湖の乙女と夢魔の祝福   作:タキヤコ

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第2話 10月 - お菓子の匂い

 

 次にヴィヴィアンがキッチンを訪れたのは、二日後のことだった。一日あけたことに深い意味はない。ただ、彼がいるかもしれないと考えると少し、足が遠くなってしまっただけだった。しかしまたそれで彼の気に触って、人目のあるところで呼び止められても困るので、今日は重い足を何とかキッチンまで運んだ。前までも毎日決まって遊びに来ていたわけでもないのだから、何の問題もないはずだ。

 

 そう思いながらキッチンの扉を開いたが、この日、自分以外の訪問者は現れなかった。この次の日もそのまた次の日もキッチンの定位置に座っていたが、レギュラスが現れることはなかった。

 

「あんなに失礼なことを言っておいて、来ないなんてね」

 

 二人分を想定してか、また山盛りに戻ってしまったお菓子。それが置かれたサイドテーブルと、その向こうに鎮座する二脚目の椅子を眺めながら、ヴィヴィアンはつまらなさそうに呟いた。

 

 そして、最後にレギュラスと話してから一週間が経った。彼がキッチンに来ようが来まいが、ヴィヴィアンの日常は変わらない。必要なとき以外誰とも何も話さずに、授業では相変わらず最後に教室を出ている。それはスリザリン寮との授業のときにも。いつも一番前の一番端の席に座るため、彼と顔を合わせることはまずない。しかし、姿を見かけたことはあるので、来たくても来られないような理由が特段、彼に生まれたわけではないようだ。一週間前のアレは、気まぐれだったのだろう。そう油断しかけたヴィヴィアンが、すっかりキッチンの主に戻ったとき、控えめにそっと扉が開かれた。

 

「やぁ。今日は、いるんだね」

 

 久しぶりの訪問にも関わらず、あっけらかんとレギュラスは言った。

 

「『今日は』って、来なかったのはあなたのほうでしょう?」

 

 たまたま時間が合わなかったのだろうか。だとしても屋敷しもべ妖精たちがそうだと教えてくれそうだが。

 

「君は来ていたんだね。自分で言っておいて何だけど、やっぱり君の邪魔になるんじゃないかと少し臆してしまってね……足が遠のいてしまった」

 

 苦笑いを浮かべながら、レギュラスは空いている椅子へ近づくと、隣に座っているヴィヴィアンに視線を投げた。ヴィヴィアンは、勝手にすれば? と言うように首を小さく傾げた。その意図を正しく受け取ったのか、彼は控えめにちょこんと椅子に座った。一週間前は横柄だったかと思えば、今日はどことなく繊細で、読めない人だと思った。

 

「そういうの、気にする性格だったのね。意外だわ」

「僕はこう見えて臆病なんだ。ひとりを好む気持ちもわかるからね」

 

 俯いて呟くようにそう言った。レギュラスはそれからパッと顔を上げるとこちらを見つめて続けた。

 

「でも君の場合は違うな。好き好んでひとりになっていたわけじゃない」

「どうしてそう思うの?」

 

 素直に疑問を口にすると、レギュラスの目が少し輝いた気がした。

 

「ここを居場所に選んだからだよ。このホグワーツ城の中で、ひとりになれる場所なんて沢山あるんだ。なにせ広いからね。誰も知らない場所を見つけることなんて難しくない」

 

 まるでどこかを思い浮かべているかのように、説得力を感じさせる物言いだった。

 

「でも、君はここを選んだ」

 

 キッチンをゆっくりと見回して、レギュラスが言う。彼は最後にヴィヴィアンの顔へ視線を戻した。

 

「ここには確かに人は来ないが、たくさんの屋敷しもべ妖精たちがいる。大広間に負けないくらい、とっても賑やかな場所だ。ひとりで静かに過ごしたい人が選ぶ場所ではないだろう?」

 

 そう問いかけるように言った。なぞなぞの答えを出して、正解だと言われるのを待っているかのようだった。強引かと思えば繊細で、それから純粋な人なのかもしれない。彼の扱いかたがイマイチわからなくなってきた。ヴィヴィアンが返事をする前に、彼がつけ加える。

 

「まぁ、お菓子が目当てなのだとしたら、話は別だが……」

「そうよ。私、お菓子が好きなの」

 

 ヴィヴィアンは吹っ切れたようにそう答えた。

 

「素直じゃないなぁ……」

 

 レギュラスは呟いて、呆れたように笑った。自分のことながら、ヴィヴィアンも釣られて笑ってしまうのだった。

 

 

 

 

 レギュラスに話したことは、あながち嘘でもない。ヴィヴィアンはお菓子が好きだ。お菓子を食べるのが好きというよりも、お菓子の匂いを嗅いでいるのが好きだった。幼い頃にしょっちゅう屋敷のキッチンへ忍び込んで、ビスケットが焼けるのを待っていたからかもしれない。思えばその頃から、今とやっていることは変わらない。

 

 お菓子の甘い匂いは、どこか気持ちを落ち着かせてくれる。ふとしたとき、無意識に甘い匂いを探してしまうのが、ヴィヴィアンの幼い頃からの癖だ。誰かに話すほどでもない、子どもっぽい癖。だけれど、ホグワーツに来てすぐの頃、そのせいで少し恥ずかしい思いをしたことがあった。

 

 

 

 初々しい1年生。11歳だったヴィヴィアンは、大多数の生徒がそうであるように、城の中を覚えるのに苦労した。100を超える階段が常に動いているなんて、魔法界で生まれ育った者でも見慣れない代物だ。生家の屋敷もかくれんぼができるくらいには、広いほうだと思っていたけれど、ホグワーツ城でかくれんぼなんて、下手すれば一ヶ月は見つけてもらえないかもしれない。そんな想像をして、勝手に震えていた、無邪気な1年生のことである。

 

 ある日の夕食前、大広間への道がわからなくなって、とうとう迷子になってしまった。心細くて泣き出してしまいそうになったとき、どこからか甘い匂いが漂ってきた。この匂いはきっと大広間からに違いない。そう思ってふらふらと、甘い匂いをたどって行くと、ひと気のない教室に辿り着いた。

 

 大広間じゃなかった……。がっかりしつつ部屋の中を覗いてみると、二人の生徒、男女の人影が、ぎゅっとくっついていて……何をしているんだろう? 涙目をこすって、よく見てみると、知らない先輩たちがなぜだか唇と唇をくっつけて……キスをしていたのだ。

 

 ああ悲しいかな。このときのヴィヴィアンは今にも増して空気の読めない、うぶな少女だったのである。驚いて思わず、わっと声を上げてしまった。邪魔をしてしまったと気づいたときには、もう遅かった。

 

 誤魔化すためもあるだろうけれど、先輩たちは優しく、大広間への道を教えてくれた。甘い匂いがしたからこっちだと思って……。そう言うと彼らはとても驚いていた。鼻がいいのね、と女子生徒は鈴の鳴るようにクスクス笑い、男子生徒はそんな彼女を愛おしそうに見つめていた。そして、これしかないのだけれど……と、ヴィヴィアンに小さな飴玉をくれた。口止め料は、甘くて酸っぱいレモンの味だった。

 

「──この飴玉、貰ってもいいかい?」

 

 柔らかく問いかける声に、思考が現在へと引き戻される。隣に座る男の子の……レギュラスの声。屋敷しもべ妖精たちの忙しない足音。ここはホグワーツのキッチンだ。手元には、開いたままの本がある。いつの間にか本を読む手が止まっていたようだ。

 

 すぐに返事をしなかったからか、レギュラスがこちらを窺おうとした。ヴィヴィアンは咄嗟に本の中身を手のひらで隠した。内容は恋愛小説。しかもちょうどキスシーン。だから昔の記憶を思い出していたのだ。甘酸っぱくて少し苦い、居た堪れなくなる記憶。それもあって恋愛小説を読むのは少し苦手だ。けれど、同級生の恋の話に興味を持てなかったことが、夢魔の話で失敗をした原因でもある。過去の反省を踏まえ、勉強がてら読んでいたところだ。

 

「……聞かなくてもいいわよ。私だけのお菓子じゃないんだから」

「ありがとう。では、遠慮なく頂くよ」

 

 そう言って彼は飴玉を口に放り込んだ。

 

 飴玉をくれた先輩からは鼻がいいと言われたけれど、あのとき以来、鼻の良さを実感するような出来事はなかった。キッチンを見つけたのは偶然で、匂いをたどったわけでもない。朝食に出るパイだって、アップルパイかかぼちゃパイか食べてみるまで分からない。きっとあのときは迷子で不安で、甘い匂いがしたなんて、おかしな勘違いをしたのだろう。

 

 自分には特別な力なんて何もないのだから。

 

 

 

 幼い頃と変わったのは、キッチンへ忍び込むことに共犯者がいることだ。あれから度々、レギュラスとはキッチンで顔を合わせた。会う約束をしているわけではないけれど、二人それぞれに本や課題などを持ってきて、ぽつぽつと会話をしながら好きに過ごす。たまにレギュラスが二人用のボードゲームなんかを持ってきて、期待の眼差しで見つめてきたけれど、ヴィヴィアンはすげなく断った。そうすれば彼は屋敷しもべ妖精に対戦相手を頼むのだった。

 

「あんまり仕事の邪魔しちゃダメよ」

「彼らにだって、たまには息抜きも必要だ。これも仕事のうちだよ」

「そんなこと言って、自分が遊びたいだけでしょう……」

「チェックメイトでございます」

「あっ本当だ……なかなかやるじゃないか」

 

 屋敷しもべ妖精が丁寧に宣言した。今日は魔法使いのチェス。持ってくるボードゲームはレギュラスの気分次第で日替わりだ。対戦相手も同じく。けれど今日の対戦相手は手強かったようだ。

 

「恐縮でございます。では、これにて失礼いたします」

「あぁ、ありがとう。仕事に戻っていいよ」

 

 屋敷しもべ妖精はぺこりとお辞儀をして持ち場へ戻った。レギュラスはチェス盤を片付けながら言う。

 

「負けたのは久しぶりだな。寮でやるといつも、気を使われて手加減されてしまう」

 

 負けたと言いつつ嬉しそうだ。

 

「わかるの? 手加減されてるって」

「わかるさ。そういうときは決まって面白くない」

「手加減しないでって言えばいいじゃない。ここの子たちに言ったように」

 

 初めは対戦相手をすることに遠慮していた屋敷しもべ妖精たちだった。人に仕えることを生きがいとする彼らにとって、ゲームといえど魔法使いを負かすというのは馴染みのない行為だろう。抵抗感を示す者もいた。けれど、レギュラスが「手加減なしで、頼めないかな?」といじらしくお願いし、駄目押しに「うちの()()()屋敷しもべ妖精は、相手になってくれたんだけどなぁ」とぼやいたおかげで、興味を持ってくれるようになった。

 

 彼らの性質をよく理解しつつ、敬意をもって接している。魔法界での彼らの扱いを知っていると、その行動は矛盾しているとも言える。

 

「いいんだ。人の感情は、彼らのように純粋ではないからね」

 

 気にしていないかのように言って、彼は眉を下げながら微笑んだ。今度誘われたら相手になってあげようかしら、とヴィヴィアンは密かに思うのだった。

 

 

 

 

 新学年が始まってから早くも二ヶ月が過ぎようとしていた。11月になればクィディッチ杯が始まる。クィディッチ杯が始まると、そこかしこで聞こえる会話がクィディッチ一色になる。初戦の組み合わせが決まり、大広間ではその話題がスニッチのように飛び交っていた。

 

 レギュラスはついにチェス盤をキッチンへ置いていくようになってしまった。さらには、上達して良き対戦相手となれるように、との触れ込みで、屋敷しもべ妖精同士で使わせている始末。彼らも息抜きとして楽しんでいるようだからいいものの、レギュラスの巧みな話術でいつか彼らが悪事に巻き込まれやしないかと、ヴィヴィアンは微かに不安を覚えてしまうのだった。

 

 そんなレギュラスはこの日、キッチンへ一冊の本を持ってきていた。教科書よりも一回り大きく分厚い本だ。

 

「君は夢魔よりも雪女と言われたほうがしっくりくるな」

 

 レギュラスが本を眺めながら独り言のように呟いた。隣に座る彼の様子をちらりと窺うと、彼はヴィヴィアンと、手に持った本とを交互に見比べていた。ヴィヴィアンは小さくため息をついて、読んでいた本をパタリと閉じた。読み進めていた小説は、クライマックスに差し掛かろうというところだった。

 

「何かしら、急に」

 

 そう尋ねると、レギュラスは待ってましたと言わんばかりに目を輝かせ、本の中身を見せた。

 

「これなんだけれどね」

 

 そこには夢魔の絵とその生態についてが記されていた。レギュラスが読んでいる本は魔法生物の図鑑だったようだ。

 

「女型の夢魔は、こんな風に……コウモリのような翼と、山羊のような角、悪魔のような尻尾を持ち、黒や金の長い髪をした妖艶な女性の姿で描かれることが多い。対して……」

 

 レギュラスはペラペラとページをめくり、目当てのページで手をとめた。

 

「この雪女は、透き通るような銀色の髪を持ち、冬の空のような瞳で、凍てつくような鋭い視線を向けている。どうだい、この雪女の絵、君に似ていると思わないか?」

 

 レギュラスは開いた本を両手で持ち上げ、こちらのほうへ向けた。確かに、描かれている雪女の髪はヴィヴィアンと同じ銀色だ。こちらを睨みつけるような目も、温かさを感じないという点では似ているのかもしれない。ここまで目つきは悪くないと思うが。

 

「それ、褒めているのかしら?」

「うーん……どうだろうね」

 

 レギュラスは悩むように首を傾げた。自分で言っておいてわからないらしい。

 

「あ、でも、君のその青い瞳は好きだな。初めて箒で飛んだ日の、空の色を思い出す」

 

 そう言って彼はまじまじと、こちらの瞳を見つめてきた。ヴィヴィアンは居心地が悪くなって、手元の本をまた開いた。本に視線を向けながら、誤魔化すように言った。

 

「空を飛ぶのが好きなの? あなた、シーカーをやるらしいわね」

「その話、君も知っていたのか」

「嫌でも耳に入ってくるのよ」

 

 嫌でも、か……という苦笑い混じりの声が聞こえた気がするが、無視をしておいた。

 

 それからレギュラスはしばらく、本の中の雪女を眺めていた。ヴィヴィアンの手元の本が二ページほど進んだとき、レギュラスが再び口を開いた。

 

「もうすぐ、クィディッチの試合があるんだ。僕の初試合さ。スリザリン対グリフィンドール」

「それは盛り上がるでしょうね」

 

 日頃から何かにつけて対立することの多いのがこの二寮だ。スポーツで堂々と戦える場とあっては応援にも熱が入ることだろう。

 

「レイブンクローとじゃなくてよかったよ」

 

 言葉の意味を捉えかねてレギュラスを見た。彼もまたヴィヴィアンを見ていた。正確には、着ているローブの色を。青色はレイブンクローだ。言いたいことを察して、また本に視線を戻した。

 

「……行かないわよ。私、人混みは苦手なの」

「そうか……」

 

 レギュラスはあからさまに声を落とした。少し居た堪れなくなって、彼の様子をこっそりと窺った。あてもなさそうにペラペラと図鑑のページをめくっている。ヴィヴィアンはため息をついて、また手元の本を閉じた。

 

「じゃあ、ひとつお願いしても良いかしら」

 

 声をかけると、レギュラスが弾かれたように顔を上げた。ヴィヴィアンは彼の返事を聞かずに続ける。

 

「あなたが取ったスニッチを見せに来てちょうだいよ。できるでしょう?」

 

 初めて取るスニッチだ。きっと特別なものになるだろう。無論、この話はスニッチを取れることを前提としている。挑戦的な笑みをレギュラスに向けると、彼はパッと顔を明るくした。

 

「もちろんだとも。その代わり……僕からもひとつお願いしていいかな?」

「……なにかしら?」

 

 お願いを返されるとは思わず、少し身構える。対するレギュラスも、少し緊張したように息を吐くと、こちらの顔を真っ直ぐ見つめた。

 

「僕がスニッチを取ったら、僕と友だちになってくれないか?」

 

 目の前にブラッジャーが飛んできたかのような気分だった。予想外である。どんな面倒なお願いをされるのかと思えば。

 

「……いいわよ」

 

 拍子抜けしたような気持ちのまま、深く考えずにそう答えた。返事を聞いてレギュラスは微笑む。それを少し眩しく思いながら、ヴィヴィアンは目を伏せた。

 

 夕食の準備が始まる前に、二人はキッチンをあとにした。夕食前はキッチンがいちばん忙しくなる時間だ。さすがに居座れない。レギュラスはスリザリン寮へ、ヴィヴィアンはレイブンクロー寮のあるほうへと分かれた。夕食までの短い間を明日の準備でもしながら寮の自室で過ごすのだった。ヴィヴィアンは寮へ戻る廊下を歩きながら、先ほどのレギュラスの言葉を思い返していた。

 

 あの、なんでも手に入れられそうな人間から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。良く言うと純粋な。悪く言うと子どもじみた。そろそろ彼への印象を書き換えなければならないようだ。傲慢なスリザリン生、ではなく、まだ子どもらしさを残した男の子へと。

 

(友だちになって……か)

 

 そんな口約束ひとつで友だちができるのなら苦労はしない。

 

 かつて、レイブンクロー寮の女の子たちからも、同じことを言われたことがある。友だちになって、と。そのときも同じ返事をしたものだが、今ではそんな言葉もなかったかのように、ヴィヴィアンは寮内で孤立している。もし仮に彼女たちからもう一度同じことを言われても、今の自分はきっと頷くことはできない。

 

 さて、今度の()()()()()はどうなることか。ヴィヴィアンは彼を試すような心持ちで、約束の日までを過ごすのだった。

 

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