湖の乙女と夢魔の祝福   作:タキヤコ

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第21話 3月 - お返しで仕返し

 

 風の穏やかさに冬の終わりを意識し始める3月。この日は、最後のあがきと言わんばかりに、冷たい雪が降っていた。恋人たちにとっては、寒さを口実に肩を寄せ合う絶好のチャンス。やっかみの舌打ちなんて、彼らには聞こえまい。愛に飢えた者たちはさぞ苛立っていることだろう。こんな日こそ()()には打って付けだった。

 

「先輩……これぇ、この前の仕返し……じゃなかった、お返しですぅ」

 

 愛嬌を振りまく猫なで声はアリアドネだ。彼女にとっては猫に変身するほうがまだ簡単だろうが、声をかけられた相手はそんなことも知らずに、鼻の下を伸ばす。

 

 ここは大広間。全生徒とはいかないものの、多くの生徒がまだ食事をしている朝の時間。ヴィヴィアンはレイブンクロー寮のテーブルから、親友の勇姿を見守っていた。一人でグリフィンドールのテーブルへ向かったアリアドネは、とある男子生徒に小さなお菓子の包みを手渡した。しなびた昆布みたいな髪型をしたその生徒こそが、例のカップケーキをアリアドネに贈った、馬の骨先輩である。

 

 彼は近くに座る生徒たちから囃されながら、いそいそとお返しの包みを受け取った。同じ机のグリフィンドール生たちが何事かとちらほら視線を投げる。その中にシリウス・ブラックの姿があるのを遠目に見て、ヴィヴィアンは少しヒヤヒヤした。彼はアリアドネがレギュラスの友だちであると知っているから、余計な邪魔をしなければいいが……と心配したものの、どうやら、彼も弟と同じく、この手の話には明るくないらしい。友人と思しき、くしゃくしゃの髪をした男子生徒が、ひゅうひゅうとからかうように指笛を鳴らしたが、シリウスは興味がなさそうに朝食のベーコンにかじりついていた。

 

 それはさておき。明らかに手作りとわかるお菓子を女の子から受け取った馬の骨昆布先輩は、期待──ヴィヴィアンの目には下心にしか見えない──を隠しきれない表情でアリアドネを見つめた。

 

「てことは、俺のこと……」

「お返事はぁ、それをぜぇんぶ食べてくれたらわかりますぅ」

「じゃあ、あとで……」

「今ここでっ! 食べてほしいなぁ……なんてぇ……」

 

 アリアドネは頬に両手をあて、身体をもじもじさせながらねだる。効果はばつぐんだ。

 

「お、おう、わかった」

 

 彼はわたわたと包みを開けた。中身は一口サイズのビスケットの詰め合わせ。パクパクと口に放り込みやすいため、先輩はあっという間に、アリアドネの言った通りぜんぶ食べ終わった。

 

 その直後である。男子生徒は喉を押さえて苦しみ始めた。喉に詰まらせたのだろうか。いいや、そうではないことを、アリアドネとヴィヴィアン、それからスリザリン寮のテーブルで見守っているであろうレギュラスの、三人だけは知っている。

 

 先輩が、喉の異物を吐き出すように、ぷはっと息を吐くのと同時に、口の中から煙がもくもくと湧き出してきた。煙は彼の頭上に漂い、ひとりでに文字を描き始めた。

 

『愛の妙薬を使うようなひととは、お付き合いできません!』

 

 周りにいた生徒がその文字を読み、ざわつき出す。先輩は腕を振って煙を払おうとするが、煙は瞬く間に文字の形を取り戻す。そして、追い打ちをかけるように、

 

「愛の妙薬を! 使うようなひととは! お付き合いできましぇん!」

 

 アリアドネが大広間中に響きそうな声で叫んだ。周りにいるグリフィンドール生以外も、なんだなんだと視線を寄越す。寮監のマクゴナガル先生まで立ち上がって、生徒たちのテーブルに近づいて来るのが見える。愛の妙薬を他の生徒に盛ったとあれば、決して褒め言葉は出てこないだろう。

 

「じゃ、そういうことで……」

 

 集まってきた人混みの合間をするりと抜けて、アリアドネはレイブンクローの席へ戻ってきた。

 

「ひぃー……緊張したぁ」

「お疲れさま。頑張ったわね」

 

 三人がひと月かけて準備した作戦が、今ここに終わりを迎えた。

 

 題して、『お返しで仕返し作戦』。

 

 話は一ヶ月前、愛の妙薬事件解決直後に遡る──。

 

 

 

 

「カップケーキ食べたかったなー」

 

 スラグホーン先生の部屋を出て、しばらく廊下を歩くと、すっかり調子の戻った様子でアリアドネが残念がった。

 

「懲りてないわね……」

 

 とはいえ、かく言うヴィヴィアンも、美味しそうな匂いを嗅いで食欲をそそられたのは確かだ。だが、その気持ちを口にするのは、例のカップケーキを褒めるようでなんとも癪である。そんな心を見透かしたかのように、レギュラスが魅惑的な提案をした。

 

「なら、キッチンへ寄ってみるかい?」

「そうだ! 妖精さんたちにカップケーキ作ってもらおー!」

 

 アリアドネはすぐに乗り気になった。こうなるとヴィヴィアンは冷静だ。

 

「悪いわよ……あの子たちも忙しいんだから」

「まぁまぁ、たまにはいいだろう。こちらから注文したって」

 

 レギュラスがアリアドネの肩をもつならば、二対一だ。言い返せなくなる。わざとらしく肩をすくめて、ヴィヴィアンは二人の視線に頷いた。

 

 キッチンへの入り方をアリアドネに教えたものの、三人で一緒に足を運んだのは最初の一度だけだった。アリアドネがこっそりお菓子をもらいに来ていることは察していたが、三人ともなると、頻繁に押しかけるのは気が引けたからである。それでも健気な屋敷しもべ妖精たちは歓迎してくれた。

 

 アリアドネが床にしゃがみこんで彼らと視線を合わせる。

 

「ねぇねぇ妖精さんたち! カップケーキを三人分、お願いしてもいーい?」

「お易い御用でございます!」

 

 先頭で出迎えた屋敷しもべ妖精が、深々とお辞儀をする。話を聞いていたほかの妖精たちも、我先にとカップケーキ作りに取り掛かった。一体いくつ出来上がってしまうのだろうかと心配になるものの、ちゃんと三人分と伝えたのだから大丈夫だと思いたい。

 

 定位置だった入口近くの隅には、椅子が三つに増えて置かれていた。部屋が広い分、奥にある暖炉から離れてはいるが、心も身体も充分に暖かかった。

 

「それにしても、アリアドネが愛の妙薬を盛られるなんてね」

 

 椅子に腰かけながらレギュラスが言う。ヴィヴィアンも一番見なれた椅子に座る。

 

「やっぱりダンスパーティーがきっかけかしら」

「えへへ、ダンスに夢中で、みんなに見られてるなんて思わなかったなぁ」

 

 アリアドネは恥ずかしそうに頬をかきながら、残った新しい椅子に腰を下ろした。

 

 ダンスパーティーでのアリアドネは、友だちという贔屓目を抜きにしても、あの場にいた誰よりも輝いていた。輝きすぎてシャンデリアが踊っていたんじゃないかと思うくらいだ。あれだけ伸び伸びと楽しそうに踊っていたら、好印象しか持たれないだろう。だからといって、愛の妙薬なんてものを使うのは許されない。

 

「やられっぱなしでいいのかい?」

 

 よくないという答えを待っているかのように、レギュラスは目を細めて、悪そうな顔をした。きっとろくなことを考えていないのだろうとヴィヴィアンは察した。

 

「仕返しするっていうの? 愛の妙薬を使うような人なんて、もう関わらないほうがいいわよ」

 

「それじゃあんまりじゃないか。アリアドネは危ないところだったんだ。食べたのが僕たちのいるときだったから良かったものの、そうでなければ今ごろ……」

 

 レギュラスが肩を震わせた。ヴィヴィアンも寒気と全身に鳥肌が立つのを感じた。当のアリアドネはぽかんとしている。彼女は解毒剤を飲むまでのことをあまり覚えていないようだった。本能がそうさせているのかもしれない。そのほうが身のためだ。

 

「私だって許されるなら、その先輩をトロールの住処にでも放り込んでやりたいわ。でも、復讐なんて虚しいだけよ」

 

「君の優しさも、そんな奴には過ぎたるものだ」

「違うわ。そんな人のために、あなたたちの手を汚してほしくないだけ」

 

「む……アリアドネはどうしたい?」

 

 レギュラスが意見を求めると、彼女はうーん、と考え込んでから、眉間にありったけの皺を寄せ、凄むように声を低くする。

 

「たしかに、ヴィヴィアンの言う通り、復讐は何も生まない…………でも、食べ物の恨みは深い──」

 

 アリアドネはレギュラスと顔を見合わせて、二人でゆっくりと頷いた。またもや二対一である。

 

「ちょっと……どうするつもり?」

「大丈夫。無茶な真似はしないよ。相応の報いを受けさせるだけだ」

「頼りにしてるよ! アドバイザー!」

 

 アリアドネは勢いよくレギュラスに手を差し伸べた。パシッと小気味良い音を立てて、二人はカッチリと握手をする。それから三人で、しばし作戦会議の時間となった。

 

 

 

 仕返しをすると決まったからには、ヴィヴィアンも共犯者になる覚悟である。一発や二発殴ってやりたかったが、暴力に訴えるのはスマートな復讐とは言えない。自分たちは魔法使いと魔女なのだから、もっと効率の良いやり方があるはずだ。と、なぜか復讐のアドバイザーと化したレギュラスが力説した。相応の報いを受けさせるのならば、どうすればいいか。膝を突き合わせて議論した結果、お返しという口実で、貰ったものと同じくお菓子を渡すのがいいだろうという結論で落ち着いた。

 

 それが決まった頃には、焼きたてのカップケーキのいい匂いが漂っていた。屋敷しもべ妖精が運んできてくれたのは、皿に並ぶ色とりどりのカップケーキ。それを寂しげに見やり、アリアドネが声高に叫ぶ。

 

「食べ物に魔法を仕込むとしても、また捨てちゃうような真似は、ぜっったいに嫌だからね!」

 

 食べられないままスラグホーン先生に預けたカップケーキを、勿体なく思っているのだろう。ゆえに、全部食べきったときに魔法が発動するという仕組みにすべきだと提案した。

 

 一方でヴィヴィアンは、

 

「お返しとして渡すからには、勘違いされないように、きちんと言葉を添えるべきだわ」

 

 仕返しすることよりも、愛の妙薬を使うような人間と、アリアドネとの関わりを断つことを、優先したかった。魔法を仕込み散々な目に遭わせるとしてもだ。

 

「ふむ……確かに。わかりやすくする、ということは必要かもしれない」

 

 レギュラスは考え込んで、仕返しの核となるアイデアを提示した。

 

「いっそ、告発してしまえばいい。愛の妙薬を他の生徒に使うなんて、褒められるような話じゃない。このことが明らかになれば、グリフィンドールはいくら減点されるだろうね」

 

 別の復讐心も垣間見えるが、罪の告発をするという目的が加わった。最終的には、煙として自らの口から告発文もとい、お断りの言葉を吐き出させるという魔法でケリをつけることになった。

 

 しかし、告発という目的上、誰もいないところで魔法が発動するのは避けたかった。ゆえに、人の目があるところで魔法を仕込んだお菓子を食べてもらうため、アリアドネが一芝居打つ必要があったのだ。

 

「やっぱり、本人の口から直接、拒絶の言葉を聞くのが、一番よく効くんじゃないかしら」

「あぁ。言葉はときに、剣よりも鋭い」

「よぉし! じゃあ、面と向かって伝えられるよう頑張るよ!」

 

 

 

 そう意気込んで一ヶ月。三人で図書室の本を漁って仕返しに使えそうな魔法を探し、お菓子のレシピを探し、アリアドネは猫なで声を出す練習をした。やるからには徹底的に。できるだけ期待を高めさせてから突き落としたほうが、ダメージを存分に与えられるためである。

 

 普段とどう違うんだ? と首を傾げる、乙女心のわからないレギュラスはさておいて、ヴィヴィアンにはどうすれば下心を持った男を誘惑できるかが手に取るようにわかった。これも夢魔の血によるものなのかと、いつもなら思い悩むところだが、『お返しで仕返し作戦』の前には些細なことであった。

 

 ヴィヴィアンが太鼓判を押すまでアリアドネの猫なで声が上達し、満足のいく『仕返しお菓子』ができあがったところで、作戦を決行に移した。

 

 結果は予想通り、仕込んだ魔法よりも、アリアドネの声のほうが、当事者にとっても周りにとっても影響は大きかった。それはもう物理的に声が大きかった。

 

 

 

 場面は戻って、『お返しで仕返し作戦』決行後。ざわつく大広間である。ヴィヴィアンとアリアドネはこっそりと振り返った。

 

「よくあんなに大きな声を出せたわね」

「えへ、緊張でわけが分からなくなってたから……ま、ともかく、作戦成功だね!」

 

 これで不埒な先輩に、反省してもらえるのなら良し。

 

 アリアドネは、猫なで声よりも可愛らしい、いつもの下手っぴな笑顔をヴィヴィアンに向けると、グッと親指を立てた。ヴィヴィアンもまた、柄にもなく、その仕草の真似をした。

 

 そして二人で、スリザリン寮のほうへと合図を向ける。こちらを見ていたレギュラスとパッチリと目が合って、恥ずかしそうにしながら、彼もこっそりと親指を立てた。

 

 その後、文章入りお菓子の作り方を聞きに来る女の子が多数現れた。そしてホグワーツではしばらく、お菓子を渡して告白するという方法が流行った。自分の口から言う勇気のない子たちが、仕返しではなく愛を告白するのにその魔法を使ったらしい。もっとも、その告白方法で成立したカップルがどのくらいいたのかは定かではない。

 

 

 

***

 

 

 

 ──その夜、私は夢を見た。

 

 目の前にはあの、美味しそうな匂いのするカップケーキがある。今ならわかる。これは偽物の愛の匂い。それも、とびきり上等な愛に擬態している。おそるべし、愛の妙薬。でも……あのまま匂いに騙されて食べていたら、どんな味がしたのかしら。

 

 夢の中の私は好奇心に負けて、美味しそうなカップケーキを恐る恐る口に入れた。途端に、身体の中が熱くなって、爆発しそうなくらい、力がみなぎってきた。とっても調子が良くて、叫び出したい気分になった。

 

 ……おかしいわね。どうやら愛の妙薬は、入っていなかったみたい。夢の中なんて所詮そんなもの。代わりに、幸運の液体でも入っていたのかしら。何だか元気が溢れてきて、今の私になら何でもできる気がする!

 

 私は心のままに、イェイ! とか、フゥー! とか、現実じゃ考えられないほどご機嫌な歓声を上げた。すると、視界の端に突然、グリフィンドールのあのにっくき何とかという先輩が現れた。本人を間近で見たことはないから、よく知らない顔には暗い影が落ちていて、目は虚ろなゾンビのようだった。どうしてそんな状態で、先輩だとわかったかというと、ひっきりなしにアリアドネの名前を呼んでいるから。

 

 私は心のままに──先輩をぶん殴った。現実じゃ一発も殴ってやれなかったから、いい気味。しかし先輩も簡単にへこたれることはなく、アリアドネを狙って四方から次々と現れる。私はそれをバッタバッタとなぎ倒し、ヒーローのごとく、狙われし姫を守った。

 

 あぁ、おかしな夢……。

 

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