らなかった。

 

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